キャッチ・ボール ~子どもは親を選べませんが~

冴季栄瑠

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一章 子どもは親を選べない

5 斜め路線の進路面談

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「おう、待たせたか?」

 待ち合わせ場所の昇降口に、片手をあげて颯爽と現れた夏樹に、冬馬は絶対に注目を集めてくれるな、と睨みをきかせて応えた。
 夏樹の後方で、わざわざこちらを覗き込んでいる女生徒たちが目に入り、気が気ではない。

「なんだか、学生時代に戻ったみたいな気分になるな」
「いい大人がはしゃぐなよな、恥ずかしい。ほら早く、こっち」

 スリッパに履き替え、ブランド物の靴は布の袋に入れて携帯する。身だしなみには手を抜かない夏樹、今日もそつがない。

 ダークブラウンの三つ揃えのスーツに、小紋柄が入ったネイビーのネクタイ。亜麻色に染めた少し長めの髪を、緩い天然パーマを活かすように流してセットしている。

 服装は今朝、冬馬が監修し、大方そのとおりのものを身につけている。地味そうな色を選んだはずなのに夏樹が身に着けると華やかに見えるのは何故なのか。
 ネクタイは冬馬が選んだ無地ではなく柄物に差し替えられていたが、今の方がしっくりきているのが腹立たしい。

 進路指導室は校舎の三階にあり、放課後の廊下に人通りはなかった。
 廊下にパイプ椅子が二脚並べて置いてあり、面談の親子は指定の時間にそこで待っていればいいことになっている。

 静まり返った廊下に、校庭で部活動に励む生徒たちの掛け声が届いていた。冬馬の隣に腰かけた夏樹も、その声を心地よく聴いているようだった。

 何を話すでもなくそうしていると、冬馬は焦れたような落ち着かない気持ちになった。

 ――今日は来てくれて良かった。仕事を休んでくれてまで。

 けれど他の生徒の大半は、母親を連れてくるのかな、なんて。
 いやそんなことはないか。このご時世、母子家庭、父子家庭、そこに当てはまらない複雑な事情を抱えた家庭だって増えているもんな。

(……はぁ)

 どうしてそんなことを考えてしまったんだろう。両親が揃っていないことを気にするような時期は、もうとっくに卒業したはずなのに。

 頭の中の雑念をぐちゃぐちゃと掻き消そうとしたとき、カツカツと規則的に階段を上がってくる音がして、クラス担任の斉藤洋子が廊下に姿を見せた。
 約束の時間の、きっかり一分前だった。


 二年三組担任の斉藤洋子は独身で、「鉄の女」と言われている。
 担当教科は現国。青白い細面に、似合いすぎる三角眼鏡。おそらく四十路半ば、アラフィフではないかという噂もあるが、年齢は不詳だ。
 神経質でプライドが高く、反り返りすぎて肩が凝るのではと心配になるほど常に気を張って生きている。

 「男に負けてはならない」という矜持があるのか、同僚男性や男子生徒に対する態度はコンクリートブロックのように硬い。
 「女にも負けてはならない」ものなのか、同僚女性と女子生徒に対してもかき氷用のブロックアイス並みに冷ややかだ。

 そんな性格だから生意気な高校生になめられず、クラスをまとめていられるのかもしれないが、世間的に見ればあれはコミュ障の変人だと冬馬は思っている。

 洋子は冬馬を一瞥し、夏樹の前に立つと、相変わらず隙のない態度でお辞儀をした。姿勢を戻したときに逆に反り返るところが、斉藤クオリティである。

「藤川くんのお父様ですね。はじめまして」
「はじめまして。いつも冬馬がお世話になって……」
「どうぞ時間ですので中にお入りください」
「えっ? あ、はい」

 おぉ、あの父がペースを乱されている。
 夏樹を見て見惚れるでもなく媚びを売るわけでもなく、挨拶も食い気味に行動を促す鉄の女に、冬馬は初めて一目を置いたのだった。



 面談は、十五分ほどの間で行われた。

「二学期のテストは成績を下げましたね。足の怪我の影響があったのかもしれませんが」
「はぁ、すんません……」

 冬馬の学力テストの結果などを見ながら、大学進学の意思を確認し、候補の大学をいくつか絞っていく。

「いや、単なる気の緩みですよ。もう治ってるんだろ?」
「ん、まぁ……」
「こいつ面倒くさいとかいって、予備校にも通わないし。余裕こいてて大丈夫なのかなと」
「そうですか。私大の捻った問題は慣れが必要だと思いますから、予備校に通われていないなら、過去問題集を解く必要はあると思いますが」
「ですよね。普段もこの調子で、ご迷惑をおかけしていませんか。何につけても面倒くさいばかりで」
「ちょっ……、うるさい、余計なこと言うなよ」

 洋子が咳払いをしたので、冬馬も口をつぐんだ。

「藤川くんは目立った苦手科目はありませんから、得意科目の国語を活かして、丁度良いところがあれば推薦を狙ってみてもいいかもしれません」
「おい褒められてるじゃないか。先生、そんな甘やかさないでください。調子にのりますから」

 褒めたのか? 今のは。冬馬にはよくわからなかった。
 洋子は手元のファイルから視線を上げたが、表情がないから詰問されているようにしか思えない。

「……それで。藤川くんは、大学を出て具体的な目標などは」

 冬馬は言い淀んだが、夏樹に促されて、正直に答えた。

「まだあんまり……大学に入ってから考えます」
「そうですか。絶対とは言えませんが、入った学部である程度、職業の選択肢が狭まってしまうことを念頭に置いておいてください」
「おまえ文系なのか。私は理系だったんですがね」

 夏樹は洋子に笑いかけた。

「そうですか。お父様は何のご職業に?」
「化粧品メーカーです。先生、さっきから思ってたんですが、肌がすごくお綺麗ですよね。生まれはどちらのご出身ですか。あぁ、すみません。私、美容関係の仕事をしているもので……」
「……それで、こちらに大学のオープンキャンパス日程の一覧をまとめてありますので」

 おい、スルーされてるぞ。
 職業病なのか、場を和やかな雰囲気に持っていこうとする夏樹の世辞にも、洋子は眉ひとつ動かさない。

 夏樹も洋子も、どちらもマイペースだ。終始そのままの空気を崩さないまま、冬馬にとって居心地の悪い進路面談は、定刻になりお開きとなった。

     *

「……すごいだろ、うちの担任」

 面談が終わって夏樹と一緒に階段を下りていくとき、冬馬はうかがうように尋ねた。

「まぁ個性的だったな。でも頼りになりそうじゃないか。名刺交換もしてくれたし」

 夏樹は気にしていないようだ。
 まったく、女には甘いんだからな。

 洋子は教師になるだけあって知識は豊富なはずだし、仕事はできる。妥協もしない。けれど保護者連中には好かれないだろう。

(PTAにも平気で物を言いそうだよな、あの先生)

 親たちをお客様と崇め奉るくらいでなければ、態度が悪いとクレームを入れられる、そんな時代なのだ。
 冬馬の将来の夢は定まってはいないが、これだけは断言できる。

 教師にだけは、なるまいと。
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