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第一章 七川蒔
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夕方、今日は珍しく定時で退社をする。すれ違う社員は畏敬の念をもって自ら挨拶をする。
半蔵門線に乗り渋谷駅で降りると徒歩10分ほどのスパ『ラマルシェ』に向かう。蒔のいわば聖地だ。そこで取り巻きの部下を連れてアフターファイブを堪能する。
玄関を年会パスで通過して六階の更衣室に向かい、用意していた水着に着替える。
「貸し切りでスパなんて本当に最高」
営業第2課に在籍している平塚沙也加の甲高い声が扉を挟んで聞こえてきた。25歳の3年目には飲み会の幹事をさせている。
「学生みたいにはしゃがないの」
「今日は蒔お嬢様の特別な計らいよ」
蒔は影でお嬢様という呼ばれ方をされていた。営業第一部において決定は絶対的で我儘に行くスタイルから知らぬ間に言われていた。
全く悪い気はしていない。憧れていた社長の綾に近しいと思われている証だからだ。
「皆、お待たせ。誰がお嬢様なの?」
「蒔さん!」
3人が同時に叫んだ。はしゃぎすぎだと思いながら、活気があっていいことだ。
「ああ、疲れた。なんだか肩が凝って仕方がないわ」
「でしたらラジウム温泉がいいですよ。肩凝りには最適です」
勧めてきたのは第2営業部の桜町穂香だ。社歴は5年目。勧めに従うと穂香もそっと入る。顔が合うとニヤッと少しいたずらっ子のような顔がどこかあざとくて好きだ。
「ねえ今度合コン行きません?」
「好きね。いい男はいるのかしら?」
「蒔さんもたまには来てくださいよ。こないだの男たちで評判でしたよ」
耳打ちする穂香は上昇志向が強く、年収1000万以上で背の高いイケメンを狙ってばかりいる。男への情熱を仕事にも振り分けてほしいものだが、人それぞれだ。
「そうねえ」
合コン。全く興味がないわけではない。
「蒔さんは欲深い男には興味ないの」
ぴしゃりと言ってのけたのは第2営業課の島田精華だ。彫が深く父が西洋人で白い肌は雪のように透き通っていた。営業の成績は夕に次ぐレベルで、蒔は自身が役員になったらどちらを部長に推すか考えていた。
営業成績はピカ一の夕か、気点が利く精華か。難しい選択だ。
「じゃあどんな人が好きですかー?」
「蒔さんはね、もっとハイクオリティな人にしか目がないの」
精華と蒔は密かに笑い合った。
ラジウム温泉で肩の凝りを取って、サウナで汗を流した。『ラマルシェ』にはラウンジが付いていた。4人は軽めの食事をとる。
蒔はトイレに行くと言ってラウンジを出た。
「トイレは反対側ですよ。珍しいですね、貸し切りなんて」
蒔は階を下ってリラクゼーションルームにいた。背後から精華の声がして振り返る。
「本当は二人きりでもいいかなって。でもあの子たちも成績上げてきているし労ってあげないと」
「ちゃんと人心把握していますね」
ソファに2つの体が折り重なる。
「まだこれからなのに、早いですね」
精華は蒔をどう満足させられるか理解していた。
「あなたは何で女なの?」
「別に珍しい話じゃないですよ。同性どうしは」
蒔は精華に力強い男性ホルモンを感じていた。グッと抱きしめられて滅茶苦茶されたい欲望が湧いてくる。
「仕事はあんなにガツガツしているのに。ふふ、プライベートは甘いですね。部長は……」
そうこれが本来の自分。普段の自分は虚飾にまみれている。女というものは虚栄心が強いもの。蒔は自分を覆っている者を壊してくれる者を周りに集める。壊れて、また力強い虚飾を纏う。
十五分ほど精華と戯れ、ラウンジに戻る。
沙也加は饒舌になり、穂香は下心を見せつける。時間だ。
スパを出ると沙也加が鞄をぐるぐる回していた。顔が火照っているから酔いが回っているのだろう。
「ええ、行かないの?」
お酒が少し入った沙也加は口調が崩れる。
「あなた酔っているわよ。それじゃいい男に振り向いてもらえないわよ」
沙也加と穂香が去って、蒔は精華と共に道玄坂を下っていく。
「ふふ、若いっていいですねー」
「精華さんだってまだ若いわ。私も、あなたもこれから。もっと上を目指して頑張りましょう」
「今日は続きしますか?」
「せっかくだけど、また今度にしましょう」
「また社長命令ですか?」
「あなたは何でもよく知っているわね」
「穂香ちゃん、あの子はまだこちら側かわからないのに。ずいぶん大事にしていますね」
「あの子には第2営業部の鼻もち女の動きを見てもらっているから」
「宮内恵。旧姓を知っています?」
「知らないわ」
「白鷺です。あの白鷺エステサロンの。鮫島が買収した会社の娘だって情報です」
「へえー」
蒔は過去の話に興味がなかった。常に先を見ていた。
「相手の陣営を切り崩すには最適な情報です」
「あなたもあくどいわね。見た目は白いのに中身は真っ黒だわ。ハハ……」
役員になる水面下であらゆる攻防が繰り広げられていた。
「部長、必ず役員になってくださいね」
「ふふ、私は役員なんかじゃ終らないわ。私からも一つ有益な情報教えてあげる。槙島好美、知っているでしょ? あなたの同期」
「好美がどうか?」
「今日、誘ってみたらいい反応もらえたわ。あの子、真面目で地味だけど戦力になるから来てほしかったの」
精華は考えこんでいた。そういう精華の真面目な顔も好きだ。
「なにか変?」
いえ、と精華は首をする。蒔は見つめ続けていて抑えつけていた感情がとたんに爆発した。
精華の白い頬にキスをした。周りを気にせず思い切った感情を来いというのだろう……
「あなた綺麗ね。ふふ、顔も中性的で男みたい……」
「こんなところではだめですよ? 誰が見ているか」
「ああ、続きしたいな。でも……」
蒔は足をもじもじとさせる。
「ごめん。だらだらしないほうがいいよね。また遊びましょう」
吹っ切らないといけない。まだ自分は成功の果実をつかみ取っていない。一抹の快楽に溺れて大事を喪うわけにはいかないのだ。
半蔵門線に乗り渋谷駅で降りると徒歩10分ほどのスパ『ラマルシェ』に向かう。蒔のいわば聖地だ。そこで取り巻きの部下を連れてアフターファイブを堪能する。
玄関を年会パスで通過して六階の更衣室に向かい、用意していた水着に着替える。
「貸し切りでスパなんて本当に最高」
営業第2課に在籍している平塚沙也加の甲高い声が扉を挟んで聞こえてきた。25歳の3年目には飲み会の幹事をさせている。
「学生みたいにはしゃがないの」
「今日は蒔お嬢様の特別な計らいよ」
蒔は影でお嬢様という呼ばれ方をされていた。営業第一部において決定は絶対的で我儘に行くスタイルから知らぬ間に言われていた。
全く悪い気はしていない。憧れていた社長の綾に近しいと思われている証だからだ。
「皆、お待たせ。誰がお嬢様なの?」
「蒔さん!」
3人が同時に叫んだ。はしゃぎすぎだと思いながら、活気があっていいことだ。
「ああ、疲れた。なんだか肩が凝って仕方がないわ」
「でしたらラジウム温泉がいいですよ。肩凝りには最適です」
勧めてきたのは第2営業部の桜町穂香だ。社歴は5年目。勧めに従うと穂香もそっと入る。顔が合うとニヤッと少しいたずらっ子のような顔がどこかあざとくて好きだ。
「ねえ今度合コン行きません?」
「好きね。いい男はいるのかしら?」
「蒔さんもたまには来てくださいよ。こないだの男たちで評判でしたよ」
耳打ちする穂香は上昇志向が強く、年収1000万以上で背の高いイケメンを狙ってばかりいる。男への情熱を仕事にも振り分けてほしいものだが、人それぞれだ。
「そうねえ」
合コン。全く興味がないわけではない。
「蒔さんは欲深い男には興味ないの」
ぴしゃりと言ってのけたのは第2営業課の島田精華だ。彫が深く父が西洋人で白い肌は雪のように透き通っていた。営業の成績は夕に次ぐレベルで、蒔は自身が役員になったらどちらを部長に推すか考えていた。
営業成績はピカ一の夕か、気点が利く精華か。難しい選択だ。
「じゃあどんな人が好きですかー?」
「蒔さんはね、もっとハイクオリティな人にしか目がないの」
精華と蒔は密かに笑い合った。
ラジウム温泉で肩の凝りを取って、サウナで汗を流した。『ラマルシェ』にはラウンジが付いていた。4人は軽めの食事をとる。
蒔はトイレに行くと言ってラウンジを出た。
「トイレは反対側ですよ。珍しいですね、貸し切りなんて」
蒔は階を下ってリラクゼーションルームにいた。背後から精華の声がして振り返る。
「本当は二人きりでもいいかなって。でもあの子たちも成績上げてきているし労ってあげないと」
「ちゃんと人心把握していますね」
ソファに2つの体が折り重なる。
「まだこれからなのに、早いですね」
精華は蒔をどう満足させられるか理解していた。
「あなたは何で女なの?」
「別に珍しい話じゃないですよ。同性どうしは」
蒔は精華に力強い男性ホルモンを感じていた。グッと抱きしめられて滅茶苦茶されたい欲望が湧いてくる。
「仕事はあんなにガツガツしているのに。ふふ、プライベートは甘いですね。部長は……」
そうこれが本来の自分。普段の自分は虚飾にまみれている。女というものは虚栄心が強いもの。蒔は自分を覆っている者を壊してくれる者を周りに集める。壊れて、また力強い虚飾を纏う。
十五分ほど精華と戯れ、ラウンジに戻る。
沙也加は饒舌になり、穂香は下心を見せつける。時間だ。
スパを出ると沙也加が鞄をぐるぐる回していた。顔が火照っているから酔いが回っているのだろう。
「ええ、行かないの?」
お酒が少し入った沙也加は口調が崩れる。
「あなた酔っているわよ。それじゃいい男に振り向いてもらえないわよ」
沙也加と穂香が去って、蒔は精華と共に道玄坂を下っていく。
「ふふ、若いっていいですねー」
「精華さんだってまだ若いわ。私も、あなたもこれから。もっと上を目指して頑張りましょう」
「今日は続きしますか?」
「せっかくだけど、また今度にしましょう」
「また社長命令ですか?」
「あなたは何でもよく知っているわね」
「穂香ちゃん、あの子はまだこちら側かわからないのに。ずいぶん大事にしていますね」
「あの子には第2営業部の鼻もち女の動きを見てもらっているから」
「宮内恵。旧姓を知っています?」
「知らないわ」
「白鷺です。あの白鷺エステサロンの。鮫島が買収した会社の娘だって情報です」
「へえー」
蒔は過去の話に興味がなかった。常に先を見ていた。
「相手の陣営を切り崩すには最適な情報です」
「あなたもあくどいわね。見た目は白いのに中身は真っ黒だわ。ハハ……」
役員になる水面下であらゆる攻防が繰り広げられていた。
「部長、必ず役員になってくださいね」
「ふふ、私は役員なんかじゃ終らないわ。私からも一つ有益な情報教えてあげる。槙島好美、知っているでしょ? あなたの同期」
「好美がどうか?」
「今日、誘ってみたらいい反応もらえたわ。あの子、真面目で地味だけど戦力になるから来てほしかったの」
精華は考えこんでいた。そういう精華の真面目な顔も好きだ。
「なにか変?」
いえ、と精華は首をする。蒔は見つめ続けていて抑えつけていた感情がとたんに爆発した。
精華の白い頬にキスをした。周りを気にせず思い切った感情を来いというのだろう……
「あなた綺麗ね。ふふ、顔も中性的で男みたい……」
「こんなところではだめですよ? 誰が見ているか」
「ああ、続きしたいな。でも……」
蒔は足をもじもじとさせる。
「ごめん。だらだらしないほうがいいよね。また遊びましょう」
吹っ切らないといけない。まだ自分は成功の果実をつかみ取っていない。一抹の快楽に溺れて大事を喪うわけにはいかないのだ。
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