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第九章
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イニシエーション
深木志麻作
代読 深木誠一郎
私は十二歳で史上最年少の若さで小説家デビューを果たした。単なる思い付きで書いた小説「下駄」が当時の選考委員には斬新だったようで満場一致で受賞が決まった。
私の友人である松崎陽花も驚いていた。どちらかといえばデビューするのは陽花だと思っていた。私より語彙力があり、描写も、キャラクター設定も、プロットの立て方も優れていた。しかし幸運の女神は私を選んだ。私の人生は決められてしまった。
陽花は私のそばに付き添い、とうとう秘書になった。私が発する言葉のすべてに耳を傾け、自分が求めている答えをするよう私に強いる。
私に執着し秘書にまでなった娘。よほどデビューを先に越されたことが悔しかったようだ。私はメラメラと燃える陽花の瞳を見て始めて殺意を理解した。
殺意には常に敗北が付き物らしい。私は生まれてから一度も認知がない感情だった。だから今まで殺意が何なのか考えもしない。
デビューして以来、私は自室がある離れで学校から帰ると引きこもって執筆をするよう強いられた。父の深木誠一郎は私を小説家として幼いころから育て上げた。誠一は私を創作物として見ている。何冊も書いては書き直し、私は十五の歳に芥山賞を受賞した。大いにマスメディアは湧いた。いよいよ私は他者の羨望を一心に受けた。
大衆の笑顔の裏にわずかながら殺意の存在に気づいた。そうか、私を殺したいやつはいくらでもいる。なら誰にしようか。
私は数多くの登場人物たちを作り、群像劇を描いてきたが、執筆は単なるおままごとに過ぎない。役割を振る権利は自分にある。独りよがりの世界を創るのは簡単すぎる。
飽きた。一言で言い切るとそうなる。私が死のうと思った理由もこれだ。創作を手放したら、ふしだらな高校生という肩書が残る。
自殺願望はない。死は私にとっては自由になるための通過儀礼と考える。万物は己の持つ肉体に束縛される。誰も抗えない呪いだ。ただ唯一の解決策は死を迎えること。自らをかたどった体から解放される。
それに人間は自死が可能な生き物だ。でも自殺はつまらない。誰かの干渉によって解放されたい。その感覚は年々強くなっている。
私はろくに他者との付き合いがない。学校が終われば自宅の離れで執筆を強いられている。逃げ場がない環境でいつまでも居続けるつもりはなかった。
自分で手首を切り落とせば失血死で死ねるが単純すぎる。何のストーリーがない。自殺はくだらない。いっそ他者に殺されたほうが面白い。
他殺ならば誰かを犯人に仕立て上げなければいけない。誰が私を殺すというのだろう。
いるじゃないか。
いつもそばにくっついている気品があり、学園の才媛とうたわれている幼なじみがいる。しかし、陽花は自分自身で人を殺さない。誰かを巧みに操り殺させ、自分は安全圏にいて利を得る女だ。ならば陽花が望む舞台を用意してあげなければならない。
松崎陽花に必要なのは犯罪を実行する存在だ。殺意のドグマがすでに吹きこぼれている。高校に進学しても陽花は未だにデビューできていない。動機は十分だ。
さて死を意識したときに死ぬ前に最後の作品を書こうと決めた。
実在しない人間を使うのは飽き飽きだ。実在する登場人物が欲しい。そのための舞台が必要だった。
だから文芸部「まかふしぎの会」は誕生した。
私は一つの取り組みを陽花に話した。
「文芸部?」
「そう。あと四人集めたい?」
「もう誰か参加しているの?」
「メンバーは全員で六人。俺とお前がいるから四人って意味」
陽花は少し驚いた表情を見せるが、プッと吹き出した。
「勝手に参加させないでよ。まあいいわ。創作は孤独な作業。仲間がいたほうが楽しいかもね」
「お前、生徒会だろ。いろいろ部活の作り方は詳しいだろ?」
「全く。それが人への頼み方なの。でも何で残り四人なの?」
「知りたいか?」
「挑発してくるってことは教える気がないのね」
「いつか教えてやる。今だと面白くない」
陽花はあきれた。事務的な作業をそつなくこなすのが陽花は上手い。深木志麻が文芸部を作る触れ込みは学校中に広まる。
「ずいぶん大勢の応募が来ているけど。四人しか採らないの?」
「小説を書かせて面白いやつを四人取ればいい。俺が判断する」
小説の力量は建前だった。
「あなたの観点がよくわからないわ。本当にこの四人でいいの」
陽花が疑うのは無理もない。私は小説の出来で選んでいないからだ。
文芸部は私と陽花で発足し、初夏の頃には六人になった。
集められたのは次の六人だ。
深木志麻。説明する間でもなくしがない小説家。
松崎陽花。わが友。品行方正、才色兼備な学園のいわば憧れ。
樫原実歩。理系志望の皮肉屋な女。
藤垣美星。泥棒猫。才能ないからとうとう人の作品を盗作。
白樺真木。たまたま部活のビラを見て声をかけた。いわば数合わせ。
銀杏小夏。最年少ながら文章センスは感じるからゴーストにしてやる。
なぜ私が五人を選んだかお分かりいただけるだろうか?
五人の名前の最初の文字を読んでいってほしい。「まかふしぎ」となる。理由はそれだけだ。あとはしりとり。
陽花を含めた五人を選んだのは単なる遊び心。五人は小説家になるべく志していた。単なる一人芝居を描くことに生きがいを見出す純粋な若者たち。高すぎる希望の山を持つ反面、絶望の谷は底知らず向きもしない。
かくして役者はそろった。五人に相応しいプロットを用意しストーリーラインを作り込んでいく。
当然だが物語の結末は深木志麻の死で決まっている。あとは実行に移すのみだ。
スタートは二〇二二年六月六日。私が死ぬちょうど一年前だ。五人に私への増悪を注ぎ込み、私を殺害させる。計画の手始めにわが友である松崎陽花を焚きつける。
「来年の六月六日」
「なにか、言った?」
「ご機嫌斜めだな」
作家は人気になると執筆以外に対談やインタビューが増えるから秘書を務める陽花はスケジュール調整で必死だった。
デビューを果たせず鬱々とした状態にいる陽花が選んだ道は私のシャドーになること。そうすればあたかも自分がプロ作家としているような感覚でいられる。
しかし陽花の奥底に眠る嫉妬が増悪を生んでいるのは手に取るようにわかるから、焚きつける。
「独り言を言わないでよ。話しかけられたと思うでしょ?」
「怒るな。本気だ」
「なら私も本気。美星が書いた壮麗なる日々を読んで頭に来ているのよ。どうしてあの子にそんな才能があったのか理解に苦しむわ。どうにも解せないのよ」
陽花は江戸田整歩賞に応募した作品が最終で落選しむしゃくしゃしているところだった。追い打ちをかけるように同じ文芸部の藤垣美星にデビューを先に越されたことに腹を立てている。
解せないと言ったのは壮麗なる日々の文体が気になったのだろう。私も同様だ。どこかで読んだという既視感が拭えなかった。
あとで言うが予想は的中する。
「ならもっと苦しむことを言ってあげようか?」
「くだらないこと言っていないで次の作品に取り掛かりなさいよ」
「もうある。次が最期の作品だ」
「どういう意味? 出来ているなら、とにかく確認させてもらおうかしら」
「来年の六月六日に死ぬからよく覚えておけ。問題は俺の死後に作品を郵送でお前の自宅に届くようにする。封書には俺の未発表作と著作権譲渡の紙を入れておく」
「死ぬって。はは、あんたどうかしたの?」
「続きを話す。封書はお前ら五人のうち一人が開ける権利を持つ。誰が開けるかは、俺の死因について小説し、一番面白い小説を書いた者に与える。どうだ?」
「次回作のプロットを言っているの? 奇抜だけど、ナンセンスな気がする」
「堅物だな、お前は」
やはり陽花はインスピレーションを持ち合わせていない。
「死因は自殺で決まりじゃないかしら。それが新作? 私が編集者なら大幅な改稿を求めるわ」
「もう一度言うが来年の六月六日に死ぬ。お前たちは翌日に部室に来い。死に際を見せてやる」
陽花はとたんに真顔になり、拳を握り締める。
「いい加減にしなさいよ。何かあるなら言いなさいよ、怒るわよ」
「来年になればわかる」
「ばかばかしい」
つかつかと革靴が床と擦れる音がして、バタンと荒々しく扉が閉められる。
陽花の殺意はすっかり芽を出そうとしている。
「どうかしました?」
背後から恐る恐る藤垣美星の声がした。ここに一人、憎しみの種を植え付ける存在がいる。
「さっき松崎先輩がすごい剣幕で出ていったから」
「よくあるから」
私は花粉症だ。鼻がむず痒くなった。チーンと鼻をかみ、目薬を差した。
「はい、テッシュです」
やけに気前がいい。美星は日ごろから私を避けているはずなのに。
「ありがとうございました!」
美星はにっこりと笑顔を浮かべていた。私に対してお礼を言うのは珍しい。何せ、美星の書いた小説をコテンパンに貶していたから憎まれているはずだった。
でも殺すほどではない。これしきで人は殺さないだろう。
「先輩のおかげでデビュー出来たんですよ。これから一緒に小説家として頑張っていきましょうね!」
わざとらしいガッツポーズ。この子は何とかして人を惹きつけようと頑張る。才能無き者に涙ぐましい演技を続ける。
「そうよかったな。最近、俺の家によく来るから色々得られるものがあったみたいだな」
私は冷ややかな口ぶりで話す。
「ま、まあ。やっぱりプロの先生と接すると触発されるというか――虎穴に入らずんば虎子を得ずというじゃないですか!」
「なるほど。いい虎子を得たわけだ。親父の書いている作品もたんまりあるし、頑張りなよ」
美星の手を不意に握った。ブルリと全身を震わせる。手汗がすごい。私は手に取るようにわかった。日頃、深木家を訪れたのは父の作品を見るためだ。特に未発表作があればアイディアを得ようとしに来た。
デビュー作「壮麗なる日々」を迎えの車の中で読んで確信した。父が発表予定の作品に酷似している。美星のあの表情から推測するにばれたと思ったのだろう。
美星は恐れていた。背後から接近してきたバイクが走っている車道に私を突き飛ばした。ここで事故に見せかければ、自分の罪は隠ぺいされると信じていた。
私は一命をとりとめて病院に搬送されたのが五月七日だ。
全ての話をこっそり陽花に話した。これで二人である。
残りの三人についても条件がそろえば私の殺害を実行に移すだろう。普段人は身なりを整え慇懃な言葉を述べる。しかし、ひとたび足元が脅かされると飢えた獣になる。
樫原実歩は私に恨み辛みがあるわけではない。ただ狙っているような瞳で私を伺う。あの鮫のように感情のない瞳が好きだ。条件がそろえば人を殺すかもしれない。
白樺真木は単に居場所がなかった。何がしかの部活に入部しないといけないからちょうどいいと思ったのだろう。殺意はもっていないが、周り次第で大きく左右されるタイプである。
銀杏小夏は私のゴーストライターだ。物は試しに素人作品を使ってみたくなって小夏に頼み、彼女の作品を出版社に出したら、かなり稼げてしまった。小夏は歯がゆい思いをしていただろう。自身の作品が自分の名前で出さないのは屈辱以外の何物でもない。
五人の中に眠る殺意の種に水をやり続ける。状況を把握するために私は部室や教室に盗聴器を仕掛ける。あとはわが友松崎陽花の鞄にも設置する。
文芸部が発足して半年が経過した。私は密かに自分がいないときにどんな評価をしているのか聞いていた。
「あの憎たらしい深木志麻がどんな風に死ぬのかは見てみたいものね」
実歩が狂気をつぶやいた。何一つ感情も込められておらず言葉を発した。やはり狂人は理性以外を失った者を指す。チェスタトンの言葉は間違っていない。
「不思議なものね。実は私も同じことを考えていたのよ」
「何ですって?」
「でも私は自らの手で殺めるなんてできない。でも犯人の手が食い込み、苦しみの中に死に絶える被害者を見るのはたまらない」
「私が殺して、あなたは傍観者? 都合がいいわね。政治家タイプもいいところだわ」
「もちろん。あなたにもメリットはある。稼ぐ書籍の収益は比べ物にならない。印税の一部をあなたに」
「悪い提案ではないけれども、私たち二人でやるつもり?」
「全員よ」
陽花は直接手を下そうとしない。その予想は当たった。でも一人では反撃に遭ったとき困るはずだ。自分を吊るす実行役は最低でもあと一人必要だろう。
白羽の矢が当たったのが藤垣美星だ。
美星は自分の文章に自信を持てずにいた。常に方向性を見失って何がしたいのか分からず話が終わる癖がある。生き方もそうで何かよほどないと考えを変えない。
最もデビューが遠くなるタイプだ。銀杏小夏が自分と同じ年でデビューしたことをきっかけに美星は禁じ手を使った。
作品の盗作である。美星は講評でメタクソにされて以来、避けていた私との交流を再開させた。私の自宅にもやってきておべっかを述べて教えを乞う。誰から見ても二心がある。
わが友松崎陽花が美星の弱みを握るのは難しくない。陽花は私の秘書も務めていた。同時に父誠一郎の秘書も兼任しています。
「この原稿があなたのデビュー作【壮麗なる日々】」
「こちらが深木誠一郎郎先生の【荘厳な日常】」
おおかた父のPCの作業履歴を見たのだろう。盗聴器から聞こえるやり取りは面白い具合にあたっていた。
「何が言いたいんですか?」
「答えは聞くまでもなくあなた自身が分かっているはずよ。正直、驚いてはいない。あなたの文章表現とは異なるもの」
陽花は何も言わず美星が観念するのを待っています。相変わらず狡猾な女だ。
「私は見返したかっただけです!」
「何に?」
「大した才能もないのに、なぜか入部させられて志麻先輩にはぼろくそに言われるし、他の子に比べたら……私が文才に恵まれていないことなんて分かりきったことでしょう!」
美星は半ギレに近い状態でヒステリックに喚き散らします。
何だか哀れになってきます。才能がないなんて感じたことがない。確か美星には結構ひどいことを言い続けていました。
「自力で書くのがつらくなってしまったわけかしら?」
「はい」
「だから手っ取り早く深木先生の作品を拝借してデビューしてしまおうと」
「だっていいじゃないですか! 一作品ぐらい」
「でも、あなたのしたことは盗作ではなくて?」
陽花は現実を突き付ける。美星の目は泳ぐ。
「甘い考えでした。でも本当にデビューするなんて……」
「もしばれたらどうなるか?」
美星の表情がますます引きつる。成南学園が始まって以来の小説家深木志麻。その後にデビューした藤垣美星。メディアの注目も集まり表面上は誰もが礼賛をしている。美星は私と並ぶ日本を代表する十代作家として名声を得ている。
もし盗作がばれれば何もかもが吹き飛んでしまう。盗作は小説家がやってはいけないタブー。学校にもいられなくなる。次回作の依頼も来ている。全てが順調なのにすべてがおじゃんになってしまう。
「お願いです。それだけは……」
「なら私のお願いを聞いてくれるかしら?」
「何ですか。もう二度とこんなことしませんし、私何でもしますから!」
陽花は耳元で美星のはねた耳につぶやくだろう。
「む、む、無理です……殺す? 殺す? 何の冗談ですか!」
人は追い詰められると笑うしかないのは本当らしい。
「大丈夫。あなたは手伝い。誰に殺させるかは決めてあるから」
「だって先輩を! それこそ身の破滅です!」
「静かに。落ち着きなさい。聞こえてしまっては全てが水の泡。志麻がもし亡くなれば、あなたは唯一無二じゃない。メリットだらけでは?」
「だって、人殺しですよ!」
「他人の作品を盗んで志麻を事故に見せかけて殺し損ねたあなたが逡巡してどうするの? あなたはすでに自分の手を真っ赤に染めている。今更逃げられない」
こういう言葉の綾を使いこなせるのが陽花の強みだ。きっと物書きより政治家のほうが向いている。盗聴器が納めていた音はどんな演技よりも優る真実であった。
「藤垣さん。これだけは覚えておいて。あなたは何千年と続く神聖なる文学の歴史に泥を塗った。私はあなたの行いを許さない。でも志麻の殺害に協力したら、あなたの罪をつぶってあげてもいい」
相変わらず人の心を抉るのが陽花は上手い。
陽花は残り二人の弱みを握る。白樺真木は三年三組の担任講師と関係を結んでいた。銀杏小夏は私のゴーストライター。
陽花は曲者ぞろいの四人をテキパキとまとめていき、殺害計画を練っていきます。
実行犯は皮肉屋の樫原実歩と藤垣美星、銀杏小夏。白樺真木はアリバイ作りをします。全てを指揮するのが松崎陽花です。小夏は私の考えたダクトを使って鍵がかかって入れない部室へ侵入します。その後、中から鍵を開けて三人を呼び出します。真木は図書館でアリバイ作りをしています。スマホに録音した音源を流してあたかもやり取りをしているような印象を与えます。
陽花、美星、実歩は本館の図書館を窓から抜け出し、別館に向かいます。
六月六日は一学期の中間試験で人がまばらでした。図書館もほとんどいません。すべて見越して六月六日に死ぬよう言わせました。
事前に小夏が改装中の別館にいる志麻に会いに向かいます。部室へと通じるダクトに入り込んで中に侵入します。何度も練習させていましたから慣れていたでしょう。
志麻には睡眠導入剤が入ったお茶を差し出します。苦い香りがしたでしょう。眠ったふりをすると小夏は部室のダクトから外に抜け出しました。しばらく待っていると複数の足音がしました。
「何だよ……誰か来たのかよー」
「睡眠薬はあまり効果ないみたいね」
「強すぎると誰かが飲まして自殺に見せかけた他殺と言ったから弱い薬を取ってきたけど」
「いいわ。とにかくやるわよ」
しゃべっているのは陽花と実歩です。
誰かが後ろから志麻を抱え込んでいます。引きずられて、私はぼんやりとしながら直立不動にさせられています。他者の意思で立つなどあり得るなんて思いもしない。なんて素敵な瞬間だろうか。
ガサガサした縄が首にかかる。死刑の時が迫ってきている。予想通り。
盗聴器で大体の計画を聞いていたから分かっていたけど、すべてが私の範疇になるとは想像以上だ。
「小夏さんの情報の通り、ご丁寧に首吊りの準備までしているじゃない。遺書もあるわね」
「はい、事前に書かせましたので」
「何でお前らがいるのかなー。来るのは明日だぞー?」
何も知らない志麻は寝ぼけてうわごとを呟きます。
「眠そうね。皆、あなたが死ぬのが明日まで待ちきれないの。だから手伝いに来た」
「俺は死なないぞー。これはトリックの練習だ。ばれたかー」
「いいわ。椅子を外して」
志麻の体を支えていた椅子がなくなり縄が首を絞めつけられます。グリグリと麻縄は私を恐怖に陥れます。
余裕そぶりを見せる志麻は最初のうちはふざけていました。
「苦しい。やっぱりきついな。自殺はだめだ。やっぱりやめるわ」
しかし縄目は緩みません。段々と息苦しさが耐え難くなると足をばたつかせ、首にまとわりついた縄を外そうとします。
「ちゃんと抑えて!」
首つり自殺と絞殺の差は吉川線。首を絞められた被害者は首の縄目を取ろうと必死になり手に引っかき傷が残る。これが吉川線。私を自殺にしたいなら決して付けていけない。
手が誰かが押さえます。
目の前には志麻と同じ高さに立つ者がいる。
「やめろよ。苦しい……もう、おい……」
「あなたが望んだこと。六月六日に死ぬって言った人はだれ? 裏切られてびっくりしているの? いくら頑張ってもあなたには勝てない。あなたは死ぬっていうからそうしてあげるだけよ。深木志麻の名は私が引き継ぐからいいじゃない。さようなら」
志麻の表情は例えようがないほどおぞましいものです。部員たちによる裏切り、取り返しがつかない状況。
声の主は陽花でした。深木志麻の死を目の前で見つめていました。うっとりするような詩の微笑みを携えていました。頬に触れました。陽花は死に行く志麻に死のキスをしまいます。実に愚かな行為でした。計画が上手くいきすぎるから酔っていたのでしょう。
右手には父が陽花に与えたダニエルウェリントンの時計があります。志麻は愉悦に浸る陽花に気づかれないよう皮ベルトを軽く噛んでいました。陽花は己の結末にこだわり過ぎる。死ぬシーンを見届けたいなんて欲が身を亡ぼす。せっかく他の部員たちを殺人犯にしたのに、時計に歯型や唾液が付いては元も子もありません。
なかなか死への道は受難なものです。ただ肉体は滅んでも赤裸々に描いている文章が罪人たちを白日の下に晒します。
実歩が必死に志麻の体を絞め続けます。美星が手を押さえている。首筋に被害者が抵抗して付く吉川線が付かせないためです。
我が親友にして本作の最大の立役者である陽花の本心の笑いを見られた。もう思い残すことありません。全て掌中のままに話が動いているからです。
殺人をリアルに描いた様子を原稿に落として遺言書とともに陽花の自宅に送り付けます。遺言書には深木志麻の未発表作の原稿、著作権の譲渡、会長の地位の相続に関する規定が書かれています。
志麻が死んだ後に文芸部の定例会が開かれるか、後継者を決めさせます。心配はないでしょう。主催するのはあの陽花ですから。
志麻の影に隠れ、いつもアシスタントの地位でくすぶっていました。会長の地位と私の作品の著作権は喉が出るほど欲しいはず。陽花は他の余人に対して優位に立っている。言葉巧みにすべてを手に入れようとします。
陽花たち五人を焚きつけ憎しみの種を花開かせたのは紛れもなく志麻だ。種は芽を出し太陽に照らされ花を開きます。花を摘み取らせる役割は「raba=fu」が行います。
私は次の定例が待ち遠しくてなりません。八月七日の十六時。陽花は後生大事に私の未発表作の原稿と著作権譲渡書が入っている封書を部室に持っていくでしょう。
恐らく後生大事に持ち運び、高々と遺言書を読み上げるでしょう。陽花は全員の弱みを知っていますから難なくすべてを手に入れられると信じ切っています。勝ち誇った陽花の表情を想像するだけで笑いが止まりません。
深木志麻は十八歳になる日に殺されます。これは予言です。死はイニシエーションであり、死を通してのみ深木志麻の名から解放されて受け継がれていきます。
小説の意味は誰にも分らないでしょう。理解なんてものは幻想に過ぎません。
もういいでしょう。うら若き罪人をどうするかは……
完
深木志麻作
代読 深木誠一郎
私は十二歳で史上最年少の若さで小説家デビューを果たした。単なる思い付きで書いた小説「下駄」が当時の選考委員には斬新だったようで満場一致で受賞が決まった。
私の友人である松崎陽花も驚いていた。どちらかといえばデビューするのは陽花だと思っていた。私より語彙力があり、描写も、キャラクター設定も、プロットの立て方も優れていた。しかし幸運の女神は私を選んだ。私の人生は決められてしまった。
陽花は私のそばに付き添い、とうとう秘書になった。私が発する言葉のすべてに耳を傾け、自分が求めている答えをするよう私に強いる。
私に執着し秘書にまでなった娘。よほどデビューを先に越されたことが悔しかったようだ。私はメラメラと燃える陽花の瞳を見て始めて殺意を理解した。
殺意には常に敗北が付き物らしい。私は生まれてから一度も認知がない感情だった。だから今まで殺意が何なのか考えもしない。
デビューして以来、私は自室がある離れで学校から帰ると引きこもって執筆をするよう強いられた。父の深木誠一郎は私を小説家として幼いころから育て上げた。誠一は私を創作物として見ている。何冊も書いては書き直し、私は十五の歳に芥山賞を受賞した。大いにマスメディアは湧いた。いよいよ私は他者の羨望を一心に受けた。
大衆の笑顔の裏にわずかながら殺意の存在に気づいた。そうか、私を殺したいやつはいくらでもいる。なら誰にしようか。
私は数多くの登場人物たちを作り、群像劇を描いてきたが、執筆は単なるおままごとに過ぎない。役割を振る権利は自分にある。独りよがりの世界を創るのは簡単すぎる。
飽きた。一言で言い切るとそうなる。私が死のうと思った理由もこれだ。創作を手放したら、ふしだらな高校生という肩書が残る。
自殺願望はない。死は私にとっては自由になるための通過儀礼と考える。万物は己の持つ肉体に束縛される。誰も抗えない呪いだ。ただ唯一の解決策は死を迎えること。自らをかたどった体から解放される。
それに人間は自死が可能な生き物だ。でも自殺はつまらない。誰かの干渉によって解放されたい。その感覚は年々強くなっている。
私はろくに他者との付き合いがない。学校が終われば自宅の離れで執筆を強いられている。逃げ場がない環境でいつまでも居続けるつもりはなかった。
自分で手首を切り落とせば失血死で死ねるが単純すぎる。何のストーリーがない。自殺はくだらない。いっそ他者に殺されたほうが面白い。
他殺ならば誰かを犯人に仕立て上げなければいけない。誰が私を殺すというのだろう。
いるじゃないか。
いつもそばにくっついている気品があり、学園の才媛とうたわれている幼なじみがいる。しかし、陽花は自分自身で人を殺さない。誰かを巧みに操り殺させ、自分は安全圏にいて利を得る女だ。ならば陽花が望む舞台を用意してあげなければならない。
松崎陽花に必要なのは犯罪を実行する存在だ。殺意のドグマがすでに吹きこぼれている。高校に進学しても陽花は未だにデビューできていない。動機は十分だ。
さて死を意識したときに死ぬ前に最後の作品を書こうと決めた。
実在しない人間を使うのは飽き飽きだ。実在する登場人物が欲しい。そのための舞台が必要だった。
だから文芸部「まかふしぎの会」は誕生した。
私は一つの取り組みを陽花に話した。
「文芸部?」
「そう。あと四人集めたい?」
「もう誰か参加しているの?」
「メンバーは全員で六人。俺とお前がいるから四人って意味」
陽花は少し驚いた表情を見せるが、プッと吹き出した。
「勝手に参加させないでよ。まあいいわ。創作は孤独な作業。仲間がいたほうが楽しいかもね」
「お前、生徒会だろ。いろいろ部活の作り方は詳しいだろ?」
「全く。それが人への頼み方なの。でも何で残り四人なの?」
「知りたいか?」
「挑発してくるってことは教える気がないのね」
「いつか教えてやる。今だと面白くない」
陽花はあきれた。事務的な作業をそつなくこなすのが陽花は上手い。深木志麻が文芸部を作る触れ込みは学校中に広まる。
「ずいぶん大勢の応募が来ているけど。四人しか採らないの?」
「小説を書かせて面白いやつを四人取ればいい。俺が判断する」
小説の力量は建前だった。
「あなたの観点がよくわからないわ。本当にこの四人でいいの」
陽花が疑うのは無理もない。私は小説の出来で選んでいないからだ。
文芸部は私と陽花で発足し、初夏の頃には六人になった。
集められたのは次の六人だ。
深木志麻。説明する間でもなくしがない小説家。
松崎陽花。わが友。品行方正、才色兼備な学園のいわば憧れ。
樫原実歩。理系志望の皮肉屋な女。
藤垣美星。泥棒猫。才能ないからとうとう人の作品を盗作。
白樺真木。たまたま部活のビラを見て声をかけた。いわば数合わせ。
銀杏小夏。最年少ながら文章センスは感じるからゴーストにしてやる。
なぜ私が五人を選んだかお分かりいただけるだろうか?
五人の名前の最初の文字を読んでいってほしい。「まかふしぎ」となる。理由はそれだけだ。あとはしりとり。
陽花を含めた五人を選んだのは単なる遊び心。五人は小説家になるべく志していた。単なる一人芝居を描くことに生きがいを見出す純粋な若者たち。高すぎる希望の山を持つ反面、絶望の谷は底知らず向きもしない。
かくして役者はそろった。五人に相応しいプロットを用意しストーリーラインを作り込んでいく。
当然だが物語の結末は深木志麻の死で決まっている。あとは実行に移すのみだ。
スタートは二〇二二年六月六日。私が死ぬちょうど一年前だ。五人に私への増悪を注ぎ込み、私を殺害させる。計画の手始めにわが友である松崎陽花を焚きつける。
「来年の六月六日」
「なにか、言った?」
「ご機嫌斜めだな」
作家は人気になると執筆以外に対談やインタビューが増えるから秘書を務める陽花はスケジュール調整で必死だった。
デビューを果たせず鬱々とした状態にいる陽花が選んだ道は私のシャドーになること。そうすればあたかも自分がプロ作家としているような感覚でいられる。
しかし陽花の奥底に眠る嫉妬が増悪を生んでいるのは手に取るようにわかるから、焚きつける。
「独り言を言わないでよ。話しかけられたと思うでしょ?」
「怒るな。本気だ」
「なら私も本気。美星が書いた壮麗なる日々を読んで頭に来ているのよ。どうしてあの子にそんな才能があったのか理解に苦しむわ。どうにも解せないのよ」
陽花は江戸田整歩賞に応募した作品が最終で落選しむしゃくしゃしているところだった。追い打ちをかけるように同じ文芸部の藤垣美星にデビューを先に越されたことに腹を立てている。
解せないと言ったのは壮麗なる日々の文体が気になったのだろう。私も同様だ。どこかで読んだという既視感が拭えなかった。
あとで言うが予想は的中する。
「ならもっと苦しむことを言ってあげようか?」
「くだらないこと言っていないで次の作品に取り掛かりなさいよ」
「もうある。次が最期の作品だ」
「どういう意味? 出来ているなら、とにかく確認させてもらおうかしら」
「来年の六月六日に死ぬからよく覚えておけ。問題は俺の死後に作品を郵送でお前の自宅に届くようにする。封書には俺の未発表作と著作権譲渡の紙を入れておく」
「死ぬって。はは、あんたどうかしたの?」
「続きを話す。封書はお前ら五人のうち一人が開ける権利を持つ。誰が開けるかは、俺の死因について小説し、一番面白い小説を書いた者に与える。どうだ?」
「次回作のプロットを言っているの? 奇抜だけど、ナンセンスな気がする」
「堅物だな、お前は」
やはり陽花はインスピレーションを持ち合わせていない。
「死因は自殺で決まりじゃないかしら。それが新作? 私が編集者なら大幅な改稿を求めるわ」
「もう一度言うが来年の六月六日に死ぬ。お前たちは翌日に部室に来い。死に際を見せてやる」
陽花はとたんに真顔になり、拳を握り締める。
「いい加減にしなさいよ。何かあるなら言いなさいよ、怒るわよ」
「来年になればわかる」
「ばかばかしい」
つかつかと革靴が床と擦れる音がして、バタンと荒々しく扉が閉められる。
陽花の殺意はすっかり芽を出そうとしている。
「どうかしました?」
背後から恐る恐る藤垣美星の声がした。ここに一人、憎しみの種を植え付ける存在がいる。
「さっき松崎先輩がすごい剣幕で出ていったから」
「よくあるから」
私は花粉症だ。鼻がむず痒くなった。チーンと鼻をかみ、目薬を差した。
「はい、テッシュです」
やけに気前がいい。美星は日ごろから私を避けているはずなのに。
「ありがとうございました!」
美星はにっこりと笑顔を浮かべていた。私に対してお礼を言うのは珍しい。何せ、美星の書いた小説をコテンパンに貶していたから憎まれているはずだった。
でも殺すほどではない。これしきで人は殺さないだろう。
「先輩のおかげでデビュー出来たんですよ。これから一緒に小説家として頑張っていきましょうね!」
わざとらしいガッツポーズ。この子は何とかして人を惹きつけようと頑張る。才能無き者に涙ぐましい演技を続ける。
「そうよかったな。最近、俺の家によく来るから色々得られるものがあったみたいだな」
私は冷ややかな口ぶりで話す。
「ま、まあ。やっぱりプロの先生と接すると触発されるというか――虎穴に入らずんば虎子を得ずというじゃないですか!」
「なるほど。いい虎子を得たわけだ。親父の書いている作品もたんまりあるし、頑張りなよ」
美星の手を不意に握った。ブルリと全身を震わせる。手汗がすごい。私は手に取るようにわかった。日頃、深木家を訪れたのは父の作品を見るためだ。特に未発表作があればアイディアを得ようとしに来た。
デビュー作「壮麗なる日々」を迎えの車の中で読んで確信した。父が発表予定の作品に酷似している。美星のあの表情から推測するにばれたと思ったのだろう。
美星は恐れていた。背後から接近してきたバイクが走っている車道に私を突き飛ばした。ここで事故に見せかければ、自分の罪は隠ぺいされると信じていた。
私は一命をとりとめて病院に搬送されたのが五月七日だ。
全ての話をこっそり陽花に話した。これで二人である。
残りの三人についても条件がそろえば私の殺害を実行に移すだろう。普段人は身なりを整え慇懃な言葉を述べる。しかし、ひとたび足元が脅かされると飢えた獣になる。
樫原実歩は私に恨み辛みがあるわけではない。ただ狙っているような瞳で私を伺う。あの鮫のように感情のない瞳が好きだ。条件がそろえば人を殺すかもしれない。
白樺真木は単に居場所がなかった。何がしかの部活に入部しないといけないからちょうどいいと思ったのだろう。殺意はもっていないが、周り次第で大きく左右されるタイプである。
銀杏小夏は私のゴーストライターだ。物は試しに素人作品を使ってみたくなって小夏に頼み、彼女の作品を出版社に出したら、かなり稼げてしまった。小夏は歯がゆい思いをしていただろう。自身の作品が自分の名前で出さないのは屈辱以外の何物でもない。
五人の中に眠る殺意の種に水をやり続ける。状況を把握するために私は部室や教室に盗聴器を仕掛ける。あとはわが友松崎陽花の鞄にも設置する。
文芸部が発足して半年が経過した。私は密かに自分がいないときにどんな評価をしているのか聞いていた。
「あの憎たらしい深木志麻がどんな風に死ぬのかは見てみたいものね」
実歩が狂気をつぶやいた。何一つ感情も込められておらず言葉を発した。やはり狂人は理性以外を失った者を指す。チェスタトンの言葉は間違っていない。
「不思議なものね。実は私も同じことを考えていたのよ」
「何ですって?」
「でも私は自らの手で殺めるなんてできない。でも犯人の手が食い込み、苦しみの中に死に絶える被害者を見るのはたまらない」
「私が殺して、あなたは傍観者? 都合がいいわね。政治家タイプもいいところだわ」
「もちろん。あなたにもメリットはある。稼ぐ書籍の収益は比べ物にならない。印税の一部をあなたに」
「悪い提案ではないけれども、私たち二人でやるつもり?」
「全員よ」
陽花は直接手を下そうとしない。その予想は当たった。でも一人では反撃に遭ったとき困るはずだ。自分を吊るす実行役は最低でもあと一人必要だろう。
白羽の矢が当たったのが藤垣美星だ。
美星は自分の文章に自信を持てずにいた。常に方向性を見失って何がしたいのか分からず話が終わる癖がある。生き方もそうで何かよほどないと考えを変えない。
最もデビューが遠くなるタイプだ。銀杏小夏が自分と同じ年でデビューしたことをきっかけに美星は禁じ手を使った。
作品の盗作である。美星は講評でメタクソにされて以来、避けていた私との交流を再開させた。私の自宅にもやってきておべっかを述べて教えを乞う。誰から見ても二心がある。
わが友松崎陽花が美星の弱みを握るのは難しくない。陽花は私の秘書も務めていた。同時に父誠一郎の秘書も兼任しています。
「この原稿があなたのデビュー作【壮麗なる日々】」
「こちらが深木誠一郎郎先生の【荘厳な日常】」
おおかた父のPCの作業履歴を見たのだろう。盗聴器から聞こえるやり取りは面白い具合にあたっていた。
「何が言いたいんですか?」
「答えは聞くまでもなくあなた自身が分かっているはずよ。正直、驚いてはいない。あなたの文章表現とは異なるもの」
陽花は何も言わず美星が観念するのを待っています。相変わらず狡猾な女だ。
「私は見返したかっただけです!」
「何に?」
「大した才能もないのに、なぜか入部させられて志麻先輩にはぼろくそに言われるし、他の子に比べたら……私が文才に恵まれていないことなんて分かりきったことでしょう!」
美星は半ギレに近い状態でヒステリックに喚き散らします。
何だか哀れになってきます。才能がないなんて感じたことがない。確か美星には結構ひどいことを言い続けていました。
「自力で書くのがつらくなってしまったわけかしら?」
「はい」
「だから手っ取り早く深木先生の作品を拝借してデビューしてしまおうと」
「だっていいじゃないですか! 一作品ぐらい」
「でも、あなたのしたことは盗作ではなくて?」
陽花は現実を突き付ける。美星の目は泳ぐ。
「甘い考えでした。でも本当にデビューするなんて……」
「もしばれたらどうなるか?」
美星の表情がますます引きつる。成南学園が始まって以来の小説家深木志麻。その後にデビューした藤垣美星。メディアの注目も集まり表面上は誰もが礼賛をしている。美星は私と並ぶ日本を代表する十代作家として名声を得ている。
もし盗作がばれれば何もかもが吹き飛んでしまう。盗作は小説家がやってはいけないタブー。学校にもいられなくなる。次回作の依頼も来ている。全てが順調なのにすべてがおじゃんになってしまう。
「お願いです。それだけは……」
「なら私のお願いを聞いてくれるかしら?」
「何ですか。もう二度とこんなことしませんし、私何でもしますから!」
陽花は耳元で美星のはねた耳につぶやくだろう。
「む、む、無理です……殺す? 殺す? 何の冗談ですか!」
人は追い詰められると笑うしかないのは本当らしい。
「大丈夫。あなたは手伝い。誰に殺させるかは決めてあるから」
「だって先輩を! それこそ身の破滅です!」
「静かに。落ち着きなさい。聞こえてしまっては全てが水の泡。志麻がもし亡くなれば、あなたは唯一無二じゃない。メリットだらけでは?」
「だって、人殺しですよ!」
「他人の作品を盗んで志麻を事故に見せかけて殺し損ねたあなたが逡巡してどうするの? あなたはすでに自分の手を真っ赤に染めている。今更逃げられない」
こういう言葉の綾を使いこなせるのが陽花の強みだ。きっと物書きより政治家のほうが向いている。盗聴器が納めていた音はどんな演技よりも優る真実であった。
「藤垣さん。これだけは覚えておいて。あなたは何千年と続く神聖なる文学の歴史に泥を塗った。私はあなたの行いを許さない。でも志麻の殺害に協力したら、あなたの罪をつぶってあげてもいい」
相変わらず人の心を抉るのが陽花は上手い。
陽花は残り二人の弱みを握る。白樺真木は三年三組の担任講師と関係を結んでいた。銀杏小夏は私のゴーストライター。
陽花は曲者ぞろいの四人をテキパキとまとめていき、殺害計画を練っていきます。
実行犯は皮肉屋の樫原実歩と藤垣美星、銀杏小夏。白樺真木はアリバイ作りをします。全てを指揮するのが松崎陽花です。小夏は私の考えたダクトを使って鍵がかかって入れない部室へ侵入します。その後、中から鍵を開けて三人を呼び出します。真木は図書館でアリバイ作りをしています。スマホに録音した音源を流してあたかもやり取りをしているような印象を与えます。
陽花、美星、実歩は本館の図書館を窓から抜け出し、別館に向かいます。
六月六日は一学期の中間試験で人がまばらでした。図書館もほとんどいません。すべて見越して六月六日に死ぬよう言わせました。
事前に小夏が改装中の別館にいる志麻に会いに向かいます。部室へと通じるダクトに入り込んで中に侵入します。何度も練習させていましたから慣れていたでしょう。
志麻には睡眠導入剤が入ったお茶を差し出します。苦い香りがしたでしょう。眠ったふりをすると小夏は部室のダクトから外に抜け出しました。しばらく待っていると複数の足音がしました。
「何だよ……誰か来たのかよー」
「睡眠薬はあまり効果ないみたいね」
「強すぎると誰かが飲まして自殺に見せかけた他殺と言ったから弱い薬を取ってきたけど」
「いいわ。とにかくやるわよ」
しゃべっているのは陽花と実歩です。
誰かが後ろから志麻を抱え込んでいます。引きずられて、私はぼんやりとしながら直立不動にさせられています。他者の意思で立つなどあり得るなんて思いもしない。なんて素敵な瞬間だろうか。
ガサガサした縄が首にかかる。死刑の時が迫ってきている。予想通り。
盗聴器で大体の計画を聞いていたから分かっていたけど、すべてが私の範疇になるとは想像以上だ。
「小夏さんの情報の通り、ご丁寧に首吊りの準備までしているじゃない。遺書もあるわね」
「はい、事前に書かせましたので」
「何でお前らがいるのかなー。来るのは明日だぞー?」
何も知らない志麻は寝ぼけてうわごとを呟きます。
「眠そうね。皆、あなたが死ぬのが明日まで待ちきれないの。だから手伝いに来た」
「俺は死なないぞー。これはトリックの練習だ。ばれたかー」
「いいわ。椅子を外して」
志麻の体を支えていた椅子がなくなり縄が首を絞めつけられます。グリグリと麻縄は私を恐怖に陥れます。
余裕そぶりを見せる志麻は最初のうちはふざけていました。
「苦しい。やっぱりきついな。自殺はだめだ。やっぱりやめるわ」
しかし縄目は緩みません。段々と息苦しさが耐え難くなると足をばたつかせ、首にまとわりついた縄を外そうとします。
「ちゃんと抑えて!」
首つり自殺と絞殺の差は吉川線。首を絞められた被害者は首の縄目を取ろうと必死になり手に引っかき傷が残る。これが吉川線。私を自殺にしたいなら決して付けていけない。
手が誰かが押さえます。
目の前には志麻と同じ高さに立つ者がいる。
「やめろよ。苦しい……もう、おい……」
「あなたが望んだこと。六月六日に死ぬって言った人はだれ? 裏切られてびっくりしているの? いくら頑張ってもあなたには勝てない。あなたは死ぬっていうからそうしてあげるだけよ。深木志麻の名は私が引き継ぐからいいじゃない。さようなら」
志麻の表情は例えようがないほどおぞましいものです。部員たちによる裏切り、取り返しがつかない状況。
声の主は陽花でした。深木志麻の死を目の前で見つめていました。うっとりするような詩の微笑みを携えていました。頬に触れました。陽花は死に行く志麻に死のキスをしまいます。実に愚かな行為でした。計画が上手くいきすぎるから酔っていたのでしょう。
右手には父が陽花に与えたダニエルウェリントンの時計があります。志麻は愉悦に浸る陽花に気づかれないよう皮ベルトを軽く噛んでいました。陽花は己の結末にこだわり過ぎる。死ぬシーンを見届けたいなんて欲が身を亡ぼす。せっかく他の部員たちを殺人犯にしたのに、時計に歯型や唾液が付いては元も子もありません。
なかなか死への道は受難なものです。ただ肉体は滅んでも赤裸々に描いている文章が罪人たちを白日の下に晒します。
実歩が必死に志麻の体を絞め続けます。美星が手を押さえている。首筋に被害者が抵抗して付く吉川線が付かせないためです。
我が親友にして本作の最大の立役者である陽花の本心の笑いを見られた。もう思い残すことありません。全て掌中のままに話が動いているからです。
殺人をリアルに描いた様子を原稿に落として遺言書とともに陽花の自宅に送り付けます。遺言書には深木志麻の未発表作の原稿、著作権の譲渡、会長の地位の相続に関する規定が書かれています。
志麻が死んだ後に文芸部の定例会が開かれるか、後継者を決めさせます。心配はないでしょう。主催するのはあの陽花ですから。
志麻の影に隠れ、いつもアシスタントの地位でくすぶっていました。会長の地位と私の作品の著作権は喉が出るほど欲しいはず。陽花は他の余人に対して優位に立っている。言葉巧みにすべてを手に入れようとします。
陽花たち五人を焚きつけ憎しみの種を花開かせたのは紛れもなく志麻だ。種は芽を出し太陽に照らされ花を開きます。花を摘み取らせる役割は「raba=fu」が行います。
私は次の定例が待ち遠しくてなりません。八月七日の十六時。陽花は後生大事に私の未発表作の原稿と著作権譲渡書が入っている封書を部室に持っていくでしょう。
恐らく後生大事に持ち運び、高々と遺言書を読み上げるでしょう。陽花は全員の弱みを知っていますから難なくすべてを手に入れられると信じ切っています。勝ち誇った陽花の表情を想像するだけで笑いが止まりません。
深木志麻は十八歳になる日に殺されます。これは予言です。死はイニシエーションであり、死を通してのみ深木志麻の名から解放されて受け継がれていきます。
小説の意味は誰にも分らないでしょう。理解なんてものは幻想に過ぎません。
もういいでしょう。うら若き罪人をどうするかは……
完
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