七宝物語

戸笠耕一

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第2章 霧の中より現れし男

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 十月二十日。
 豊都――そこは、南の大海に面し商業で栄えた都市であった。しかし、君臨する王は逝去した。突然の去り様であった。
 王なき都市に、混乱した。市場は荒れた。やがて地獄の使者が東の地より来訪した。烈王。東を治める荒ぶる王だ。彼は先王不在の混乱から救うと評して都を攻め立て、己が領土としてしまった。
 都の宮殿――豊楼殿。そこは外観を豪勢な金銀で装い、この世の富を集結させたような造りになっていた。
 宮殿に向かう正面通りには、大層な行列ができていた。民衆は、御車にこれまで集めた財宝を乗せ、宮殿に向かって並んでいた。彼らの面持ちは暗い。列は二重になっており、宮殿に向かうものと反対に帰る者であった。
 行く者は沈鬱な感情を隠しつつ何とか体面を取り繕っていた。しかし帰りの者は違い、中には泣き叫ぶ者もいた。
 だが列から外れることは許されなかった。烈王の兵が厳重に道をふさいだ。道を逸れる者がいれば無条件で全財産を押収された。
 一連の行為は、豊都を治める新王の命であった。全財産を持ち合わせ精査するという。王が必要とあるなら、押収するという趣旨の命だ。
 当然前代未聞であり、横暴であり反発を買う。しかし、新王は何ら意図を介さず、苦情を言いに来た神官を弑逆し、その首を王宮に晒した。
 国民は知った。王の死後、豊都は数日のうちに無抵抗のまま陥落し、暴虐無比な王の者になったと。
 しかし彼らには、先王逝去というだけでなぜこうなっているのか把握しかねていた。目的も、不明瞭なのに財産を取られるのか? 我々が何をしたのか?
 いい状況ではないのは確かだ。恐怖だけが心に宿り、支配し逃れようのない状況に置かれているのは誰もが知っていた。
 一方の宮殿も大変な事態に直面する。
「これは――一体何の真似です?」
 ツカツカト気色ばんだ一人の女性が、王の間に入ってきた。
「あなたたちは何をしているのです?」
 王座の脇に縮こまっている臣下を女性は説諭した。彼女の身なりは、金のドレスをまとい、頭に銀の冠を付けている。他にも、高価な物を身につけている。その様だけで、彼女が位の高いものであることは容易に想像がつく。
「庶民の財産を、検品し、不当に押収するのは諸王の会議で禁じられています。一体全体――」
「誰だ、あんた?」
 ガミガミと騒ぐ女だ、と烈王は上から見下ろしつつ言った。
 女は、まあと言うと口をパクパクと動かし、まるで陸に上がった魚のようだ。
「わ、私は……王妃ですよ!」
 ああ、と声は上からで相手の意を介さない。
「だから先王の嫁さんが、俺に何の用だ?」
 言葉は冷たい。
「前の王は、おっ死んだ。ならあんたには何の権威も威厳もないわけだ――おい」
 彼がひと声かけると出入り口にいた部下が、王妃の両腕をつかんだ。彼女は叫び抵抗をするが、力で及ばない。
 王妃は、怒りの帝王の前に差し出された。
 彼女は無様にも、王の前に跪かされた。
「こんな――こと、許されませんよ」
 顔は、尊厳を踏みにじられ屈辱にまみれ耐えきれず怒りに満ちていた。今にもかみつきそうな狂犬だった。
 だが烈王は、素振りを楽しんでいるようだ。弱者を上から無情に見下ろしあざ笑う姿。やがて王は笑い、卑しい顔はますますひん曲がった。悪巧みを思いついた子どものようだ。
「剥げ」
 王は一言いえばいい。後は臣下がやってくれる。
 忠実な部下たちは、国の王妃の身からすべてを簒奪する。風格の証であるドレスも、ネックレスも、冠も、はく奪された。全てが一瞬の内であった。
 あとには、無残なさまを衆人の前に露わにされた哀れな女が玉座の前に打ちひしがれていた。無様な姿に彼は大いに満足した。もう簒奪は十分だ。
「悪いようにはしませんから」
 烈王は何もかも失った婦人に対し労わるように、口ぶりを温和にした。
「さあ、あとはいいぞ。お前ら、いったん俺は帰るぞ。財宝と、女たちは逐一都に送れよ。王妃さまと『こいつ』は持ってくぞ」
 こいつ――豊国の宝である鐘であった。本来なら宮殿の正門に置かれ、祭事の日に高らかと鳴らすものだ。
 横にいた王后は発狂した。
「いやよ!」
 烈王は、力ずくで表に連れ出す。行くかう者たちが、二人を見て目を背ける。助けを求める皇后と、高らかに闊歩する王はまるで対照的だ。
 烈王は、都の表通りに出て、その身を変えようとした。転変、自分に適した姿にかられる。兎やリスといった小動物から蛇や犬、といった並みの動物、はたまた龍やユニコーンといった伝説の動物にもなれた。
 彼の転変は龍だ。赤き龍。天を赤く塗り染める巨竜だ。人の身なりでは味わえない快感。全てを超越したさまに人は怯え震えるのだ。
 彼が天を仰ごうとしたとき、目の前に立ちふさがった者がいた。
 白い服に身を包んだ姿は、祭司のよう。何だか澄ました格好で、気に入らない。
「誰だ?」
 見知らぬ者だ。
「われらは、西国よりの使者です。国同士の争うことをやめ、直ちに兵を引くようとの支持を承っております」
「我が国は、南の王逝去に基づき隣国であるからなにがしかの援助をしに来た。にもかかわらず、我が入国を拒み同盟国の使者を殺した」
「半ば強引に兵を推し進め、都を占拠したのですか?」
「占拠とは、縁起でもない。矢を放ったのは向こうであるし――」
「お助け――お助けください! この者が…ああ、この者が!」王妃は思いがけない助け人に懇願する。そのさまに、王の妻としての厳粛さはない。
「一体この行列は何ですか? 夫人をどちらへ連れてまいるおつもりで? 他国の王に許可なく、人や物を連れ出すのは禁じられていることですぞ?」
 烈王は、だんだんとイライラを覚えてきた。また胴と首を切り離してやろうかと思った。
「ほお、では、貴殿のおやりになっているのは何だ? 他国の王が干渉するというのかな?」
「聖女陛下の御命である!」
「聖女?」
 冷静で落ち着き払った態度が一転、怒気を込めた使者の物言いに、怒りを武器にした烈王がひるむ。
「そう、あなたを王足らしめたお方の指示。王とて陛下の御意向を無視することはできない」
 なにを、と言いかけたときだ。
「まあまあ、少しよろしいかな?」
 烈王である猛留の背後から声がした、よく知っている者の声と知るのに時間はかからない。
「やりすぎだよ」
 緩やかなトーン。余裕を醸し出した口調。もったいぶった素振り。
「聡士? どうしてここにいる?」
 本来なら火都にいてある計画の準備を進めているはずだった。聖女誘拐という、成功させなければいけないゲームに、手が離せないと言っていた。
「何しに来た?」
 なあに、とのほほんとした返事がした。やけに余裕のある返事だ。
「ここは、こちらさまの言うことを聞いていた方がいいよ」
「何で?」
「陛下の使者と聞いたよ。白と水色の紋章。聖女直々の家臣と言って間違いないよ」
 そうかとだけ言った。もう面倒だった。
「で、ここから立ち退けと?」
「まずは状況をお聞かせ願いたい」
「さっき言った通り、援助の兵を出しただけ。先王の爺様がお亡くなり、不穏な動きがあるという情報が入ったもので兵を出しただけだよ」
「情報?」
「だから――」
 交渉下手な猛留に代わり、聡士が間に入る。
「先王に対する不満分子が近日事を起こすという情報が耳に入ったもので、兵を出したのですよ。伍の国王との合意もありますよ」
「ほう、にわかに信じがたいですな」
「誓紙がございます。よくご覧あれ」聡士は懐から一通の手紙を取り出し渡した。
「兵を出せといったのは、伍の王。でも兵の入場を受け入れず、あろうことかこちらの使者を射殺したからねえ。こちら側としても反撃に出るしかなかったのですよ」
「では何故、一体何ですか? 我々には財産を押収するために庶民を駆り立てているとしか思えないのですが?」彼は長蛇の列を再度見て聞く。
「ああ、押収じゃなくて精査ですよ。都の不満分子が持つ武器を見つけだすためにね」
「やりすぎなのでは?」
「まあ、ちょっとね。でも彼はそういうところしっかり確認しないと落ち着かないたちだから、ねえ」
「こちら側として、財産の精査は行っても構いませんが、他国との共同でお願いしたい。ですから一時中断を。兵も、一部残して豊都の行政に一任すること。くれぐれも外政干渉をならないこと。かつ押収した財産は返すこと」
「ハイハイ」
 横柄な返事に対し使者は付け足した。
「本件に関してきっちりと陛下の御耳に入れされては頂きます。王による横暴な措置を報告するのが我々の責務ですので」
 使者は毅然と対応すると、さっさと身を引いた。
「ちいっ! 嫌な奴らだ!」
「怒らない、怒らない――さあ、いったん帰ろうか。もうじき会議だよ。目につくことをしない方がいい」
 聡士は友人である猛留の気をなだめたが、彼はちっと去り行く使者に舌打ちをした。
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