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ストーリー
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気づけば、夕暮れ時だ。1日の時間が経つのが速すぎる。私は40手前位になり、一日があっという間に終わってしまう事実に驚きを隠せない。
しかし、本来なら事件など起きない方がよい。ただ時間が無益に過ぎていくことの方がどれだけまともだろうか。
「じゃあ探偵さん。また明日もよろしく」
迎えに来たタクシーに私たちは乗り込み、魅惑の妖精の別れの言葉を受ける。
翌日は土曜日だった。私たちはのんびりとした朝を迎え、遅めの朝食をとると散歩がてら、彼女の屋敷に歩いて向かった。いつもと同じような平凡な日が始まろうとしていた。
一度通った道を、新出は忘れたことがない。基本彼の脳細胞は、細部に至るまでほとんど記憶している。海辺の道をしばらくまっすぐ、時折やってくる車に気を付けながら、私たちは歩いていき、途中から山道に入った。やがてアーチが見えてきて、そこから先は私道だ。私たちが何のためらう間もなく屋敷への私道に入ろうとした時だ。
「おい、あんた方。そっちは私道だ」
背後から恐る恐る人を警戒したうえで発した声がする。
「はい、僕らはこちらに用があるんです」
「え? 美果ちゃんに? ね、失礼ですがどちら様?」
「ああ私は、私立探偵の新出傑と申します。彼は助手の小林卓。実は一昨日美果さんと知り合いになり、彼女が怪しい人物に襲われたものだから調査を依頼されているんです」
「調査?」
彼の頭は完全に禿げかかり、顔は皺ができ、目の周りには黒いくまできていた。この初老の老人は、近くに住むものかもしれない。
「ええ、失礼ですが、こちらの先にある屋敷の近所に住む方ですか?」
「ああ。まあ。探偵さんか。道理で」
ああ、ああと息を切らしながら言う。彼は新出傑の名前を知っていたらしい。
「探偵さん。よろしければ私の内に来ませんか? 美果ちゃんはさっき出かけたからね」
「ほう、どちらか分かります?」
「さあ。昔からあっちへテクテク。こっちへテクテク。実に気ままな子だからな。来ないのかね?」
「伺います」
こっちじゃと老人は私たちを手引きした。
老人の家は、さほど遠くないところに合った。美果の屋敷と比べれば、小さな素朴な小屋のような家に彼らは夫婦として住んでいた。名前を松島隆、愛子といった。
「おーい。お客様だ!」
はーいと快活な声がして、これまた六十過ぎの丸みの帯びたふっくらした奥様が登場した。当初、怪しげな視線を送ってきたが、高名な探偵であるという説明を受けるとすぐに
気を許したのか満面の笑みで我々は歓待を受けた。
小さくて素朴な檜のテーブルの周りにあった椅子に腰かけるよう松島老は勧める。時を得ずして、有馬焼の淹れられた温かいお茶を振舞われ、水羊羹を差し出された。
「まあ! 存じ上げておりますわ。テレビや雑誌で新出先生のことは、本当によく見ておりますの。もちろん助手の小林さんのご活躍もかねがね」
甲高い声である。私たちは、奥様が実にミステリー好きだという事実を理解した。やれ、この地域には紙で書かれているような事件が本当に起こると信じているようだ。私がいくらか脚色した新出のこれまで事件に、すっかりはまってしまったらしい。
「はは、嬉しいですね。奥様は実に私共の他愛もない事件に精通されてらっしゃる」
「ええ。特にあの何でしたかしら? 政財界を揺るがした財務大臣の贈賄の摘発。権力者へ悠然と立ち向かう姿には感銘を受けました。えーとあれは確か。」
「財政の伏魔殿でしょうか?」
私は彼女が思い出せないタイトルを言った。
そうだ、そうだとまた甲高い声が素朴な部屋に鳴り響いた。
「奥様は実に私共があったご婦人の中では最も機知に富んでらっしゃる。ぜひ、ここはひとつご協力いただきたいのです。あなたは美果さんや、亡くなった彼女のおじい様とはずいぶんと親しかったのでしょうか?」
「もちろんですわ」
「やはり、ミステリーなどで大いにお話が盛り上がっていそうだ」
「それだけはございませんわ。私共は、先代、先々代からずいぶんとよしなにさせて頂いておりますの」
「美果さんが、幼い時のこともご存じですね?」
「ええ、ええ。本当に可愛らしいお嬢さんで。ゆくゆくは、妹さんと二人で大女優になるはずなのに。なぜかしら? 美果さんはやめてしまわれて」
「ほう、なぜでしょうね?」
「わかりませんわ」
「彼女はここ最近危ない目に合っているというのはご存知?」
「ええ。もう、こないだ美果ちゃんに遭いましたら。右手を押さえていて。大丈夫だから心配しないでと」
「いつのお話です?」
「ひと月前です。車のブレーキが利かなくなったとか、それで、それで。」
「実にひどい話ですね?」
涙ぐむ奥さんを、松島老がそっと寄り添い、支えていた。よき夫婦像がそこにあった。
「業者に見てもらったら、中の機材が壊れているとか」
奥さんは、実に美果を不憫に思っているようで彼女の人柄の良さがうかがえた。
「後がないものではなく、なぜ未来ある若者の命が狙われるのでしょう? 全く、許せません」
「本当だ」
しばらく黙っていた松島老がボソリと話に入ってきた。
「では、あなた方は美果さんの周りに集まるご友人たちや親せきについても詳しいでしょうね?」
「あのよくこちらに来られる家庭教師の方や、株をやっている方のことでしょうか?」
「ええ、ええ」
「うーむ。美果ちゃんの周りにはどうもその手の、言い方がよくないが、金目の連中のような気がして」
「確かに、どこか。僕は株をやっている彼女がどうにも」
私は相槌を挟んだ。
「そうだ、あの娘は卑しい出だろう。でも美果ちゃんは人柄がいいのか。分け隔てなく、人を差別せず付き合って。本当におじいさん譲りで」
「松島さん。あの、ご存知でしょう? 美果さんの家政婦の娘を。メイド服をよく来ている」
「あ、ああ」
「その子はどうです?」
「もちろん知っている。気立てのいいお嬢さんで、家は山菜を栽培しているが、よく分けてあげるときに、丁寧な応対をしてくれて嬉しいよ」
「そうですか。実に気立てのいい娘さんですね」
「ところで。ああ、ずいぶんと旅行に行かれているみたいですね」
「ああ。その写真は、ああどこだったかな。なあ、母さん。これはどこへ行ったやつだったかな?」
ええ、と奥に引っ込んでいた奥さんの甲高い声が響き、こっちにやってきた。何度か話していくうちに、色々思い出したようでイタリアのヴェネツィアだと判明した。
「いいですね。イタリアは行ったことがない」
「ほう。それではぜひ行ってみるといい。ローマ、フィレンツェ、ナポリ。わしらは、西洋の建築がすきでね」
新出は、古びた机に置かれたご夫婦の仲睦まじい写真を眺めて、それらしい感想を述べていた。写真には彼が話を振ったおかげで、私は彼らの懐古趣味について長々と聞かされる羽目になった。
老人の皺だらけの顔に、少年のような無邪気な笑顔が広がった。
「でしたら、伊豆は隠居生活に最適な場所ですね。こんな山地で田畑を耕して、時に海風に吹かれて」
「そうだろう。探偵さんも、のんきな生活をしたいのかな?」
「ええ。私もこっちに来たのは、半ば静養だけではなく、隠居をぼちぼち考えてます」
「ほう。まだ若いのに」
「ええ」
ご老人の長話に付き合わされた私たちは、思いもよらぬ丁重な扱いを受けた。とりあえず出されたものに預からないのは、失礼だったので私たちは細やかな水羊羹を口にし、二言三言適当にしゃべって失礼した。
「ずいぶんと親切な御夫婦だったじゃないか?」
私は正直に物申した。でもあまのじゃく気味な新出はそうは感じていなかった。
「なあに、それにしても仲がいい。いや、実に絵に描いたような仲のいい夫婦を演じているだけかもね」
全く、実にあれだけの歓待を受けてけしからんやつだと思うが、疑うことをやめてしまったら、探偵は務まらないし、それが性というものだろう。
「今の段階では、どんな人物も秋月美果を狙う下手人にしか思えないよ」
「じゃ、昨日犯人の目星が付いたというのは?」
「真犯人を油断させるため。お目にかかっていないストーカーがやることにしては、ずいぶんと美果の家に詳しすぎる。内部に手助けした者の存在を考えたら、ワザと事件は解決に向かっていると仕向けた方がいい。やつの方がから動き出す」
なるほど、のろけにばかりに染まっていなくてよかった。
「さ、余興はおしまいだ。依頼人の元へ行こう」
しかし、本来なら事件など起きない方がよい。ただ時間が無益に過ぎていくことの方がどれだけまともだろうか。
「じゃあ探偵さん。また明日もよろしく」
迎えに来たタクシーに私たちは乗り込み、魅惑の妖精の別れの言葉を受ける。
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「はい、僕らはこちらに用があるんです」
「え? 美果ちゃんに? ね、失礼ですがどちら様?」
「ああ私は、私立探偵の新出傑と申します。彼は助手の小林卓。実は一昨日美果さんと知り合いになり、彼女が怪しい人物に襲われたものだから調査を依頼されているんです」
「調査?」
彼の頭は完全に禿げかかり、顔は皺ができ、目の周りには黒いくまできていた。この初老の老人は、近くに住むものかもしれない。
「ええ、失礼ですが、こちらの先にある屋敷の近所に住む方ですか?」
「ああ。まあ。探偵さんか。道理で」
ああ、ああと息を切らしながら言う。彼は新出傑の名前を知っていたらしい。
「探偵さん。よろしければ私の内に来ませんか? 美果ちゃんはさっき出かけたからね」
「ほう、どちらか分かります?」
「さあ。昔からあっちへテクテク。こっちへテクテク。実に気ままな子だからな。来ないのかね?」
「伺います」
こっちじゃと老人は私たちを手引きした。
老人の家は、さほど遠くないところに合った。美果の屋敷と比べれば、小さな素朴な小屋のような家に彼らは夫婦として住んでいた。名前を松島隆、愛子といった。
「おーい。お客様だ!」
はーいと快活な声がして、これまた六十過ぎの丸みの帯びたふっくらした奥様が登場した。当初、怪しげな視線を送ってきたが、高名な探偵であるという説明を受けるとすぐに
気を許したのか満面の笑みで我々は歓待を受けた。
小さくて素朴な檜のテーブルの周りにあった椅子に腰かけるよう松島老は勧める。時を得ずして、有馬焼の淹れられた温かいお茶を振舞われ、水羊羹を差し出された。
「まあ! 存じ上げておりますわ。テレビや雑誌で新出先生のことは、本当によく見ておりますの。もちろん助手の小林さんのご活躍もかねがね」
甲高い声である。私たちは、奥様が実にミステリー好きだという事実を理解した。やれ、この地域には紙で書かれているような事件が本当に起こると信じているようだ。私がいくらか脚色した新出のこれまで事件に、すっかりはまってしまったらしい。
「はは、嬉しいですね。奥様は実に私共の他愛もない事件に精通されてらっしゃる」
「ええ。特にあの何でしたかしら? 政財界を揺るがした財務大臣の贈賄の摘発。権力者へ悠然と立ち向かう姿には感銘を受けました。えーとあれは確か。」
「財政の伏魔殿でしょうか?」
私は彼女が思い出せないタイトルを言った。
そうだ、そうだとまた甲高い声が素朴な部屋に鳴り響いた。
「奥様は実に私共があったご婦人の中では最も機知に富んでらっしゃる。ぜひ、ここはひとつご協力いただきたいのです。あなたは美果さんや、亡くなった彼女のおじい様とはずいぶんと親しかったのでしょうか?」
「もちろんですわ」
「やはり、ミステリーなどで大いにお話が盛り上がっていそうだ」
「それだけはございませんわ。私共は、先代、先々代からずいぶんとよしなにさせて頂いておりますの」
「美果さんが、幼い時のこともご存じですね?」
「ええ、ええ。本当に可愛らしいお嬢さんで。ゆくゆくは、妹さんと二人で大女優になるはずなのに。なぜかしら? 美果さんはやめてしまわれて」
「ほう、なぜでしょうね?」
「わかりませんわ」
「彼女はここ最近危ない目に合っているというのはご存知?」
「ええ。もう、こないだ美果ちゃんに遭いましたら。右手を押さえていて。大丈夫だから心配しないでと」
「いつのお話です?」
「ひと月前です。車のブレーキが利かなくなったとか、それで、それで。」
「実にひどい話ですね?」
涙ぐむ奥さんを、松島老がそっと寄り添い、支えていた。よき夫婦像がそこにあった。
「業者に見てもらったら、中の機材が壊れているとか」
奥さんは、実に美果を不憫に思っているようで彼女の人柄の良さがうかがえた。
「後がないものではなく、なぜ未来ある若者の命が狙われるのでしょう? 全く、許せません」
「本当だ」
しばらく黙っていた松島老がボソリと話に入ってきた。
「では、あなた方は美果さんの周りに集まるご友人たちや親せきについても詳しいでしょうね?」
「あのよくこちらに来られる家庭教師の方や、株をやっている方のことでしょうか?」
「ええ、ええ」
「うーむ。美果ちゃんの周りにはどうもその手の、言い方がよくないが、金目の連中のような気がして」
「確かに、どこか。僕は株をやっている彼女がどうにも」
私は相槌を挟んだ。
「そうだ、あの娘は卑しい出だろう。でも美果ちゃんは人柄がいいのか。分け隔てなく、人を差別せず付き合って。本当におじいさん譲りで」
「松島さん。あの、ご存知でしょう? 美果さんの家政婦の娘を。メイド服をよく来ている」
「あ、ああ」
「その子はどうです?」
「もちろん知っている。気立てのいいお嬢さんで、家は山菜を栽培しているが、よく分けてあげるときに、丁寧な応対をしてくれて嬉しいよ」
「そうですか。実に気立てのいい娘さんですね」
「ところで。ああ、ずいぶんと旅行に行かれているみたいですね」
「ああ。その写真は、ああどこだったかな。なあ、母さん。これはどこへ行ったやつだったかな?」
ええ、と奥に引っ込んでいた奥さんの甲高い声が響き、こっちにやってきた。何度か話していくうちに、色々思い出したようでイタリアのヴェネツィアだと判明した。
「いいですね。イタリアは行ったことがない」
「ほう。それではぜひ行ってみるといい。ローマ、フィレンツェ、ナポリ。わしらは、西洋の建築がすきでね」
新出は、古びた机に置かれたご夫婦の仲睦まじい写真を眺めて、それらしい感想を述べていた。写真には彼が話を振ったおかげで、私は彼らの懐古趣味について長々と聞かされる羽目になった。
老人の皺だらけの顔に、少年のような無邪気な笑顔が広がった。
「でしたら、伊豆は隠居生活に最適な場所ですね。こんな山地で田畑を耕して、時に海風に吹かれて」
「そうだろう。探偵さんも、のんきな生活をしたいのかな?」
「ええ。私もこっちに来たのは、半ば静養だけではなく、隠居をぼちぼち考えてます」
「ほう。まだ若いのに」
「ええ」
ご老人の長話に付き合わされた私たちは、思いもよらぬ丁重な扱いを受けた。とりあえず出されたものに預からないのは、失礼だったので私たちは細やかな水羊羹を口にし、二言三言適当にしゃべって失礼した。
「ずいぶんと親切な御夫婦だったじゃないか?」
私は正直に物申した。でもあまのじゃく気味な新出はそうは感じていなかった。
「なあに、それにしても仲がいい。いや、実に絵に描いたような仲のいい夫婦を演じているだけかもね」
全く、実にあれだけの歓待を受けてけしからんやつだと思うが、疑うことをやめてしまったら、探偵は務まらないし、それが性というものだろう。
「今の段階では、どんな人物も秋月美果を狙う下手人にしか思えないよ」
「じゃ、昨日犯人の目星が付いたというのは?」
「真犯人を油断させるため。お目にかかっていないストーカーがやることにしては、ずいぶんと美果の家に詳しすぎる。内部に手助けした者の存在を考えたら、ワザと事件は解決に向かっていると仕向けた方がいい。やつの方がから動き出す」
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