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三章 再会と、去ったもの、来たるもの

5 凶事は突然に

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「終わったー……」

 期末テストの最後の科目、終了。やるだけのことはやった。
 チャイムが鳴って解答用紙の回収を終えたあとの教室は、まるでムクドリの巣のように、ピーチクパーチク大変な騒ぎになっていた。だが、解放感に満ち溢れているのは冬馬も同じ。

「よっしゃー! 冬馬、おまえんちもゲーム買ったら教えろよ。オンライン対戦やろうぜ!」
「お、おう……装備とか整えてからな」

 岡崎とのゲーム話で盛り上がりそこねて、思い出した。欲しかった新作のゲームはすでに発売日を過ぎている。
 それどころじゃなくて予約もできていなかったが、ネットで探せば、いずこかで調達できるだろう。

 父とは冷戦状態が続いているから(というか、こちらが完全無視を貫いている)、結局、誕生日プレゼントうんぬんの計画も露と消えてしまったが、もういい。折れるくらいなら、自分で買う。
 今までよりは少し軽い足取りで、終業の鐘とともに帰路についた。


 家の前までくると、隣家のおばちゃんが家から出てきて、冬馬を呼び止めた。

「ちょっとちょっと、冬馬くん。これ、貰い物なんだけど、良かったらお父さんと食べて」
「え? は、はぁ……」

 ビニール袋に、山ほどのリンゴが入っていた。田舎から箱で取り寄せたらしい。
 お裾分けはありがたかったが、それからが長かった。おばちゃんはとてもおしゃべりで、既婚者で旦那もいるが、夏樹の強烈なファンなのだ。

「こないだ雨の日のゴミ出しの日にね、袋が破れちゃって大変だったんだけど。夏樹さんが手伝いましょうかって言ってくれてね。うちの人なんて休みだからって寝こけてたのに……。優しいんだから、もう。信じられないくらい男前よねぇ」
「いや~……はぁ……」

 始まってしまった。どうぞと言いつつ袋もなかなか渡してくれず、おばちゃんの話は途切れそうもない。とっとと家に入ってのんびりしたいのだが、勝機のないことはわかっている。
 三十分以上、立ったまま長話に付き合わされて、ようやく門を閉める頃には、日の色が変わっていた。

「それじゃあね。お父さんによろしくね」
「はい、おやすみなさい……」

 おばちゃんに会釈してから、そそくさと郵便ポストを確認する。新聞と郵便物を引っ掴んで、やっとホームへと戻ることができた。

 リンゴを流しに置き、なにげなくリビングで郵便を選別して――ビクッと震えて手を止める。
 郵便物の中に、夏樹宛の厚みのある手紙が紛れていた。宛名は手書きで、女性っぽい丸い字。どうみても私信だ。

「なんだこの分厚さ。怖ぇ……」

 見れば、封筒に切手も貼られていない。家の前まで直接、届けにきているのだ。

(はぁ……人のことは言えなくなってきたけどさぁ)

 冬馬は思う。ちゃんと本人が牽制していれば、女性だってここまで押しかけてはこないはずなのだ。牽制は大事。すべて父の態度が悪い。
 いつか酷い目に遭うぞと毒づきながら、テーブルの隅っこに封筒を押しやった。今日も遅くに帰宅するだろうが、目につくところに置いておけば、勝手に回収するだろう。

     *

「有給とった。しばらく休めって言われたから」

 やつれた様子の夏樹と正面から顔を合わせたのは、それから三日後のことだった。仕事でトラブったというのは本当らしい。二度と会話したくないと思っていたのについつい声をかけてしまうくらいには、弱った風体だった。

「どうしたんだよ……」
「人事関係でちょっとな……」

 珍しく落ち込んでいて機嫌も悪そうだったので、そっとしておくことにした。あまりビジネスの深いところまで立ち入って聞きたくはない。

 だが、ちょっと待てよ、となったのは、その日の夜。

 ――ピンポーン……。

 訪問を知らせるチャイムが鳴って、冬馬が応じようと席を立つと、夏樹が止めた。

「俺が出るよ」

 冬馬は中にいるように言われて、夏樹が廊下に消えていった。

 半開きになった扉に気づいたまま、リビングで耳をすませていると、その向こうから女性の声が聞こえてくる。どうやら夏樹の会社の同僚のようだ。盗み聞きをする気はないが、気になってしまう。

「部長。やっぱり納得できないんです。なんで私が異動なんですか。私が邪魔になったんですか」

 うわぁ……と、冬馬は内心おののいた。
 また女絡みか。女って怖い。ここまでいくと怪物にしか見えない。

「……わかった。明日、会社に出るから。そこで話そう」

 結局、小一時間かけて夏樹が玄関でなだめすかして説得し、なんとか帰らせたのだが……。

「すまん」

 戻ってきた夏樹はとても疲れた表情をしていたので、それ以上は責めずにおいてやった。

(お隣のおばちゃんちにも聞こえているだろうな……また近所の噂になっちゃうよ……)

 これで反省してくれればいいのだが。ほんとうに、家にまで問題を持ち込まないで欲しい。

     *

 翌朝は、ゴミ出しの日だった。
 通学の前に所定の場所に置いてこなければと、縛ったビニール袋を掴んでドアを開けると、落ちくぼんだ目をした女性が、玄関前に立っていて、目が合った。

「えっ……?」
「あら、おはようございます」

 にっこりと笑った女性には、見覚えがある。商店街でわざとぶつかってきた、ひっつめ髪のスーツの女性――。
 なんで、門の中まで勝手に入ってきてるんだろう。
 こちらが言葉をなくしていると、

「部長はいらっしゃいますか。今日は会社に出られるというので、一緒に通勤しようかと」
「はぁ……えーと……」

 ぐるぐると視線が定まらない。父を呼ぶか。やばいんじゃないか。どうしたらいいんだ。
 間もなく、様子がおかしいことを察した夏樹が、玄関先に現れた。着替えは済ませていたが、髪のセットはしていない。

「ちょ……根本くん? 何やって……」
「部長、一緒に会社に行きましょう。逃げられたら困りますから迎えにきました」
「逃げないよ。逃げないけどさ、君ね……」

 さすがに頭にきたらしい、珍しく顔を紅潮させながら、夏樹が前に進み出てきた。

「冬馬。家に入っていなさい」
「う、うん……でもゴミが、ちょっと出してきちゃうから」

 決まった時間までに出さないと。そんな条件反射みたいな理屈で体が動いて、玄関先を塞いでいた女性と肩がぶつかった。

「あっ……」

 女性がよろけて、後ろ手に持っていたなにかを取り落とした。石畳みに落ちたそれが、金属の音を響かせる。
 落ちた物に目を向けると、銀色に光る果物ナイフだった。
 ぎょっとして、思考が真っ白になる。

 動けずにいるうちに、女性は慌ててナイフを拾い上げた。
 夏樹が、信じられないという顔で、女性を見つめている。その目つきが、相手の癇に障ったようだった。

「なんですか。その目。違いますよ。これは護身用です。部長との仲を邪魔する輩が多いから……念のために持っているだけです」

「根本くん……帰ってくれないか。でないと……」

「どうして!? 私が悪いんですか!? いつもそう、私は部長のことしか考えていないのに、一緒に死ぬ覚悟だってできてるのに。どうしてわかってくれないの? 大きな子どもがいたって構わない。クソ人事に引き離されたって、これを機に結婚してくれるって信じてたのに、全部嘘だったんですか」

「嘘もなにも……僕はそういうつもりで、君に接したつもりはないよ」

「そんなわけないでしょうっ。優しくしたくせに!」

 どちらも声を張り上げ、競うように怒鳴りあっている。「気を持たせた」、「持たせていない」の問答が続いて、女性はついに金切り声を上げて泣きだした。

「嘘つき! 私は騙された! 遊ばれたんだ!」

「根本くん……」

 女性が、ナイフを構えた。

「部長……部長ぉ……」

 夏樹のことを呼びながら、目は完全にいってしまっている。

(嘘だろ……?)

 冬馬は目の前で起こっているドラマの撮影かなにかのような光景を呆然と見つめながら、なおも動けずにいた。
 そのとき、

「な、何してるの……?」

 道路側から、第三者による声がかけられた。隣のおばちゃんだ。不穏な空気を察した顔で、口元に手をあて、門の外からこちらの様子をうかがっている。

「おばさん……!」

 冬馬は、そちらへ助けを求めるつもりで、夢中で足を踏み出した。

「け、警察を……警察を呼んでください」

「警察!? 私は……私は悪くない!」

 冬馬は振り返った。血走った視線が、まっすぐにこちらへ向けられていた。
 動くものすべてを破壊しつくさんとする悪鬼のごとく、標的を定めて。

 スローモーションのように映るのは、こちらに突進してくる女性。中段に鈍色のナイフを構えて――。
 刺される、とか、怖い、とか、具体的なことは思い浮かばなかった。ただ目の前の出来事を、迫りくる狂気を待つことしかできない。
 それが到達する前に、間に影が割り込んだ。

 ――ドスッ。

 重く、嫌な音が響いた。
 大きな背中が、目の前にある。夏樹だ。冬馬を庇って刺されたのだ。

「うっ……く……」

 夏樹の体が崩れ落ちた。
 おばちゃんの甲高い悲鳴が、上がった。
 刺した女性は、血濡れの手を眺めて、座りこんでいた。

「違う……こんなはずじゃ……こんなことしたくなかったのに」

 やめろよ。こっちのセリフだよ。
 身勝手な女に構っている暇はなかった。

「父さん!!」

 嘘だ。こんなの、嘘だ、嘘だ、嘘だ。

「救急車、救急車を呼んでください……!」

 冬馬は、夏樹にしがみつき、泣きすがっていた。
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