キャッチ・ボール ~子どもは親を選べませんが~

冴季栄瑠

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三章 再会と、去ったもの、来たるもの

4 父という男

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 それからは気持ちを切り替えようと、いい感じに動いていたのに――。

「いい加減にしろっっっ!」

 爆発した。久しぶりに大爆発した。
 原因は、まぎれもないこの男。夏樹は目の前で、寝起きの顔に濡れ布巾を投げつけられて、目を丸くしている。
 こんなのが父親だなんて思いたくない。親子でなかったら、関わり合いになりたくない人種。敵同士、水と油、いや人間とウイルスくらいの関係だ。

 ――きっかけは昨夜、金曜夜のこと。

 深夜になってドカドカとなだれ込むような足音に、すでに寝床に入っていた冬馬は飛び起き、一階に駆けつけた。

「あっら~、部長の息子さん? 大きいのねぇ、高校生?」
「でも部長に似てる~! 将来かっこよくなるわねぇ~! きゃはは」

 呂律が回っていない見知らぬ女性がふたり、玄関の小上がりに腰かけて、へらへらと首を振っていた。仕事着らしきスーツを着ているが、酔っ払っている様子だ。
 そして女性らの間には、赤ら顔の夏樹が、フローリングの床にぐでんと寝そべっている。
 廊下は三人が発する呼気で、酒臭かった。

「あ、あの……?」

「ごめんねぇ~、部長、酔っ払っちゃって。中に運ぶからぁ。お部屋はどこかな~?」
「うっぷ、気持ち悪い……お水もらってもいいかしらぁ……」

 ずいずいと家に上がり込もうとする女性らを、必死で押しとどめる。

「いやいや、困ります。なんなんですか? おい、起きろ! 起きろって! このクソ親父!」
「あははは。だからね~、飲み会だったのよぉ。部長~、起きてくださーい」

 片方の女性が夏樹の腕を引っ張って運ぼうとしているが、脱力した男は重くて動かせない。

 冬馬は夏樹の頬を思いきりはたいた。

「この酔っ払いが!」
「あいた、痛い、痛いって……お~、冬馬、ただいまぁ」
「ただいまじゃない! この人たちは!?」
「ん? ……ああ、会社で慰労会があって……終電なくなっちゃったっていうから……泊まらせてやって……」

 話しているそばから瞼が閉じて、再び眠りに落ちようとしている。

「はぁ? おいこら、アホ、馬鹿、おい! ふざけんな!」

 それきり寝こけてしまった男を射殺さんばかりに睨みつけたが、完全な独り相撲。
 内心にはマグマのような怒りが煮えたぎっていたが、表情はむしろ消えていたと思う。

 とにかくこの場を収めねばならない。電車がない? 当たり前だ。今は深夜だクソ野郎。

 半分寝かけている女性らへの対応に、覚醒した思考をフル回転させた。
 放り出すことはできないから、リビングに通して、水を飲ませて、布団を出して、そこで休んでもらうよう整える。被害を最小限にするには、早く眠らせるしかない。
 格闘の末、すべてをやり終えた頃には、窓の外はうっすらと明るくなっていた。


 翌朝――昼が近づいた頃。
 二日酔いを残しながらも起きてきた女性たちは、さすがに悪いと思ったのか、とってつけたような笑みを浮かべながら、宿の礼を述べた。
 そして、しっかりと冬馬が作った朝食を食べて、部屋中を見回し、「いいおうちね、息子さんもご立派だし」と世辞を言いながら、ニコニコ顔で帰っていった。

 嵐が去ったあと、冬馬は仁王のような顔をして、リビングで椅子に腰かけて時を過ごし――。

 女性らより二時間ほど遅れて顔を見せた夏樹に、怒涛の勢いで噛みつき、思いつく限りの罵倒の言葉を浴びせた。

「うぅ……大声出すなよ、頭に響く」

 すっきりするどころか、反省の欠片もない態度に、冬馬の怒りはエスカレートするばかり。怒りで内臓が飛び出しそうだ。
 目の前が真っ赤に染まったような錯覚すら覚えながら、冬馬は言った。

「よく酒なんて飲めるよな! ……母さんが、あんな……もう会えないって知ったばかりで」

 夏樹が、片方の眉を上げて変な顔をした。
 鬱陶しいといわんばかりの態度。実際、そう思っているんだろう。具合が悪いのだから、そっとしておいてくれよと。

「それとこれとは関係ないし……仕事なんだから、仕方ないだろう。ずっと忙しいのが続いたから、社長が開いた慰労の会なんだよ。参加しないわけにはいかないしさ……」

「仕事とか理由にならない。女性を家に連れてくるなよ!」

 冬馬は深く息をついて、そして大きく吸った。少しでも自分の気持ちを落ち着かせるために。
 だけどちっとも落ち着かない。堰を切った気持ちは収まらない。

「昔もあったよな。朝起きたら、知らない女の人とか男とか、うちの中に何人もいて……あのときも、義母さんは我慢してただろうけど……! 自宅に、ほいほい他人を上げるなよ!」

「はぁ? いつの話だよ……やましい理由なんてないし。呼ぶには事情があって……」

 夏樹は昨夜と同じ言い訳を口にした。酒の席で、みんな飲み過ぎてしまい、最終の電車がなくなって、部下の女性たちに泊まらせてくれと頼まれたと。だからなんだ。それは真実かもしれない。だけど、受けてはいけない頼みだ。既婚者なら――未婚だとしても、相当の覚悟がなければ、線を引いておかねばならない域だ。
 なんでわからないんだよ。いくら責めても平行線。もどかしくて、泣き叫びたかった。

「最低だよ……この、人間のクズ!」

「なんだと?」

 さすがに頭にきたのか、夏樹の眉間に深い皺が寄り、視線が鋭くなった。

 見下ろされて、わずかに怯んだが、負けてたまるものか。
 七年以上も経って――取り返しもつかないところまできてしまったが、今なら想像できる。楓義母さんがこいつの言動に、どれほど傷つけられていたかを。

「もう話しかけんな。義母さんは……母さんは、あんたなんかと結婚しなきゃよかったのに――俺だって、もっとまともな親の元に生まれてきたかった」
「な……」

 夏樹の口が、はく、とだけ動いて、空気が漏れたのがわかった。
 瞳に浮かんだ失望の色は、もろ刃の剣だ。心に氷が刺さったように、冷えている。
 だが後悔はしていない。間違ったことも言っていない。
 震えて、裏返りそうになる喉を叱咤して。
 吐いて捨てるように、相手を傷つけるためだけの言葉を投げつけた。

「卒業したら、縁を切ってやる。義務養育が終わったら、出てってやるからな!」
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