七宝物語

戸笠耕一

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第五部 美しき王

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 聖女が東を仰ぎ見ていた時、実の妹の美弥子は東の地で相変わらず侍従として宮廷生活を送っていた。一年間の見習い生活で、ようやく掃除や食事の準備ぐらいはできるようになっていた。美弥子は多忙極める毎日の終わりに、訪れた余暇時間はよく星見をしていた。

 ただし今日は先客がいたようだ。千紗だった。千紗はぼんやりと珍しく天を眺めていた。

「お久しぶりでございます」

「お久しゅう。そろそろここの生活も慣れまして?」

「はい。おかげさまですわ」

「それは結構なこと」

「千紗様がこのようなところに来るとは珍しいですわ」


「ええ、珍しく物思いに耽ってみたくなったのです。私の生国は、北国でしたので大した娯楽もなく星々を眺めることが日課でしたの」

「そうでしたの?」

 美弥子はそっと千紗の横に立ち同じく空を見上げていた。

「美弥子様、空を見上げて何が見えますの?」

「え?」

 千紗の唐突な問いに美弥子は答えを窮した。空に映るといえば満天の星空の他にないだろうに。

「星たちですわ」

 千紗はしばらく答えず、淡い顔で空を見続けていた。

「私には星たちはあまたの人に見えますわ。明るい星、暗い星、赤い星、青白い星。どれもこれもそれぞれ個性的」

 人という言葉に、美弥子は確かにそうだと思った。

「そうですわね。星の数ほど人はございますもの」

「いずれ星は燃え尽きちりぢりになる。人もまた同じ」

 千紗は悲しいことを言い出す。何かあったのだろうか? しかし美弥子は聞く勇気がなかった。千紗は侍従長であり、王が不在の時を管理する身分、単なる見習いの自分とは雲泥の差なのだ。

「千紗様。私はそろそろ戻りますわ」

「いえお待ちなさい」

「は、しかしお邪魔でしょうし」

「陛下があなた様をお呼びですわ」

「え?」

「ええ。ぜひ近況を聞かせてくださいとのこと。実はあなた様がよくここに来ると思い、先回りして待っておりましたの」

 ふふと千紗は微笑んだ。千紗の笑顔もまた王に負けず劣らずに淑やかだったが、どこかわびしいものだった。

「かしこまりましたわ」

「では一緒についてきなさい」

「はい」

 宮殿は西のはずれにある寮を出て十分ほど離れた場所にあった。美弥子は以前大使として宮殿を訪問した。正門から入らず、裏門からこっそりと入った。当然門には衛兵が立ち、行く手を遮る。兵たちもまた若き娘たちである。

「私です。この者は王命を受けているのです」

「お進みください。どうかお心を安らかに」

「ええ、あなた様方も」

 裏門を通り抜けると、鮮やかな庭が広がっている。大地には緑が茂り、合間に人口の川が流れ、あまたの生物が存在している。

「見事なお庭でしょう。人と自然の協調が実に素晴らしいこと」

「ええ。この世の楽園ですわ」

 宮殿に上がり、王が座す王の間に向かう。

「私はここまでです。さあ最高の礼をもって拝謁なさい。陛下の初子として恩寵を受けてきなさい。私です。扉を」

 扉は内から静かに開いていく。美弥子はおずおずと部屋に入っていく。

「お入りなさいませ。ようこそ」

「お招きに仕り感謝の念に堪えませぬ。陛下はいずれに?」

 部屋には侍従二人を残して誰もいない。

「陛下は自らを望む者のみに姿を現す御方。どうぞお心を安らかに」

 侍従たちは目を閉じ一礼すると扉の向こうへ出ていった。あとには美弥子一人となった。誰もいない王の間に。主なき椅子は虚ろだった。右手は中庭。お庭かしら?

 円筒形の出口を抜けるとレンガで敷き詰められた道が続いていた。目の前は樹林が生い茂り、そよ風に拭かれて林が揺らいだ。

 通りの向こうから人がやってきた。一人は水瓶を持ち、もう一人は桶を持っている。よかったと思い、美弥子は王の所在を聞いた。しかし二人はにこやかに微笑みばかりだ。

「あのどちらかご存じありませんか?」

「お心を安らかになさませ。さすればお会いになれるというもの」

「しかし」

「どうぞお心を安らかに」

 二人はそう言って去っていった。美弥子はあらゆる時にその言葉を聞く。でもどうして?

 私の心は安らいでいないの? だから会えないのかしら?

 美弥子は立ち止まって今日までの道のりを振り返った。不手際、同僚のいじめ、寮母のおしかり、磔、いいことは少ない。悪いことだらけだ。このようなことで心が安らぐはずがない。では陛下に会えない?

 美弥子は自身の胸に手を当てた。だめだ、脈は高く打っている。平静ではない。このままでは。美弥子は悩み、心の平静を保とうと豊かな樹林の中を歩いた。道はどこまで続くのかしら? 広い御庭ですこと。

 やがて視界は開け、広場に出た。そこはなだらかな丘になっていた。中央に何やら建屋があった。もしかしてあそこにいるのかもしれない。美弥子は階段を一歩ずつ登っていく。

 白い建屋は吹き抜けになっていて。開放されていた。うちにはベッドが一つ、椅子が一つ。

 机に水瓶が置いてあった。しかし王はいない。

 確かにここでご休息をとられているそうだけど。前にお伺いしたときはご立派な寝所だったわ。すっとそよ風がたなびいた。夏場であれば涼しい夜風に吹かれて気持ちよく眠れることだろう。そよ風は美弥子の頬をくすぐり、通り抜けるように過ぎ去っていく。

 月が雲の合間から照る。そっとおぼろげに映る人影。月光が寝所をとらえた時、美王夏帆は姿を現した。静かに立ち尽くし、美弥子に慈愛を振りかけた。

 美弥子はハッと立膝を突いた。

「お久しゅう」

 美弥子は言葉が出ない。顔もまともに見ることができない。美しき王はゆっくりと美弥子に近寄り頭を撫でた。

「お元気そうですわ。また一段と美しくなられて」

「いえ」

「あの日、私たちは遠くへ離れ離れになった夫婦のよう。それがこうして再会できましたのね」

「夫婦などと。あまりにも私にはとても」

「今でも美弥子様の事お慕い申し上げておりますのよ。でも王という身である以上、民の安寧を預かる身として美弥子様のご寵愛のみを考えるわけにもいかず」

「私のことなど。もう醜き我が身のことなどお忘れになってくださいませ。私のような穢れた者に寵愛などと勿体な
きお言葉でございます」

「まあ、そのような。お顔をお上げくださいませ」

「はい」

 美弥子は恥ずかし気に主を拝謁した。一年前と変わらずであった。しかし身にまとった服は正装ではなく、白いシルクの衣一枚に包まれ、藤の花が髪についていた。

「お美しいですわ」

「そのようなお言葉を頂けるとは」

「陛下はご立派な寝所をお持ちと思っておりましたの。しかしここもまたよきところですわね」

「あちらは客人用に繕ったものですわ。国は盛況。他国に対し威信を示すときと考え、大使がお招きした際にお見せするもの。いわば仮の姿。ここは私が日々の安息を皆にもたらすために設けたお庭。ここで余暇を過ごしておりますの」

「素晴らしいですわ。いつもはこちらに?」

「いいえ。私は王でありながら、大帝の妃でありますから。新都には別途部屋がございますの。ふふ、いわば私の家はあらゆるところにありますわ」

「そうですの」

「私は多くの民の安息をもたらすもの。民の傍らにいて支えるためにはこのように居住を変えねばなりませんの」

 美弥子はあっちへこっちへと移動する美しき王の多忙極まる生活に何かできないだろうかと感じた。

「それで今の御生活はいかがです? 何か困ったことがあればおっしゃってください」

「私は今贖罪を続けている身です。自身が犯した罪の重さにいかなる理不尽も受け入れているつもりですわ」

「まあ。健気なお考えですわ。でもご無理はいけませんわ。最後は自身を許してあげて」

「いけませんわ。私は人を殺めた身。それでかつ罪を人に擦り付けた極悪人。未来永劫苦しまねばなりません」

「そのような。過ちは誰にでもあるもの。しかし追い込んではなりません」

「私は!」


 美弥子はあの日の出来事を思い出した。あの日、美弥子を飾っていた上辺だけの美貌、建前上の地位が崩れ落ち
た。あらゆる化粧が落ち、醜い素顔が露わになった。

「あの侍従は陽子様というのです。私はその妹様にお会いし、自身が取り返しをつかないことをしたと悟ったので
す」

「大変訳がありそうですわ。美弥子様、一人のご友人としてすべてを打ち明けて下さらない? 私でよければお話
を。お力になれるかと」

「陛下にこのような生々しきお話を聞かせるわけには」


「私の心配などよいのです。私は王。人々の悩みは我が悩みですわ。美弥子様の痛みはわが心に槍となり矢となり突
き刺さってきます」

 美しき王はそっと自身の胸に手を当てる。

「ああ! 陛下がそのような! 私はやはりあの日死すべきだったのです!」

 美弥子は泣き崩れた。しかし美弥子を待っていたのは意外な行為だった。

 パシッと美弥子は頬をぶたれたのだ。白い頬がうっすらと赤くなった。

「涙を拭いなさい! こちらを見なさい! 私をしっかりと見るのです!」

 美弥子は美しき王を見た。王は決然とした態度で臣下を叱責した。あの日窃盗を働いた侍従を叱責したように。

「あなた様は己の罪を償っている身! 軽々しくも死にたいと言ってはなりませぬ!」

 常に慈悲をもって接してきた王の対応に美弥子を驚いた。しかし聡明な美弥子は己の愚かな発言を恥じた。


「おっしゃる通りですわ。死ぬなどと。許されませんわ」

「お判りいただけたようですわ。さあもう苦しむことはございませんわ。どうかお胸の内をすっかりお話しくださいませ。お心を安らかに」

「はい」

 美弥子は洗礼を受けた日から今日にいたるまでのすべてを打ち明けた。王は淡々と話に聞き入っていた。

 あまりにも自分の容量の悪さ、身分が明らかになり同僚から理不尽な目に遭っていること、特に凪子からの執拗ないじめを美弥子は伝えた。


「私は恐ろしいのです。あの凪子様は、私をいたぶり続け最後は捨ててやると申しておりますの。復讐心とはかくも恐ろしいものですわ。私耐え切れず部屋を変えた方がお互いのためだと申しましたの。でも一生放さないと」

「まあ何ということ。そのような者が私の国に居ようとは。浅ましこと」

「でも陛下。凪子様をああまで恐ろしいものにしたのは私なのです。私がお姉さまに罪をかぶせるような真似をしたのが事の始まりなのです」

「美弥子様、すこしお心を安らかにしてお考え直し下さいませ」

「陛下、私は一体どうしたら?」

「お心をまずは安らかに」

 美弥子は胸に手を当てる。いけないまずは平静さを保たねばならない。

「美弥子様、あなた様の贖うべき罪とは何です?」

「私の罪? それは朝子を弑したこと。その罪を陽子様に擦り付けたことですわ」

「ならばなぜ人の罪まで被ろうとするのです。あの者の姉は、朝子様の宝石を盗んだのです。それを隠し立て取り繕うとしたのです。本国では嘘偽りを申すことは死一等と定めております」

「しかしなら私はなぜ人を殺めたのに」

「確かに人を殺める者も死一等の罪。しかしあなた様は改心をした。過ちを認める者は減刑に処するのも定めに書い
てあります」

「凪子様は自身の姉が正当な罰で処されたのにもかかわらず、あなた様を逆恨みし、こともあろうか私の傍らに立ち王侯貴族をみじめな目に遭わせたいと申しておいでだとか。そのようなこと断じて許しません。子の過ちは親が正さねばならない」

 常に慈悲にあふれていた王は厳しい様相を見せていた。

「ではどのように」

「ことは重大ですわ。一人でも悪意ある者があれば、周りに悪に染め上げる。聞くと、あなた様の同僚はすでに染まりつつある」

「ああ、そんな!」

「美弥子様は決してお悩みことはございませんわ。あとは私と、千紗様にお任せを」

「いやですわ。私も陛下のお力に!」

「人にはそれぞれ成すべきことがあるのですわ」

「では私はどうせよと」

「日々、忠勤に励むことですわ」

「凪子様はどうなるのです? 私がもし罪など重ねなければ」

「お止めなさい。私とて人の心を自在に操作することなどできませんわ。罪を重ね、空腹に飢えたから侍従になったという考えを持っているようでは元々から腐っているのです」
「そんな。私は凪子様とお話ししました。両親がとてもひどいと」

「そのようなことはわかりませぬ。美弥子様は素直な方。ですが、時に人は悪意をもって人をだまそうとするもの。
疑う眼差しを養いなさい」

 美弥子は凪子の言葉に踊らされたのではと思い後悔した。


「すべては陛下に恩ため。忠勤に励むことにしますわ」

「よいことですわ」

「私お邪魔ですもの。そろそろ」

「ふふ、急ぐことはないでしょう。せっかく二人きりになれたのです。久しぶりに心ゆくまで」

「そんな。私のような醜いものに触れてはなりませんわ」

 しかし美しき王はそっと美弥子の唇に触れた。いけない、あの日々。公務を忘れ逢瀬を重ねた日々のこと。甘い肌触りに美弥子は虜になってしまった。

「いけませんわ。私は罪を」

「もう贖いは終わりましたわ。お早いこと。いずれは侍従としてこの宮殿で務めるといいでしょう? 望む地位を与えましょう」

「いいえ。私は陛下の恩寵を人々に広めていきたいと考えておりますの」


 そうだ。ずっとすがっていてはいけない。自分にできることは何か。こうして甘い蜜月を重ねていてはいけない。

 いつかは人々を支える方に立たねば。

「ご立派ですわ。すっかり大人になられて」

 美弥子はかつて高位にあった時のように、王の手の中で寵愛を受けた。今度は初子として。無垢な子どものように遊び続けた。
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