七宝物語

戸笠耕一

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第1章 世界の理

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 南の古都、豊都の夜。はるか南方に位置しているため、年中うだるような暑さに覆われるはずだった。だが今日は珍しく涼しい。きっと南海から湿った空気が流れ込んできて暑さをおさえたせいだろう。おかげで国民は寝心地のいい夜を迎えられる。

 世界の情勢がひっ迫する中で、静寂さを保ち続けているのが伍の国である。

 首都は豊都。大南海に面する大国だ。東西の大国が戦でよく争う一方で、伍ノ国は海の通商国として名をはせている。莫大な銭が各地から流れ込み、世界の貿易大国として君臨していた。

 資金源は、大海原を超えた先にある、金色に包まれた国との貿易だ。その国を訪れ、唯一通商を交わしているのが伍の国だ。

 現世ではない国と言われ、遥か彼方の黄金の国という名前が付けられていた。

 伍の国が豊かな国であるのは、伍の王の幻術がなせる業という者もいた。王の名は景虎。大賢者という呼び名が付けられている。今、王は自身の王宮の庭で一人休んでいる。周りは人払いをさせている。

 空には星々が輝く。庭先の木にとまっている蝉の鳴き声が鳴く。これらが王のひそやかな楽しみであった。

 王にとって、大半の娯楽は道を極め切ったといってよい。彼は長い統治の中で王の力を使い、多くの財宝を集めていた。

 彼は銭を浪費することを惜しまない。何かに投資するということが信条であって、ただ銭を溜め込むというのは怠惰に過ぎなかった。しかし彼も老いた。

 しばらくの間、杖に両手を重ね合わせ、半分寝ているような状況にいた景虎は、うっすらと瞳を開ける。蓄えた白みがかった髯、皺の寄った顔、そこには物事の差異を瞬時に見抜く力が秘められている。

 一羽の雌孔雀が庭先で羽根を休めていた。

「おや、何やらわが庭にはそぐわぬ鳥が一羽迷い込んだようじゃ」

 王は庭に向かって口ずさむ。従者がその様子を見たら、王もついに耄碌したかと思うだろう。

「雀、鳩、寄ってくるのは平凡じゃ。愛でたくなる鳥ばかりだが、けばけばしさを持った孔雀とは珍しいのう」

 孔雀が王の言葉に感づいた。孔雀は悠々と庭をわが物顔で歩く。やがて木陰に入ると、バサバサと音を立てる。

 すると妙なことが起きた。揺れた羽根がめきめきと音を立てて大きくなる。やがて羽根の形状ではなくなっていく。孔雀の全身至る所に起こっていた。

 足は太くなり伸びた。突き出した頭は大きくなる一方、長い首が短くなっていく。気づいた時には、そこに孔雀はいなくなっていた。代わりにいたのは、一人の女だった。

 彼女は髪をかき上げた。木陰から出てきた彼女は、全裸だった。

 孔雀が消え、裸体の乙女が現れた。これはどういうことだろう。

「妙な心根で接してきてもわしには通じんぞ」

 景虎は、ふっと笑みをこぼす。

「相変わらずね、あなたの心は物にばかり向いている。たまには人を欲したら?」

「いらん。人の心ほど厄介な代物はないのでな。わしはもう物欲にまみれた男ではないぞ」

「あら、お年を召して欲がなくなったのかしら。ねえ何か服を与えてくださらない。いつもは暑いのに、変ねえ妙に涼しいじゃない?」

 豊都の夜の涼しさは実にまれである。

 景虎は手にした杖を彼女の体に向け、一振りした。身なりは落ち着いた婦人といっていい。白昼、諸王の王と呼ばれた西王のりりしい服装が、今は一介の女性として伍の王の前に立ち尽くしている。

「着替えがないのが、転変の面倒なところじゃ」

「そう、私みたいに鳥とかならいいけど転変すると巨大化するのは大変ね。身も心も化け物になってしまって、後で大変よ」

「例の子せがれのことか?」

「ふふ、察しがいいのね」

「奴に気を使うことはなかろう。先に仕掛けたのは向こう。大義はある。一気に攻め滅ぼせばいいだろう」

「そう、いずれはそうする。でもあの子ったら妙な動きを見せている。南に兵を向け始めている」

 景虎は西王の言葉を聞いて、フームとうなる。

「少々頭の切れる奴がそばにいるからのう。あれらがそろってロクなことが起きまい」

「ええ、でもあなたの国を狙って何をするのかしら」

「すぐには攻めまい。少なくとも諸王の会議まで」

「そこまでに何らかのことはするはず……」

 西王は斜め下を向いて考え、ふっと顔をあげて、分かった顔をする。

 「聖女の身辺はしっかり警護させておけ」

 景虎はじろりと西王の顔をにらむ。

 「そうね」

 「特に今日みたいに都全土が浮かれ踊っている時が一番危険じゃ。警備が手薄くなるからな。上手くいくとすぐにのぼせ上げる。これ、人の悪い癖じゃ。」

 「全くおっしゃるとおりだわ。あなたといると、つい浮かれた心が冷静さを取り戻してくれる――烈帝と言われてのぼせ上がっている人に聞かせてやりたいわ」

 西王はそう言ってはにかんだ。

「何を言っても無駄だろうて。手遅れじゃ。せめてその命を絶やすのが、救いじゃよ。わしの命も時期に……」

 景虎は自身の命の期間を口にしたとき、弱った老人のように老け込んでしまった。

「あといくら残っていることか。もしかしたら、意外に持つかもしれんな?」

「いいえ、もうすぐだわ。残念だけど」

「辛辣じゃのう。少しはお世辞を言わんか」

「王にそんな慎みは無用よ。それじゃあ世を統治できない」

 西王は涼やかな顔ではっきりと言った。やがて木陰の隅まで行くと、バサバサと音を立て孔雀に転変し、庭先を去っていた。月光に照らされた孔雀は、甲高い声で鳴いた。

 飛び立つ姿を見て、景虎は何かすがすがしさを感じる。とうに無くしかけていた感情だった。

 これからの時代の行く末を彼は思っていた。恐らく王は七人もいなくなるだろう。力の強い、最強の存在が一人いれば十分だ。しかしその座を争って二大勢力が激突する大戦が勃発する、と景虎は見ていた。

 調整、仲裁といった間に誰かが入って情勢をうまく収められた時代は終わりを迎える。自身の死を以てそうなるに違いない。ときに自分の時代は終わる。物欲を司る宝を持っていた彼自身の気力は、尽きかけていた。欲にまみれた宝に巣食う霊魂が、景虎の魂を蝕んでいる証である。

 もういいのだ。見るべきものはすでに見てきた。自分が欲しいもの、金銀等の財宝はすでに多くを集約した。ここは、豊都。皆が欲するもの、願うもの、すべての望みが叶う都だった。そう金によって。

 人も物もすべて、欲しいものは銭によって買える。豊都にいるのは、金に目がくらんだやつしかおらん。しかし、東の荒ぶる王に、銭というエサは果たして通用するだろうか。

 彼の心に巣食う怒り。果たして金に吸い寄せられるものだろうか?

 景虎は自身亡き後、金以外の視点で考えられる者が豊都にどれだけいるのか心配した。東の王は、すべてを奪おうとするだろう。そこに交渉はなく、彼の行軍の後には、数多くの屍が出来る。かの王は若いが、すでに多くの命を簒奪してきている。

 何の呵責も容赦もなくわが物のように、奪ってきた。自分は、彼をしっかり牽制してきた。ときに兵を出し、ときに交渉の場に引き出したわい。荒ぶる王を沈めてきた。

 だが、うまく取り繕い、まとめた気になっていても、いつかは崩れるもの。自分がやってきたことは、対決することになる諸王の争いを話術で封殺していただけに過ぎない。

 そんなことも次の王の会議が最後である。

 わしに、出来るのは……そう、言葉しかないのじゃのうか……

 景虎はふっと笑う。最後の時を飾る舞台は間近に迫っているのだ。

 最後のとき、最後の瞬間……

 もはや人生に未練はない。
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