深木志麻

戸笠耕一

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第三章

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タイトル 志麻の鼓動
松崎陽花作
 
1 深木志麻の死について
 
 志麻の死をどう思うかですって?
 決まっています。悲しきことです。だって私と志麻は二人で支え合ってきたわけですから。でも最初に会った時は、こんなにいい加減な子が名だたる文学賞を総なめするなんて思いもしません。
 私が一番志麻と長く付き合っていますから分かることだけど、志麻はこの一年間どこか焦っていたのかもしれません。心臓が生まれつき弱くて、いつも薬を服用していました。余命十歳と言われていたぐらいです。死が近い存在だった。私たちに対して文芸への熱い情熱をしばしば見せてくれたのも、わずかな寿命が起因していたと思います。
 しかし、悲しみに飲み込まれてはいけません。志麻は死んでも、残した作品は語り継がれていく。私は心の奥底から深木志麻の後継者になりたいと考えています。
 
 2 死因について
 
 簡単に志麻の死について述べさせていただきました。さて二章から志麻との出会いからその死について語っていきます。
 深木志麻は誰が見ても異端児でした。おおよそ天才と呼ぶべきものはそうなのだろう。髪はボサボサで、着ているセーラー服はよれよれ。ひどいときはフケが肩にかかっています。遅刻も多く、授業中は居眠りも多い、ずっとそうですね。数学の藻谷先生の授業なんていびきをかいて寝ていたものだから笑ってしまう者がいました。
「一体あなたはいつになったら生活態度を変えるんです!」
 生活指導室に断トツ呼び出されているのはいつも志麻でした。
 志麻は何度怒られても平然としていました。あきれるぐらい他人に無頓着です。先生も注意していいのやら迷いました。
 高校三年生になって間もない四月七日。一人寂しく誰もいない教室で反省文を書いていました。小説を書くのは誰よりも早いのに反省文は人一倍多く書かされているのに遅い。
 同級生たちも気づいていて「締め切りが近いよ」とか「今日のテーマは反省文ですか」と、からかわれる姿は何度も見ていました。
 天才の称号を十二歳で勝ち得てしまいながら学校内で待っていたのは凡人たちの嘲りでした。これは志麻が悪いです。素行はよろしくありません。
 そう言われている志麻は平然としています。横で見ている私自身が嫌な気分になります。俗物に染まった同級生たちに天才の称号が汚されていくのは苦々しい話です。
 傑出した若き文豪を、単なる面白い人間程度にしか認定しない凡百の同級生に、私は憤りを覚えます。ですが現代において小説家は不安定な職業であり、社会的評価も高いものとは言い切れません。
 私の両親は典型的な思考の持ち主です。文学などホコリほどの存在にしか思っていなかった。一人の人間が生み出す創造力の素晴らしさを皆知りません。私は毎日天才の軌跡を共に歩んでいるから身に染みてわかります。文筆力は神が与えた天賦の才です。才能は父親の深木誠一郎先生から譲り受けたもので傑出していました。
 初等科に出した小説は小説コンクールで大賞を取っています。私がどんなに努力しても最終選考止まりなのに、志麻は軽く超えていく。
 松崎陽花は深木志麻という太陽の光を浴びて始めて輝くことができる、と。まばゆいばかりの天才性は誰も否定できません。
 燦燦と輝く太陽はいつまでも私を照らし続けて人生をバラ色にしてくれました。だれが一ヶ月後の六月六日に本当に死ぬなんて誰が想像できますか? 
 一年前に言われた天才の戯言なんて当時の私は忘れていました。
「世の中くだらないねー」
「どうかしたの?」
「別に。暇つぶしにいつも隣でぺちゃくちゃしゃべる女どもの話を一週間ノートに書いていたのさ。後で読んでみたら同じ話ばかり。鞄がどうとか、服がどうとか。庭を見渡せば、手にラケットなんか持っちゃって上手くもないのに、お上手ですわねだってさ。あほらし」
「年頃の女の子はそういうものよ。あなたの小説の主人公のように下駄を履いて線路を歩くこともなければ、潜水艦でダンスなんてしないわ」
「お前も下らないよ。ふふふって笑う女子いるかよ?」
「品性のいい学校だから仕方ないでしょう。あなたは反省文を書かないとね」
「全く思いつかぬう」
「今日は文芸部の定例だから早く書いてね。生徒指導の節田先生は言い含めておいたからやり直しにならないはずよ」
「さっすが」
「部員たちの原稿は読んであげたの?」
 返事がない。私たちの会話は途切れることがないほど波長が合う。だから少しでも返事が遅いと異変に気づいてしまう。
「どうかした?」
「いや大丈夫……」
 手が震えています。ポケットをガサゴソと探している。
「あなた、薬を飲んでいなかったの」
 痛みのあまり言葉を発せられないのだ。
「落ち着いて呼吸するの。今の姿勢でいいから先生を呼ぶからじっとしていなさい」
 こうなるのは初めてではありませんでした。そのたびに背中をさすり、保健の先生を呼びました。三年三組の教室は最も保健室に近くにあります。三組に配属されたのは事情が考慮されているのでしょう。
 志麻は病院に搬送されました。心臓に持病を抱えていたのです。余命十歳と宣告されながら生きている。百五十七cmの小柄な体。髪はポニーテール。目は栗色でどこか淡い。言葉遣いは粗い武骨な男そのもの。身なりについていくらたしなめても治らない。
 無軌道な志麻と知り合いになったのは十歳でした。クラスで人気があったのは紛れもなく私でした。自慢ではありませんよ。そうお笑いにならないで。
ところが一人の少女に人気は奪われてしまいました。
 家なき子。深木志麻を一言で例えるならそうなりますかしら。何も父親が有名な小説家で現谷崎といわれるほどの重鎮だそう。ですが毛ほども気になりません。
 ある日、作品コンクールに応募した作品をクラスの生徒が目にした時、志麻はアイドルになりました。
 誰もが褒めはやします。何だか腹が立ってきて、私は志麻の家に訪れることにしました。
 深木家は渋谷区の高級居住地域にありました。日本家屋というべきお屋敷で日本庭園と呼ぶべき造形です。豪勢な門構えを抜けると大層な枯山水が広がっていました。鹿威しがかっこんと鳴り響く音に私は安らぎを覚えます。
 成南学園はクリスチャンな学校ですから和の空間に触れる。心の汚れが自然と落ちていきます。小説家には最適な空間でした。
 私は居間に通してもらいました。その広々さときたら言葉がありません。
「お帰りなさいませ。お嬢様、お連れ様がいらしたのですか」
「どうしても俺の部屋が見たいってさ」
 なんとまあ、びっくり。俺ですって。
 深木志麻が自らをそう呼んだのは初めて聞きました。私の周りの女の子が俺を使っているのは
「お嬢様、俺は殿方が呼ぶ言葉です」
「知らねーよ。あーあ、お茶でも出してあげてよ。せっかく来たんだから」
「承知いたしました」
 お手伝いさんはそそくさと居間を出ていく。
「来て早々悪いけど、四時から執筆だから、あんまり話せないよ」
「そんなに書いているの」
「親父がうるさいの。昨日も夜中まで書いていたから眠くて」
 あーあと志麻は欠伸をしています。
 カチャリと扉が開く音がしました。お手伝いさんかと思いきや違いました。
「お帰り」
 ただ一言だけで、物静けさの中に覇気を感じました。初めてです。当時の深木誠一郎先生は事故に遭う前で車いすではありません。
 グレーがかかった髪、太い眉、灰色の丹前姿。私を見つめるとび色の瞳は人を平伏させる何かがありました。
 この日から、私は家に帰るなり深木誠一郎の作品を調べて読み漁りました。
「もうじき昼(ヘメラ)の時間は終わりだ。小説家は夜(ニュクス)の申し子だ。執筆を怠けて眠り(ヒュプノス)に就いてはいけないよ。お茶を飲んでひと段落したら離れに行きなさい」
「はい。お父様」
 あれほどお手伝いさんや私に対してはため口を聞いていたのにお父上である深木先生にはきちんと敬語を使います。こんなふしだらな娘でも絶対に楯突けない存在があることに気づきました。
 この親にしてこの子ありとはまさしく言ったものです。分かりづらいギリシャ神話の神の名を使って昼夜を表現するとは、やはり真の文豪は違います。
 離れは庭の中央にそっと厳かに存在していました。正直な感想を言うと人の部屋があるとは思えません。
 周りを覆う枯山水の中に浮かぶ孤城、いや土蔵というべきでしょうか。
「構わないでくれよ。ここがウチだからさ」
 志麻は平然とした様子で扉を開けます。
「あなた、ここに一人で住んでいるの?」
「深木志麻は今一人だよ」
 小難しい言い方をするのは幼いときから変わっていません。
「ご飯は?」
「お手伝いさんが持ってきてくれる」
「ご両親と食べないの?」
「食べてどうする。書く時間がなくなるだろ?」
「時には会話することで発想が浮かぶかも」
「ばかだな。飯を食っているシーンなんて誰が面白がる? いいか、小説はエンターテインメント。主人公がとんでもないことに巻き込まれていないと意味がない。日常から得られるのは退屈だけだ。覚えておけ」
 十歳にして自らの主義を持っていました。そのときの私は何も言い返せませんでした。ただ心の中に対抗心が芽生えました。
 目の前にいる天才に追い付き、日本の文芸を引っ張っていく決心がつきました。この天才からもっと学びたいと強い欲求が湧いてきました。
 志麻の住まいは1ⅬⅮK。フローリングがかかった樫の木が鼻に漂います。外観からは想像ができないほど落ちついた部屋です。
 キッチンの食器棚には平皿やお椀、湯呑、箸が二つずつ置いてありました。
 志麻の勉強机はPCが一台とコップと瓶が置かれているだけでした。ダイニングは勉強机と敷布団があるだけ。まさしく必要な者しかない。天才の部屋です。
 部屋の白い壁には「十八歳の六月六日」と文字が書かれていました。何を意味するのかはよく分かりません。
 六月六日は志麻が死んだ日です。まさか十歳のときから死ぬつもりだったのでしょうか。真実は謎のままです。
 志麻は執筆にとりかかると一切口を聞いてくれません。座っているだけは面白くありません。私はロフト階段を昇って本を読んでいました。
 クリスティ、カー、ヴァンダインなど海外のミステリー小説もあれば、ウォルコット、モーム、ミュラーなどの純文学寄りの小説もあります。私の両親は小説など読ませてくれませんので、志麻の部屋の蔵書で読むしかありません。
 気づけばほとんどの蔵書を読んでしまいました。
 こんな一人きりの環境で小説を書きたい。ただ唯一気がかりがります。もう何度も志麻の自宅を訪れているのに、まだ入ったことがない部屋があります。一番奥の部屋です。ドアノブに手をかけるとギイッと軋む音がします。長年使っていない印象がしました。
 私は扉を矮小な十歳の子どもには大変でしたが何とか開けました。
 扉の先を何といえばいいのか。思っていたものと違います。単に螺旋階段があるだけでした。気になりますよね。地下に眠っているのはなにか、衝動に突き動かされます。
「だめだ。幽冥に降りるな。下に行くな」
 背後を振り返ると志麻が知らぬ間にいました。ギリシャ神話のたとえはなじみがなく理解が難しかったです。
「ごめん。意味が分からないわ。とにかく地下には何があるの?」
「答えられない。その先は外部の人間は立ち入ってはいけない。気になるならヘシオドスの神統記を読め。ヒントぐらいは書いてある」
「もう読んだわよ。いいじゃない。下には本でもあるの? 読ませてよ」
「だめだ。お前が代わりに入りたいなら別だが、二度と出られなくなるぞ」
「わかったわよ、変なこと言わないでよ」
 地下室の話は一切しませんでした。
 ダイニングに戻ると、志麻は胸を苦しそうに押さえていました。瓶に入った薬を二、三粒飲み干します。本当に倒れでもしたらどうするのでしょう。
「必死なのね」
「時間がないからな。明日にも死ぬかもしれないから、必死になるよ」
「死ぬなんて。まだ十歳じゃないの」
「医者が言うには十歳が俺の余命だとさ」
 あとから聞いた話、心疾患を患っていました。お母さんも同じ病で昨年亡くなったと聞きました。薬は強心剤で飲まないと心臓が止まってしまうと聞かされました。
 胸の鼓動が止まる。考えもしませんでした。いつも何か一点を追い求めている。どこか焦っている様子がありました。
「書くから話しかけないでくれ」
 私は二時間、書く姿を見ていました。私のほうが背は少し高いのに果てしないほど巨大に映りました。まるで小さな一室に太陽が姿を現したようでした。
 太陽は私を七年間にわたり照らし続け、十八歳になる六月六日に死にました。
 志麻から部室で死ぬとⅬINEがありました。
 学校の前には救急車が止まっています。タンカーに乗せられていく姿を私は目撃しました。遠目でよく見えません。ただ、うっすらとみえた片腕に時計がはめられていました。方は先生から頂いたダニエルウェリントンでした。
 六月六日以降、志麻からぱったりと連絡が付かなくなりました。
 予想は当たります。騒動が起こってから一週間が経ってマスメディアは志麻の死を報道しました。
 大きな違和感があります。報道で死因を伝えません。時の人となっている人間が死んだのにメディアがなぜ死んだのか、興味を持たないわけがありません。
 六月二十五日に私の住所宛てに不思議な小包が届きます。不思議なことに宛先はありません。中を開けるとこれまた奇妙で封書が入っています。説明書きの資料に「中身は八月の定例まで開けるな」と書かれています。
 封書の中身は未発表作原稿と著作権の譲渡書です。
 私は志麻が残した作業を完遂させるべく他の部員に打ち明け、定例会を開きました。私は血のように別館の赤絨毯に彷彿されていました。次の会長は私であり、深木志麻を継ぐ者だと証明したい。突き付けられた封書を見て、私の中の野心が疼きました。
 深木志麻の死因について私の持論を述べましょう。持病の心疾患による自然死ではないかと主張します。
 完

「以上で私の朗読は終了です。ご清聴ありがとうございました」
 陽花は部員たちの不安に紛れた拍手を受け、最後に部員とステージにお辞儀をした。
「次はあなたの番ね、樫原実歩さん。あなたのいう自信作ぜひお聞かせいただければ光栄なことはありませんね」
席に戻ると、また司会進行役として場の流れを調整する。
「ご紹介ありがとう」
 実歩は澄ました笑顔を陽花に返した。
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