七宝物語

戸笠耕一

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第四部 楽園崩壊

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 人生が動き出した。それはいい。咲子はただ何をやればいいのか分からずにいた。

 部屋の扉を叩く音がした。

「あなたたち?」

「下級生の朝子様と夕子様です。この方々も私たちの仲間でございます」

 1人は丁寧にお辞儀をした。もう1人は手に大量の本を持ち、それができなかった。

「なにこれ?」

「黒魔術に関する書でございます」

「は?」

「咲子様は無事に私どもの仲間におなりになられた。ただ色々と学ぶことが多いのでございます」

 夏帆は机に本を置かせると、くどくどと書物の説明をする。王位を継ぐ者の試練について、悪魔との契約についてなど、分からぬ言葉が続いた。

「で、なに? これをどうしろと」

「すべて覚えてくださいませ。また実技も本日より始めます」

「実技って?」

「もちろん読むだけでは身に付きませんから。きっちり肌で学んでいただくのです」

「実技って言っても、講義もあるし弓道にも顔出さないとね」

「ご安心くださいませ。行うのは夜遅く。黒魔術は人目に付かぬ時間帯に行うのです」

「夜遅くって・・・」

 学園の規則は厳しい。就寝時間を過ぎると講師が見回りに来る。正しい見識と貞操を持つことを定義としている学園での規則違反は、停学や退学に値する。ましては咲子がそのような危ない橋を渡れるはずがない。

「何を今さら、王位につかれる御方が学園の規則などという小事に恐れてどうします?」

 そう。言われてみれば。王となり死を克服する者が何という矮小なことだ。

「細かいことは万事お任せくださいませ。学園には仲間がすでに居りますので、咲子様はご安心して修業をなさってください」

 3人はにっこりと微笑んだ。あまりにも完璧に近い笑みに疑問を感じる。何か違いはしないか。王になる? そん
な話があるのか? 騙されているのではないか?

 山積みされた書物を背に咲子は迷いが生じる。公女の地位は、なるほど退屈でお飾りかもしれない。ただ持っている今の立場は有限ではあるが何人にも味わえない利権がある。

 咲子の拳がぐっと握り締められる。

「ふふ、お疑いになるのも無理はありませんわ。開かれた道はもう閉ざすことはできません。進むことしか許されません。この腕の刻印はそのようなものと思し召し下さいませ」

「そうね・・・」

「では今晩から始めますのでご認識ほどお願い致します」

「今晩?」

「はい。鉄は熱いうちに打てと申されるではございませんか?」

 夏帆は朝子の名前を呼び、服を持ってくるように言った。朝子はすぐに戻ってくる。手には黒いレースのような服
が置かれた。よく見ると礼拝堂にいた人々が付けていた服と同じだった。

「私たちの服ですわ。礼拝堂での一見をご覧になったでしょう?」

 あの日、祭壇に掲げられた女のことを思い出した。女は生贄と言うべき存在。

「まさか! あんたたち、私に人を・・・」

「ええ。書物をご覧に頂けるとわかりますが、王になる者は代償を払うのです。悪魔はあなた様の覚悟を試します。
それは魂。ふふ、何も犠牲なく王位が継げるとでも? お考えをお改めくださいませ」

「いやよ! 人殺しなんて!」

 咲子は金切り声を上げる。最も高貴な身分に生まれだ。人を殺めるなどという聖者にあらぬ行為ができるわけがなかった。

「単なる無益な殺生ではなく、必要な行為なのです。そう、毎日食事をとるように。王になるための通過儀礼なので
す」

 人を殺す。王になるために必要なこと。咲子は死を強制的に人に与えるなどという発想を持ったこともないし、良心が拒絶した。

「困ったものですわ。人知を超える立場になる方が、中つ国の覇者とあろうお方がそのようなか弱い」

 弱いという言葉に咲子の誇りは傷つけられた。

「どうしてもやる必要性があるの? まだ動物とかなら」

「いきなり人というのは抵抗がございます。おっしゃる通り小動物ぐらいから始めますわ」

 動物を。虫も殺したことのない咲子にそんなことができるのだろうか?

「まずは慣れることですわ」

 夜になった。慣れろという夏帆の言葉に、自身が短刀を持ち動物を殺している瞬間を想像した。ちらついた映像に咲子は首を振った。

 許されまい・・・

 夜の禁断の講義は2時間から3時間に及んだ。祭壇に掲げられた生贄は兎だった。兎は縛られ、足をバタバタとさせている。

「この短刀で一思いにやってごらんになってください」

 生贄は動物だ。食用の兎。ならば平気か? いやこの殺しは食事のためではない。目的が違う。手もとが震える。兎の警戒した目つきに、咲子は視線を逸らす。

「そのように手が震えていてはいけません。以下に生命を立つかお考えくださいませ」

「だって!」

「さあ持ち方を変えて下さいませ。それでは斬れません」

 夏帆の手がそっと伸びてきた。持ち方が変わり、確実に兎の息の根を止める角度に刀が伸びる。あとは誘われるよ
うに・・・

「やめて!」


 手が真っ赤に染まっていた。兎の毛がまとわりついている。ピクピクと痙攣している。むごい。このような殺生が許されるはずがない。

「お見事ですわ」

「違うわ! あなたが!」

「私は急所を教えただけのこと」

 確かに夏帆は兎の喉首をいかに切り裂くか教えただけだった。

 手がこんなにも赤い・・・

「ひとまずここまでにしましょう」
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