キャッチ・ボール ~子どもは親を選べませんが~

冴季栄瑠

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二章 モテる男は楽じゃない

5 心休まらず

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 マジか。マジか。マジか。
 冬馬は教壇に立つ洋子を見るたびに、えもいわれぬ思いを抱いた。期末テストも近いというのに、授業に集中するどころではない。

「――はい。では次の段落。森本さん、朗読してください」
「はい。……中世ヨーロッパの美術はこうして……」
「聞こえません。もっと声を大きく」
「は、はいっ」

 現国の授業中、机と机の間を巡回する洋子が、冬馬の横をゆっくりと通り過ぎていった。
 前の列の女子ふたりが、ひそひそと話しているのが聞こえてくる。

「ねぇ……鉄ジョ、今日もメイクすごいんだけど」
「睫毛、どんどん長くなってるよね……あれ絶対、恋しちゃったってやつじゃない?」
「ちょっ、マジ?」

 すかさず洋子の叱責が飛んだ。

「そこ。無駄話をしない」

 私語はぴたりと止んだが、速度を上げたこちらの鼓動は収まらない。心臓に悪いから止めてくれ。
 冬馬は緊張した面持ちで、洋子の方へそっと視線を向けた。

 洋子と目が合った。
 目元が笑った……気がした。

 いや、気のせいだと思うことにして、視線を伏せる。

 夏樹と通じている疑惑が浮上した鉄ジョの挙動は、相変わらず硬い。表情はきりっとしているし、姿勢も反り返っている。
 けれど明らかに以前とは違う。少し前から化粧が濃くなり、様子がおかしいとは思っていたが、時折気の抜けた顔で宙を見ていることがある。姿勢を反り忘れることもある。生徒の誰もが気付くほど顕著に腑抜けるとは何事か。
 この体たらくは自分の父親のせいだと冬馬は確信した。

(あいつのせいでお花畑に足を踏み入れたとしか思えない)

 夏樹のことだ、どうせ得意の口八丁で、おだて褒め殺して「ご用命の際はいつでもウェルカム」みたいなことを言ったのだろう。
 だけどこの鉄仮面女がそれに乗ってくるとは。本当に化粧品が欲しかったのか? いやそんなわけはないだろう。

『先生、肌がすごくお綺麗ですよね』

 進路面談のときの夏樹のセリフが思い出される。相手と場合によっちゃセクハラだろう。下心なさそうに自然に言い放つところが本当に汚いやつだ。
 洋子は男に手放しで褒められて嬉しかったのだろうか。ちょろすぎだぞ、鉄の女。そしてコミュ力お化けか、うちの父親。

『冬馬くん、おはよう。朝ごはん、できてるわよ』

 リビングでエプロンをつけて「お母さん」をしている鉄ジョを想像して――。

(やめろ! ありえない! やっぱ無し、無し!)

 別に冬馬は父親が再婚しようがまた離婚しようが構わないと思っているが、それにしても「信じられない」、この一言に尽きた。非常識すぎる大人たち。勘弁してくれと心の中で吠えた。

(あぁ苛々する、今日も晩飯は作ってやらないからな!)

 発覚したあの日から数日経ったが、食事当番のストライキは続いている。
 最初の頃は夜分帰宅した夏樹がリビングでぶつぶつと文句を言うのが聞こえていたが、昨夜は諦めたのか自分で焼肉弁当を買ってきて食べていた。これみよがしに空の弁当ガラが流しに放置されているのもまた腹が立つ。

 絶対に折れてやるものか。
 ひとり分だけ料理を作るのは非効率だし対立するのも疲れるのだが、どちらかが力尽きるまで意地の張り合いは続くのである。

(今日は高い肉でも買って、ひとりで食ってやる!)

     *

 冬馬は、ホームルームが終わるとすぐに学校を出た。
 期末テストの一週間前に突入したので、勉強時間にあてるため、すべての部活動が休みとなり、全校生徒が授業終了とともに下校する。

 自分は半年前から野球部を休部したままにしており、常に帰宅部の状態に慣れてしまっていたから、通学路や電車が普段より混雑するのは苦痛でしかない。いつもより一本早い電車に滑り込んだが、それでも同じ高校の制服が二割増しに増えていた。

 そばに立っているグループが、男のくせに騒々しい。足元に転がした鞄の具合からして一年生だろう。

「はぁー、部活ないって最高」
「なんか食って帰らねぇ?」
「カラオケ行こうぜ、カラオケ」

 喧しい。おまえら絶対、赤点組だろう。勉強しろと冬馬は内心毒づいて、三駅隣で電車を降りた。路線を乗り換えて、もう二駅。
 地元の駅に到着して、いつものスーパーで買い物をし、徒歩で家路を行く。
 急行の止まらない駅の小さな町だ。一歩駅前から離れれば、昔からある家と臨時駐車場ばかりの、開発から見放された町。
 午後の三時、四時ではたまにランドセルを背負った小学生とすれ違うくらいで人通りは少ない。
 だからこそ、いつもと違うことにはすぐに気が付く。

(……?)

 誰かが自分と同じ方向へ向かって、歩いている。
 後方からわずかに感じ取れる足音、気配。

 最初は、同じ方面に向かっている人がいるなぁ位のものだったが、それがある程度のラインを超えて続くと、だんだんと気になってくる。
 落ち着かないから、さっさと追い越して先に行ってほしい。冬馬はわざと歩幅を緩めたが、後方の足音もすっと遅くなって、また一定の距離を保ってついてくる。

 冬馬は眉をひそめた。
 もしかしたら追い越すのは気まずいと思っているだけかもしれないので、試しに、わざと遠回りになるような角を曲がってみた。期待に反して、その不自然なルートを相手もなぞってくる。

 ――つけられている?
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