35 / 43
第十話
王妃様が案内するヴィンセント城ダンジョン1
しおりを挟む王都の高台に聳え立つヴィンセント城。
晴天に恵まれたこの日、ドラゴンの紋章を掲げた立派な馬車がその門を潜った。
やがて王宮の玄関の前で停止したそれから降り立ったのは、眼鏡をかけたおとなしそうな若者だ。
とたん、足下から声が上がった。
「よくきたな、マチアス! この──ヴィンセント城ダンジョンへ!」
腰に手を当て、踏ん反りかえって言い放つのは、我らがヴィンセント王妃マイリ。
ちっちゃな身体は真っ白いローブに包まれ、父親譲りのブロンドの髪もフードで隠されている。
そんなマイリと対峙した若者──ヴォルフ帝国の皇弟マチアス・ヴォルフは、聞き慣れない言葉に姉皇帝レベッカとそっくりの水色の瞳をまんまるにした。
「ヴィ、ヴィンセント城……だんじょん?」
短く調えた髪は、姉の鮮烈な色合いと比べれば幾分燻んだ赤である。
顔つきも、女帝の名をほしいままにしていた姉とは似てもぬつかぬ、純朴かつ温厚そうなものだった。
そんなマチアスは、この度、ヴォルフ帝国の特使としてヴィンセント王国を訪れたのだ。
マイリと会うのはこれが二度目──二年前の結婚式以来である。
マチアスは豪奢なマントの裾が地面に擦れるのも構わずその場にしゃがみ込み、手袋を外して右手を差し出す。
マイリはちっちゃなふくふくの手で握手に応えると、彼の手をブンブンと大きく縦に振りながら言った。
「わらわは、このダンジョンの案内役。かしこくてかわゆい五さいさんじゃ」
「あ、はい……よろしくお願いします。そうかぁ、もう五歳になられたんですね。ところで、勉強不足で申し訳ありません。だんじょん、とは何でしょう?」
「ダンジョンは異世界の言葉で、冒険が行われる空間のことじゃな。アイテムをごうだつしたり、モンスターがおったりする。そして、こちらが……」
「ひいっ……も、もしかして、モンスター役の方ですか?」
マチアスの口から、噛み殺し損ねた小さな悲鳴が飛び出す。
無理もない。マイリの後ろに、鬼畜面でお馴染みのケットがずううんと立ったのだから。
ケットの肩書きは国王執務室の守衛だが、野郎の平和を守るよりかわゆい王妃殿下を優先するのは、彼にとってもはや真理だった。
つまり、仕事を思いきりサボってきたケットを指差し、マイリはにっこりと愛くるしい笑みを浮かべて言う。
「わらわのかわゆい相棒、妖精のケットじゃ。どうじゃ、今日はまたいちだんと愛らしかろう?」
「よ、よよ、妖精? かわゆい? 愛らしいいいい!?」
「はじめまして、マチアス殿下。ただいまご紹介に上がりました、かわゆくて愛らしい妖精のケットと申します。以後お見知り置きくださいませ」
「妖精さん、声低っ……ええっと、どうも……よろしくお願いします……」
マチアスの頭の中で、妖精とかわゆいと愛らしいの概念がパーンした。
宇宙の画像を背負った猫のような顔になる彼をガン無視し、マイリはさらに踏ん反りかえって高らかに言い放つ。
「そういうわけじゃ、勇者マチアスよ。ウル姫に会いたければ、このダンジョンを攻略するがよい」
「えっ、勇者? 姫!? で、でも、モンスターが出るんですよね? どうしましょう……私、戦闘力はミジンコなんです……」
「さっそくおじけ付いてどうする。力がなければ知恵をしぼれ。最初から何もせぬままあきらめているようでは、姫には会わせてやれんぞ?」
「は、はいい……が、がんばります! ……あの、姫とは?」
かくして、強制的にジョブチェンジさせられたヴォルフ帝国からの特使改め勇者マチアスは、ちっちゃくて可愛い案内役に手を引かれてヴィンセント城ダンジョンに挑むのであった。
もちろん、そこかしこに侍女やら侍従やら文官やら騎士やらがいるのだが、誰も彼もがあらあらまあまあと微笑ましそうに眺めるばかりで、マイリの行動に戸惑う様子も、ましてや止める素振りもない。
マチアスは一応、玄関扉の脇でそっと見守っている侍従長らしき老紳士に縋るような目を向けたが、何やら大きく頷いてぐっと親指を突き上げられただけだった。
なお、今回御者も務めたマチアスの一の従卒は、前回姉皇帝がヴィンセント王国を訪問した際に同行した騎士の一人で、ケットとはその際きゃっきゃうふふとお茶をしばいた仲である。
わああ、久しぶりいいっ、と小さく両手を振り合う姿は、完全に女学生のそれだ。どちらも、たいそう気合の入った面構えではあるが。
さらに馬車からは、のろのろと一匹の犬が降りてきた。
別段特筆するところのない、薄茶色の毛並みをした中型犬だ。
これぞ雑種といった風情のそいつは当たり前のようにマチアスの隣に並び、彼と向かい合っていたマイリを見てぷりぷりとしっぽを振った。
そんなこんなで、戦闘力ミジンコの勇者マチアス、かしこくてかわゆい案内役マイリ、鬼畜面の妖精ケット、少し離れて付いてくる厳ついモブ騎士、そして犬、というパーティーが誕生する。
彼らはまず、ヴィンセント城の一階──玄関を入って廊下を右に進んだ突き当たりの部屋の扉を叩いた。
どうぞ、と中から返ってきたのは若い女性の声で、どうやら恐ろしいモンスターではなさそうだ、とマチアスは安堵のため息を吐く。
ところが、いざ部屋の中に入ってきた彼をじろりと眺め、声の主は開口一番こう言った。
「──そんな装備で大丈夫ですか?」
「……え?」
部屋の中は色とりどりの布で溢れかえっていた。ここは、王妃専属お針子としてその地位を確かなものとしたソマリのアトリエ。彼女は自称異世界ニホンからの転生者で、ダンジョンという概念をマイリに与えた張本人でもある。
そんなソマリの問いかけに、あわあわと自分の格好を見下ろすマチアスは、大国ヴォルフ帝国の特使、しかも現皇帝の実弟という肩書きにふさわしい、それはもう豪華な装いをしていた。
金の糸で緻密な刺繍が施されたジャケットも、クラバットを留めた大きなサファイアのブローチも、底の厚い革のブーツも、引き摺るほど長い豪華なマントも、晴れて娑婆に戻った弟のために姉皇帝が贅を尽くして調えたものだ。
明らかに衣装負けしているヴォルフ皇弟に、お針子は不躾にも縫い針の先をビシリと突きつけ、再度問う。
「勇者よ──そんな装備で大丈夫ですか?」
「ええっと……」
すると、ここで口を開いたのはマイリである。
「大丈夫ではないのう。──死ぬな、これは」
「ええっ!?」
ぎょっとするマチアスをよそに、ソマリとケットがうんうんと頷く。
「大丈夫ではありませんね。完全に死にます」
「えええっ!?」
「妃殿下が死ぬとおっしゃったなら、それはもう死にますね」
「ええええっ!?」
死ぬ死ぬ言われて真っ青になるマチアスを、強面のモブ騎士が両目をうるうるさせて見守る。
犬は、マイリを見つめてひたすらしっぽを振っていた。
「私は、死ぬのですか……そうか……ウルは、悲しんでくれるかな……」
悄然としてそう呟くマチアスを、たわけ、とマイリが一蹴する。
「死なぬように装備をととのえる。そのために、おぬしをここに連れてきたんじゃろうが──ぬげ」
「きゃあ!?」
かくして、有無を言わさず豪奢な衣装を剥ぎ取られたマチアスには、新たに簡素なシャツとズボン、軽いブーツ、そうして短めのマントが与えられた。
これぞ、勇者レベル一。今まさに故郷の村を出発したばかりです、といった風情である。
つまり、たいそう弱そうなのだが……
「わあ……なんでしょうか。劇的に、身体が軽くなった気がします……」
満更でもなさそうなマチアスの呟きに、マイリはため息交じりに答えた。
「軽くなったであろうよ。あのような重装備とくらべればな。レベッカは本当に、あれがおぬしにふさわしいと思って着せたのか?」
「あはは……私はご覧の通り、姉やウルと違って見栄えのしない人間なので……姉はせめて、格好だけでも立派に見えるようにしてやろうと考えたのでしょう」
自嘲して言う相手に、マイリの眉間にむぎゅっと皺が寄る。
しかし、マチアスが続けた言葉に、たちまち機嫌を直した。
「それにしても、この服……簡素に見えますが、とても着心地がいいですね」
「あたりまえじゃ。なにしろ、それを仕立てたのはこのソマリ。いっとう腕のよい、わらわ自慢のかわゆいお針子じゃぞ」
「はわわわ、マイリ様ぁあああ!! 恐悦至極にございますうううう!!」
心酔するちっちゃな主人からの賞賛に、ソマリは狂喜乱舞する。
マイリを抱き上げてひとしきりくるくる回ったかと思ったら、彼女のもちもちの頬に己のそれをムニムニと擦り寄せた。
マイリが身に着けるものは、いまや履物や下着に至るまで、すべてこのソマリが調えている。
もちろん、本日の真っ白いローブを用意したのも彼女だ。
ムニムニ、もちもち、スーハースーハー。
たっぷりとマイリを堪能するソマリに、横で見ていた鬼畜面の妖精さんの鋭い目が嫉妬のあまり血走った。
しかし、彼らの悲喜こもごもなどどこ吹く風。
ソマリに戯れ付かれて乱れた髪を手櫛で整え、白いフードを被り直したマイリは、そのちっちゃなふくふくの手を新米勇者に向かって差し出すのだった。
「では、ゆくか、マチアスよ。わらわについてまいれ」
「は、はい──よろしくお願いします」
6
お気に入りに追加
2,136
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
異世界列島
黒酢
ファンタジー
【速報】日本列島、異世界へ!資源・食糧・法律etc……何もかもが足りない非常事態に、現代文明崩壊のタイムリミットは約1年!?そんな詰んじゃった状態の列島に差した一筋の光明―――新大陸の発見。だが……異世界の大陸には厄介な生物。有り難くない〝宗教〟に〝覇権主義国〟と、問題の火種がハーレム状態。手足を縛られた(憲法の話)日本は、この覇権主義の世界に平和と安寧をもたらすことができるのか!?今ここに……日本国民及び在留外国人―――総勢1億3000万人―――を乗せた列島の奮闘が始まる…… 始まってしまった!!
■【毎日投稿】2019.2.27~3.1
毎日投稿ができず申し訳ありません。今日から三日間、大量投稿を致します。
今後の予定(3日間で計14話投稿予定)
2.27 20時、21時、22時、23時
2.28 7時、8時、12時、16時、21時、23時
3.1 7時、12時、16時、21時
■なろう版とサブタイトルが異なる話もありますが、その内容は同じです。なお、一部修正をしております。また、改稿が前後しており、修正ができていない話も含まれております。ご了承ください。
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
瑠璃とお菓子のあれこれ
くる ひなた
ファンタジー
皇太后陛下付きの一番年若い侍女は、亡き母に習ったお菓子作りが得意だった。彼女と泣く子も黙ると恐れられる宰相閣下の、これから。
※レジーナブックス『瑠璃とお菓子』の番外編集。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
別に構いませんよ、離縁するので。
杉本凪咲
恋愛
父親から告げられたのは「出ていけ」という冷たい言葉。
他の家族もそれに賛同しているようで、どうやら私は捨てられてしまうらしい。
まあいいですけどね。私はこっそりと笑顔を浮かべた。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる