七宝物語

戸笠耕一

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第5章 火中の救出

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 祥子は、たかが書類に署名をさせるだけに一時間を費やしていた。聖なる腕輪もない、ただの娘を操るのに手こずるとは。少々なめていたか。

 希和子の意志の強さは、悪しきことを一切受け付けないのだ。

 だがやっと西王から玉座を奪い取り打倒する文を書いてもらった。聖女はわが方にあり、彼女は王の任免権を持つ唯一の存在だ。彼女の裁定を覆すのは王でも厳しい。

 希和子は疲れ果て寝所に横になった。重大な役割を担ってくれた。さっそく届ける必要がある。

 部屋を出て向かったのは王の間だ。次の作戦会議で誰一人として入出を禁じされている。尋ねれば激怒し、最悪殺される。火の王は実に気が短い。

「殿下、殿下」

「誰だ!」

中からけたたましい猛獣の雄叫びが、扉越しに聞こえてくる。やはり邪魔が少しでも入ると怒るのだから。

「私でございます。祥子です」

 やがて重くがさつな足取りがして、向こう側の扉の前にやってくるとバンッと大きな音がして高さ数メートルある黒い扉が開いた。

「入れ」ぶっきらぼうな言い方だった。

「はい、失礼を」

 祥子は一歩後ろに下がり、スカートの裾をつかみ、膝を下げる。宮廷で仕込まれた礼儀作法である。火都では、全くと言っていいほど不要なものだ。

「挨拶はいい。入れよ」

 彼女の入室も礼儀正しかったし、存在は侍女や妾の中でも一線を画していた。

「お忙しいところ恐縮ですが、ご期待に応えるお品をお持ちいたしました」

「お、本当かい?」聡士が興味深そうに言う。

 王の間は広い。白い大理石で敷き詰められ、壁伝いに人口の滝が流れている。水は、そこを起点とし、川となり大理石の間と間を蛇行しながら部屋の端々を流れ循環している。

 唯一火のない領域だ。暑さがなく、王に気に入られた者しか入出ができない部屋である。

 祥子は川に掛けられた橋を渡り、王が座すスペースに向かう。

「こちらですわ。私苦労しましたのよ」

「ああ、そうだろうね。おしえてもらってすぐには、人は操るのは難しいよ」

「何をしてきた?」

「西王に対する王の罷免と打倒の文ですわ、聖女直筆の」

「なに?」

 猛留の表情が変わって、声も裏返る。

「ちょっと貸してみろ」

 祥子の手にした誓紙を猛留は見てさらに驚きを露わにした。

「お前、どうやった?」

「はは、催眠術だよ。ここ数日で急いで教え込んだのさ。いけない、もっと早くから教えとくべきだった。君は素晴らしいよ」

「確かに姉さんの字だな」聖女直筆の西王打倒の文だ。

「これを刷り、全国にばらまくのさ。そして西王の評判を地へ落とす。相手は聖女の逆賊だ。立場は――」

「逆転」聡士は肝心なところを猛留に言わせた。

「よし、でかした。でかしたぞ」

「今、姉さんはどうしている?」

「大役ご苦労さまとおっしゃってあげてください。すっかり疲れて寝込んでおります」

「そうか、そうだよな」猛留はうん、うんと納得の表情をする。

「もうあの部屋から出してあげてもよろしいのでは?」

「いやもうちょいこの国の流儀を学んでもらいたいな」

 猛留はにやりと笑う。

「まあ酷なことを」

「いいけども、猛留――侵入者が来ているよ」

「本当か?」

「まさか山を越えて来ているとはね、さすが向こうも対応が早い」

「誰だ?」

「姉さんさ、僕の」

 ああ、と猛留は顔を手で覆う。厄介な奴が来やがった。

「あとフィアンセもね」

「フィアンセ?」

「あのどこの馬の骨ともわからぬ流浪人でしょう」

 全くうっとうしい、と祥子は最後に付け加える。あの男さえ、いなければもっと啓作はスムーズに移行したのに。とんだお邪魔虫であった。

「聡士、お前何とか対応してくれ」

 わかった、と聡士は返事をした。

「なら私は陛下の御そばに」

「頼む。じゃ俺は正面に押し寄せてくる敵を蹴散らす」

「やんわりいなすだけでいいよ。文をまき散らせば、皆混乱してきっと意見が割れるからね。この世には西王に不満を持つ輩は大勢いる。勝機はある」

「いいぜ、ただお前の考えるいなしとはちっとは違うぜ?」

「細かいところは好きにしてよ。じゃあ早速対応に当たるよ」

「ああ」

 聡士はフッといなくなる。現身幻滅の術。王ならだれでもできる姿隠しの離れ業である。

「では私も」

「待て」

「なんです?」

「そう急いで行くこともないだろ?」

 猛留は二人きりになり、つい欲が出た。ほっそりと細い彼女の腕を捕まえ己の懐に手繰り寄せる。

「お戯れを――私は殿下のお邪魔虫になりたくありませんわ」

「お前は俺の妾だ。王の相手をしろよ」

「そうですのね」

「何だ。最近冷たいぞ?」

 フフ、祥子は笑う。相手を誘惑しているのだ。

「何だよ?」わけがわからない。時々女と言う生き物は行動が謎だった。

 まあいい。猛留は、手で彼女の臀部を触る。たくましく、濃密であった。

「いやらしい手」

 二人は笑う。ここは王の魔窟だ。流れる川は蛍光塗料により七色に輝き、その場で戯れる二人をより一層彩っていた。
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