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第一章 七川蒔
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午前八時。蒔は出社前に整った化粧姿とペットの写真をSNSにアップする。マスクをするせいで口元をしない女がいるが、蒔はそんなことはない。女は美容がすべてだ。どうみられるかで決まる。
「じゃ行ってくるから大人しくしていてね」
武蔵小杉のタワーマンションを出る。徒歩五分の武蔵小杉駅から東急目黒線経由半蔵門線で大手町に向かう。
三十五分ほど人通りが戻ってきた電車に揺られ会社に向かう。役員になった暁には誰もが憧れるような高級車を買い出社をするのが夢だ。
朝の不快な感覚を覚えながらの出社ももうじき終わる。役員になれば給料は跳ね上がる。
もうちょっとだ。役員になってしまえば、社長までは一歩である。
オフィスにはセキュリティゲートを通り十二階に向かう。すれ違う社員にペコリと挨拶をする。
席に着くとPCを立ち上げて、予定を確認する。管理職になってからあらゆる会議に参加する。日々数字に追われる毎日だ。それでも多忙な日々をこなせば、それなり見返りがもらえる。何より結果を出せば綾が喜んでくれる。
「ちょっと、なにこれ?」
「おい? これって」
オフィスがざわついている。最初は気にならなかったが、ちらちらとこちらを見る視線に気が付いた。
「始業時間は過ぎているわよ。喋っていないで仕事をしなさい」
「あ、はい……」
役立たず、と蒔は言いたくなった。
ちらりと男の社員のPC画面が目に留まった。
『衝撃スクープ!! 大手ゼネコン会社の部長と一流エステハウスの美人が手をつないで不倫』
こんなものをと見るなんて男はつくづく仕方がないと言いたくなったが、女の写真と相手の男を見てハッと気になることが合った。
この記事に載っている写真は自分?
「ちょっと貸しなさい!」
こんな姿が晒されているなんて。何でこんな写真がメールで送られているのだろう。
「これは誰から?」
え、という表情で男の社員は驚いていた。
「誰からだって聞いているの」
「部長のメールからですが……」
「は? こんなの送るわけがないじゃない!」
不埒な写真を撮られるようなはずもなく、ましては送るわけがない。誰かが作為的に。でもどうやって自分のメールアドレスを使ってやったのか分からなかった。
蒔は急ぎノートパソコンを開いた。送信履歴を調べると、昨日午後二十三時十六分に送られている。
送った記憶がない。事態は早急に対処しなければいけない。
バンと机をたたいた。
「今すぐメールを消しなさい! 早く!」
取り急ぎ火の粉は取り払わないといけない。鬼の形相をする上司の素顔に誰もが引いていた。
「あの、うちの部署だけじゃなく……」
「全社に送られています」
社員は言いづらそうに口火を切る。
足元が音もなく崩れて奈落の底に落とされた。
「何を言っているの?」
蒔はおぼつかない足取りで改めてPCの画面を見る。宛先メールアドレスのTOの欄には全社宛てのメールアドレスが書かれている。
ここにいるメンバーだけでなく、鮫島エステハウスの各店舗を含めた社員が蒔の写真を見ている。
午前九時。誰もが朝のメールを確認しているだろう。
「どういうことなの?」
じろりと蒔は全員を見渡した。
「送ってないわ。私じゃないわ! 誰なのよ!」
詰められた若い社員は目を逸らす。
このままじゃ……
一体どうしたら?
蒔は頭を抱える。今は二月。来月の取締役会で新しい役員が選出される。こんな大事な時にどうして?
「朝から騒がしいわね。第一営業部はずいぶんと元気がいいことね」
どこか高飛車なもったいぶった口調がする。振り返ると第二営業部の宮内恵がなぜかやってきた。
いかにも品がありますという素振りが蒔は気に入らなかった。何より恵は自身と役員の座をかけてしのぎを削っていた。
戦いは蒔が少し有利な状況だったが……
「大丈夫? こんな写真、綾さんが知ったら一大事じゃない?」
恵は気を遣うようで腕を組みながら冷ややかな目で蒔を見下していた。恵の目にはどこか勝ったという意味合いが込められている。
「何の話?」
蒔は平静を装いながらやり返した。怒っていると思われたら負けだ。
「何って。知らないの? あなたからいかがわしいプレゼントが送られてきたのよ。大和建設の方との密会写真。ふふ、相手は所帯持ちらしいじゃない? ずいぶん大胆ねえ。というより神経を疑うわ。本当に大丈夫?」
「何が言いたいのよ?」
蒔と恵は互いに笑っていたが、バチバチなのは誰が見ても明らかだった。
「何でも? あなたともあろう人がこんなつまらないヘマをするなんてね」
「あんたが週刊誌に流したわけじゃないでしょうね?」
「はあ? そんなことしなくても役員に選任されるのは私。わかる?」
恵はポンポンと自身の手を置いた。
「ばかね。あなたがなれるわけがないでしょ? 次の役員はね私だから」
「ふーん。余裕そうねえ。ま、思わぬところでお互い足元を掬われないようにしないと」
ははとだけ恵は嘲笑ってフロアから出て行った。
気づけば誰しもが蒔に触れないよう仕事に専念するようになった。
蒔は送られた写真に頭を抱えた。自分が十年近くかけて築き上げたものが音もなく崩れ落ちてしまう。
そんなこと許せない……
学生時代も含めれば、貧乏籤を引き続けていた。今になって苦労が報われようとしてきた。綾を崇め、忠誠を誓い続けることで今の地位を築いた。今まさに危機が迫っている。
「じゃ行ってくるから大人しくしていてね」
武蔵小杉のタワーマンションを出る。徒歩五分の武蔵小杉駅から東急目黒線経由半蔵門線で大手町に向かう。
三十五分ほど人通りが戻ってきた電車に揺られ会社に向かう。役員になった暁には誰もが憧れるような高級車を買い出社をするのが夢だ。
朝の不快な感覚を覚えながらの出社ももうじき終わる。役員になれば給料は跳ね上がる。
もうちょっとだ。役員になってしまえば、社長までは一歩である。
オフィスにはセキュリティゲートを通り十二階に向かう。すれ違う社員にペコリと挨拶をする。
席に着くとPCを立ち上げて、予定を確認する。管理職になってからあらゆる会議に参加する。日々数字に追われる毎日だ。それでも多忙な日々をこなせば、それなり見返りがもらえる。何より結果を出せば綾が喜んでくれる。
「ちょっと、なにこれ?」
「おい? これって」
オフィスがざわついている。最初は気にならなかったが、ちらちらとこちらを見る視線に気が付いた。
「始業時間は過ぎているわよ。喋っていないで仕事をしなさい」
「あ、はい……」
役立たず、と蒔は言いたくなった。
ちらりと男の社員のPC画面が目に留まった。
『衝撃スクープ!! 大手ゼネコン会社の部長と一流エステハウスの美人が手をつないで不倫』
こんなものをと見るなんて男はつくづく仕方がないと言いたくなったが、女の写真と相手の男を見てハッと気になることが合った。
この記事に載っている写真は自分?
「ちょっと貸しなさい!」
こんな姿が晒されているなんて。何でこんな写真がメールで送られているのだろう。
「これは誰から?」
え、という表情で男の社員は驚いていた。
「誰からだって聞いているの」
「部長のメールからですが……」
「は? こんなの送るわけがないじゃない!」
不埒な写真を撮られるようなはずもなく、ましては送るわけがない。誰かが作為的に。でもどうやって自分のメールアドレスを使ってやったのか分からなかった。
蒔は急ぎノートパソコンを開いた。送信履歴を調べると、昨日午後二十三時十六分に送られている。
送った記憶がない。事態は早急に対処しなければいけない。
バンと机をたたいた。
「今すぐメールを消しなさい! 早く!」
取り急ぎ火の粉は取り払わないといけない。鬼の形相をする上司の素顔に誰もが引いていた。
「あの、うちの部署だけじゃなく……」
「全社に送られています」
社員は言いづらそうに口火を切る。
足元が音もなく崩れて奈落の底に落とされた。
「何を言っているの?」
蒔はおぼつかない足取りで改めてPCの画面を見る。宛先メールアドレスのTOの欄には全社宛てのメールアドレスが書かれている。
ここにいるメンバーだけでなく、鮫島エステハウスの各店舗を含めた社員が蒔の写真を見ている。
午前九時。誰もが朝のメールを確認しているだろう。
「どういうことなの?」
じろりと蒔は全員を見渡した。
「送ってないわ。私じゃないわ! 誰なのよ!」
詰められた若い社員は目を逸らす。
このままじゃ……
一体どうしたら?
蒔は頭を抱える。今は二月。来月の取締役会で新しい役員が選出される。こんな大事な時にどうして?
「朝から騒がしいわね。第一営業部はずいぶんと元気がいいことね」
どこか高飛車なもったいぶった口調がする。振り返ると第二営業部の宮内恵がなぜかやってきた。
いかにも品がありますという素振りが蒔は気に入らなかった。何より恵は自身と役員の座をかけてしのぎを削っていた。
戦いは蒔が少し有利な状況だったが……
「大丈夫? こんな写真、綾さんが知ったら一大事じゃない?」
恵は気を遣うようで腕を組みながら冷ややかな目で蒔を見下していた。恵の目にはどこか勝ったという意味合いが込められている。
「何の話?」
蒔は平静を装いながらやり返した。怒っていると思われたら負けだ。
「何って。知らないの? あなたからいかがわしいプレゼントが送られてきたのよ。大和建設の方との密会写真。ふふ、相手は所帯持ちらしいじゃない? ずいぶん大胆ねえ。というより神経を疑うわ。本当に大丈夫?」
「何が言いたいのよ?」
蒔と恵は互いに笑っていたが、バチバチなのは誰が見ても明らかだった。
「何でも? あなたともあろう人がこんなつまらないヘマをするなんてね」
「あんたが週刊誌に流したわけじゃないでしょうね?」
「はあ? そんなことしなくても役員に選任されるのは私。わかる?」
恵はポンポンと自身の手を置いた。
「ばかね。あなたがなれるわけがないでしょ? 次の役員はね私だから」
「ふーん。余裕そうねえ。ま、思わぬところでお互い足元を掬われないようにしないと」
ははとだけ恵は嘲笑ってフロアから出て行った。
気づけば誰しもが蒔に触れないよう仕事に専念するようになった。
蒔は送られた写真に頭を抱えた。自分が十年近くかけて築き上げたものが音もなく崩れ落ちてしまう。
そんなこと許せない……
学生時代も含めれば、貧乏籤を引き続けていた。今になって苦労が報われようとしてきた。綾を崇め、忠誠を誓い続けることで今の地位を築いた。今まさに危機が迫っている。
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