七宝物語

戸笠耕一

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第五部 美しき王

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卑しき人の性
 寝苦しかった。慣れない集団生活、使用人としての乱雑な扱い、何より安価な材木で作られたと思えるベッド。美弥子にとってすべてが初めての経験だった。蝶よ、花よと育てられてきた。侍従が傍にいて願いは全て叶えてもらい、何不自由ない生活をしていた美弥子にとって、他人にとっては当たり前でもどれもが新鮮であり、またどれもが理不尽なことであった。
 でも極楽なような生活は侍従たちの献身的な行いにある。そのことが美弥子は全てを失って分かった。
 なんて暑苦しい。明日も早いというのに。少しでも英気を養い、また厳しい見習い生活に備えなければならないのに。美弥子は寝返りを打とうとしたが、打てない。何か重石のようなものが体を覆いかかっているようだった。
 何かの拍子にグッと誰かに胸をさすらえた気がした。一度目は気のせいかと思っていたが何度も続くと、美弥子は偶然ではないと悟る。
 え、誰?
 得体のしれない何者かが深夜の時間に美弥子の四肢を探っている。美弥子の意識は覚醒した。不意に起き上がったため、頭をぶつけた。そうだ二段ベッドになっていた。一瞬、激しい痛みに意識が飛びそうになったが、徐々に痛みは引いていく。うっすらと帆影のように浮かぶ人影。
「ふふ、お目覚めになりまして?」
 よく知っている声色だった。凪子。花壇に咲く花々に水をやるのが趣味だというどこか妖しい色を秘めた部屋のリーダー。闇夜で隠れる凪子の素顔は余計妖しい。
「凪子、様?」
「何やらうなされているようでしたから、私心配になって様子を見に来ましたのよ」
「とんだご迷惑をおかけいたしました。お許しください」
 闇夜に慣れてきた。やはり凪子だ。心配になったというが本当だろうか? 先ほどの体じゅうに感じた人の肌触りは何だったのだろう?
 戸惑いを隠せない美弥子の頬を生暖かいものが不意に触れる。美弥子は反射的に後ろに下がった。やっぱり。
「何を?」
 美弥子は警戒心を強めるが、凪子は薄ら笑いを浮かべている。
「あなた様から紅椿の香ばしい香りが時々するのです。紅椿、この意味がおわかりでしょうね」
 凪子はそう言って距離を詰め、唇を交わそうとしてきた。美弥子はそうはさせまいと避けるが、凪子は何度も試みようとする。
「おやめください。私はそのような趣味は持ち合わせておりませぬ。このような場で、ご容赦くださいませ」
「紅椿はとても位のある方が好む花。あなた様からはその匂いがするのです。南都のはずれの田舎が出自の方がそのような気品あふれる香りを漂わせるはずがござませんわ」
「何が言いたいのです?」
 美弥子は必死に取り繕う。自分がどのような出自かは千紗や王といってわずかなものしか知らないはず。なのに、凪子はどうして。
「ほんの一月前の事。聖都からとても高貴なお方が来訪され、私たちもおもてなしで宮廷内を必死に駆けずり回る日々が続いておりました。ところが、ある日大使の皆様は人知れず忽然とお姿が見えなくなったのです。あまりの出来事にとんだ大事があったのではと、下々の者までお噂が立ったのですが、上の御採択で詮索不要となりそれきり」
 凪子はもうわかるだろうと言わんばかりだ。
「ちょうど私、大使御一行様のご面倒を見ておりましたの。ええ、そうですとも。あなたは美弥子妃殿下にそっくりですわ。姿格好は変えても匂いまでは隠せませんのね」
 凍り付いた素顔に凪子は満面の笑みを浮かべ、その肌に触れる。
「何が目的です? おやめくださいませ」
「殿下はいったいどのような業を犯し、ご入信されたのか知りたいのですわ」
「違いますわ。私は十和子。品のある身ではありません。心得違いを」
 うふふと凪子は手を緩めるどころか、より執拗に美弥子の四肢を我が物にせんとばかりに触れ続ける。
「お止めなさい!」
 ハッと美弥子は己の口を閉じる。しっと凪子は口を閉じるよう仕草をしてみせる。
「あまり大きな声を上げてはなりませんわ。皆が起きてしまいますわ。それに寮母様に見つかってはどのような仕打ちが待っているか」
「もうやめて」
 凪子は大人しくなったことをいいことにより大胆になっていく。美弥子の麻衣の中に手を忍ばせていく。ばたつく足。触れ合う肌。錯綜する瞳。
「もうお静かになさいませ。一体何事です?」
 寝ぼけまなこにかったるい声が聞こえてくる。騒ぎにもう一人が目を覚ました。
「夜更けに一体どうしたのです?」
 勢子だった。手元の明かりを勢子は付けて美弥子のベッドに向けた。灯りは折り重なっている二人をまじまじと捉える。はっと勢子は視線を逸らした。
「なんてことを」
「違いますわ。凪子様が勝手に私の寝所にやってきてこんな真似を。私はただ」
「ほほ、何ということです。喘ぎ声が聞こえてくるから心配になり、身に来たところ私に触れかかり、この始末ですわ」
 な、と美弥子は絶句した。よくもそんな作り話をとあきれていた。濡れ衣は晴らさなければと思ったが、勢子はにやけていた。
「まあ多感なことですわ。ふふ、誰に欲情していたのかしら?」
「違います。私は誰にも」
「勢子様、あなたも十和子様の御体ご所望してみない。とても育ちのいい肉付きなの」
「それは大変喜ばしい事。登美子様も起こしてあげませんとね」
 勢子は上のベッドで寝ている登美子を起こした。登美子は怪訝そうな顔をしていたが、話を聞き面白そうとばかりにベッドから起き上がってきた。
「おやめください。私は何も」
「恥ずかしがることはありませんわ。同室の者は一心同体です。身も心も陛下に捧げた初子ならば、よろしいではありませんか」
 逃げようと思ったが、美弥子の体は金縛りにあったように動かなかった。かくて美弥子は押さえつけられ、四肢を無数の触手に侵食された。
「皆さま、驚かないで聞いてくださいませ。十和子様は大変高貴なお方なのですよ。実は先日おいでになった美弥子妃殿下なのです」
「まあ。なんという」
「どうしてそのような方が」
「妃殿下はなぜご入信遊ばされたのですか?」
「違う。私は妃殿下では」
「ふふ、さすがですわ。私、あなた様がとても田舎の者とは思えなかったの」
「この肌触り。何よりもすらりとした脚といい、お尻周りといい」
 麻衣はすっといともたやすく脱ぎ捨てられた。
「このような場に妃殿下ともあろうお方が、酔狂ですわ。美弥子様といえば、聖女様のご二女に当たる方ではありませんか? ふふ、凪子様のお戯言ですわね」
「戯言だなんて。とんでもない、私は見たのです。妃殿下の御素顔を。まさしく十和子様はうり二つ」
「いくら似ているからって。そうだわ。世の中にはうり二つ存在がいるそうですわ」
「信じてもらえないなんて悲しいわ」
 三人は面白おかしく深夜の中で美弥子を凌辱した。いつまで続くのだろうと必死に耐えてきたが、体に感じてはいけない快楽が走る。勢子が美弥子の足を無理やり開かせた。
バタつく足を登美子が押さえ、凪子が目で犯していた。
「素敵な格好ですわ」
「妃殿下とあろう方がお恥ずかしい御姿を」
「ふふ、でも綺麗な脚ですわ」
 三人は卑しい目で美弥子を嘲った。生き地獄はいつまで続くのかと思っていた時、外に人の気配がした。
「皆、静かに寮母様だわ」
「戻りましょう」
 三人は機敏に察知し、それぞれのベッドに戻り寝ているふりをする。美弥子だけが出遅れた。ギイと扉が開かれた。
 寮母は定期的に侍従見習いの部屋を周り、異変がないか確認する。厳しい視線の先に、美弥子は捉えられてしまう。
「まあ!」
 寮母は素っ頓狂な声を上げた。美弥子は急ぎ、はだけた肌を麻衣で隠したが、すでに遅かった。
「あなたという人は! 何と破廉恥なことを! 皆、起きなさい!」
 寮母の怒りは恐ろしいものだった。四人は懲罰室に呼び出され、連帯責任となり手を鞭で叩かれた。特に美和子に対する罰はこれにとどまらなかった。激しい水責めと全身をひどく鞭で打たれ、厳しい尋問が始まった。
 すべてが終わった時、美弥子は寮の大広間の柱に括りつけられた。朝礼で集まる他の者の環視晒され、美弥子はずたずたにされた。
 寮母は激しく柱に括りつけられた美弥子を痛罵した。
「この者は尊い陛下のお姿を欲情することで穢したのです。洗礼を受け、敬虔となった身でもあるに関わらず、いかなる罰をもっても贖えぬことをしでかしたのです!」
 集められた数十名は寮母の怒りを心して聞くことを求められた。広間の大理石は震え、壁に飾った古の絵画は今にも落ちそうだった。延々と続いた説教は一時間にもわたる。
 美弥子は二日間の間柱に括りつけられた。
 しかしすべては終わりではなく、始まりだった。美弥子は他の見習いたちから欲情した者としてあらゆる嫌がらせを受けた。特に同室の凪子、勢子、登美子から嫌がらせは執拗なものであった。
「殿下、私の背丈では棚の上の汚れは取り除けませんわ」
 三人は美弥子を殿下と敬称であえて呼びからかって遊んだ。美弥子が脚立に乗りホコリを雑巾で取り除くと、背後から臀部を素手で、時には箒で触れて弄んだ。美弥子は耐えて、
存念を振り払おうと必死に仕事に取り組んだ。
 昼の仕事が終わったと思えば、解放されるわけではない。
「殿下、どうも肩が凝ってしまって。よろしくて?」
 三人の召使としておもてなしをする必要があった。湯あみ、肩もみ、お茶くみ、といったあらゆる雑事を凪子、勢子、登美子は振ってきた。さらには寝静まった深夜には、同性の好みを持つ凪子の執拗な触手が美弥子を苦しめた。
 凪子は美弥子が苦しみに落ちるさまを見て楽しんでいた。
 そんな風に毎日が続いた。美弥子は敬愛していた美しき王の面影を思い出した。かつて自分は王の寝所を訪れるほどの地位を得ていた。それが今となってはどうだろう? 小娘と心で嘲っていた侍従たちの手にかかり遊ばれている。
 でもすべては私のせいだわ。私が陛下を欲したばかりに。すべてを失ったのは、そう美弥子自身の行いなのだ。
 洗礼を受けた時、美弥子は自身の罪が王を欲したことにあると知った。ここにいる者たちはどんな罪を背負って入信したのだろうか?
 凪子、勢子、登美子の三人を密かに眺めて感じた。三人は容赦ないほど美弥子の容姿を玩具のように遊びつくし、酷使する。そんな三人にも後ろめたい過去があるに違いない。
「あの皆さま」
 三人はそろって貴族のように優雅な顔を浮かべるすっと美弥子を見た。
「殿下いかが遊ばされましたの?」
 言うべきか美弥子はためらう。もしおのれの罪を明らかにすれば、ますます嫌がらせは苛烈極まるものになるのではと思った。弱みを与えるものだ。
「私は皆さまにお伝えしなくてはなりません」
「ほほ、かしこまって何です?」
「せっかくですわ殿下のお話を伺いましょうよ」
「ええ」
 美弥子は立膝を突いた。年長の者に対し経緯を表す態度である。
「私は先日の非礼をお詫びしなければなりません。私は尊貴な陛下を穢してしまったのです。そればかりか皆様のお手を煩わせてしまって」
 美弥子は話のきっかけとして謝罪した。すると凪子がぷっと笑い飛ばした。すべての元凶は凪子だというのに。美弥子は怒りを感じたがこらえた。
「ふふ、何を今さら。もう仕方がありませんわ」
「私は陛下を敬愛しております。いえ、私は過去に陛下と」
 美弥子は首を振った。だめ、あのお方との関係を言うなんて。でも私は。
「それで陛下と? どのような関係に?」
 三人はまじまじと美弥子を眺めおろした。罰し、裁く側に立ったことへの恍惚した感覚を抱いていた。
「私は! もう皆さまが言う通り美弥子ですわ。十和子というのは仮の名。ええ、そうですわ。私は美弥子。陛下とお会いし恋い焦がれたのです。あのような感覚は初めてですの。
何不自由なく暮らし、多くの殿方から文を頂いたものですわ。そんな私が、同性の者に恋してしまった。それが全ての過ち、私は公務を半ば放棄し逢瀬を続けましたわ」
 蘇る日々。馬車を走らせ新都に向かう途上の焦燥感、王に会った時の高揚感、王の肌、王の唇を我が物にせんと美和子は欲情に駆られていた。
「それで?」
 凪子は立ち上がりさらに追及をつづけた。
「まさか陛下に恋い焦がれただけで、洗礼を受けたわけではないのでしょう? そんなことしなくても他に方法はあるでしょうし?」
「いえ、それは」
美弥子は凪子を見た。どうしてこの子はそこまで知り尽くしているのか? 美弥子は恐れていた。すべてを見透かすような目で美弥子を見ていた。
 どうして?
 パシッと美弥子の首筋に何かが当たる。それは扇子だった。
「美弥子様、あなた様は大使としてこの国を訪れましたわ。またあなた様は公務の間を使い陛下と逢瀬を重ねた。そうでしょう? それからあなた様と一緒にいた高貴なお方がもう一人」
「お待ちになって!」
 それ以上はやはりだめだ。いけない。ここにもいられなくなる。そうなったら、美弥子はどこにも居場所がなくなる。
パシッと先ほど強く凪子は美弥子の首筋を叩いた。
「朝子妃殿下は、陛下をあなた様ほどはよく思っていなかった。それどころか逢瀬を重ねるあなた様を軽蔑していた。あなた様は朝子様と口論になった!」
「いや! やめて!」
 振り上げられたペーパーナイフ。突き刺さり飛び散る血しぶき。動揺を隠せない侍従。
「ここが飛んでしまうほどの罪を犯したのでしょう?」
「どうして? あなた様はどうして?」
 凪子の顔には憎悪と怒りが立ち込めていた。凪子は美弥子を掴み、ベッドに押し倒した。そのまま美弥子を殺してしまわないというばかりに。
「あなたが罪をかぶせようとした侍従は私の姉です。陽子はただお茶をあの日運んだだけでした」
 美弥子は驚き、恐れた。あの侍従には妹がいた。
「陽子は、惨劇を目撃しました。殿下の命で遺体を隠蔽せよと言われたそうですわ。しかし運悪く捕らえられてしまったのです」
「凪子様、私は罪を認めましたわ。あなた様のお姉さまは?」
「ええ、そうですとも。あなた様は罪を陛下に申し上げ、償いとして入信されたのでしょう? いえ違いますわ。それは建前。恋い焦がれるあまり陛下にお近づきになり我が物にせんと欲したのでしょう!」
「違いますわ。私は」
 凪子はぐっと美弥子の首を絞めた。
「凪子様!」
 ほかの二人が予期せぬ行動を見かねて止めに入った。それでも凪子の怒りはすさまじいものだった。
「あのあと、陽子はどうなったと思いますの? 魔が差したのです。朝子妃殿下の宝石を持っておりましたわ。それに望まぬ行為とはいえ死体を隠蔽しようとした罪も合わせて」
 凪子は黙った。もはや言うまでもなく姉の経緯がどうなったのかわかる。美弥子はああと声を出した。自身の罪の重さに気づいたのだ。自分は洗礼を受け、償った気持ちでいたのだ。しかしすべては終わっていなかった。
「でも陽子も悪いのです。宝石に目がくらんだのは己の心の弱さによるもの。ただ私は陽子からすべてを打ち明けられ、殿下の真意を探るため入信したのです」
 何という偶然だろうか。
「美弥子様、あなた様はとてもお健やかでおられましたわ。私はあなたの屈託のない素顔に同じ目に遭わせんと決意したのです」
「もうお止めになって。私は打ち明けたわ。許してお願い」
「ふふ、そんな虫のいい話がありますこと? あなたは姉への罪に対する罰を受けねばなりませんわ」
「殺さないで」
「殺す? いえ、私はあの日あなた様の体に触れて気づきましたの。このお美しい体を貪れたらどれほど楽しいだろうと。ふふ、これほどの刑がございますかしら」
 美弥子は一生涯、凪子の触手を受け入れなければならない。
「勢子さん、登美子さん。私はいいことを思いついたのです。我々のような卑賤の身では、陛下のご身体に触れることなど叶わない。でも美弥子さんの体を通してなら、この方は、陛下と懇ろにしていた。ふふ、いかがです?」
「ほほ、酔狂だわ。凪子さんはとても面白いお方」
「皆それぞれの経緯をお持ちだこと」
「お止めになって」
 三人は獣の本性を露わにした。美弥子は罪を白状することでさらなる罰を自ら無意識のうちに求めていた。贖罪はこうして日夜行われ続けた。飽くことのない責めに美弥子は遠のく王への敬愛とは別に、獣の性を会得した。もはやここで生き抜くしかないのだ。
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