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終章 パズル・ピース

3 冬馬

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「藤川くん、お父さんの具合、大丈夫なの?」

 冬休みが開けて、学校で久しぶりに会った蓮田は、心配そうに首を傾げた。

「し、知ってるんだ……」
「うん、新聞で見たから……」

 地域新聞おそるべし。結構、読まれてるもんなんだな。

 冬馬は、傷つけたままにしていた蓮田奈菜を呼び出して、今までの非礼を謝った。
 好意で手紙をくれたのに酷い態度をとったこと。ストーカー扱いして、いたずら電話の犯人と勘違いしたこと。
 あの無言電話も、夏樹のストーカーと化した根本がやったことだったのだ。

「本当に、ごめんな……なんて言ったらいいか」

 反省はしている。だけど、どこかでごまかそうとする、ずるい気持ちがあったのかもしれない。きっと彼女は許してくれるといううぬぼれも。

 頭を掻いて、相手の顔も見れずにいると――なんと蓮田は、顔を歪ませ、泣きだしてしまった。

「な、泣くなよ……ごめんって……」

 いっそう焦って言い募ると、彼女は出会ってから初めて見る激した表情で、食ってかかった。

「藤川くんはさ。いつも冷たくてさ。意地悪だよね!」
「う、うん……それはわかってる」
「私、たくさん傷ついた。辛かった。いっぱい泣いた」
「うん……うん……」
「もう藤川くんなんて追いかけるの止めようって思うんだけど、でも、できなかった。藤川くんがいると目で追っちゃって……藤川くん酷いって……藤川くんが……冬馬くんが好きで……好きだから……うぅぅ、うううううう」

 褒めるのか貶すのかどっちかにしてくれ。いやむしろ貶してくれ。
 気恥ずかしかったが、冬馬は最後まで聞く覚悟を決めた。思いの丈を吐き出して、いっそ殴ってくれても構わない。

「私が野球部の応援に行ってたの、冬馬くんのためだって知ってた?」
「知ってたよ。夏休み中の練習も、見に来てくれてただろ」

 真夏の暑い中、立ちっぱなしで見学していて、熱中症で倒れたことも覚えている。保健室に運ばれて、大事には至らなかったらしいが、それから通常練習の応援活動は禁止とされた。他の選手も割を食ったと、冬馬は先輩選手から責められもしたのだ。

「調子に乗ってたけど……ほんとは嬉しかったよ」

 腐っていなかった頃は、それなりに意識もしていたのだ。かっこつけて、つっぱってはいたが……。
 蓮田は顔を上げた。

「え……? そう? そうなの……?」

「う、うん……」

「応援、少しは力になってた?」

「だから……うん……」

 彼女は頬を紅潮させて、目を輝かせていた。涙はどこへ消えたんだろう……。
 だけど、これだけは伝えなければ。初心に戻って、冬馬は前を向いた。

「今さらだけど……ありがとう。蓮田さん」

「……!」

 蓮田は、ますます顔を赤くして、力が抜けたように座りこんでしまった。

 まるで未知の生き物だ……。触れていいものか悩みながら、声をかけて彼女を助け起こす。
 握った彼女の腕は自分よりも細くて、柔らかかった。

 冬馬は少しだけ、「可愛いってこういうことか」と、女子への認識を改めることになった。
 これからの毎日は、なにかが変わるかもしれない。
 自分が弱くなったような気もしていたが――それがいい方向であることを願うとともに、そうなるだろうという確信もあった。


 そして、その日、度肝を抜かれるニュースが飛び込んできた。
 担任の斉藤洋子が、結婚するという。少し前にしたお見合いがうまくいって、スピード結婚するとかなんとか……。

(と、父さんと休日に会ったっていうのは、本当に相談だけだったのか……)

 夏樹と斉藤がアレコレの関係だと思っていた冬馬は、ますます自分の価値観を全面的に見直しすることになった。本当に視野が狭くて、愚かな子どもだったと反省するやら、悔しいやら。

「藤川くん。内緒だけど……お父さんに教わったお化粧のおかげで、人生が開けたの。宜しく伝えてくれる?」

 他の生徒に聞かれぬよう、そう小声で伝えてきた鉄ジョは、見違えるように柔らかくなった笑顔で、冬馬にウインクを飛ばした。

     *

 なみき野住宅に桜を尋ねていくと、楓の遺影の前に通された。
 2DKの間取りの片方の和室に、仏壇も何もなく、棚の上に置かれた骨壺と額。
 けれど埃ひとつなく綺麗に整えられて、そこだけは静謐な空気が漂っているようだった。

 楓の写真を見ると、思っていたよりもショックが大きくて。

 こんな再会を望んでいたわけじゃないのに――。

 遺影の中の白黒の母は、あの頃と同じ笑顔で、穏やかに笑っていた。
 ひとつ屋根の下、一緒に暮らしていた頃の優しい笑顔。写真で残っているものは夏樹と冬馬と家族だった頃のものしかなくて、それを使うしかなかったらしい。

 写真の母と目が合った瞬間から唇が震えて、我慢などできなかった。忘れていたはずの引き出しが開いて、ぶちまけたみたいに、沢山の思い出が押し寄せてきたから。

 顔を覆って、震えだす。桜は、部屋を出ていって、しばらく戻ってはこなかった。

     *

 団地のそばの空き地で、桜とキャッチボールをした。
 彼女はソフトボール部で、男子並みにスナップが効いている。

「ニュージーランドにはいつ行くんだ?」
「来月」

 白い野球ボールのやりとりをしながら、言葉を交わす。
 桜は通っている高校の交換留学生として、外国に渡ることになっているらしい。母が亡くなる前から、決まっていたのだそうだ。母も、楽しみにしていたのだと。
 奨学生として高校に入ったという彼女に、学業を適当にこなしていた身としては、一生頭が上がらない。

 彼女は今までの人生の大半を、きっと母のために生きてきたんだと思う。
 母が亡くなった今も、変わらず母のために生きている。これからもずっと――。

 今後の生活の援助を申し出たが、桜は公的な補助と、事故の慰謝料でなんとかなると言った。だがそこは夏樹がきちんと仕送りをすることになっている。

「向こうに着いたら連絡して。なにかあったらすぐ帰ってこいよ」

 そう言って、すっかりなまってしまった腕を振るう。

「なんか、お母さんみたい」

 こちらが投げたボールをキャッチして、照れくさそうに笑顔を見せた。

「お父さんにも……ありがとうって言っておいて」

 お父さん。桜は自然とその単語を口にしていたが、どうも夏樹の前では、面と向かって呼べないらしい。
 あんなに嫌い嫌いと言っていたのに、頬を染めているのはどういうことなのか。悔しいから、夏樹には教えてやらない。

「父さんはどうでもいい。連絡は俺に入れて」
「あはは! 保護者風、吹かせちゃって! ……兄貴も、元気でね!」

 抜き打ちの投球に、ボールを取り落としてしまった。
 今、兄貴って。兄だと思ってくれているのだろうか。

 嬉しかった。言葉に嘘はない。いつでも頼ってほしい。

 元々、血が繋がっていなくても、家族だったんだ。そして今も、家族だ。
 離れて、またはめ込んだような家族のピース。だけど欠けたものは、戻らなくて――。

 晴れた空を見上げて、伝わるようにと念じた。
 楓母さんに、無性に会いたかった。
 でもそれは、それだけは、もう叶わない――。(おわり)
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