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二章

一節 徳村芽衣の地元

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 今年の夏は猛暑と言われている。
 まだ六月下旬だというのに、昼間の最高気温は三十度超え、猛暑記録を連日更新。熱中症対策についての話題が、お茶の間を賑わせていた。

 ぬるま湯の中を泳ぐかのような重たい湿気を身に纏い、わたしは午後一番で塾長に指示されたパーティーグッズを買いに、とある雑貨店を目指している。
 昨年も利用させてもらったというその店で、七夕祭りの装飾に使う折り紙や模造紙、クレヨン、子どもたちへのプレゼントを包む包装紙などを購入する予定だ。

 店はCOCORONから歩いていける距離にあると聞いていた。プリンターで印刷した地図を片手に進んでいくと、目当ての屋根『くろねこ雑貨店』の看板が見えてくる。
 小さな個人経営の店で、普通の一軒家の一階部分が店舗、二階が住居スペースになっているようだ。建物は木造で、昔ながらの少し古めかしい感じ。

 からりとガラス戸を開け店に入り――店内を見回して、驚いた。
 地味な外観とは裏腹に、ファンシーグッズ店と呼ぶが相応しいほどの華やかな品ぞろえ。
 明るい色合いの文房具や手芸の材料、キャラクターもののグッズ、サッカーボールやバトミントンなどのスポーツ用品等が賑やかに店内を彩って、ぐるりと棚を回れば、駄菓子や懐かしの昭和玩具なども置いてある。
 まるで縁日みたい、と気分も上昇。今どきこういう店は珍しい。きっと店主さん自身が、子ども好きなのだろう――。

「いらっしゃい」

 のれんの奥からのそりと出てきた男をチラリと見て――そして再度、見返した。この鬼瓦で精悍な顔つきは……。

「えっ……」
 双方の声が重なり合う。

「や、矢澤さん……?」
「と、徳村先生……」

 矢澤父が慌てた様子でサンダルをつっかけ、一、二歩よろめいた。

「どうされました? まさか、また悠馬が何か……」

 若干青ざめた様子の矢澤父に、わたしは慌てて首を振り、答えた。

「いえ、今日はその、七夕のグッズを買いに来ただけで……。ここ、矢澤さんのお店なんですか」

「ああ、はい……半分趣味みたいなもんですが……。そういえば、去年もこの時期に別の先生がいらして、うちの商品を使っていただいてましたね。ゆっくり見ていってください」

 矢澤父はどこかホッとした様子で、強ばっていた姿勢を解いた。

(びっくりした……ギャップありすぎでしょ)

 あの見た目でこんな可愛いお店の店主だなんて……もしや裏の稼業のカモフラージュなのだろうか?
 それにしたって、買いにくる子どもや親はびびらないのだろうか。慣れれば、意外と味のある人物ではあるけれど……。

 動揺しながら棚の端から順に商品を見ていき、めぼしいものを買い物かごに入れていく。
 店には他に客もおらず、悠馬は学校に行っている時間だ。
 しんと静まり返った空間がどうにも落ち着かない。

 早々にお会計を済ませようとレジに向かい、かごを差し出すと、矢澤父は電卓を片手に計算をはじめた。
 レジの機械がそこにあるのだが、何故に手計算……?

「古いものなんでね。こっちの方が早いんです」

 視線を感じたのか、寡黙な店主はこちらを見ずに、ぼそりと補足する。
 お札を渡すと、ガシャポンと開いたレジの引き出しにそれを収納し、太い指で掻きだした小銭のおつりを、代わりに差し出された。

 領収書も書いてもらって、そそくさと帰ろうとすると、

「あの……」

 よく響く声で呼び止められる。
 振り返ると、矢澤父がお菓子を入れるような箱を手に持って、思ったより近いところに立っていた。

「えっと……何か?」

 彼が無言で箱の中から摘まみ上げ、こちらに差し出してきたのは――。

「うわぁ! 可愛い……」

 手の平にそっと乗せられた、毛糸でできた小さなぬいぐるみ。ストラップ付きで、鞄のチャックなどに取り付けられるようになっている。

 白の毛糸で編まれた丸っこい胴体に、縫い付けられたフェルトの耳とビーズの目鼻。なんだかうちの飼い犬にそっくり。
 子犬をつんつんと指でつついていると、男は抑揚の乏しい声で告げた。

「オマケ、です」

 頂いていいんですか、と男の顔を見上げると、ほんの少しだけ、強面が緩められているのがわかった。

 男は頷いただけでそれ以上は何も喋らなかったが、わたしはすごく得をした気分で、すっかり上機嫌になっていた。
 店を辞して外へ出たあとも、暑さも湿気も来た時ほど気にならず、軽い足取りでCOCORONへと引き返す。オマケというのは、良いものだ。

 けれども買い物に集中できなかった結果か、いくつか必要なものを買い忘れてしまったことに、後から気づいた。足りないものは後日、また買いにいかねばならない。

 塾長に、矢澤父の店とは聞いていなかったと文句を言うと、入塾申込書や家庭状況報告書に目を通していればわかることだと職務怠慢を叱られてしまった。

 そういえばここで働きだしたばかりの頃に、入れ替わりで退職した前任の指導員から、資料を読んでおくようにと言われていたのだ。

「子どもについての注意点など申し送り事項も書いてあるから、ちゃんと頭に入れておくこと」

 そう釘を刺されたが、その時はまだ子どもの名前も親の顔も覚えていなかったから、さっと目を通しただけで内容は忘れてしまっている。

(時間のある時に、読み返しておこうかな……)

 今更ながら、必要なことのように思えた。

   *  *  *

 今日はなんだか、よく意外な人に会う日だ。
 仕事を終えて家に帰る途中、声をかけられ、立ち止まった。

「芽衣じゃない?」

 振り返ると、同じ年くらいの女性が自転車を止めて、こちらを見つめている。

 ジャージ姿のノーメイク。近所のコンビニに行った帰りという風の格好。眉が薄くて、ちりちりとカールした茶色い髪を後ろで束ねて、どこかで見たような、見ていないような……。

「あたしだよ。高野朋美たかのともみ! 中学んとき、たまに遊んだじゃん。小学校で同じ通学班でさ」

「……あー、朋美!」

 記憶の引き出しがあいて、たしかにそんな友人がいたこと、そしてこんな顔の特徴だったことを思い出した。

「うちのオカンから聞いてたよ。こっちに戻ってきたんだって? いつか会うと思ってたんだぁ。なんか男友達を紹介してやれとか、なんとか……」

 これだから田舎のおばちゃんネットワークは嫌いだ。
 顔が引き攣ったのがわかったのか、朋美は苦笑しながら言った。

「わかってる、そういうの言われるの嫌だよね。あたしも似たようなものだからさ。結婚したんだけど、うまくいってなくて、ほとんど別居中。実家に入り浸ってるよ。里帰りってことにしとけって親はうるさいんだけど」

「そうなんだ……」

「もう、ストレスたまりまくり。今度お茶でもしよ! これあたしの連絡先、芽衣はスマホ? 番号だけでもいいよ、あとでショートメール送るから」

 連絡先を交換し、じゃあね、とせわしなく手を振りながら自転車で走り去る旧友を見送った。
 彼女の家はどのあたりだったかと記憶の糸をたどってみる。たしか小学校の近くのわりと大きな一軒家に住んでいたはずだ。

 わたしは二十年以上も前の知人と会って、気兼ねなく話ができるほど社交的ではない。けれど朋美はあのとおり饒舌で、昔から気のいいタイプの人種だった。
 明るくて人の話を聞かず、騒音高野と呼ばれていたが、サバサバして嫌味なところはなく、誰とでも話せる中立キャラクターとしての立ち位置を保っていたと思う。

(変わってないんだなぁ……なんだか懐かしい)

 地元に帰ってきても、親しかった同級生はほとんど家を出てしまっていたから、誰かと再会したのは朋美が初めてだ。結婚していると言っていたが、朋美もこちらに帰ってきていたとは……。
 やっぱり結婚したって人生うまくいくわけじゃないんだな。
 今日はなんだか驚かされることばかりだ。

 家に着くと、ハッハと息を切らして出迎えに現れたちくわぶが、前足を伸ばして立ちあがり、わたしの足に飛びついた。
 鞄につけた毛糸の子犬を、狙っているらしい。

「これは駄目」

 鞄のチャックにつけていたそれを、内側へとしまいこんだ。彼女に渡したら、一瞬でズタボロにされてしまう。
 せっかく頂いたものだし……それにお世辞でなく、かなり嬉しかったのは事実。時折り眺めたくなるほどには、気に入っている。
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