9 / 28
第一章 七川蒔
7
しおりを挟む
鮫島エステサロンがある大手町セントラルタワー一二階にはルームマップには載っていない隠し部屋と呼ばれるところがある。
通称Ayaルーム。社長の鮫島綾が社員の交流を深めるために設置された部屋だが、実際は著名人を呼んでパーティーをするなどのⅤIPルームとして密かに使われている。
ここは現在、蒔たちのグループが利用していた。仕事では堅苦しい言葉遣いをする面々だが、仕事も終わり高校生時代のくだけたノリになっていた。
「さて、皆さんおそろい?」
「遅いじゃない」
「ぎりぎりまで何をしていたのかしら?」
「まだよ。ほら一人来ていないじゃない?」
蒔は今日の主役と呼ぶべき人物の登場を待っていた。
「蒔さん、乾杯前からもう飲んでいるなんて」
「いいじゃない。大きな仕事も片付いたし、楽しくやりましょう」
「来たみたい」
「じゃあ始めましょう」
ポンとシャンパンが開けられ、シュっと泡がこぼれる。グラスに赤みがかった液体がトクトクと注がれた。
「お疲れ様」
鈴城夕は明らかに来たくないというあからさまな嫌悪感を見せ、Ayaルームの扉に立っていた。
「主役のご登場―」
蒔の背後で取り巻きの一人がにやける。
「そんなところに突っ立っていないで来て」
夕は密閉空間に立ち込めた香水の匂いとパーティー用のドレス姿に目じりが上がる。
「時間があまりないですが?」
「そう。何かお忙しいことがあって?」
「提出しないといけない書類がありますので」
「いいわよ、明日で。今日は宴を楽しみましょう」
夕は黙って赤いチェアに座った。
「じゃ乾杯しましょう」
こつんと互いのグラスが触れて音がした。夕は一口含んだだけであまり飲まない。
「飲まないの? こないだの懇親会じゃかなり飲んでいたのに」
「へえ夕さん酒豪なの?」
「いえ仕事中なので遠慮します」
「まじめ~」
「本当にクソが付くほど真面目なのよね。良くも悪くも優秀な部下を持ったわ」
蒔は本心では腸の煮えくり返っている夕を挑発するのが好きでたまらない。
「はい、皆さんお待ちかねーゲームの時間よ。」
扉が勢いよく開いた。
「待っていましたー」
「ご注目くださいませ。今回行うのはロシアシュークリームです。五つのシュークリームには一つだけタバスコ味が入っています。誰が食べたのか当ててくださいね」
「面白いゲームじゃない。夕さんもやりましょう」
「そろそろ帰りますから」
とたんに空気が冷めた。でも夕はお構いなしに帰ろうとした。
「待ちなさい」
「何ですか?」
「いいじゃない。私たちは同級生。そう硬くならなくても」
「先ほども言ったようにやることがあるので」
ドアノブに手をかけたときだ。背後で蒔のもったいぶったため息をついた。
「残念ね、私が役員になった暁にはあなたを次期第一営業部の部長に推認しようと思っていたけど、がっかりだわ」
他の三人の顔がピリついた。こうして集まっているのは単に学校の同級生同士の集まりではなかった。出世争いが根底に潜んでいた。蒔が次の役員として選出されれば、空いた部長のポストを狙うことになる。
実績では夕が誰よりも秀でている。
「あなたが私みたいな綾さんにベタベタする人間を嫌うのはわかるわ。でも上に行きたければ、気に入られるしかないの。私はあなたの上司。何だったら地方の支店長にしてもいいのよ」
蒔は華奢な夕の体に触れた。このモデルのような美人を生かすも殺すも自分次第だと思うとゾクゾクしてたまらなかった。
「では食べたら帰るので」
「そう悪いわね」
夕は席に着いた。
「じゃ皆さん、せーの」
四人は感づかれないよう合図を送る。ぱくりと五人の口が開いた。うち一人はふんわりとした甘い触感ではなく痛烈な苦痛に耐えなければいかない。
「誰なのかしら?」
蒔はじろりと周囲を眺めた。
ブッと一人が吹き出す音を立てた。夕だった。すべては仕込んでいたことだ。最初から夕に激辛シュークリームを食べるように席を指定して座らせた。
「ほら大丈夫? 水飲む?」
蒔は酔った足取りでゲホゲホと激しくむせる夕にペットボトルに入った水を差しだす。夕の口元がじんわりと赤いタバスコが付いていた。
「口を開けて。飲ませてあげる。つらいでしょ」
夕が首を振る。
「そう遠慮しないで。ね、皆手伝って」
蒔の取り巻きが夕の手を押さえる。
「いいってば!」
「ほら動かないの」
蒔は水を無理やり夕の口に流し込んだ。口に収まりなくなった水が床にこぼれていく。
「汚い~」
「ちゃんと飲まないとだめだよ」
「何するのよ!」
むせぶ夕の姿に蒔はこの上ないほど優越感があった。
「契約を一つ取ったぐらいで部長にはなれないから。ちゃんと覚えておくことね」
優秀な芽は時に洗礼を浴びせ、自身の権威を知らしめる。
「まだ時間はたっぷりあるわ」
蒔は夕の頭を足で押しつける。究極の屈辱を与える。自分は綾に気に入られて営業部の部長にまで上り詰めた。誰も逆らえず敬意を払う。今日のシャンパンは極上の味がした。酒はあまり強くはないが今日だけは別だ。
「かわいそう。でもこれぐらい我慢しないとね」
勝ったと思った時だった。
通称Ayaルーム。社長の鮫島綾が社員の交流を深めるために設置された部屋だが、実際は著名人を呼んでパーティーをするなどのⅤIPルームとして密かに使われている。
ここは現在、蒔たちのグループが利用していた。仕事では堅苦しい言葉遣いをする面々だが、仕事も終わり高校生時代のくだけたノリになっていた。
「さて、皆さんおそろい?」
「遅いじゃない」
「ぎりぎりまで何をしていたのかしら?」
「まだよ。ほら一人来ていないじゃない?」
蒔は今日の主役と呼ぶべき人物の登場を待っていた。
「蒔さん、乾杯前からもう飲んでいるなんて」
「いいじゃない。大きな仕事も片付いたし、楽しくやりましょう」
「来たみたい」
「じゃあ始めましょう」
ポンとシャンパンが開けられ、シュっと泡がこぼれる。グラスに赤みがかった液体がトクトクと注がれた。
「お疲れ様」
鈴城夕は明らかに来たくないというあからさまな嫌悪感を見せ、Ayaルームの扉に立っていた。
「主役のご登場―」
蒔の背後で取り巻きの一人がにやける。
「そんなところに突っ立っていないで来て」
夕は密閉空間に立ち込めた香水の匂いとパーティー用のドレス姿に目じりが上がる。
「時間があまりないですが?」
「そう。何かお忙しいことがあって?」
「提出しないといけない書類がありますので」
「いいわよ、明日で。今日は宴を楽しみましょう」
夕は黙って赤いチェアに座った。
「じゃ乾杯しましょう」
こつんと互いのグラスが触れて音がした。夕は一口含んだだけであまり飲まない。
「飲まないの? こないだの懇親会じゃかなり飲んでいたのに」
「へえ夕さん酒豪なの?」
「いえ仕事中なので遠慮します」
「まじめ~」
「本当にクソが付くほど真面目なのよね。良くも悪くも優秀な部下を持ったわ」
蒔は本心では腸の煮えくり返っている夕を挑発するのが好きでたまらない。
「はい、皆さんお待ちかねーゲームの時間よ。」
扉が勢いよく開いた。
「待っていましたー」
「ご注目くださいませ。今回行うのはロシアシュークリームです。五つのシュークリームには一つだけタバスコ味が入っています。誰が食べたのか当ててくださいね」
「面白いゲームじゃない。夕さんもやりましょう」
「そろそろ帰りますから」
とたんに空気が冷めた。でも夕はお構いなしに帰ろうとした。
「待ちなさい」
「何ですか?」
「いいじゃない。私たちは同級生。そう硬くならなくても」
「先ほども言ったようにやることがあるので」
ドアノブに手をかけたときだ。背後で蒔のもったいぶったため息をついた。
「残念ね、私が役員になった暁にはあなたを次期第一営業部の部長に推認しようと思っていたけど、がっかりだわ」
他の三人の顔がピリついた。こうして集まっているのは単に学校の同級生同士の集まりではなかった。出世争いが根底に潜んでいた。蒔が次の役員として選出されれば、空いた部長のポストを狙うことになる。
実績では夕が誰よりも秀でている。
「あなたが私みたいな綾さんにベタベタする人間を嫌うのはわかるわ。でも上に行きたければ、気に入られるしかないの。私はあなたの上司。何だったら地方の支店長にしてもいいのよ」
蒔は華奢な夕の体に触れた。このモデルのような美人を生かすも殺すも自分次第だと思うとゾクゾクしてたまらなかった。
「では食べたら帰るので」
「そう悪いわね」
夕は席に着いた。
「じゃ皆さん、せーの」
四人は感づかれないよう合図を送る。ぱくりと五人の口が開いた。うち一人はふんわりとした甘い触感ではなく痛烈な苦痛に耐えなければいかない。
「誰なのかしら?」
蒔はじろりと周囲を眺めた。
ブッと一人が吹き出す音を立てた。夕だった。すべては仕込んでいたことだ。最初から夕に激辛シュークリームを食べるように席を指定して座らせた。
「ほら大丈夫? 水飲む?」
蒔は酔った足取りでゲホゲホと激しくむせる夕にペットボトルに入った水を差しだす。夕の口元がじんわりと赤いタバスコが付いていた。
「口を開けて。飲ませてあげる。つらいでしょ」
夕が首を振る。
「そう遠慮しないで。ね、皆手伝って」
蒔の取り巻きが夕の手を押さえる。
「いいってば!」
「ほら動かないの」
蒔は水を無理やり夕の口に流し込んだ。口に収まりなくなった水が床にこぼれていく。
「汚い~」
「ちゃんと飲まないとだめだよ」
「何するのよ!」
むせぶ夕の姿に蒔はこの上ないほど優越感があった。
「契約を一つ取ったぐらいで部長にはなれないから。ちゃんと覚えておくことね」
優秀な芽は時に洗礼を浴びせ、自身の権威を知らしめる。
「まだ時間はたっぷりあるわ」
蒔は夕の頭を足で押しつける。究極の屈辱を与える。自分は綾に気に入られて営業部の部長にまで上り詰めた。誰も逆らえず敬意を払う。今日のシャンパンは極上の味がした。酒はあまり強くはないが今日だけは別だ。
「かわいそう。でもこれぐらい我慢しないとね」
勝ったと思った時だった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
4
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる