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第二章
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二〇二三年八月七日。
窓をバラバラと激しい風雨が叩きつけていた。雷も鳴り響き、気持ちが穏やかでいられない。心に不安が残る日だった。
陽花は両腕で抱え込むようにして鞄をしっかりと握りしめながら歩いていた。本館から移動する過程で陽花の艶やかな黒髪は雨に濡れていた。
耐震工事がしっかりされた現代的な建物である本館と違い、別館は赤レンガ調の古い建築様式の二階建てだ。
別館はかつて学舎として使われていた。今では文科系の部室として割り当ている。二階には各部活の顧問室があるだけ。旧校舎に拠点を置いている部活は休部に近いものもあり、人の出入りも極端に少ない。
別館を訪れているのは文芸部のメンバーだけだ。
威風堂々としたたたずまいの洋館が錆びていったかは十年前にさかのぼる。屋上から飛び降り自殺があり、死んだ生徒の霊が出る噂が立ったことで、人が寄り付かない。
老朽化もあって取り壊す話も出たが、近年の少子化により資金繰りが厳しくて別館は夏場の簡易な改修工事だけで基本は手付かずだ。
陽花は別館に敷かれた赤絨毯を見ると感情が高ぶる。血だまりのように染まり上げた絨毯の色に心が躍る。試しに胸に手を当ててみる。自分は確かに存在し生きている。垢は生命の象徴であり、創作に相応しいカラーだ。
ただ空を覆う分厚い雲により赤絨毯は味気ないカーキ色に変わっていて感情に変化が起こらない。廊下を照らすランプだけで廊下を照らすにはなんとも心もとない。
窓辺に映る校庭もまた一興だ。本来ならそびえる楠が堂々と立ち尽くしているが、雷雨のせいで見晴らしが悪い。
陽花は薄暗い廊下を進んでいく。赤絨毯に雨でぬれた足跡がかすかに残る。角部屋に文芸部の部室がある。
部室の扉の上に貼られていたサークル名を見て幻滅を感じる。確かに嘲りの対象になるのは仕方がない。志麻に指摘したが頑として譲らない。
陽花が右と言えば志麻は左を差す。プロットの立て方も、ストーリーラインの組み方も、登場人物の設定もまるで違う。
サークルを立ち上げた時も二人は激突していた。思想が違う。二人はよくすべてにおいて対立をしていた。でも気持ちがいいぐらいに後で落ち着く。
「サークルの名前を見て、皆は入るわけでしょ。きちんとした名前じゃないとだめよ」
「これぐらいひねくれてねえと面白くないだろ? ははーん、お前、意味を変わっていないだろう?」
「何が?」
「サークルの、な、ま、え、だよ! 何人も集めるつもりはねえ。俺が選んで教えてやる。文芸の理を」
「大したご自身ですこと」
陽花が志麻に折れる形になる。地位も実力も上だからだ。
檜で作られた扉が目の前に立ちはだかっている。凡庸な現実と楽園を隔てるゲートだ。金製のドアノブに手を伸ばせば文学を志す者たちの楽園にして聖域が広がっている。
発足して一年が過ぎた。懐かしさを感じる。当時の部室はホコリまみれで廃墟で来ていたセーラー服は叩いても落ちないほど粉塵に塗れていた。
時間をかけて部屋の掃除を終えてみると割り当てられた部屋が文芸を極めるには足り得る地であるわかる。ここは聖地となる。
樫の木で出てきたテーブル。柏の本棚。フランス窓から差し込む西日により古き機材は色を成し得る。
本棚には名著を部員たちが各自の本を持ってきて並べた。
シェイクスピア、ゲーテ、ヘミングウェイ、クリスティ、モームと上げたらきりがないほどの文豪たちの古書が太陽の光に照らされる。
若き少女たちは書を読み、小さな唇で読んだ本の感想を言い合う。美しき文芸の使い手となるべく少女たちは言葉を紡ぐことに時間を惜しまない。
まさしくここは文芸の聖地。高々と女王として君臨するのは弱冠十二歳にして最年少作家となった深木志麻だ。父を小説家に持ち、生まれながらにして作家であることを運命づけられたまさしく文芸の天才だ。
天才に選ばれし部員たちは五人だ。志麻のそばに傾げて書いた小説の審判を受ける。時に苛烈な評価に涙する者がいるが、最後は感謝に変わる。
志麻の幼なじみにして秘書を務める副会長の陽花が志麻の席の右隣に座る。左隣に皮肉屋で論理的な思考をする実歩は眼鏡を拭いていた。志麻に続き作家デビューを果たした藤垣美星は心配そうな表情をしていた。つまらなそうな表情で髪をいじっているのは真木だ。最年少にして才覚を見せている小夏は淡々と定例会が始まるのを待っている。それぞれが決まった席に座っていた。
文芸部は六人で構成されていたが、今は五人だ。志麻の席だった赤いラウンジチェアは空の玉座である。
サークルは初めての主なき会合を迎える。
「お待たせしました。皆さんおそろいですね」
ピリピリとした緊張感がある。誰が天才の名跡を継ぐのかを巡り、嵐が起こる前の静けさを感じている。当然、全員の心はたぎっている。
「時間にうるさいあなたにしてはぎりぎりね」
「ご心配には及びません。予定通りですから」
「じゃあ、お決まりの開会のご挨拶をしたら?」
実歩が眼鏡を拭きながらいつも皮肉が飛ばす。陽花からすればどうでもいい戯言に過ぎない。
細い瞳は右手に付けていたダニエルウェリントンの時計の秒針を見つめている。貰い物だから汚れないようしてきたが、皮ベルトに痕が残っているのが気になった。
まなざしから注がれる光はうっとりと黄昏時の日差しに彩られて奇麗だ。
十、九、八、七、六……
何があっても一秒たりとも狂いがあってはならない。時間は正確でないといけない。
五、四、三、二、一……
午後十六時。柱時計の針が十六回鳴り響いた。時間だ。
松崎陽花による開会の挨拶と説明が始まった。
窓をバラバラと激しい風雨が叩きつけていた。雷も鳴り響き、気持ちが穏やかでいられない。心に不安が残る日だった。
陽花は両腕で抱え込むようにして鞄をしっかりと握りしめながら歩いていた。本館から移動する過程で陽花の艶やかな黒髪は雨に濡れていた。
耐震工事がしっかりされた現代的な建物である本館と違い、別館は赤レンガ調の古い建築様式の二階建てだ。
別館はかつて学舎として使われていた。今では文科系の部室として割り当ている。二階には各部活の顧問室があるだけ。旧校舎に拠点を置いている部活は休部に近いものもあり、人の出入りも極端に少ない。
別館を訪れているのは文芸部のメンバーだけだ。
威風堂々としたたたずまいの洋館が錆びていったかは十年前にさかのぼる。屋上から飛び降り自殺があり、死んだ生徒の霊が出る噂が立ったことで、人が寄り付かない。
老朽化もあって取り壊す話も出たが、近年の少子化により資金繰りが厳しくて別館は夏場の簡易な改修工事だけで基本は手付かずだ。
陽花は別館に敷かれた赤絨毯を見ると感情が高ぶる。血だまりのように染まり上げた絨毯の色に心が躍る。試しに胸に手を当ててみる。自分は確かに存在し生きている。垢は生命の象徴であり、創作に相応しいカラーだ。
ただ空を覆う分厚い雲により赤絨毯は味気ないカーキ色に変わっていて感情に変化が起こらない。廊下を照らすランプだけで廊下を照らすにはなんとも心もとない。
窓辺に映る校庭もまた一興だ。本来ならそびえる楠が堂々と立ち尽くしているが、雷雨のせいで見晴らしが悪い。
陽花は薄暗い廊下を進んでいく。赤絨毯に雨でぬれた足跡がかすかに残る。角部屋に文芸部の部室がある。
部室の扉の上に貼られていたサークル名を見て幻滅を感じる。確かに嘲りの対象になるのは仕方がない。志麻に指摘したが頑として譲らない。
陽花が右と言えば志麻は左を差す。プロットの立て方も、ストーリーラインの組み方も、登場人物の設定もまるで違う。
サークルを立ち上げた時も二人は激突していた。思想が違う。二人はよくすべてにおいて対立をしていた。でも気持ちがいいぐらいに後で落ち着く。
「サークルの名前を見て、皆は入るわけでしょ。きちんとした名前じゃないとだめよ」
「これぐらいひねくれてねえと面白くないだろ? ははーん、お前、意味を変わっていないだろう?」
「何が?」
「サークルの、な、ま、え、だよ! 何人も集めるつもりはねえ。俺が選んで教えてやる。文芸の理を」
「大したご自身ですこと」
陽花が志麻に折れる形になる。地位も実力も上だからだ。
檜で作られた扉が目の前に立ちはだかっている。凡庸な現実と楽園を隔てるゲートだ。金製のドアノブに手を伸ばせば文学を志す者たちの楽園にして聖域が広がっている。
発足して一年が過ぎた。懐かしさを感じる。当時の部室はホコリまみれで廃墟で来ていたセーラー服は叩いても落ちないほど粉塵に塗れていた。
時間をかけて部屋の掃除を終えてみると割り当てられた部屋が文芸を極めるには足り得る地であるわかる。ここは聖地となる。
樫の木で出てきたテーブル。柏の本棚。フランス窓から差し込む西日により古き機材は色を成し得る。
本棚には名著を部員たちが各自の本を持ってきて並べた。
シェイクスピア、ゲーテ、ヘミングウェイ、クリスティ、モームと上げたらきりがないほどの文豪たちの古書が太陽の光に照らされる。
若き少女たちは書を読み、小さな唇で読んだ本の感想を言い合う。美しき文芸の使い手となるべく少女たちは言葉を紡ぐことに時間を惜しまない。
まさしくここは文芸の聖地。高々と女王として君臨するのは弱冠十二歳にして最年少作家となった深木志麻だ。父を小説家に持ち、生まれながらにして作家であることを運命づけられたまさしく文芸の天才だ。
天才に選ばれし部員たちは五人だ。志麻のそばに傾げて書いた小説の審判を受ける。時に苛烈な評価に涙する者がいるが、最後は感謝に変わる。
志麻の幼なじみにして秘書を務める副会長の陽花が志麻の席の右隣に座る。左隣に皮肉屋で論理的な思考をする実歩は眼鏡を拭いていた。志麻に続き作家デビューを果たした藤垣美星は心配そうな表情をしていた。つまらなそうな表情で髪をいじっているのは真木だ。最年少にして才覚を見せている小夏は淡々と定例会が始まるのを待っている。それぞれが決まった席に座っていた。
文芸部は六人で構成されていたが、今は五人だ。志麻の席だった赤いラウンジチェアは空の玉座である。
サークルは初めての主なき会合を迎える。
「お待たせしました。皆さんおそろいですね」
ピリピリとした緊張感がある。誰が天才の名跡を継ぐのかを巡り、嵐が起こる前の静けさを感じている。当然、全員の心はたぎっている。
「時間にうるさいあなたにしてはぎりぎりね」
「ご心配には及びません。予定通りですから」
「じゃあ、お決まりの開会のご挨拶をしたら?」
実歩が眼鏡を拭きながらいつも皮肉が飛ばす。陽花からすればどうでもいい戯言に過ぎない。
細い瞳は右手に付けていたダニエルウェリントンの時計の秒針を見つめている。貰い物だから汚れないようしてきたが、皮ベルトに痕が残っているのが気になった。
まなざしから注がれる光はうっとりと黄昏時の日差しに彩られて奇麗だ。
十、九、八、七、六……
何があっても一秒たりとも狂いがあってはならない。時間は正確でないといけない。
五、四、三、二、一……
午後十六時。柱時計の針が十六回鳴り響いた。時間だ。
松崎陽花による開会の挨拶と説明が始まった。
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