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三章 再会と、去ったもの、来たるもの
3 現実感がないままに
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翌日、夏樹とは必要最小限の言葉しか交わさぬまま、いつもの朝を過ごした。
事実の確認と気持ちの整理は必要と思えた。だが話し合うにしても、誰と何を語るというのか。冷静になる時間が必要だった。
そうこうしているうちに、夏樹はますます仕事に追われていった。
冬馬にしても、事情があろうがなかろうが、学校には通わねばならない。義母が、かつての家族が亡くなっていたというのに、毎日は変わらずやってきて、義務を課してくる。
人生は酷だと思うが、教師や友人の声を聴いていると、気が紛れるのも事実だった。
冬馬は、三日後にもう一度だけ、放課後にひとりで、なみき野住宅を訪れた。
管理人は、桜の許可がないのに通せないと首を横に振ったが、ただ気の毒そうに「元気だしなよ」と慰めの言葉をくれた。それほど寝不足が顔に出ていたのかもしれない。
諦めずに、敷地の手前にあるコンビニで待ち伏せていると、桜がやってきて、帰れと言った。どうやら管理人に話を聞いて、ここにいると察して来たらしい。
「帰るけどさ……先に会いに来たのはそっちだったろ。何か用があったんじゃないの?」
そう尋ねると、桜はぐっと詰まった顔をした。だが、
「もういいの。関係ないんだから。あんたたちとは、もう他人なんだから」
――他人。
そう言われて、さすがにムッとしてしまった自分は冷たいのだろうか。
テスト前にも関わらず、わざわざ来たというのに。
尻尾を振って駆け寄ろうとして、思いきり張り飛ばされた犬のような気分だった。
いっときでも家族だった者同士、手を差し伸べられればと思ったのに――けれどそれは、勝手な独りよがりに過ぎなかったのか。
なんだかもう、気持ちもなにも、めちゃくちゃだ。目を逸らしていいのなら、そうしたい。
こちらが黙っていると、桜はプイと顔を背けて、建物に戻っていってしまった。
それなら、こちらも帰るしかない。だが、それでいいとも思えた。できることはやったんだ。もうこれからは、なるように、なるのだろう。
*
どっと気疲れを抱えながら地元の駅に戻ってくると、あたりはすっかり暗くなっていた。
晩ご飯のおかずになるものを買おうと、駅前の商店街を歩いていると、道で通りすがりの女性と肩がぶつかった。肩より長い髪を一本にまとめた、スーツ姿の中年女性だ。
女性は手に持っていた荷物を取り落としてしまい、あたふたとしている。鞄からこぼれてしまった小物がアスファルトの地面に散らばっていた。
化粧品のサンプルや、パンフレット――営業の帰りだったのだろうか。
「すみません。大丈夫ですか?」
「あ、いえ、こちらこそ、よそ見をしていて……」
女性の荷物を拾うのを手伝っていると、ふいに見慣れたロゴが目に入り、手を止めた。拾った封筒に書かれている会社名――夏樹が勤めている会社だ。
少し、嫌な予感がした。
(もしかして……わざとぶつかられた?)
素朴に見えていた相手が、急に怪しく見えてくる。
「ありがとうございます。優しいのね」
女性は笑顔を浮かべながら、封筒を受け取ろうとこちらに手を差し出してくる。じっとりと汗ばんだ手で、それを渡した。
「それじゃ――」
すぐに立ち去ろうとしたが、
「あら? もしかして……部長の息子さんじゃないですか?」
袖を掴まれた。聞いてもいないのに唐突に「写真を見せてもらったことがあって」と一方的に話し出す女性は、もはや偶然を装った不審者でしかなかった。
部長も呼んでご飯でも行こうと誘われて、恐怖しかない。
なにを言ったか覚えていないが適当にごまかして、その場からダッシュで逃げた。
*
夏樹が帰ったら問い詰めてやろうと思っていたら『今日は遅くなる。先に寝てて』とメールが入った。どうも会社でトラブルがあったらしい。
メールで長話もできないので『わかった』と短く返信を送る。
夏樹の会社の関係者らしき女性に会ったことは、あとで落ち着いてから伝えることにしよう。そもそも彼のこういったトラブルは、今に始まったことではない。
また着信音が鳴ったので、今度はなんだと携帯を見た。
『そういえば冬馬、もうすぐ誕生日だろ。欲しいもの考えておいていいぞ。そのかわり、テスト頑張れよ』
よっしゃ、と腕を振り上げた。悪いこともあれば、いいこともある。
文面にあるとおり、テストも目前。そろそろ集中しないと、それが学生の本分だ。鬱事は、それから考えればいい。
忘れたいことが多すぎて、押しつぶされそうな心地だったが、どうにか気分を切り替えることができそうだ。
答えのないことで悩むのは、こりごりだった。
もしかしたら夏樹も、同じ気持ちだったのかもしれない。
事実の確認と気持ちの整理は必要と思えた。だが話し合うにしても、誰と何を語るというのか。冷静になる時間が必要だった。
そうこうしているうちに、夏樹はますます仕事に追われていった。
冬馬にしても、事情があろうがなかろうが、学校には通わねばならない。義母が、かつての家族が亡くなっていたというのに、毎日は変わらずやってきて、義務を課してくる。
人生は酷だと思うが、教師や友人の声を聴いていると、気が紛れるのも事実だった。
冬馬は、三日後にもう一度だけ、放課後にひとりで、なみき野住宅を訪れた。
管理人は、桜の許可がないのに通せないと首を横に振ったが、ただ気の毒そうに「元気だしなよ」と慰めの言葉をくれた。それほど寝不足が顔に出ていたのかもしれない。
諦めずに、敷地の手前にあるコンビニで待ち伏せていると、桜がやってきて、帰れと言った。どうやら管理人に話を聞いて、ここにいると察して来たらしい。
「帰るけどさ……先に会いに来たのはそっちだったろ。何か用があったんじゃないの?」
そう尋ねると、桜はぐっと詰まった顔をした。だが、
「もういいの。関係ないんだから。あんたたちとは、もう他人なんだから」
――他人。
そう言われて、さすがにムッとしてしまった自分は冷たいのだろうか。
テスト前にも関わらず、わざわざ来たというのに。
尻尾を振って駆け寄ろうとして、思いきり張り飛ばされた犬のような気分だった。
いっときでも家族だった者同士、手を差し伸べられればと思ったのに――けれどそれは、勝手な独りよがりに過ぎなかったのか。
なんだかもう、気持ちもなにも、めちゃくちゃだ。目を逸らしていいのなら、そうしたい。
こちらが黙っていると、桜はプイと顔を背けて、建物に戻っていってしまった。
それなら、こちらも帰るしかない。だが、それでいいとも思えた。できることはやったんだ。もうこれからは、なるように、なるのだろう。
*
どっと気疲れを抱えながら地元の駅に戻ってくると、あたりはすっかり暗くなっていた。
晩ご飯のおかずになるものを買おうと、駅前の商店街を歩いていると、道で通りすがりの女性と肩がぶつかった。肩より長い髪を一本にまとめた、スーツ姿の中年女性だ。
女性は手に持っていた荷物を取り落としてしまい、あたふたとしている。鞄からこぼれてしまった小物がアスファルトの地面に散らばっていた。
化粧品のサンプルや、パンフレット――営業の帰りだったのだろうか。
「すみません。大丈夫ですか?」
「あ、いえ、こちらこそ、よそ見をしていて……」
女性の荷物を拾うのを手伝っていると、ふいに見慣れたロゴが目に入り、手を止めた。拾った封筒に書かれている会社名――夏樹が勤めている会社だ。
少し、嫌な予感がした。
(もしかして……わざとぶつかられた?)
素朴に見えていた相手が、急に怪しく見えてくる。
「ありがとうございます。優しいのね」
女性は笑顔を浮かべながら、封筒を受け取ろうとこちらに手を差し出してくる。じっとりと汗ばんだ手で、それを渡した。
「それじゃ――」
すぐに立ち去ろうとしたが、
「あら? もしかして……部長の息子さんじゃないですか?」
袖を掴まれた。聞いてもいないのに唐突に「写真を見せてもらったことがあって」と一方的に話し出す女性は、もはや偶然を装った不審者でしかなかった。
部長も呼んでご飯でも行こうと誘われて、恐怖しかない。
なにを言ったか覚えていないが適当にごまかして、その場からダッシュで逃げた。
*
夏樹が帰ったら問い詰めてやろうと思っていたら『今日は遅くなる。先に寝てて』とメールが入った。どうも会社でトラブルがあったらしい。
メールで長話もできないので『わかった』と短く返信を送る。
夏樹の会社の関係者らしき女性に会ったことは、あとで落ち着いてから伝えることにしよう。そもそも彼のこういったトラブルは、今に始まったことではない。
また着信音が鳴ったので、今度はなんだと携帯を見た。
『そういえば冬馬、もうすぐ誕生日だろ。欲しいもの考えておいていいぞ。そのかわり、テスト頑張れよ』
よっしゃ、と腕を振り上げた。悪いこともあれば、いいこともある。
文面にあるとおり、テストも目前。そろそろ集中しないと、それが学生の本分だ。鬱事は、それから考えればいい。
忘れたいことが多すぎて、押しつぶされそうな心地だったが、どうにか気分を切り替えることができそうだ。
答えのないことで悩むのは、こりごりだった。
もしかしたら夏樹も、同じ気持ちだったのかもしれない。
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