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不思議なお話NO10
偶然の出会いって何だろう?何か意味があるの?
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これまで何件か僕の偶然の出会いを紹介してきましたが、この度は妻の偶然の出会いについて述べ、最後に偶然の出会いの意味について考えてみたいと思います。
僕らは似たもの夫婦で、妻もこうした突拍子のない偶然が多いのです。妻の場合は、特に一人の幼友達との縁が深いようで、離れて疎遠になりはじめると、まるで、縁が切れるのを阻止するかのように偶然の出会いがそこに配置されているのです。ちょっと驚きますよ。
その幼友達の名は啓子(仮名)さんと言います。啓子さんは小学校5年生の時に東京から引っ越してきたのですが、二人は同じくクラスで席も近かったこともあり、すぐに親しくなったそうです。
遊ぶのも登下校も一緒で、周りからまるで姉妹みたいと言われて、その交流は中学まで続きました。しかし二人は高校受験で進路が別れます。高校が近場にあればよかったのですが、遠く離れればその交流も希薄になってゆくのは仕方のないことです。
妻は高校へ入って1年目の夏に遠くに引っ越しましたので、近所で会うこともなくなりました。二人はそれこそ多感な時期ですから、新たな友人や親友が出来、年賀状のやりとりは続けてはいたものの、次第にその距離は遠ざかっていったのです。
普通であれば、そのまま時が過ぎ、年賀状の文面もありきたりなものになっていったでしょうし、何十年後かにたまたま開かれた同窓会で、涙の対面を果たし、一時の懐かしさを感じたとしても、当時の友情と交友が、今のように復活することはなかったと思います。しかし、二人は運命的に結ばれていたのです。
最初の偶然は、高校の修学旅行の時です。奈良の大仏様は、修学旅行のメッカですが、二人は同じ時刻、同じ場所に来ていました。日本人は律儀ですから、二つの女子校とも、旗を手にした先生に引率され、生徒が二列に並んで目的地へと歩んでいました。しかも、この二つの列は行きと帰りだったのです。
そして、運命の出会いがここに用意されていました。すれ違う二つの女子高校の列から悲鳴とも歓喜ともつかない声があがります。その時、それまで整然としていた列は乱れ、声をあげた二人の少女を取り囲んだのです。
二人は信じられない出会いに、周りの目など眼中にはありませんでした。互いの手を握り、涙目になって驚きと歓喜を互いに伝え合ったのです。それからというもの、電話で或いは手紙での交流が再開したのは言うまでもありません。
その後、二人はまた疎遠になってゆきます。妻は東京の女子大に通い、啓子さんは高校卒業後社会人になったからです。高校進学時と同様、互いに身近な友人が出来れば、今ある人間関係が日常を占めるようになるのは当たり前ですし、そちらの方が優先されるのも致し方のないことです。ですが、恐らく年賀状の文面は高校のときより、近況を知らせ合ったりと少しは親密になっていたのではないかと思います。
次なる偶然は、妻が大学で親しくなった友人の家を訪ねた時に起こります。その友人はクラスメイトであり、クラブも一緒でした。学校の帰りに誘われて、その友人の自宅を訪問したわけですが、妻はそのあまりの偶然に、思わず絶句し、しばらくの間、言葉を失っていたそうです。
その偶然は友人のアルバムの中にありました。先に啓子さんは小学校五年生の時、東京から引っ越して来たと書きました。妻は漠然と東京とだけ覚えていたのですが、啓子さんが住んでいたのは、大学のその友人の住む四谷区の一角だったのです。そう、そのアルバムの一枚の写真には、その友人と啓子さんが一緒に写っていたのです。
どうお思いでしょうか、不思議だとは思いませんか?でも、妻と啓子さんの不思議な出会いは、第三弾も用意されていたのですから、もう、開いた口が塞がりません。その第三弾には僕も立ち会いましたので、正確に記述出来ると思います。
あれは、上の女の子が小学校3年、下の男の子が小学校一年の時だと思います。僕たちは子供達を連れて遊園地に遊びに行きました。そこには動物園やお手軽なアトラクションがあり、二人の子供ははしゃぎ回っていました。
こじんまりした公園ですから、迷子になる心配もなく、妻と二人で公園のベンチに腰掛け子供達の様子を目で追っていたのですが、下の子供が転んでわんわん泣き始めました。僕は子供に歩み寄って抱き起こし、泣く子をなだめすかしていました。
その時、
「やだー、啓ちゃん」
という、妻のひときわ大きな声が響きました。
振りり返ると、妻が美人のママさんと互いの手を握り合い、興奮した様子で驚きと歓喜の言葉を交わしているところでした。僕は以前から啓子さんという親友の存在と、これまでの偶然の出会いを聞いていましたので、僕自身びっくりし、ちょっとだけ感動しながら、二人の興奮覚めやらぬ様子をじっと見ていたのです。
そして啓子さんの傍らには、我が家の上の女の子と同じ年頃の男の子が、いつになく興奮した様子のママさんを不思議そうな目で見上げていました。二人は子育てという大変な時期を卒業し、ようやく子供から手が離せるちょうどその時に、再会を果たしたのです。
その後、二人の交流はいよいよ深まり、それは現在にまで至ります。そして、妻の縁が僕の縁と絡んでくるのですから不思議としか言いようがありません。これには本当にびっくりしますよ。一例をあげれば、僕の親友の購入したマンション近くに啓子さん家族が引っ越してきて、子供が同じクラスなるとか、妻のランチ友達もこのマンションの見えるマンションに住んでいます。
実を云うと、僕より妻の方がびっくりするような偶然の出会いが多いのですが、僕の話より更に作り話のような話ばかりなので、とりあえずこのエッセイでは割愛しています。
さて、それでは最後になりますが、何故、僕が偶然の出会いをについて関心を寄せているかについて述べたいと思います。「不思議なお話No6 今生に蘇る能力」で、僕が輪廻転生論者であることを表明しました。そして僕は、「偶然の出会い」と「縁」は切っても切れない関係にあり、その縁は輪廻転生にも絡んでくると思っているのです。
そのことについて、いずれ僕が考えていることを書くつもりですが、このことだけは覚えて置いてください。偶然なんてこの世に存在しません。すべて、何かを気づかせるために、偶然を装ってそこに配置されているのです。僕は平原綾香のジュピターの歌詞が好きです。特にこの部分です。
愛を学ぶために孤独があるなら
意味のないことなどおこりはしない
※これまでいくつかの不思議な出会いについて述べてきましたが、その中で「いずれ、それについても書きたいと思っています」と述べて、まだ書いていないものが一つあります。それについては確認事項が二つあり、もしそれが僕の思っていた通りであれば書きますが、僕の思い違いなら、知らばっくれるつもりですので、ご容赦下さい。
僕らは似たもの夫婦で、妻もこうした突拍子のない偶然が多いのです。妻の場合は、特に一人の幼友達との縁が深いようで、離れて疎遠になりはじめると、まるで、縁が切れるのを阻止するかのように偶然の出会いがそこに配置されているのです。ちょっと驚きますよ。
その幼友達の名は啓子(仮名)さんと言います。啓子さんは小学校5年生の時に東京から引っ越してきたのですが、二人は同じくクラスで席も近かったこともあり、すぐに親しくなったそうです。
遊ぶのも登下校も一緒で、周りからまるで姉妹みたいと言われて、その交流は中学まで続きました。しかし二人は高校受験で進路が別れます。高校が近場にあればよかったのですが、遠く離れればその交流も希薄になってゆくのは仕方のないことです。
妻は高校へ入って1年目の夏に遠くに引っ越しましたので、近所で会うこともなくなりました。二人はそれこそ多感な時期ですから、新たな友人や親友が出来、年賀状のやりとりは続けてはいたものの、次第にその距離は遠ざかっていったのです。
普通であれば、そのまま時が過ぎ、年賀状の文面もありきたりなものになっていったでしょうし、何十年後かにたまたま開かれた同窓会で、涙の対面を果たし、一時の懐かしさを感じたとしても、当時の友情と交友が、今のように復活することはなかったと思います。しかし、二人は運命的に結ばれていたのです。
最初の偶然は、高校の修学旅行の時です。奈良の大仏様は、修学旅行のメッカですが、二人は同じ時刻、同じ場所に来ていました。日本人は律儀ですから、二つの女子校とも、旗を手にした先生に引率され、生徒が二列に並んで目的地へと歩んでいました。しかも、この二つの列は行きと帰りだったのです。
そして、運命の出会いがここに用意されていました。すれ違う二つの女子高校の列から悲鳴とも歓喜ともつかない声があがります。その時、それまで整然としていた列は乱れ、声をあげた二人の少女を取り囲んだのです。
二人は信じられない出会いに、周りの目など眼中にはありませんでした。互いの手を握り、涙目になって驚きと歓喜を互いに伝え合ったのです。それからというもの、電話で或いは手紙での交流が再開したのは言うまでもありません。
その後、二人はまた疎遠になってゆきます。妻は東京の女子大に通い、啓子さんは高校卒業後社会人になったからです。高校進学時と同様、互いに身近な友人が出来れば、今ある人間関係が日常を占めるようになるのは当たり前ですし、そちらの方が優先されるのも致し方のないことです。ですが、恐らく年賀状の文面は高校のときより、近況を知らせ合ったりと少しは親密になっていたのではないかと思います。
次なる偶然は、妻が大学で親しくなった友人の家を訪ねた時に起こります。その友人はクラスメイトであり、クラブも一緒でした。学校の帰りに誘われて、その友人の自宅を訪問したわけですが、妻はそのあまりの偶然に、思わず絶句し、しばらくの間、言葉を失っていたそうです。
その偶然は友人のアルバムの中にありました。先に啓子さんは小学校五年生の時、東京から引っ越して来たと書きました。妻は漠然と東京とだけ覚えていたのですが、啓子さんが住んでいたのは、大学のその友人の住む四谷区の一角だったのです。そう、そのアルバムの一枚の写真には、その友人と啓子さんが一緒に写っていたのです。
どうお思いでしょうか、不思議だとは思いませんか?でも、妻と啓子さんの不思議な出会いは、第三弾も用意されていたのですから、もう、開いた口が塞がりません。その第三弾には僕も立ち会いましたので、正確に記述出来ると思います。
あれは、上の女の子が小学校3年、下の男の子が小学校一年の時だと思います。僕たちは子供達を連れて遊園地に遊びに行きました。そこには動物園やお手軽なアトラクションがあり、二人の子供ははしゃぎ回っていました。
こじんまりした公園ですから、迷子になる心配もなく、妻と二人で公園のベンチに腰掛け子供達の様子を目で追っていたのですが、下の子供が転んでわんわん泣き始めました。僕は子供に歩み寄って抱き起こし、泣く子をなだめすかしていました。
その時、
「やだー、啓ちゃん」
という、妻のひときわ大きな声が響きました。
振りり返ると、妻が美人のママさんと互いの手を握り合い、興奮した様子で驚きと歓喜の言葉を交わしているところでした。僕は以前から啓子さんという親友の存在と、これまでの偶然の出会いを聞いていましたので、僕自身びっくりし、ちょっとだけ感動しながら、二人の興奮覚めやらぬ様子をじっと見ていたのです。
そして啓子さんの傍らには、我が家の上の女の子と同じ年頃の男の子が、いつになく興奮した様子のママさんを不思議そうな目で見上げていました。二人は子育てという大変な時期を卒業し、ようやく子供から手が離せるちょうどその時に、再会を果たしたのです。
その後、二人の交流はいよいよ深まり、それは現在にまで至ります。そして、妻の縁が僕の縁と絡んでくるのですから不思議としか言いようがありません。これには本当にびっくりしますよ。一例をあげれば、僕の親友の購入したマンション近くに啓子さん家族が引っ越してきて、子供が同じクラスなるとか、妻のランチ友達もこのマンションの見えるマンションに住んでいます。
実を云うと、僕より妻の方がびっくりするような偶然の出会いが多いのですが、僕の話より更に作り話のような話ばかりなので、とりあえずこのエッセイでは割愛しています。
さて、それでは最後になりますが、何故、僕が偶然の出会いをについて関心を寄せているかについて述べたいと思います。「不思議なお話No6 今生に蘇る能力」で、僕が輪廻転生論者であることを表明しました。そして僕は、「偶然の出会い」と「縁」は切っても切れない関係にあり、その縁は輪廻転生にも絡んでくると思っているのです。
そのことについて、いずれ僕が考えていることを書くつもりですが、このことだけは覚えて置いてください。偶然なんてこの世に存在しません。すべて、何かを気づかせるために、偶然を装ってそこに配置されているのです。僕は平原綾香のジュピターの歌詞が好きです。特にこの部分です。
愛を学ぶために孤独があるなら
意味のないことなどおこりはしない
※これまでいくつかの不思議な出会いについて述べてきましたが、その中で「いずれ、それについても書きたいと思っています」と述べて、まだ書いていないものが一つあります。それについては確認事項が二つあり、もしそれが僕の思っていた通りであれば書きますが、僕の思い違いなら、知らばっくれるつもりですので、ご容赦下さい。
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