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一章

一節 徳村芽衣は子ども嫌い(1)

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「おふっ」

 変な声が出た。
 児童館の多目的教室。座卓で子ども達の出欠カードを整理していたところ、唐突に背中に叩きこまれた重い一撃。
 一瞬、呼吸が止まりかけ、えづきながらも必死に振り返る。

「やっべ。逃げろ!」

 わたしの背中に足で着地した悪童が、ちっともヤバイと思っていない満面の笑顔で、仲間たちと散り散りに逃げていく。

「えほっえほ……、ぅおいコラ、悠馬ゆうまっ!」

「センセーがそんなとこにいるのが悪いんだ!」

(このクソガキ!)
 とっ捕まえてどうにかしてやりたかったが、すぐには呼吸のペースが戻らない。こみあげた苦しさに、喉が裏返るのではというほど咳き込んで――。
 それが収まる頃には、当の子鬼どもは外の庭で別の遊びに興じていた。

 ここはNPO法人が運営する「COCORONこころん遊び塾」。いわゆる私立の託児所だ。地元小学校に隣接する児童館と連携し、その施設の一部を借りて、学童保育とは別の形で小学生に遊び場を提供している。

 共働きが多いこのご時世、放課後の子どもの扱いに困っている家庭は多い。それなのに学区内の学童保育は満員状態。学童に子を預けられなかった家庭は、こぞってCOCORONに申し込む。

 やんちゃざかりの怪獣が飛び回る、この箱舟の乗車率もすでに二百パーセント。少子化問題はどこへいったという盛況ぶりだ。対して、子どもを世話する指導員の数はまったく足りていないから、いつでも臨時雇用員を募集している。明らかに漂うブラック臭。あの時、事前に察していれば――。


 都会に嫌気がさし、実家のある埼玉県・狭山にUターンしたわたし、徳村とくむら芽衣めいは、「ニートになるのだけはやめて」と嘆く母親の紹介で、COCORONの指導員補佐(とは名ばかりのアルバイト)として雇われた。

 声を大にして言いたい。「失策であった」と。
 わたしは子どもが、大嫌いなのだ。

 ゴホン、と咳払いが聞こえたので視線を向けると、塾長がこめかみをひくつかせながらこちらを睨んでいた。
 たぬき面に保身とプライドを貼りつけたようなこの老女史は、わたしの母親の恩師にあたる人物。「厚子あつこさんはそれは優秀でね」と語るくらい母のことを認めてくれていたようだが、母とそりが合わないわたしでは、彼女のお眼鏡に適わなかったようで。

 塾長が漏らすわたしへの溜め息、小言は日に日に増え、今じゃ扱いが雑もいいところ。言葉づかいが悪いだの、態度ががさつだの。貴女はわたしの家庭教師ですか。

「徳村さん。何度も言うようだけど、あなたのお母上がどうしてもっていうから雇ってあげたのよ。それなのに、まぁふてぶてしい態度。正直、あなたの性格じゃこの仕事は合わないと思うのだけどね。くれぐれもトラブルだけは起こさないでちょうだいよ」

 ……と、恩着せがましくネチネチ言うが、塾長だってわたしに辞められては困るのだ。だって人手不足だから。おまけにケチなもんで、時給は法定の下限そのままの額。キツイ、キタナイ、高ストレスのこの仕事に、最低賃金で誰が応募などしてくるものか。

 できることならこんな仕事、すぐにでも辞めてやりたいが、そうもいかない。次に就く仕事は、できれば定年まで勤められる職場がいいし、あまり大変でなく見た目にも恥ずかしくないところに再就職したい。

 けれど、気づけば三十八歳。資格なし、特技なし。最寄りの駅から徒歩三十分以上も離れたこのド田舎で、選べる仕事なんて皆無に近い。
 もう一度、都会に出なければならない。それには当面の生活費を工面する必要がある。

 駄目もとで母親に借金を申し込んでみたが、女手ひとつパート暮らしの母親に寄生して恥ずかしくないのかと、長い説教が始まってしまって諦めた。

 自力でなんとかするしかない。お金が貯まるまでの辛抱。そうしたら、こんな環境も、薄情でこうるさい実家とも、とっととおさらばしてやるのだ。
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