七宝物語

戸笠耕一

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終章 決起

31.崩れぬ壁、うろたえる将兵、烈王の攻撃、

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 白い光……

 同じ光景だ。白い壁は、一切の傷をつけることなく都を攻め立てる十万の兵の前に立ちはだかっている。多くの矢玉を使っても落ちない都だ。

 槍玉は尽きかかっている。もう何日もロクな食べ物を取っていない。

 聖都は違う。聖都だけ違った。多くの街を蹂躙し、荒れ地にし尽くした残虐という名が可愛いほどの所業をしていた烈王軍が、初めて停滞というものを体感した。

 弓矢隊は、地べたに矢を置き、天を仰ぐ。砲兵隊は残りわずかとなった弾を眺め、汚れていた大砲を磨いていた。

 一方、東の火の王は、一ヶ月という間中ひたすら西王が引いた防魔壁を鉾で切り崩そうと必死になっていた。最初は皆期待をしていた。我らが主ならこんな壁など一ひねりだと。だが二日、三日、一週間と一向に日が立っても壁は壊れずにいる。おかげで大量の砲撃をもってしても聖都はちっとも傷がつかない。

 だからみんな飽きてしまった。

 もはやできることなどない。大軍をもってしても、多くの槍玉をもってしても、一介の王の力をもってしても聖都は揺るがない。やがて彼らの腹の虫は、鳴き始める。 

 烈王は家臣を一向に考えようとしない。補給がどうのとか考えたことがなかった。聖都に行く先々で通った街々を焼き払った。そのせいで、食糧もほぼ焼失していた。唯一、主だった補給地は南都だった。

 しかし――

 壁は……壁はなぜ壊れない?

 彼は焦っている。彼にはその感情が焦りだとわからなかった。

「申し上げます!」

 背後で蚊の鳴くような声がした気がする。

「殿下! 殿下!」

 蚊の声は、鬱陶しいほど甲高く煙たい。

「何だ?」

 彼は、背後を振り返る。小兵が一人。一ひねりしてやろうか?
 彼が言い含んだ言葉に、烈王は目を変えた。

「何だと!」

 烈王は、振り回していた鉾をようやく止めた。

「南が!? なんだと言うのだ? ええ!」

 彼は怒り狂い、目の前に張り巡らされた壁を大きく鉾で叩いた。

 南都で反乱。兵を上げたのは一部の義勇兵だという。それに多くの民が、同調している。反乱軍は日に日に増えて
いる。

 力でねじ伏せたはずの、安泰と思っていたはずの地盤が突如として崩れていく。

「おお、壁が壊れた! 壊れているぞ!」

 誰かが叫んでいた。

 烈王は前を向く。壁が壊れただと?

 何を言っている?

 彼は高くそびえているはずの防魔壁を見る。薄い膜のように聖都を覆いつくす壁だ。これを誰が壊したというの
だ?

 目のまえでは、スウッと防魔壁が消えつつあった。時を待たずして一か月間烈王軍を拒んだ壁は消えた。

 壁は何で消えたのかわからない。その答えはすぐにわかった。

 聖都内から、法螺の音が鳴り響いた。不気味なほどに低音で烈王の兵をうろたえさせた。

 前にそびえる正門がゆっくりと開いていく。そして壁の上に多くの弓矢隊が現れる。彼らは弦を引き締めた。次に
何が起こるか、烈王の兵は突如として恐怖した。

 一声かかる。弓矢隊は引き締めた弦を開放した。多くの矢が無音に近い状態で飛んできた。烈王だけは、冷静に敵の動向を見極めていた。やがて矢を見て彼は鉾を一振りし火の膜を作り自らの身を守る。

 聖者の矢だ。鉄でできた矢だ。殺傷能力は極めて通常の矢より高い。遠く早く飛ぶだけではない、王を殺す力を持
っていた。なぜなら聖女が国を守る兵士のために聖なる腕輪をもって研いだ矢だからだ。

 聖なる力は、王の力削ぐことができる。王の持つ悪霊の魂を払う。当然、矢に当たれば王とて傷を負う。魂が火で
ある彼にあらゆる物理攻撃は効かないが、聖者の矢は厄介な代物だった。

 逃げるわけにはいかない。敵がわざわざ攻めに転じてくれた。この機会を逃す道理はない。

 烈王はすぐさま本陣に帰還した。

「何をしている! 砲弾を敵に浴びせかけろ!」

 彼は居丈高に配下の者に命じる。横にいた者はよろよろと命を下すが、これまで圧倒的な火力をもって敵をせん滅
してきた軍に覇気がない。その間にも、聖者の矢は烈王軍の盾を破壊し将兵の命を造作もなく奪っていく。

 恐るべき報復だ。彼らが好き勝手やってきたことの報いがいっぺんに返ってきているかのようだ。反撃を開始する
者はどこにもいない。ただ敵の猛攻になけなしの盾で防ぐ以外手立てはなかった。

 多くの将兵が聖者の矢に貫かれ息絶える。そこら中に死体の山ができていた。矢の攻撃がやむ。だが、新たな
猛攻の始まりに過ぎない。

 聖都の正門が開く。白銀の甲冑に全身を包んだ騎士が勢ぞろいしている。彼らの戦闘準備はすでに済んでいた。あ
とは合図を待つだけだ。

 おお、という力強い喚声が辺りに響き散らした。白銀の騎士たちは、剣を抜き騎馬隊を先方に烈王の軍に一気に迫
った。早すぎる攻撃に、烈王の兵は及び腰になり、ずるずると後退していく。

 未だに戦うことを望んでいたのは、烈王ただ一人だ。

 突っ込め、と彼は叫ぶ。兵たちは目の前の危機にようやく動きだした。大砲に弾を詰める。弓を引いて構える。
「放て!」

 王の号令に兵は矢と弾を放つ。

 ドーンという大音声、シュッという素早い音が、交差している。

 聡士、と彼の心はふと思う。あいつがいれば、何か奇策を練ってくれただろうか?

 感情のままにやれと言った彼の言葉が頭に反芻した。あいつが本来策を練ってくれた。だが彼とは袂を分けた。あ
いつの考えによって、聖女は、彼の姉は死に手に仕掛けていた大義名分は消えた。

 この戦、こちらには大義などない。逆賊だ。なら答えは一つだ。戦いに勝って、己が正当であることを証明してや
る。俺一人でやってやる。この壁の向こう側にあの女はいる。

 西王を倒せば、俺の勝ち。これは賭けだ。

 馬に乗った彼を落馬させた者はこの世にはいない。彼は敵の騎馬隊とぶつかり、これを馬から叩き落す。

 何騎か倒したのち、彼と彼に続く忠実な部下は歩兵部隊と激突した。不意に敵の槍は彼のほほをかすめ、鮮血がす
っと宙を舞う。なるほど剣の聖なるもので作られているようだ。

 だが……

 烈王は鉾を振り上げ、勢いよく目の前の騎士の首に浴びせる。彼の首はいずこへと飛び、残った胴体がガタリと音
を立てて地に伏せる。

 弱点は首か。そこだけ空気の通り道となっているため、少しだけ隙間がある。

 いくら頑丈な鎧でも、全てを密閉するわけにはいかない。必ず弱点はある。戦いに戦いを重ねた彼が導き出した因
果関係だ。

 申し上げます、と背後で大きな声がする。

「なんだ?」

 烈王の冷たい声が聖都の周りに広がる草原に響いた。草も木も将兵たちも、意に恐れをなして沈黙する。

「弾、矢、ともに敵の壁は厚く崩せませぬ!」

「なぜだ?」

 伝令は難しい顔を浮かべ、黙っている。

「弾かれたか?」

 さっきから大砲の音、弓矢の音が鳴りやまない。だが一向に白い壁に傷一つ付かない。弾道は正しい。だが壁
を粉砕する前に壁の手前に落下し、自爆する。

「打つのをやめろ。魔法だ。狙っても当たらない」

 姑息な手段だ。魔法を使うなら、こちらも魔法を使うまでだ。我が鉾をもって蹴散らしてやる。
「お前ら下がっていろ」


 烈王は静かに発する。三メートルはゆうに超える長さを持った鉾が、くるくると天を舞う。彼は自分の腕を見ずに、鉾を鮮やかに操る。

「そこにいるのは、わかっているぞ! 西王!」

 回転速度が、最高に達したとき彼は思いもよらぬことをした。

 鉾を投げた。武器は彼の手を離れ、宙を舞う。地に這う将兵をなぎ倒す砂塵となって聖都の正門に激突した。鉾は
火を噴いて、門と壁の一部を粉々に砕いた。あまりにも一瞬の出来事だった。

 双方の兵たちは目の前にいる敵を忘れその様を見ていた。

 正門は無残に砕け、がれきの山と化した。向こう側に街が見える。王の、聖女の街だ。永遠と続く先に宮殿が見え
る。聖女の住んでいた場所だ。彼も住んでいた。その隣にあるのが行政府だ。ああ、西王がいる。

 道は開けた。突き進むのみだ。

 烈王は愛馬の手綱を手繰り寄せる。最後の突撃だ。鉾は壁を壊すと自然と彼の手元に戻ってきた。

 彼の前にふっとまばゆいばかりの光が照り付ける。あまりにまぶしさに目が沁みる。光はどんどん大きくなってい
く。こちらに近づいている。

 光が、光が何だというのだ?

 彼は明るい全てのものを憎んでいた。人々の笑顔、幸福そうな、何にも不足していない日々を、彼は憎んでいた。

 ましては愛など、力の前に砕け散るものだ。烈王は結論を出していた。彼が忌まわしく思う存在は、光にあると。あの光がある限り、俺の炎は実ることはないのだ。彼の人生を貫いてきた憎悪と怒りが、目の前の光を覆いつくさ
なければ、木は晴れない。

 まばゆい光に周りが目を閉ざす中、彼は突進した。近づくほどに、光は彼の目を焦がす。それでも彼は前進する。
 光が目の前に来た時、彼はあらん限りの力をもって再び手にした鉾で切りかかる。だが光はパッと輝きを増し、烈
王のすべてをいったん奪い取った。彼は生れてはじめて落馬を経験することになった。彼は意識を失うその時まで、
勝ったと思い続けていた。悲願のあらゆる整然とした世界に一泡吹かせたと思っていたのだ。
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