七宝物語

戸笠耕一

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終章 決起

40.決戦

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 烈王は都での最後の夜を一人で過ごした。従者も女も呼ばない。彼ら彼女らは部屋に籠って出てこないか、宮殿を後にし、いずこへといなくなった。

 誰にも邪魔されることなく、好きなように過ごせるのは経験のないことだ。幼い時から、彼は誰かに見張られていた。ずっと行動を監視されていた。やがて成人して国を持ったが、そうなっても部下たちがつまらない報告を言いに来る。逐一、やつらに指示を出さないといけない。これほど煩わしい生活に彼は嫌気がさしていた。一人きりの生活をして、ようやくやりたいことができたと思えた。結果天下を制するには至っていないが、彼は満足している。最後に、彼は命を懸けた戦いに挑む。

 朝はやってきた。清々しいほど、晴れ渡った朝を迎えた。

 起き上がってからの彼の行動は、機械的だった。朝餉を取り、髪を整えた。向かったのは、馬屋だった。そこで駿馬を一頭従者に言わせて取り出させる。

「これにしよう。出せ」

「かしこまりましてございます」

「よい。さらばだ」

 彼は馬にスッと乗り、鞭を激しくたたいた。馬はいななき、勢いよく飛び出していく。

 火炉宮と黒門を繋ぐ通りには人の子一人いない。

 馬で自由に駆け回ったのは、久しぶりだ。人目を気にせず、今日という日はなんて素晴らしいのか。彼の顔に笑みがこぼれた。

 生か、死か。二つに一つ。彼は、そのどちらか一つを取らないといけないのに、清々しい気持ちを保ち続けていた。

 あっという間に黒門に到達した。番兵に門を開けと命じた。彼らは、王命を疑うことなく、従った。わけを聞くなど愚かだと知っているのだ。

 光が差し込む。これが何か、知っている。福音をもたらすものだ。

 黒門が開いている。連合軍の将兵の目には、それがまざまざとわかる。門が開ききると、

 一頭の馬が飛び出してきたことに気づく。馬の乗り手が、烈王だと誰の目にも明らかだ。

 やつが来るのか?

 単身一人でこの何十万という兵を敵に回して戦いを挑むというのか?

 一人の敵に、兵士たちは恐怖を感じていた。王の圧力が、数キロも離れた連合軍の陣地に及ぶ。馬はゆっくりと前に進む。誰もが弓矢を放てる準備をしている。焦点は、烈王ただ一人に絞られている。それでも彼は悠然と前に進み出でる。

「さあ! 約束だ! この俺と決闘をしろ!」

 烈王の大音声が、轟いた。誰もが彼の声に目を変える。まさに来ると思った。一人残らず切り殺されるか、焼き殺されるのだと信じていた。

 さらに馬を進めた。このまま単身で突っ込むのかと思いきや、彼は馬から降りた。あろうことか馬をもとの場所に帰してしまう。彼は仁王立ちしたまま連合軍とにらみ合いを続ける。

「殿下、烈王です」

 西王は、ただ一言。

 そう。

 時が来れば、彼女は一言返せば十分だ。あとは、陣地を離れる。己を光の束へと姿を変え、こちらもゆっくりと進んだ。

 光は烈王に近づき、手前で人の形に戻り、西王が姿を現す。

「朝早くから元気のいい。お待たせしました」

「ああ、寝覚めのいい。これほど愉快な朝はない」

「それはよかった」

「で、あんたはどうやって戦う? そんな普段着で戦いをするのか?」

「お気になさらず」

 確かに西王の身なりは、戦い備えをできていない。彼女は刀も、槍も、身を守る盾も、鎧も持っていない。薄い下地の白いブラウス姿でどう戦うのだ?

 あるとしたら、左手に身につけた金の腕輪だけだ。

「武器も持たずに、どうする?」

「まあ、お気になさらずかかってきなさい」

 烈王は、フンと鼻で笑う。何を考えているか知らんが、容赦はしない。

「なら、遠慮なく!」

 突き出された鉾が火を吹く。火は竜となり、西王を捉え焼き殺す。消えてしまえと思っていた。憎しみが込められた攻撃だった。

 火が、西王を取りこむ前に彼女は消える。

 彼女は涼しい顔で彼の目の前から右側に移動したのだ。いともたやすく瞬時に形を変え、避けた。

 また切りかかっても避ける気がした。

「逃げてばかりでは決闘の意味がないぞ」

「少し暑いわね。でも、たいしたことないわ」

「ほお」

 彼は趣向を変えることにした。

 鉾で切り刻むのではなく、円陣を地に描き、西王を包み込んだ。

「焼け死ね」

 彼は鉾を突き出す。たちまちのうちに火が巻き上がり、西王を確かに捉えた。放たれた火は対象を捕らえ、灰にするまで敵を逃さない火方陣。これから逃げられたものは誰もいない。

 死んだか、と彼は笑い飛ばす。円陣の中には、あの憎たらしいほど美しい顔は跡形もなく消えた。あっけないと思った。

 こうも諸王の王が片付くとは思ってもいない。彼は警戒を怠らなかった。

 やがて悪い予感は当たる。突如光の束が集積し、人の形をとった。そこに、涼やかな西王の顔が蘇った。

 またか、彼は焦っていた。光を火で斬れるのかと。

 迷いは命取りになり得る。西王が反撃に転じる。彼女は指で大気をなぞり光の線を描き、それを烈王にぶつけた。あまりの速さで、全てが一瞬だった。

 ムンッと体が前と後ろ同時に動いた気がして、彼はこれまでに味わったことのない激痛が、熱を伴って体を貫く。何が起こったのかわからない。光が体を通過したような。早すぎた。

「……っ!」彼の叫びは言葉にならなかった。

 見れば体が半分に真二つに分かれている。普通の人なら死んでいる。彼が死なないのは、炎の化身だから。それなのに物理的な攻撃は一切効かないからだなのに、なぜ体がこうも痛みを覚えるのだ?

 彼が体を結合しようとしたとき、体を虹色の光が縦に、横に貫き体を跡形もなく切り裂いた。彼は叫ぶ間もなく、大気にかき消された。

「火は散り散りになれば、あまりにも儚い存在」

 西王の目は冷たい氷のようで、まるで情というものを一切持ち合わせていない機械のように冷徹で、目の前に起こった現象を見極めていた。

「ハハハ!」

 突如して声が地上にいるすべての者に降り注ぐ。天がパッと赤く染まり鋭い炎の槍が西王の胸に突き刺さる。

 彼女は血をプッと吹いた。

「油断したな?」

 たちまちのうちに彼は復活する。

 口元を血で染め、顔に苦悶の表情を浮かべる彼女を見て烈王は溜飲を晴らした。

「まだ終わっていない!」

 彼は苦しむ彼女に次の一撃を与える。この機を逃すわけにはいかない。

 しかし彼女の周りに光の結界ができ、火の槍は突き刺さらない。

 余計な光だ、と天に張る炎と化した烈王は忌々しく彼女を見下ろす。

 一方の西王は、大きく安堵の吐息をつき、胸をさする。ほっとした顔をしたかと思うと彼女は瞬時に天高く飛びあがり、あっという間に烈王を光の拳により地上に叩き落す。

 大地に風穴が出来ていた。衝撃で揺らぎ、戦いを見守る兵たちに動揺が走る。凡人には付いていけない戦いだった。どちらが勝つのか予想できない。戦いの勝者がもたらすのは、創造か、破滅か? 

 すべての答えがこの王の決戦にあった。

 この戦い、加勢する必要はないのだろうか?

 流星は戦いに参加できない自分を情けなく思い、拳を握り締める。敵は烈王一人。もはや片はついた。あの男が勝つ見込みはどこにもない。覇者である西王が相手なのだ。

 事実、烈王は押され気味のようだ。

 それでも、と彼の心は疑問を抱く。もし何かの不運で西王が破れたら?

 こちらには連合軍数十万の兵と四人の王がいる。一人を聡士の見張りにつけるとして、残り三人と西王で力を合わせれば烈王は死ぬ。 

 単身特攻を仕掛けたあいつが悪い。それにこれは聖戦だ。数の多さなど関係ない。だまし討ちも咎めを受けない。誰も烈王に同情する者はいない。事実偽りの和議を結び、背後から強襲した。今回も同じことではないか?

 王の契約とは何なのだ?

 天地が揺れ動くさまを見つめる流星には、黙って見守る意味が分からなかった。

 皆、呆然と何もない荒野で繰り広げられる戦いに見入っている。兵はそれでいい。だが自分は王なのだ。

 すさまじい戦いだ。王の力が、おぞましかった。兵が見入るのも無理はない。誰もがあの力を欲している。だからこそ争いは起こり、終わることのない業火に身を投じることになる。いっそ力など消え去ればいい。

 力なき者の哀れな最期を知っていた。家族や、隣人。皆、ただ純朴な民だった。彼らには力がなかった。力なき者が拠り所とする聖女もまた力を持たない存在だ。あろうことか、身を挺し命を失うとは。この馬鹿げた命を守るために……

 死んでも彼女の血脈は生き残っている。生まれた子だけは守らないといけない。そのためには、聖女の弟を。烈王に死を与えてやれねばならない。

 流星は、この時ばかりは人の死を痛烈に祈っていた。悪が滅び、清き世が来ることを信じている。力が不要になってほしい。だがそれには、死ぬべきものが報いを受けてからだ。風が激しくなびき、稲妻が地上に落ちる。地上の兵は、戦渦に巻き込まれないよう兵を退き始める。戦いは地上から天空に舞台を移した。

 片方が、縋り付く片方を地上に叩き落そうとする。両方が天を頂くことは不可能だ。光と炎。一体どちらが天に輝くのか?

 現状は、光の化身である西王が、火の化身である烈王を素早い動きで惑わしているようだ。眩くて素早い移動に炎は揺らいでいる。雨が降り注ぎ始めたせいか。炎は先ほどの勢いを失っている。

 戦時下において、記者たちは戦地を駆けずり回る野次馬と呼ばれている。現に、彼らは必死に地上を走り尽くしている。王と王の戦いは苛烈を極めた。

 取っ組み合う二人の王が拳をぶつけるたびに、地は砕かれる。熱風が舞い、草木は焼け焦げる。数十人いたはずの記者たちは、この災いの中、自らの手足を駆使し手元の手帳に戦地の状況を書きなぐる。ただその過程で叩きつけるような熱風に吹き飛ばされ、打ちどころ悪くして死ぬ者もあらわれた。

 さっきまで横で共に記事を書いていた者が死んだ……

 時には我先へと押しのけてもネタに食いつこうとするライバルだったが、彼の死を誰も喜ぶ者などいない。それでも記事にする。彼らにとって戦地を駆け巡り、記事にしまたは写真に収めることが使命だった。

 戦いはいったん互いに手を止める。眩いばかりの光と、苛烈な炎の戦いは小休憩に入ったのだ。戦いを止めた西王が腕を高く振り上げ、目を閉じ口ずさむ。彼女が何を言っているかは、記者たちは知らない。何かが起こるのは確かだ。

 青みがあった空が渦巻いていた。ゴロゴロと雷が脈打つ。彼らの頭上に厚い雲が幾重にも渡って空を隠す。雨がぽつぽつと降り始める。雨粒は大きくなり地に這う人と、わずかな枯れ果てた草木を慰める。

 雨だ、と誰かが叫ぶ。この不毛の地で雨など降るわけがない。奇跡だ。西王は、見放された大地に希望を与えた。

 熱風や、火炎が止んだ。ふと、熱くただれた大地は恵みの雨で活気を取り戻しつつあるように思える。戦いを見守る兵や、記者たちは奇跡の瞬間を目の当たりにし、連合軍の勝利をより確信する。彼らの顔に充足感が芽生えた。張り詰めた空気が、まるで嘘のようにほぐされている。ただ一人、烈王を除いて。大地を不毛にすることで、満足を得ていた男だけが、己の生きがいを奪われたことで怒りを覚えていた。

 彼の怒りが、また戦いを継続させる。拳がぶつかり合う。しかし、雨に全身を濡らした烈王の動きは鈍い。圧倒的速さを誇る西王に翻弄されている。敏感な記者たちは烈王の弱点を読み取る。当然ながら、火は水に弱いと。

 生き残った記者たちは事実を踏まえ、次の疑問を得る。光である西王が水を呼び起こせるのはなぜかと? 日を扱えるものなら、霧や雨模様の空を晴らすのが当然だ。彼女がやっているのは逆のことだ。

 記者は危ない戦地の中、こう結論付ける者がいる。西王の光は、人々に希望を見出す。この地は雨に恵まれず枯れている。彼女は希望を与える王ならば、雨を降らせるのは突然の力だと。おおよそ根拠のない解釈は、この場にいた記者たちが後に寄稿した記事に乗せられた。後に記事を読む読者は、西王がもたらした奇跡より戦いの決着を読みたがったため、大して重要視しなかった。

 恵みの雨が降り、次の場面が彼らを待ち受けていた。

 王の戦いは、天にまで影響を与える。西王が天から雨を落とした時、火である烈王は不利になる。彼は天を仰ごうとした。雲の上に行こうとした。だが、その動きを西王がうまく邪魔をしている。

 雨脚は一層強くなるばかりだ。

「火は雨に弱い。あなたに纏わりついた炎を根こそぎ振り払ってあげる!」

 西王が高々と言い切る。

 一方の烈王には、体から力が徐々に抜けていくのを実感している。事実彼は押されている。戦いに勝つために、自身の炎がなければ話にならない。まさに彼は翼をもがれた竜のようだ。

 彼は唸った。この場合地にいては勝てない。危機に瀕した時、すぐに彼の身体は思考を伴わずに行動できた。

 愛用の鉾とともに雲の切れ間を目指し一直線に天を目指す。天が近づいたと思ったとき、横から強い衝撃を受け、意識を一瞬失う。気が付けば、地にたたきつけられていた。激しい苦痛が全身を打つ。 

 まるでこれまで彼が葬り去ってきた者たちの痛みが、一編に彼に返ってきたかのようだ。彼がこの痛みに悔悟の念を覚えていたら、意味があった。しかし、残念ながら彼には人を慈しむ情は寸分もなかった。

 仕方がない……

 天を仰ぐにも、この姿では話にならん。

 彼は吼えた。力のすべてを出し切られなければ勝てない相手に、ようやく遭遇したのだ。今こそ王の力を解き放つときだ。竜の雄叫びが地に震わせ、雨を弾いた。光ですら、竜を避けるほどの、この世のものではない声だ。やがて全長三十メートルは超える竜が地上に降臨した。獣は、一瞬にして天を仰いだ。獣が持つ翼が羽ばたくたびに、地上に嵐が巻きあれる。

 さすがの西王も天にいられなくなり、自ら地に降りた。彼女はゆっくりと天を見る。 その瞳に覚悟がある。転変した烈王にいかなる交渉も通じない。自身も姿かたちを変え、竜をとめなければいけない。

 西王の姿が消える。虹色の光がスッと天を目指し羽ばたいた。全身が深紅で染まり、金色の輝きを放ち、細い目は天のみを見定めている。猛然と突き進み、雲の切れ間を通り過ぎた。そこに、燦燦と輝く太陽と赤き竜が立ちはだかる。竜は敵を見出すと、火であぶろうとする。

 不死鳥は軽々と竜の息吹を避ける。一目散に近づき、不死鳥は西王その人となる。西王は竜の頭上に渾身の一撃を加える。

 固い鱗で覆われた烈王は挫けない。むしろ戦いに快感を抱いた。好戦的なこの竜は、西王を大きな口で噛みつこうとする。鋭く尖り、噛まれたらその身は跡形もなく砕け散る。竜は、獲物からすべてを奪い取り、哀れな生贄は彼の肥溜めとなるだろう。

 だが、目の前で相手をしているのは死を知らない獣であって、生贄ではない。単なる赤みがかった不死鳥の体が、美しい虹色の輝きに満ち始めたとき、答えが見出され始める。

 不死鳥は、素早く竜の体を旋回するが、地で見守る者は、何が起こっているか分からない。仮にちらりと見えても何が起こるのか理解できる者はいないだろう。

 厚い雲の上の天空では、不死鳥が放つ七色の光が、長い竜の体を包み込んでいた。竜ですら何が起こるか分からないが、光を目障りだった。針金のように鋭く細長い尾で、不死鳥を叩き落とすか突き刺そうとするが、うまくかわされ、激しくもがいていた。何といううっとうしいさ。烈王の化身は、光の眩しさに目を奪われる。体が光の膜に当たるたびに竜の鱗はただれ始めた。火がただれることなどあろうか?

 七色の光が竜を完全に包み込んだ。もう竜は光の膜から逃れることはできない。邪悪な炎を、光の膜が包んだ時、不死鳥は人の身に姿を戻す。西王は光の膜を引き締めた。

 ぎゃああ、という竜のけたたましい悲鳴が天地を揺るがす。太陽に照らされた竜は、荘厳にして堅牢な鱗を溶かされ生身を焼かれ苦しんでいた。

 天にさらされた竜を西王は厳しいまなざしで見つめる。憐れむべきは、無念に散った生きること不当に絶たれた者たち。竜の悲鳴は斟酌する余地などない。作物を無情に焼く火や大地を溶かすマグマよりとてつもなく熱い光で体を焼かれるのが最大の罰だった。

 戦いは終局に向かう。光の囚人となった竜は、西王により体を幾度となく叩きのめされたのち、とどめの一撃を受けて地に落ちた。

 大地が巨竜の落下で激しく振動した。地にいた者はその様を己の脳裏に焼き付けた。もう二度とその瞬間を忘れることはできないだろう。誰もがこう思った。正義が成されたと。

 戦いは、突然終わりを告げるものだ。旧暦より続いていた長きにわたる戦乱も、竜の墜落とともに、終わる。竜の落下で生じた激しい音。その後に完全なる静寂が訪れる。すべてが止まる。ぴたりと音という音が、鳴りを潜めた。誰も声を発してはいけないと思った。

 何か騒ぎ立てれば、力の拳が振るわれ沈黙させられると昔から教わっていたから。黙ることが最大の美徳だと親から子へ、只人は教えられていた。

 この時は、どうだろうか?

 力ある者同士の争うに勝った者が、勝利を告げるまで、黙していなければいけないのか?

 答えは、否である。竜が地に落ちたときに巻き起こった砂塵から女の吐息が聞こえた。

 女とは西王である。彼女は戦いの疲れを感じさせず、しっかりと歩いていた。それでも土気色の顔色を見て、誰もが戦いの激しさを知った。

 西王は黙って兵たちの間を抜け、駆け寄った将官を伴い、場を後にし、本陣に帰還した。あとには地に打ちひしがれた竜が残る。竜はやがて、小さくなり人になる。彼らの目に映った地に倒れた烈王はあまりにもちっぽけだった。

「お、お……終わったぞ……」

 無音の世界で、最初に話したのは無名の兵だったと後の歴史書に記されている。彼は、破顔して隣にいる兵に飛びついた。これに突然の喜びを見せられた兵たちは、気持ちを開放した。彼らを苦しめる為政者は、正義の拳の前に散った。力の支配は終わったと肌で感じたとき、感情が開放された。

 感情は瞬く間に伝播していった。その場にいた記者たちは、またもや駆ける。近くの街へ。見るべきことは見て、書き記した。あとは伝えるのだ。民衆に。正義の勝利を。広く津々浦々へと……

 西王と烈王の決着から一時間と経たずして、連合軍の勝利が街から街へと伝播していった。恵まれた大地が、暗い影から抜け出し光を灯しだしたようだ。

 戦場では、復讐心に燃えた兵たちが倒れた烈王に駆け寄ろうとした。彼の首を上げてこそ、全ての業が報われると信じていた。私刑を、止めたのは西王だった。彼は、聖女と王と民衆と法の名において裁かれるべきだと、静かに告げた。烈王の体は、頑強な幾人の兵たちにより運ばれ、罪人を護送する駕籠に入れられる。

 それから、主を失った火都は連合軍により占領された。多くの奴隷たちは、戦いのさなかでも必死に自らに不当に課せられた労働に勤しんでいた。彼らに対し、連合軍は何から何まで露わにした。奴隷たちは、解放され駐留した軍に保護される。

 火都に住む数百万の民の家々を兵たちは熱い中まわる。烈王の余熱は未だに残っていた。中には倒れる者もいたが、これから始まる裁きの前に、全てを露わにしないといけない。その思いが、兵たちを突き動かす。

 おおよその民は、無情な王により虐げられた人々であった。彼らを丁重に遇した。兵たちは、罪人の所在を彼らに問うた。

 やつらは、烈王の居城に潜んでいる。もしくは火を吹き散らす五連山に潜んでいると年老いた奴隷がやっとの思いで答えた。

 だが、どちらも強力な魔法にて固く閉ざされ人の手によっては開けられなかった。人が連なって結成された連合軍は、力ある者に助けを求めた。

 流星と夕美。二人なら、火都に潜入したことのある二人の王が、適役だった。

「やはりね。おいしいところは全部持ってかれて、後始末をさせられるのね」

「戦いは、王による決闘だけではありませぬ。その後に、誰がこの争いの責任を取るのか、所在を明らかにするまでやれねば」

「分かっているわよ。虐げられた人々は、正義に飢えている。隠れている罪人を生け捕りにし、聖都まで連れて行かないとね」

「ええ、では手分けをしましょう。烈王の根城か、高き五連山か。どちらに潜む敵を捕縛します?」

「山」

 即答だった。

「では私は、城を」

「山にはいい思いがないでしょう?」

「貴方がそう言うなら、そうしましょう」

「別に。どちらでもいいのよ。私はね」

「そうですか」

 二人は互いの持ち分決め、仕事に取りかかる。悪の居城は、魔術師と恐れられた聡士の魔法が張り巡らされている。火の呪いが壁や門を覆い、入ることができない。流星は呪いを解くのに時間を有した。相棒の『影』の助太刀により、何とか門をこじ開けた。

「ひどい呪いだ」

『相手が悪い』

「水を浴びせても蒸発する。素手で触れない、何か物を扱っても、それは溶ける!」

 流星は焦げた手のひらを気にしていた。ずきずきと体を蝕んでいる。不愉快な痛みに、彼の顔はゆがんだ。

『呪いに疎かったお前も悪いのだ。色々と学ぶことも多かったろう』

「今はそれどころではない。かの敵の僕を捕縛し、中に囚われている者たちを救い出さないことに始まらない」

『勝手にしろ』

 影は言いたいことを言い、消えた。居城に入ることに成功した。だが中には、あらゆるトラップが潜んでいた。

 扉には触れたら大やけどする。床が突然抜け落ちる。強力な呪いで開けられない扉など多数の守りに流星は苦慮した。あとから入る兵たちを気に掛ける必要があった。ここで兵を失いたくないからだ。

 それでも徐々に数百となる部屋は改められ、中にいた烈王配下の高官や、側近たちが捕縛されていった。囚われた女人たちは救い出された。彼女らは、奴隷として誘拐され、烈王のそば目とされた者たちだった。彼女らに烈王への敬愛などなく、解放され心底嬉しそうだった。

 最後に王の間だけが残る。扉は見知らぬ存在である流星を拒み、牙をむく。流星の魔術を跳ね飛ばし、頑強に抵抗する。

 恐らくこの部屋。戦いの重要な記録や何か大事なものが残されているはずなのだ。だから厳重に守られている。

 何だ?

 この部屋は?

『どうやら魔法で開けられぬ扉ではないのう』

「何だって?」

 『書いてあるだろう。これより先は、王の間なり。入りたければ、王の証を立てよと』

 王の証?

 流星はそっと扉に手を触れる。分かった気がした。この扉を開けさせる方法が。己の力を扉に感じさせればいい。自身が王なら、この扉は受け入れる。なぜなら彼は王の力を持っているからだ。

 扉はあやされた幼子のようにぴたりと暴れるのをやめ、そっと開錠した。

 ここがやつの楽園か?

 大理石で敷き詰められた部屋。中央にそびえたつ金色に彩られた玉座。厳めしい部屋は烈王の性格を表しているようだ。

「殿下……?」

 背後で声がする。誰かの帰りを待ちわびた者が、相手の所在を訪ねている。声色が、わけのわからぬ相手のために、少し裏返っている。

 正体が主でないとわかったとき、女は惑い、後ずさりをする。懐に隠した短刀を流星に向ける。手はガタガタと震えていた。

「案ずるな。私は敵ではない」

 争いはごめんだ。

「なぜ? あの方以外が入って来られるのです?」

「殿下、我々にお任せを!」

 背後にいた兵士たちがわらわらと現れ、一人の女に対し槍を向け、神妙にせいと叫んだ。

 まあ待て。流星は、手を取る。

「烈王は連合軍によって捕縛された。お前たちも、烈王にかどわかされ無理やり妾にでもされたのだろう。一度、聖都で取り調べを受けるが身の潔白が証明されれば、自由の身だ。安心しろ」

 流星が事情を説明したが、女は一向に警戒心を解かない。兵たちも刀を向ける相手を見て、今にも飛びかかろうという勢いだ。

「誰も殺すな、隅々まで改め生け捕りにせよ」

 王命が下った。兵たちは調教師に仕込まれた犬みたいに行動を開始する。多勢に無勢。女は捕らえられた。王宮のあらゆる場所は、尽くされ余った兵が続々とやってきたが、王の間に誰もいない。

 烈王とは多くの者を連れ去り、臣民としての烙印を押し己に使役させる男だ。捕まったのは男たちばかり。戯れ時に、むさ苦しい男は要らないはずだ。女たちが、王には必要だったはずだ。どこにいる?

 流星は、この地に巣食う悪を露わにし、民と奴隷を解放したかった。特に弱い存在が、苦しめられている実態は見逃しがたい。

 部屋は王と謁見をする部屋だろう。なら寝室は?

 ただ四角四面の部屋に、おおよそ隠し扉があるはずだ。流星は王の力を頼る。杖で、大理石を叩く。隠されしものよ、姿をさらせ。

 部屋を軽い振動が襲う。まだ魔力で隠蔽されているなら、剥がさなければいけない。彼の呪文により隠された扉が姿を現す。玉座の真後ろ。納得の場所にあった。

「あそこだ」

 流星は、兵たちとともに隠し扉の先を改める。

 向かった所は、思いもよらぬ世界が待ちうけていた。暗い通路の先から、つんと強い花の香りが漂う。光が差し込み、押し入った流星と兵士たちは楽園を目の当たりにした。

 薔薇のにおいだ。一面を薔薇が覆う。その合間を、小川が流れている。どこかから水を引いて室内に流している。気になったのは、薔薇と小川の間にベッドが置かれ、幾人の女たちがその上に横たわっている。

 最初に間にいた女は、手足がすらりとし、端正な顔立ちだった。彼女は流星を見たとたんくすりと笑った。

 女の笑みを見て、流星には思い当たる節がある。姦淫のにおい。知っている、遊女が男を誘うときの視線と笑顔。多様な体つきと特徴を持った女たちは、どれも同じ笑顔を浮かべている。

 ただ女たちの瞳は虚ろ気だ。

 恐らく長年時間をかけて媚を売るだけの存在になり下がった憐れな人々なのだ。恐らく外で待っていたのは、彼女らを管理する秘書のような存在だろう。今日は誰の伽を受けるのかなど、考えていたかもしれない。烈王なら考えそうな発想だ。

 ここには背徳のにおいがする。それでも美しいと思うのは罪なのだろうか?

 自らの思考を目の前の幻影に囚われかけたとき、彼は罪の誘惑を何とか退けた。いや、美しいと感じてはいけない。あってはならない世界だ。罪なのだ。

 楽園はもうおしまいだ。

 流星は、烈王の寝室を彩る花園に魅入られつつも、目の前の光景が終局を迎えたことに納得していた。人が人をこのような場所に押し込めるなど言語道断だし、恣意的に夜の伽をさせて作られた世界など、いかに美しくても砕かれた方がましなのだ。

 こうして烈王の居城の火炉宮にいた国をまとめている軍人、大臣、衛兵、女官らが捕縛された。祖国の敗北をし、自死する者は少ない。皆、逃げ出されないよう囚われていたのだ。総勢、千名超。罪状を明らかにするため、身分の関係なく聖都へ連行された。

 城は片付いた。一部の兵を残し、流星は黒門の前に戻る。そこには、夕美がすでにいた。

「遅かったのね」

「五連山の方はいかがでした?」

「人なんてほとんどいなかったわ。ただ山を清めるのに時間が少しかかったぐらい」

「清める?」

「もともとここは、穏やかな野山だったのよ。ただ一つを除いてね。それを邪悪な魔法で、訳も分からない形に歪めたの」

「馬鹿みたいに暑苦しさが、和らいだのはそのせいですか」

「まあね。火の呪いは、弟が仕込んだものだったから簡単に解除できたわ」

「山は元には戻らないのですか?」

「当然でしょう? 一度歪んだら、人も自然も簡単には、元に戻らない。王の力はとても強大なの。地形なんてその気になれば簡単よ」

 彼女の言葉は、鉛のように重い。力の振るい方を言っているように流星には聞こえる。

「そっちはどうだったの?」

「たくさんの悪の家来がいましたよ。罪状を明らかにすべく余さず聖都に送ります」

「よかった。あなた、におうわよ?」

「え?」

「薔薇のにおいね。それに混じってかすかに女の香水の匂いがする」

「においます?」

 流星は袖口を嗅いだ。

「烈王のそばめたちね」

「ええ、とんでもない男だ。女をさらい、自分に従うよう意思をねじ曲げている。おぞましい世界だ。あの宮殿は、取り壊した方がいい」

「その杖で、欲深いことを考えていたら、あなたから香ばしいにおいが舞うことでしょう。においで人が大別できるものよ?」

「力に溺れないよう心得ておきますよ」

「一度歪んだら、元には戻らない」

 夕美は同じことを繰り返す。何か意味ありげに。言葉に流星は感じ入ることがある。

「あなたは無臭ですね」

 え、と夕美は振り返る。

 流星はニヒルに笑う。

「いえ、お気になさらず……」

 彼はその場を去った。兵を西に向けよう。

 かくして終わった。聖都に罪人を送らせ、自分は本土に帰還する。あとは荒らされた大地を耕し国政を整える。やるべきことは多い。

 これから前例にない裁判が始まるだろう。歴史上類に見ない為政者が、裁きの場に連れ出され、審議にかけられる。そこでは、被害を被った者の増悪があふれているに違いない。だが、裁判に感情はそぐわない。いったん気持ちは置いて、身も心も綺麗にならないといけない。流星は家族、隣人を殺された被害者だった。彼を待ち受ける戦争裁判を、冷徹にみられるか不安だった。

 無臭のような状態に身を置かねば、と思った。そうではければ、裁きは公平に行われないだろう。たとえ相手が誰であれ、偏見があってはいけない。戦争が終わっても、物語は終わりではない。勝者が敗者を裁くという現実がこれから待っているのだった。
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