七宝物語

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
21 / 156
第2章 霧の中より現れし男

4

しおりを挟む
 沈黙した間が続いた。聡士は手荒な真似をしたくない。自発的にこちらのいうことを聞いてほしい。希和子は祥子の後ろに張り付いたまま、返事もせず時が過ぎるままにいた。
 祥子はこのまま時間が過ぎても何も解決しないと察していた。
「陛下……」
 心痛な面持ちで、重く押し殺した声だ。
「ここは、いったん相手方に従うのが上策かと存じ上げます」
 意外な言葉に、希和子は驚愕の色を浮かべる。
「そんな……いやよ!」
 絶叫が鳴り響いた。
「われらは二人。相手は多数。こちらの兵はご覧のとおりです。恐らく相手はなにがしかの術を弄しております。ですから――」
「いやよ!」
「しかし――」
「いやいや! 行きたくない!」
 希和子の心にあったのは、あの火都という場所、そこに顕在する王――つまり弟がいる場所に絶対的な嫌悪感があり、彼女の心を支配していた。
「ずいぶんと嫌われてしまったなあ」
聡士はもったいぶった口調で言う。
「せめて、あなた方の目的やどこの国の者なのかおっしゃい。当方としても納得がいきません」
「まあ、そうか。そうだねえ……じゃあ」
彼が徐に自分の胸元に付けている装具を取り出そうとした。
ぎゃああ、と悲鳴が走る。
「なんだ?」
 聡士の声に戸惑いがあった。彼は想定していなかった。今までにない口ぶりだ。
 予期せぬ訪問客がいる。俺の霧の籠に入ってはいけない何かがいる。
 影は霧に包まれ姿がわからない。だがこちらに近づいてきているのは確かだ。やがて正体はさらされた。
 声がした。目の前にいる者が王であることに委縮はなかった。
「お前はなんだ?」
「婦人の泣き叫ぶ声がした」
「貴様っ――」
 敵兵が男の前を立ちふさがる。だが男は一振り手に持っていた剣を振り下ろし、切り捨てる。彼の剣は、鮮血とともに青白く光を帯びていた。
「で、近くまで来たら赤い服を着た、敵がいるじゃないか。赤は烈王の紋章だ。見たくもない火竜の紋章だ」
「誰だと聞いて――」
また悲鳴が走る。
「やつは大勢殺す。女も、老人も、赤子も、罪なき者を平気で殺す大悪党だ」
血しぶきが舞う。地べたに兵が転がる。
「成敗する」
気づけば、死体の山が出来ていた。
「ほお、ずいぶん烈王に恨みを持っているようだな」
「貴様が親玉のようだな?」
手にしていた剣は血で染まるが、青白い光は絶えず放ち続ける。輝きは悪しき者の血を滴らせ、さらに輝きを増す。
男はすかさず聡士に斬りかかった。彼の刃をサッとよけると指をパチンと鳴らした。手には剣が握られている。
「魔術師か」
男の問いに聡士は答えない。積もるところ、謎の男を片付けさっさと聖女を連れて行きたかった。とんだ茶番に付き合っている暇はない。
カッカッと剣が擦れあう。男は剣の手練れである。王である聡士を押していた。一方聡士は面倒な奴だと思い、術を弄そうと考えた。しかし、彼に術は効かない。いやはやこれは大変だ。
おそらく男の持つ武器は、聖剣だ。魔を払える。心正しきものが扱える諸物である。王といえども、聖剣に斬られると死に至る魔払いの剣と呼ばれる。
 何とか男の剣裁きを流し、間を保っていた。しばらく戦いは膠着した。
 そこへ、すさまじい勢いで黒い塊が突っ込んできた。シュッという音がした。とたんに聡士の体が謎の巨大な塊に吹っ飛ばされ、煉瓦の建物に激突する。大きな穴が開いていた。塊の正体は夕美だった。
「陛下、ご無事で?」
「ええ……」
「申し訳ありません。下らない幻術にいっぱい食わされました――まもなく西王も参ります。どうぞご安心を」
西王。萌希が来る。
「いたたた」
聡士は相変わらずの笑みを浮かべるが、煉瓦にぶつけられ、痛そうだ。常人ならとっくに死んでいる。
「結界が切れて入ってきたのか」
「相変わらずくだらないことを考えているのね」
「いやいや、大真面目だよ。なんだって西王も来るの? 分が悪いなあ」
「彼女は来る前に……あんたは死んでいるわ」
王と王。二人が相対立し、互いをにらみ合った。覇気のせめぎ合いだ。周囲は暴風が巻き起こり、砂ぼこりが立ち込める。
いつしか霧は消え、日差しが出てきた。幻術は消えていた。
やりあう、と思ったとき激しい気迫のぶつかり合いを絶ったのは聡士の方だ。
「分が悪いよ、姉さん。じゃあね!」
聡士は素早く覇気を消し、パッと自身のマントで己を包みこむ。やがて彼は姿をくらました。
「襲っておいて何を言う」
逃げた自身の弟に、夕美は苦々しい感情をたぎらせたが、大事なのは希和子の方だ。
「陛下……ご無事で?」
主は、従者と共に近くの木付近に捕まり、風に飛ばされないようこらえていた。
「え、ええ。すさまじいせめぎ合いでした」
「申し訳ありません」
「もういなくなりましたの?」
「はい」
希和子は淡々と答える弐ノ国王夕美の様子に、信を置くべきか危機を救ってもらったのにも関わらず疑義を抱いていた。
「あの男……」
夕美は、ちょうど剣にこびりついた血しぶきを払う男の元へ行く。
「ずいぶんと古い剣ね。何やら聖なる力を感じる。なんなのその剣?」
男はちらりと夕美を一瞥し、また剣に目を向ける。
「いかにも」
ぶっきらぼうな返答だ。
「ちょうど近くを通っておりますと、不思議な霧に遭遇しまして、視界を遮られたところ何やら婦人の悲鳴が起きまして」
男の声は低く、まるで詩を朗読するかのような口ぶりだ。彼の話は続く。
「声のする方に向かいますと、婦人二人が怪しげな男どもに取かこまれ、誘拐されそうになっておりました。男どもの服の記章は赤と縁を彩る龍。これは烈王の紋章」
「ふーん。かの国の王をずいぶん憎んでいるようね」
彼の言葉の端々に怒りの感情が込められている。
「でも単なる通りすがりの浪人が、あの立ち込めた幻術を食い破れるわけがない」
「わが剣――これはわが先祖がかつての聖女陛下、直々に腕輪を用いて研いでもらった剣。あさましき幻術など通じませぬ」
 剣は青白かった。希和子は知っていた。自らが持つ聖なる腕輪で研がれた剣は青白い輝きを放つという。
「ならば教えます。目の前にいるのは、ただの婦人ではない。今行った聖女陛下御自らです」
その言葉、一言は男の瞳を見開かせた。
「なんと? それは真か?」
「陛下……あなたの剣、聖なる腕輪によって光を帯びたのではなくて?」
希和子はそっと自らの腕に付けていたものを見せる。
男を平伏させるのに、時間はいらない。気づけば、幻術が解かれた傾倒した兵たちも起き上がり、護衛隊長が主のお傍に寄り添い平身低頭お詫びをし続けた。
「それにしても……」
ちらりと隊長は見慣れぬ男を怪しいものを疎むように見つめる。
「こら貴様、陛下の御前で! 頭を下げぬか!」
親衛隊の一人が叫ぶ。聖女を助けたというのにとんだとばっちりだ。しかし男は慌てず地に足を付け、希和子に平伏した。
「大変ご無礼を。ご容赦ください。私、名を流星と申します。生国は、伍の国の『亮梅』と言う場所でございます。聖女陛下に拝謁できるとは、光栄至極に存じ上げます」
希和子は、へりくだる相手にお声をかけねばならなかった。
「お礼を言います。助かりました。あなたの剣さばき、実に素晴らしいものです」
男は恐らく身なりからして流浪人。しかし命の恩人であることには変わりはない。彼は敵をなで斬りにした剣を誇っていた。
「その剣……」
「はっ」
「ぜひ一度手に取って見せてもらってもいいかしら?」
「ははっ」
男はすっと鞘から剣を抜き取り、差し出した。剣はやはり青銅色である。
「やはり傷んでおりますね。刃こぼれがひどい」
希和子は剣を研いだことはなかった。しかし宮廷の侍従から聖女の業務として作られた剣に、腕輪を用いて、さらに研ぎ直す術を会得していた。なにがしかの恩情を与えねばならない。
果たして、何が良いのか……
希和子は迷う。聖女として、初めて何かの決断を迫られている。
武功を思案したが、やはり恩賞を与える義務が自分にはある。
「剣を一度私に預からせて貰えませんか?」
彼女の言葉は男にとってあまりにも唐突なものだった。顔に戸惑いがよぎる。だが希和子の決心はすでに堅い。
「私が剣を研ぎます」
「なんと……」
近くにいた親衛隊、その他護衛部隊を起点とし、彼女の言葉は駆け巡り内実を知った者を驚愕させる。
聖女が腕輪により光を抱いた刀剣を研ぎ直す――立派な
立派な聖業の一つである。栄典の授与という聖業に入る。
行為は主に対象者に褒美を与える、もしくは対象者の所有物に聖女のみが持つ聖なる光を付帯させることだ。男は、刀剣を身に宿し、敵を打ち払った。刀は毀れ、傷んでいた。ならば、刀を研ぎ直すのが一番の褒美だと希和子は思っていた。
しかし希和子が聖女になって研ぎ方は教わったが。実際に聖剣を研いだことはない。
増しては行きすがりの何の官位もない無名の男に行うなど、前代未聞であった。恩には恩で報いたいという素直な気持ちが、希和子を突き動かす。
「恐れながら陛下――いずこの国の者か分からぬ者にそのような、特別に遇するような栄典を付与するのは……」
 早速護衛隊長から諫言があった。
「そうですね」
「我ら、陛下付きの者共に対しての――」
「ですが、特段の武功があります。私を危機から救ってくれるという大きな役目を、果たしました」
 彼らを説得できるか不安だったし、彼らには、聖女を自分たちが守っているという自負がある。
 「彼は、剣を持っています。確かめたところ、これは聖剣。先の聖女が付与した光を宿しています。刀は――今しがたの戦いで、傷んでいる……」
 手に取った剣を見て悲しい思いがよぎる。
 きっと多くの血を吸い、流しただろう。さびれた柄が歴史を紡ぐ。哀しき時間を背負ってきただろう。もし自分が研ぎ直したら、また剣は聖なる所業を建前に血を流すだろう
 希和子は争いごとを疎んだ。だが自らが誘拐されそうになり、事態が一刻の猶予もないことを知る。
「あなた、名を流星と言いましたわね?」
「はい」
「いい名です」
「は、ありがたきお言葉」
「ですが少々あなたの身なりには、いささか良い印象を抱けません。ここにいる諸侯に、栄典を授与する者として認識させるのは難しいでしょう」
「恐れながら陛下、私のような卑賎の者にはもったいないことに存じ上げます。ゆえに――」
「何ですか?」
 希和子はいつも以上に毅然としていた。その一方でこう思っていた。
またこの流れ。いつもこう。肝心なことが何も聞けない。皆が聖女という立場を慮ることで、妙に意見を言おうとしない。聞きたいのは心からの気持ち。民を重んじ生きていく者が欲しいのは真心ある思いだった。
 「皆、言葉を最後まで仰ってください。私には肝心の部分が聞こえてまいりません」
 「陛下の仰せになること、至極当たり前ですわ。護衛隊長」
 頭上から凛とした声が地に満ち、響き渡る。誰もが天を仰いだ。誰もが知っている声がしたからだ。
 天空に、一匹の真白き獣がいた。獣は馬によく似ていたが、一本の角が付いているから違う。聖獣ユニコーンだ。
 聖獣にまたがれる現れる王はこの世にただ一人しかない。
 おお、と周囲からどよめきが起こる。西王が来た。
 おろした黒き髪は艶やかさを、きりっと細く整った眉は凛々しさを、ぱっちりと見開かれた目は力強さを、すっと通った鼻は涼やかさを、きりっと結ばれた口は峻厳さを、地に這う蟻たちに与えた。彼女の前では希和子もただの蟻になった。
 王はゆっくりと降下し、地に足を付ける。
「陛下。御無事で?」
「ええ」
「大事な御体ですわ。ぜひご自愛くださいまし。私ともあろう者が、敵の気配にすぐに察知できず、本当申し訳ないことですわ」
「いいのです。本日も政務に勤しんでいらしたのでしょう?」
「陛下を守れず、王などと自らよく名乗れたもの。恥じております――急ぎはせ参じたのに、何のお役にも立てず」
「問題ありません。彼が私を助けて下さったのですよ」
「なるほど」
 西王は、すっと流星を見る。
「陛下はこの者に、栄誉を授与なさるおつもりで? 今しがた私、お話を聞いていたものですから」
「ええ、決めました」相手は王。でも私は聖女だ。
「恐れながら、殿下――」おそるおそる護衛隊長が二人の間に割って入る。
「なんですか?」
「ここはぜひ、殿下からもご諫言申し上げ下さい。何分、陛下の御意志は固く、我々の意向を……」
「意向? 陛下の御意向を第一とくみ取るのがあなた方護衛隊の役目ではありませんか? 我が親衛隊も同様。私、西王は聖女陛下の御意志を深く尊重致します。後は、彼が受け取るかどうかですわ」
「なんと!」
 護衛隊長以下、護衛隊は取り付く島もない。
「残念ながら、あなた方はつまらない幻術に引っかかり、仕事を放棄した、事実は間違いありませんわ。彼に仕事を委ねた、と言ってもいい」
「そんな……」
「ここは謙虚に、自らの過ちを認め素直に陛下の御意志に従うのが賢明な判断ですわ。」
「私は責めるつもりもございません。罪を負うべきは、ただ一人……」希和子は口をつぐむ。誰が悪いのか分かり切っていることではないか。
「彼は私の救世主。ここで皆に話ができるのは彼のおかげ――」
 未だ希和子の口ぶりに諸侯は納得の色を見せない。なぜだ、地位や名誉のない行すがり者が、助けたのは栄誉に値しないのか。希和子には理解できない。
「ならば陛下、この者に対し騎士の官位をお与えくださいまし。さすれば、護衛隊、親衛隊も栄典の授与に反発は抱かないでしょう」
 王である萌希には分かった。彼らがなぜ納得しないのか、答えは彼らの誇りにある。地位を持ち聖女の護衛を司る彼らの威厳は人並み以上だ。彼らが術に引っかかり、職務を遂行できなかった。どの馬の骨か分からぬ者に仕事を奪われ面目丸つぶれだ。
 彼らには、事実が大事ではない。重要なのは面目だ。恐らく、希和子にはまだわからないだろう。諸侯を納得させるには、男を名のある地位に付ける。波風起こさず栄誉を授与させる方法だった。
 護衛隊長も、ついに折れざるを得ない。
「かしこまりました。私以下、護衛隊も陛下、殿下の御意志を尊重致します」
「そう、よろしくて」
 希和子も、機転の良さに舌を巻くしかない。これがある意味の政治的判断なら、決して自分は向かない。
 聖女は、決して王にはなれない……
 力なき者は、諸侯を説得するもの一苦労なのに、王はテキパキと事を成す。
「さあ陛下、ここは一旦安全な宮廷にお戻りくださいまし」
「おっしゃる通りね」
 やはり彼女の言うことに、誤りはない。でも、自分なりに決断できたという手ごたえは、希和子の心にしっかりとあった。
しおりを挟む

処理中です...