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不思議なお話NO14
輪廻転生を実感した瞬間
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今回は、僕が輪廻転生を確信するに至ったある体験、というか出来事について述べるつもりですが、その前に今更の感はあるのですが、実は、僕の不思議に関する考え方は、このアルファポリスに掲載している小説「日本列島壊滅も日」の中で、おおよそのことは述べているのです。
この小説の最初の題名は「神の舞う空」だったのですが、アクセス数が伸びず、何のことやらさっぱり分からない題名を、注目度を上げるために扇情的な題名に変えました。おかげさまで、それなりのアクセス数をかせいでいます。
ただ、僕の主張は、小説の中で不思議に関する僕の考えを、主人公が折に触れて思いにふける、という形で記述しており、読んでくれた友人に言わせるとストーリーの邪魔になっているというので、相当部分を削っていますが、まだ長いと感じる方の方が多いようです。
そこで、今回、その部分を【】で囲み分かるようにしておきましたので、興味のある方は以下の章の【】で囲まれた部分だけでもお読み頂けれると、僕の主張の大筋は分かると思います。とにかく、予言の原理、霊界の存在する場所、輪廻転生の原理、はては神の正体まで見破ってしまうのですから、一読の価値はあると思います。
◇◇◇◇◇◇
第四章、第五章、第八章、第九章、第十一章、第十二章、第十四章、第十五章、第十七章
◇◇◇◇◇◇
ところで、これらの私の主張に対し、なるほどと思って読まれる方もいれば、どうも胡散臭いと感じる方もおられると思いますが、それはそれでいいと思っています。何故なら、僕は誰に対しても説得するつもりなどないからです。あくまでも、僕はこう考えているというだけの話です。
そして、これから僕が輪廻転生は間違いなくあると確信したある出来事を述べますが、これも僕がそう信じているに過ぎず、それを貴方が信じるかどうかは、貴方の問題なのです。
というのは、今回のお話、我が祖父家族の集合写真に、一人の幼女が写っていて、それが女房にそっくりだと思ったのは、僕と、娘と、34歳までやっかい伯父として一緒に暮らした僕の弟の3人だけですから、それを信じろと言う方が無理だと思っているのです。
では、そのお話を紹介いたします。
納戸の奥にあった箪笥を整理した時に発見したその写真は、古いアルバムに納められていました。このアルバムは相当古いもので、あちこちが破損し、写真はそれこそセピア色でした。
そこに写っている人々は僕のご先祖様達で明治期のものだと思われます。そのアルバムには曾祖父母の中年の頃の写真もありましたから安藤家に代々受け継がれてきたものでしょう。
曾祖父に次いで、そのアルバムを祖父が引き継ぎ、家族写真を納めたのです。その中の一枚の写真に、祖父母と僕の良く知る三姉妹(叔母達)、父、父の弟、そしてもう一人、4歳か5歳くらいの幼女が写っていました。
その幼女を見たときの驚きは、言葉では言い表せません。その幼女は、まさに女房そっくりだったのです。娘に、何も言わずにいきなり見せました。娘の第一声は「お母さん、なんで、こんな古い写真に写っているのよ?」です。そして、弟も同様で、「これ、義姉さんが、小さいとき親戚かどっかに行って撮ったの?」でした。
ところで、皆さんはこんな経験はないでしょうか?古い友人に出逢って、最初のうちは、その友人の顔のイメージが昔と異なり、違和感を覚えていても、思い出話に花を咲かせているうちに昔の面影とぴったりと重なったという経験です。つまり視覚の映像は現物そのものではなく、脳内に収納されているイメージに沿って改めて再処理されるということ。
また、こんな話はご存じでしょうか。事実かどうか分からないのですが、警察の手配写真がありますが、実は写真よりも似顔絵の方が犯人検挙に繋がるというお話です。
つまり、人が特定の人物を認識するのは、写真のように人物の輪郭が固定したものではなく、想像を膨らませられるイメージによってではないかと思うのです。様々な表情の100枚の写真より、一枚の似顔絵がイメージを捉えていれば、その方が認識しやすいということです。僕、娘、そして弟がその幼女に見たものは女房のイメージなのです。
そして、その写真を見たとき、ふと父のあの言葉を思いだしました。
「うちの女達は呪われている・・・」
父が呆然とその言葉を呟いたのは、当時18歳だった姉が手術を要すると分かったときのことでした。きっと不安におののいて、思わず漏らしたのでしょう。手術は成功して、今はぴんぴんしていますが、その当時の父にとってうら若き娘が手術を受けるという事実が、暗い記憶を呼び覚ましたのだと思います。
その時、僕は「女達」と聞いて、不審を抱きました。ですが、すぐに一人の叔母を思い浮かべました。彼女は長男を亡くし、次いで旦那も鉄道事故失っていますから、彼女のことを言っているのかもしれないと思っのです。でも「女達」という言葉が腑に落ちませんでした。
実は、この幼女は父の10歳年下の妹です。そして、その妹は夭逝していて、この写真が最後のものとなりました。死因は破傷風だったと聞いています。家族全員が不安と悲しみに堪えながら、幼子の手術の成功を祈り、そしてその死に直面したのです。
父の「呪われている」という言葉は、この妹の死と深くかかわる言葉だったのかもしれません。当時、中学生だった父は、神に心から妹の手術成功を祈ったのでしょう。にもかかわらず、願いは聞き届けられませんでした。父の言った「呪われている」という言葉は、その神に対する怨みを逆さまにした言葉のような気がします。それほど悲しみが深かったのだと思うのです。
父は小さな子供が大好きでした。生前、月に一度病院に付き添ったのですが、小さな子供を見るたびに、車椅子から後ろを振り返り、にこにこしながら「可愛いね」と僕に同意を求めました。
そんな父ですから、この夭折した妹をどれほど可愛がったか、その死をどれだけ悼んだかは想像に難くないのです。父は涙というものを殆ど見せない人でした。妹の死を悲しむあまり、涙が枯れていまったのでは、と思ったりします。
また、弟は結婚が遅い方でしたから、その子供達が父と一緒に遊べるようになったのは、父が70代前半の頃でした。それでも老骨に鞭打って公園に連れてゆきジャングルジムや滑り台で一緒に遊ぶのです。一時もそばを離れず、何時間でも行動を共にするのです。それは、きっと、怪我をしないように、見守っていたのだと思います。
そして、生前父が買い置きしていた消毒液、包帯そして包帯を止めるテープの山のような在庫は、父が何よりも子供達の怪我(破傷風)を恐れていたことを物語っているのです。この在庫の山は僕の代まで賄える程です。
きっと父は薬屋の店頭で消毒液を見るたびに家の在庫が気になり、買わずに通り過ぎることが出来なかったのっだと思うと、父の家族への思いに、思わず涙ぐみそうになります。
そんな父が病に倒れ、寝たきりになったのは85歳の時です。女房は寝たきりの父を、それこそ骨身を惜しまずく面倒をみてくれました。父は何度も入退院を繰り返した病院で息を引き取り、僕と弟、そして女房の3人で涙ながら見送ったのです(姉は間に合いませんでした)。僕は言葉には出さなかったのですが、女房に心から感謝しました。
今、女房は、夭折したその幼女と同じ名の、僕の母の面倒を看てくれています。 母は認知症で幼児のようにあどけない可愛い老女になっています。その母が、女房に面倒を看てもらった後、こう言ったのです。
「私、この家に生まれてきて本当に幸せ」と。
これを聞いて、僕は思わず目頭が熱くなりました。恐らく、女房は父だけではなく、母とも何らかの縁があったのだと僕は理解したのです。
僕が何を言いたいのかは、くどくど申しません。言わなくとも誰でも想像はつくでしょう。僕は、女房はあの幼女の生れ代わりだと思っているのです。そして、ちょっと唖然とするような不思議なお話を一つ付け加えてこの章を終えることにします。これについては、さすがの僕も「そんな馬鹿な」と思っています。
父は痴ほう症でした。その父が、ある時、僕にこう言ったのです。
「ジュン(僕の名)、俺は分かっているんだ。お前は兄貴だろう?」
実は、父は本来次男でした。つまり、亡くなられた兄がいたのです。
この小説の最初の題名は「神の舞う空」だったのですが、アクセス数が伸びず、何のことやらさっぱり分からない題名を、注目度を上げるために扇情的な題名に変えました。おかげさまで、それなりのアクセス数をかせいでいます。
ただ、僕の主張は、小説の中で不思議に関する僕の考えを、主人公が折に触れて思いにふける、という形で記述しており、読んでくれた友人に言わせるとストーリーの邪魔になっているというので、相当部分を削っていますが、まだ長いと感じる方の方が多いようです。
そこで、今回、その部分を【】で囲み分かるようにしておきましたので、興味のある方は以下の章の【】で囲まれた部分だけでもお読み頂けれると、僕の主張の大筋は分かると思います。とにかく、予言の原理、霊界の存在する場所、輪廻転生の原理、はては神の正体まで見破ってしまうのですから、一読の価値はあると思います。
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第四章、第五章、第八章、第九章、第十一章、第十二章、第十四章、第十五章、第十七章
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ところで、これらの私の主張に対し、なるほどと思って読まれる方もいれば、どうも胡散臭いと感じる方もおられると思いますが、それはそれでいいと思っています。何故なら、僕は誰に対しても説得するつもりなどないからです。あくまでも、僕はこう考えているというだけの話です。
そして、これから僕が輪廻転生は間違いなくあると確信したある出来事を述べますが、これも僕がそう信じているに過ぎず、それを貴方が信じるかどうかは、貴方の問題なのです。
というのは、今回のお話、我が祖父家族の集合写真に、一人の幼女が写っていて、それが女房にそっくりだと思ったのは、僕と、娘と、34歳までやっかい伯父として一緒に暮らした僕の弟の3人だけですから、それを信じろと言う方が無理だと思っているのです。
では、そのお話を紹介いたします。
納戸の奥にあった箪笥を整理した時に発見したその写真は、古いアルバムに納められていました。このアルバムは相当古いもので、あちこちが破損し、写真はそれこそセピア色でした。
そこに写っている人々は僕のご先祖様達で明治期のものだと思われます。そのアルバムには曾祖父母の中年の頃の写真もありましたから安藤家に代々受け継がれてきたものでしょう。
曾祖父に次いで、そのアルバムを祖父が引き継ぎ、家族写真を納めたのです。その中の一枚の写真に、祖父母と僕の良く知る三姉妹(叔母達)、父、父の弟、そしてもう一人、4歳か5歳くらいの幼女が写っていました。
その幼女を見たときの驚きは、言葉では言い表せません。その幼女は、まさに女房そっくりだったのです。娘に、何も言わずにいきなり見せました。娘の第一声は「お母さん、なんで、こんな古い写真に写っているのよ?」です。そして、弟も同様で、「これ、義姉さんが、小さいとき親戚かどっかに行って撮ったの?」でした。
ところで、皆さんはこんな経験はないでしょうか?古い友人に出逢って、最初のうちは、その友人の顔のイメージが昔と異なり、違和感を覚えていても、思い出話に花を咲かせているうちに昔の面影とぴったりと重なったという経験です。つまり視覚の映像は現物そのものではなく、脳内に収納されているイメージに沿って改めて再処理されるということ。
また、こんな話はご存じでしょうか。事実かどうか分からないのですが、警察の手配写真がありますが、実は写真よりも似顔絵の方が犯人検挙に繋がるというお話です。
つまり、人が特定の人物を認識するのは、写真のように人物の輪郭が固定したものではなく、想像を膨らませられるイメージによってではないかと思うのです。様々な表情の100枚の写真より、一枚の似顔絵がイメージを捉えていれば、その方が認識しやすいということです。僕、娘、そして弟がその幼女に見たものは女房のイメージなのです。
そして、その写真を見たとき、ふと父のあの言葉を思いだしました。
「うちの女達は呪われている・・・」
父が呆然とその言葉を呟いたのは、当時18歳だった姉が手術を要すると分かったときのことでした。きっと不安におののいて、思わず漏らしたのでしょう。手術は成功して、今はぴんぴんしていますが、その当時の父にとってうら若き娘が手術を受けるという事実が、暗い記憶を呼び覚ましたのだと思います。
その時、僕は「女達」と聞いて、不審を抱きました。ですが、すぐに一人の叔母を思い浮かべました。彼女は長男を亡くし、次いで旦那も鉄道事故失っていますから、彼女のことを言っているのかもしれないと思っのです。でも「女達」という言葉が腑に落ちませんでした。
実は、この幼女は父の10歳年下の妹です。そして、その妹は夭逝していて、この写真が最後のものとなりました。死因は破傷風だったと聞いています。家族全員が不安と悲しみに堪えながら、幼子の手術の成功を祈り、そしてその死に直面したのです。
父の「呪われている」という言葉は、この妹の死と深くかかわる言葉だったのかもしれません。当時、中学生だった父は、神に心から妹の手術成功を祈ったのでしょう。にもかかわらず、願いは聞き届けられませんでした。父の言った「呪われている」という言葉は、その神に対する怨みを逆さまにした言葉のような気がします。それほど悲しみが深かったのだと思うのです。
父は小さな子供が大好きでした。生前、月に一度病院に付き添ったのですが、小さな子供を見るたびに、車椅子から後ろを振り返り、にこにこしながら「可愛いね」と僕に同意を求めました。
そんな父ですから、この夭折した妹をどれほど可愛がったか、その死をどれだけ悼んだかは想像に難くないのです。父は涙というものを殆ど見せない人でした。妹の死を悲しむあまり、涙が枯れていまったのでは、と思ったりします。
また、弟は結婚が遅い方でしたから、その子供達が父と一緒に遊べるようになったのは、父が70代前半の頃でした。それでも老骨に鞭打って公園に連れてゆきジャングルジムや滑り台で一緒に遊ぶのです。一時もそばを離れず、何時間でも行動を共にするのです。それは、きっと、怪我をしないように、見守っていたのだと思います。
そして、生前父が買い置きしていた消毒液、包帯そして包帯を止めるテープの山のような在庫は、父が何よりも子供達の怪我(破傷風)を恐れていたことを物語っているのです。この在庫の山は僕の代まで賄える程です。
きっと父は薬屋の店頭で消毒液を見るたびに家の在庫が気になり、買わずに通り過ぎることが出来なかったのっだと思うと、父の家族への思いに、思わず涙ぐみそうになります。
そんな父が病に倒れ、寝たきりになったのは85歳の時です。女房は寝たきりの父を、それこそ骨身を惜しまずく面倒をみてくれました。父は何度も入退院を繰り返した病院で息を引き取り、僕と弟、そして女房の3人で涙ながら見送ったのです(姉は間に合いませんでした)。僕は言葉には出さなかったのですが、女房に心から感謝しました。
今、女房は、夭折したその幼女と同じ名の、僕の母の面倒を看てくれています。 母は認知症で幼児のようにあどけない可愛い老女になっています。その母が、女房に面倒を看てもらった後、こう言ったのです。
「私、この家に生まれてきて本当に幸せ」と。
これを聞いて、僕は思わず目頭が熱くなりました。恐らく、女房は父だけではなく、母とも何らかの縁があったのだと僕は理解したのです。
僕が何を言いたいのかは、くどくど申しません。言わなくとも誰でも想像はつくでしょう。僕は、女房はあの幼女の生れ代わりだと思っているのです。そして、ちょっと唖然とするような不思議なお話を一つ付け加えてこの章を終えることにします。これについては、さすがの僕も「そんな馬鹿な」と思っています。
父は痴ほう症でした。その父が、ある時、僕にこう言ったのです。
「ジュン(僕の名)、俺は分かっているんだ。お前は兄貴だろう?」
実は、父は本来次男でした。つまり、亡くなられた兄がいたのです。
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