七宝物語

戸笠耕一

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終章 惜別の時

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 火都を守る烈王の軍勢とそれを攻める軍勢の戦いは、終盤に差しかかっていた。

 数で勝るとはいえ、相手は統率の欠いたただの烏合の衆である。互いに違う国同士が寄せ集めで、難攻不落の都を落すなど、不可能に近いはずだ。何という浅はかで愚かに攻めてくるとは……まあ、目の前の兵は恐らく囮だ。
 
 雑魚をけしかけ注意をそらす一方で、都の反対にある火門から内部に侵入し、聖女を救い出す算段だろうが、張り合いがなさすぎる。せめて、指揮官に王の一人でもいれば……

 王がいるか、いないか。戦況は大きく変わる。言ってしまえば、ただの兵隊十万と釣り合えるほどの力を王は持っている。
 
 馬上越しに、烈王こと猛留は、相手の将の首を数多得ていた。勝ち目のないことに気付いた敵兵はわらわらと退却していく。

 みじめに去っていく兵を見て、彼は高らかに勝利の宣言をした。敵は無駄に陽動に使った兵を失い、聖女の救出も徒労に終わったことだ。
 
 彼の頭にはすでに「完勝」の二文字しかなく、満足しきっていた。あとは帰還し、ゆっくりと妾共と戯れようと考えていた。

 彼は、黒門の前に朽ち果てる兵の始末を任せ、自分はわずかな供を連れて自らの宮殿に舞い戻った。

 宮殿へ通ずる幹道には国中の民どもを呼び集め、這いつくばらせる。
 
 俺の力を誇示するのだ。実に愉快で、気持ちが躍る光景はない。

 道沿いに並べた下々の民。彼らの大半は、強制的に連れ込まれ住むことを余儀なくされた者だ。しかし自分には全く関係のないことだ。力に抗えず、ただ己の無力さを呪えと彼は頭を地に擦り寄せる者たちを見て思った。

 やがて宮殿が近くまで見えてきた。だが妙である。

「なんと――陛下、宮殿の正門が」

 親衛隊は、猛留のことを殿下と言わず陛下と呼称する。彼がそう呼ばせるよう命じたのだ。聖女に臣従する王でありながら、頂点に立とうとする男。彼がこの世を統べる者であるという執念が込められていた。

 倒壊した門の脇に、衛兵が倒れている。ざっくりとした切り口。剣による傷だ。

 猛留の心に、動揺がわき起こる。門は強力な魔法により侵入を防いでいた。なのに、なぜ……

 目の前には、門が無残にも。すでに原型を留めていない。

 一体何が?

 彼はこの時愛用の名馬に鞭を打つ。名は『俊鯨」という。鯨のように通常の馬より巨体だが、俊敏で強靭だからそう名付けられた。急ぎ馬から降りると宮殿内に入る。

 将兵は多くを前線に投入した。宮殿を守る近衛兵も例外ではなく、残っている者は多くはない。

 ガランとした内部。倒れている衛兵たち。皆、刀傷を受け絶命しており、倒れているのは兵だけでなく、侍女や妾も含まれている。

 まさか――火門の守りを突破してきたのか? すべて突破してきたとでも言うのか?

 裏道より火都へ来るまでに、多くの試練が潜み侵入者たちを待ち受けている。火の街道、火の一本道、火の鞭……まさか、やつらは試練をすべて突破してきたのか。

「おいっ! 誰もいないのか!」

 猛留は大音声で呼びかけた。しかし反応するものはいない。

 なぜ返事がない?

 聡士、聡士はどうした?

 あとは――祥子もいない。いや待て、侵入者――夕美とくそったれ剣士がこの宮殿に入れたというならば?

 敵の狙いは聖女の救出だった。だったら!

 猛留は目まぐるしく頭を使った。彼が頭を働かせて考えたのは珍しいことだ。思考を聡士に委ねていた彼は、腕力にものを言わせ戦争や享楽に耽ってばかりいた。しかし副作用はすぐに出る。

 頭痛がしてきた。

 とにかく確かめる必要がある。

 大広間の奥にある階段を下に降りていく。最下層にある幽閉の間。彼は自分の姉をそこへ押し込めた。

 階段を下り切り、彼は慄然とした。

 馬鹿な……

 扉は内側にひしゃげていた。中に入ると、そこには誰もいなかった。

 錦の御旗を失った。今や彼は逆賊になった。

 おお、と彼は叫んだ。まるで龍の息吹のようだ。鼓動は宮殿内に大きく響き渡っていた。
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