七宝物語

戸笠耕一

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第三部 戦争裁判

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 一の国に北洲という州がある。聖都より十キロ北東のはずれにある州都だ。名は北涼。人口十万人前後のさびれた土地の中心に、地方司法府と裁判所は隣り合わせである。

 政本博也は、司法府の五階で、年の瀬が近づく中でたまっていた事務作業の対応に追われていた。彼にとっては、目の前の上より命ぜられた仕事を期日までにこなすことが、人生の全てと言っても過言ではない。東の地での戦いが、世界の行く末を担うことさえ彼には大事なことではなく、遠い世界の出来事に過ぎない。無駄な詮索は、自身の経歴を損なうだけ。地に足を付け懸命に仕事に励むことが、凡庸な父を持った者から教えられた唯一のことだった。彼も父も地方の役人に過ぎなかったが、昨年の末に死んだ。それでも彼の心は、父の教えはしっかりと根付いていた。

 おい。

 抑揚のない声が彼の耳に入る。

 彼は、上司の呼びかけに手を止めて、顔を上げた。固まり切ったコンクリートのように、一切の感情のない課長の能面が政本の視界に入る。

 「はい」

 「ちょっといいかな?」

 「承知しました」

 政本は立ち上がり、課長の後についていく。ここで、彼は何事かと思ったが決して先走って質問等しない。連れ出され、エレベータに乗り込む。課長が、最上階のボタンを押し閉めるボタンを押す。エレベータは静かに上へ上へと上がっていく。

 エレベータを降り、彼らは右手に曲がり、廊下を突き進む。このまま先に行けば、司法府の副官室だ。司法府は、上へ行くごとに階級が上がっていく。政本の場合、ただの係長程度の者だったから、司法のお偉方と交わるなどないはずだ。ここにきてただ事ではないと知る。

 副官室を前にし、課長はピタリと足を止め彼を見る。鬼のように極めて厳しい形相が視界に入る。

 「いいか。くれぐれも粗相のないように頼む。何を言われても、ただただ『はい』と答え、頼みごとをされたら『かしこまりましてございます』と申せ。分かったな?」

 「はい」

 真剣な話をされているときは、相手の目をしっかり見る。口元はしっかりと結び、粗相のなきようにする。父から言われていたことを、政本はここでも忠実にやり切った。

 課長は、彼の表情に納得し一人うなずいた。

 コンコン。

 扉を叩く音。入れ。声は扉を一枚隔てているから聞こえにくいが、重たい。

 開かれた扉の目の前に、黒いソファがガラスのテーブルを挟んで二つある。正面に、黒い法衣に身を包んだ副官がいた。白髪が混じった髪を彼は一度かき上げる。表情は、上に立つ者として、感じる重厚感が漂う。

「よく来た。忙しいところ悪いな」

「大変恐縮にございます」

「それで、彼か?」

「はい、この度ご指名を受けました執行部第三課の政本博也です」

「は、執行部第三課の政本博也になります」

 副官の目が、じっと政本を見る。わずかな合間に、政本は推し量られていると感じた。しかし動揺してはいけない。こういう時は、相手が話し出すのを待つ。

「ま、立って話すのもあれだ。かけろ」

 副官は、手にしたペンで片側のソファに着くよう命じる。

「は」

 二人はいそいそと所定の位置に向かうが、先んじて座らない。上官が席にかけてから、席に着く。

「突然のことだが。あー、連合軍が敵を下したのは知っているな?」

「はい」

「それでまあ、戦は我が方の大勝に終わった」

「はい」

「これまでの戦いで荒廃した大地を再建するもの大事だが、それとともに本大戦の戦争犯罪人を裁かねばならん」

「は」

「連合国より五名の裁者を出し、連合国検察官が提出する予定の罪人を裁くことになる。時期は今年二月からだ」

 政本には、副官の意図をつかみかねていた。なぜ国際情勢を一介の下級役人に話すのか。

「困惑していることだろう。なぜわざわざ呼び出しておいて、こんな話をするのかと」

 副官は、横を向き苦笑した。

「君に、連合国が執り行う戦争裁判の裁者を引き受けてもらう」

 政本の顔は、ぴくぴくと動いている。動揺を悟られないよう、こらえていた。かなり厳しいことを強いられていた。

「これは、すでに西王殿下以下、閣議で決定された事項だ。大役だが、我が国の威信にかけてやってくれるな?」

 先ほど課長に言われたことを思い出される。頼みごとをされたら、何というのか。分かっている、そう、これは上が決めている。いつも通り、言えばいい。決められたフレーズを言えばいい。

「か、かしこまりましてございます」

 言えた。

 副官は、うむとだけ言う。そこには安ど感が感じ取られた。

「詳細は、後程配下の者より伝えるので、明日よりそれに従うがいい」

「承知いたしました」

「以上だ。下がってよい。あと、このこと他言無用だ。絶対に言うな」

「はい」

 政本と課長は静々と部屋を出た。その後は、言うまでもない。静かすぎる雰囲気は、彼らが作業場に戻るまで続いた。まるで全てが終わり、どうにもならない状況に追い込まれたようだ。

 政本は、いつも通り残っている事務作業を片付け、作業を定時まで続ける。定時のチャイムの音を聞き、帰り支度をして退出した。 
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