七宝物語

戸笠耕一

文字の大きさ
上 下
133 / 156
第四部 楽園崩壊

6

しおりを挟む
 目が覚めた時、そこは暗黒であった。一瞬視界が不明瞭なだけかと思っていたが、違う。本当に一点の光もない世界だ。真の闇・・・真の暗黒・・・真の死・・・

 そのような場所に放り出され、咲子が感じたことは恐怖だった。

 嘘だわ。何も見えないわ。私は死んでしまったというの?

 信じがたいことだ。でも確かめねばならない。咲子は起き上がろうとした。普段は当たり前のようにできている挙動が未知への体感によってできなくなっている。一体ここはどこだというのだ?

 自分の小間使いのつまらないお遊びがこんなにも深刻になるとは考えてもいなかった。悪ふざけが過ぎる。咲子の最後の記憶はカプセル状の薬剤が入ったお茶を飲んだところが最後だ。死を克服する方法を見せてやるという夏帆の甘言を真に受けたことを後悔した。

 どういうつもりなのよ? 頭が痛い。

 咲子は何とか起き上がることができた。体全体が気だるく鉛のように重い。足を一歩踏み出してみる。足場は何だかゴツゴツとしていて平らではないため非常に足場が悪い。見せない世界に揺らぐ認識。咲子は四方を確認する。

 あそこは何だか明るいわ。誰かいるかもしれないわ。

 暗闇に慣れてきたのか徐々に視界が晴れていく。角張った岩肌。秩序なくむき出した岩の集合体。ここは洞窟だろうか?

 ふざけないでよ。こんなところに連れてきて。あとできつく言いつけておかないと。咲子は夏帆が小間使いとして気に入られていることをいいことに度を過ぎた対応に憤りを感じていた。感覚が戻ってきていた。早くここから出ないと。

 正面が明るくなっている。前方がパッと開けた。にじむような光が咲子の瞳を貫き、脳裏に突き刺さった。咲子は視線を逸らした。不意の光に瞳は閉じる。

 何なのよ!

 咲子はそっと目を開けた。そこは一言で例えるならば空間であった。

 眼下に広がる整然として空洞。煉瓦で塗り固められ、画一的な領域が広がっている。足元から階段があり、下った先から視線を右から中央に向けると人だかりができている。ただ彼らの姿は異様であった。頭上高く三角に尖った頭をみなしている。人なのか、あれは何なのか? 咲子はとんがり帽子をした妙な集団を目にした。

 あいつら、人?

 このような異空間に人ならざるものがいてもおかしくない。胸によぎる恐怖とともに未知の世界へのいけない好奇心がある。

 とんがり帽子たちは中央の視線を注いでいる。中央には祭壇があった。そこには両手と両足を縛られた女がいた。着ている麻衣は破け透明なまでに美しい素肌が露わになっている。女もまた四方を見渡し、言いし難い恐怖を感じている。

 どうするつもりなの?

「これより今この者が内包する魂を露わにさせよう。この者が持つ生を引き裂き、地に幽閉された王の力を呼び覚ますべし!」

 高らかと響き渡る声がした。とんがり帽子の一人が言っているのだ。その言葉に全員がおと歓声を上げる。

 一人が中央の祭壇に近寄っていく。片手には鋭利なものを握っている。刀だった。背後からさらに甕をもった者が後に続く。これから始まろうとしている行為に想像がついた。あまりにもおぞましく邪悪なことが行われる。

 女の恐怖は頂点に達していた。体をばたつかせもがき苦しむ。自身に降りかかる行為に

逃れようと必死になる。すべては無駄であった。固く結ばれた縄目は女から自由を無情に奪っていた。

 そんな逃げなさいよ。嘘、なんてことを。このままじゃ?

 女の体にはそっと水が注がれる。

「さあこれより女の魂を王の祭壇に捧げるべし!」

 天高く刀は振り上げられる。女に忍び寄るそれは死だ。さっと降ろされた瞬間、咲子は視線を逸らした。

 むーというくぐもった悲鳴が空間に伝播していく。咲子は恐る恐る目を開けるが、間違いだと気づかされる。完全なる死よりもむごい生の軌跡を歩んでいた。女の美しい肌は深紅に染め上げられた。開かれた腹を見た時、禁断の扉が開かれた。そこから続く光景は見るには絶えない。咲子は子鼠のように物陰に隠れ、身をひそめるしかなかった。女の叫びはやがて小さくなり聞こえなくなる。

 咲子は秘かにまた祭壇を見た。

 女は白目をひん剥き、体は痙攣をおこしている。むごたらしい姿に、咲子の脳裏は反芻した。そこは無機質な白い空間。沈鬱そうな顔。激しいお産の果てに、母はグッタリと横たわる。周りの静止を鑑みず、咲子は母にすがる。母の手は血塗られていた。

「だめ、だめだわ」

 咲子は戯言のように口ずさむ。死が迫っている。死はやがて絡めとり、連れて行く。母は死んだ。次は自分だった。

「そんなのいけないわ。いやよ、そんなの!」

 反射的に咲子は死を遠ざけようと叫んだ。幼さのある声色はたちどころにとんがり帽子たちの耳に入る。視線は咲子に注がれている。

 誰かが言った。

「捕まえろ!」

 咲子はひるんだ。だがとんがり帽子たちの行動は早い。幾人かがすでに階段を駆け上がっていた。足音が聞こえる。逃げなければ! どうして自分が? 全然関係ないではないか? なぜ?

 洞窟の暗がりならば姿を消せる。何とかして逃げなければならない。そんな時だった。バッと何かに当たった。壁かと思ったが、柔らかい弾力がある。何かと探った時、ヒュッと手が伸びてきた。咲子の華奢な腕は壁に吸い寄せられる。いや壁ではない。紛れもなくそれは人だった。しかも奴らの仲間だ。

「いや! いやだ! 放しなさい!」

 咲子はあっけなく捕らえられてしまう。振りほどこうにもか弱い女の力ではどうすることもできない。瞬く間に祭壇に乗せられ、縛られてしまう。まさか自分も、先ほどの女のようになると脳裏によぎった時、必死に抵抗した。

「さあこの者だな。我らが祭壇を除きし者は?」

「どうしてくれよう?」

「女子ではないか? そうだこの者も王の糧とすべし」

 そうだととんがり帽子たちは言い合う。

「祭壇を清めたのち、この者も捧げようではないか?」

「待ちなさい」

 はっと大勢のとんがり帽子が声の主を見て、平伏した。一人黒服ではなく、紫色の頭巾を着用している。女の力強い声だった。

「その者は生贄ではありません。凡俗とは違い、由緒正しき家柄の者。我らと志を同じくする者です。粗末にすることのなきよう」

 誰なの?

 紫の頭巾はゆっくりと自信に満ちた足取りで咲子に迫る。

「何を怖がっておりますの? あなた様が望むものを得るためにお連れしたというのに」

「誰? 何なの? あなたは?」

 咲子は近づく紫の頭巾に質問を浴びせかける。マントの下から白い手がそっと伸びてくる。固定された体を手は撫でる。まるで品定めをするような手つきに咲子は嫌悪感を抱く。

「何をしているの? 気安く触らないで!」

「美しい。大変美しい。すべてがそろっている。人々が得たいものを兼ね備えた存在。いずれ王の礎となるべき御方ですわ」

「頭巾を取りなさい!」

 触れた手に慣れ親しんだ感覚があった。頭巾はすっと取った時、咲子は自分の触感が確かだったことを知る。

「ふふ、私をお忘れです?」

「何しているの?」

「死を克服する術をお望み、とおっしゃいましたね? 咲子様のお望みをかなえる時がきましたわ」

 とうとうと話し続ける夏帆に対し、咲子は理解しがたかった。

「ばか。もうあんな話。どういうことなの?」

「まさか諦めたわけではございますまい。お亡くなりになった御母上のように、みじめにもだえ苦しみながら死ぬ。そうお望みですか?」

「ばかね! そんな惨めに死ぬものですか? 失礼だわ!」

「今日より明日、明日より明後日と衰退してく若さゆえの美しさはいずれ衰退する。顔にしわができ、胸は弛み、背筋は曲がる。その未来を受け入れるのでしょうか?」

「それがどうしったって? どうすることもできないじゃないの!」

「いえできますわ。我々の仲間になれば、必ずや。修練を積み、多くの糧を捧げ、悪魔と契約を結べば」

 咲子は閉口した。夏帆の狂気じみた言葉は真剣だった。この連中は黒魔術により悪魔を呼び新たなる王を生み出そうとしている。

「許されないわ。王は4人。これ以上力ある者はいてはいけないと。禁忌を破れば死刑。無理だわ! 何を言っているの?」

「ふふ、地下に幽閉された御方をお忘れではありますまい。最も忘れたくとも忘れがたい存在ではありますが」

 烈王。先の大戦で破れ幽閉され存在を抹消された王のこと。聖族でありながら、仇をなした者。魂に宿った赤き竜の呪いは大地を赤く染め上げ、人々に恐怖を与えた。脅威は去り、世は平穏になった。

「あなたたちの仲間に、この私がなれるわけがないでしょ! さっさとこの縄を解いて!」

「それは出来かねますわ。ここは私たち666の礼拝堂。見られたからにはただでは」

 な、と咲子は小間使いの大胆不敵な言動に驚きをあらわにした。13の歳から夏帆が付き人になった。いつも忠実で指示に従ってきたのに。変容ぶりはどういうことだろうか?

「さあ長話も止しましょう。これから私がすべきこと、ご容赦願いますね?」

 夏帆は視線を変え、背後を振り返った。居並ぶる黒いとんがり帽子たち、空間を照らす淡いランプ。暗がりの向こうの扉がギシギシと音を立てて憂鬱そうに開かれる。扉から人が現れた。またもやとんがり帽子だ。

 荷車に何か金具のようなものを載せている。ガラガラと金具が荷車と接触し、音を立てる。近づいてくる。何か不吉なものがひしひしと迫ってくる。その背後から赤く燃え上がった囲炉裏が運ばれてくる。火の粉が中から噴き出て辺りに散らす。

「なにあれ? いやだ。怖い。どこかにやって」

「お心を穏やかに。今より洗礼を始めます!」

 夏帆がまた高らかに言葉を発する。こんな違う。夏帆ではない。いつも優しいのに。どうしてこんな。もう1人同じ人間がいるのではないかというほど、言動や振る舞いに違いがある。

 金具は囲炉裏にかけられ熱せられていく。しばらくして囲炉裏から出された金具は赤く染まり火を吹いていた。そこには確かに666という数字がくっきりと記されている。

「痛みは死を克服するための通過儀礼と思し召しくださいませ」

 金具から発せられる熱気を感じる。徐々に熱さと恐怖が身に寄せる。近寄りがたいものから逃れようとしたができない。

「やめなさい! どこかにやって!」

「腕を押さえなさい。大丈夫。すぐに終わりますわ」

 咲子は右腕を捲られ、縄で固定された。夏帆は狙いを定め、ためらうことなく焼印を入れる。咲子はのたうち回ろうとしたが、固定された体では痛みから逃れようとする足掻きも取れない。

「きゃあああ!」

 甲高い叫びが礼拝堂に響く。叫びとともに咲子の影が明かりに照らされ、かすかに揺れ動いた。

 痛い!

 体が壊れていく・・・・・・いやだ・・・・・・

 咲子は美しい母の娘だった。その横顔はよく似ていると言われた。だが母は激しいお産にもがき苦しめられ、死に絶えた。死の恐怖にさいなまれ、死に行く母の顔のどこにも美しさの欠片はなかった。幼い時、そのさまを見て咲子は死が恐ろしいものだと知った。今の自分もまた同様だ。あっけない最期だった。

 咲子は激痛のあまり記憶を飛ばした。すべてが終わった時、咲子は気を失っていた。
しおりを挟む

処理中です...