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第十話
王妃様が案内するヴィンセント城ダンジョン1
しおりを挟む王都の高台に聳え立つヴィンセント城。
晴天に恵まれたこの日、ドラゴンの紋章を掲げた立派な馬車がその門を潜った。
やがて王宮の玄関の前で停止したそれから降り立ったのは、眼鏡をかけたおとなしそうな若者だ。
とたん、足下から声が上がった。
「よくきたな、マチアス! この──ヴィンセント城ダンジョンへ!」
腰に手を当て、踏ん反りかえって言い放つのは、我らがヴィンセント王妃マイリ。
ちっちゃな身体は真っ白いローブに包まれ、父親譲りのブロンドの髪もフードで隠されている。
そんなマイリと対峙した若者──ヴォルフ帝国の皇弟マチアス・ヴォルフは、聞き慣れない言葉に姉皇帝レベッカとそっくりの水色の瞳をまんまるにした。
「ヴィ、ヴィンセント城……だんじょん?」
短く調えた髪は、姉の鮮烈な色合いと比べれば幾分燻んだ赤である。
顔つきも、女帝の名をほしいままにしていた姉とは似てもぬつかぬ、純朴かつ温厚そうなものだった。
そんなマチアスは、この度、ヴォルフ帝国の特使としてヴィンセント王国を訪れたのだ。
マイリと会うのはこれが二度目──二年前の結婚式以来である。
マチアスは豪奢なマントの裾が地面に擦れるのも構わずその場にしゃがみ込み、手袋を外して右手を差し出す。
マイリはちっちゃなふくふくの手で握手に応えると、彼の手をブンブンと大きく縦に振りながら言った。
「わらわは、このダンジョンの案内役。かしこくてかわゆい五さいさんじゃ」
「あ、はい……よろしくお願いします。そうかぁ、もう五歳になられたんですね。ところで、勉強不足で申し訳ありません。だんじょん、とは何でしょう?」
「ダンジョンは異世界の言葉で、冒険が行われる空間のことじゃな。アイテムをごうだつしたり、モンスターがおったりする。そして、こちらが……」
「ひいっ……も、もしかして、モンスター役の方ですか?」
マチアスの口から、噛み殺し損ねた小さな悲鳴が飛び出す。
無理もない。マイリの後ろに、鬼畜面でお馴染みのケットがずううんと立ったのだから。
ケットの肩書きは国王執務室の守衛だが、野郎の平和を守るよりかわゆい王妃殿下を優先するのは、彼にとってもはや真理だった。
つまり、仕事を思いきりサボってきたケットを指差し、マイリはにっこりと愛くるしい笑みを浮かべて言う。
「わらわのかわゆい相棒、妖精のケットじゃ。どうじゃ、今日はまたいちだんと愛らしかろう?」
「よ、よよ、妖精? かわゆい? 愛らしいいいい!?」
「はじめまして、マチアス殿下。ただいまご紹介に上がりました、かわゆくて愛らしい妖精のケットと申します。以後お見知り置きくださいませ」
「妖精さん、声低っ……ええっと、どうも……よろしくお願いします……」
マチアスの頭の中で、妖精とかわゆいと愛らしいの概念がパーンした。
宇宙の画像を背負った猫のような顔になる彼をガン無視し、マイリはさらに踏ん反りかえって高らかに言い放つ。
「そういうわけじゃ、勇者マチアスよ。ウル姫に会いたければ、このダンジョンを攻略するがよい」
「えっ、勇者? 姫!? で、でも、モンスターが出るんですよね? どうしましょう……私、戦闘力はミジンコなんです……」
「さっそくおじけ付いてどうする。力がなければ知恵をしぼれ。最初から何もせぬままあきらめているようでは、姫には会わせてやれんぞ?」
「は、はいい……が、がんばります! ……あの、姫とは?」
かくして、強制的にジョブチェンジさせられたヴォルフ帝国からの特使改め勇者マチアスは、ちっちゃくて可愛い案内役に手を引かれてヴィンセント城ダンジョンに挑むのであった。
もちろん、そこかしこに侍女やら侍従やら文官やら騎士やらがいるのだが、誰も彼もがあらあらまあまあと微笑ましそうに眺めるばかりで、マイリの行動に戸惑う様子も、ましてや止める素振りもない。
マチアスは一応、玄関扉の脇でそっと見守っている侍従長らしき老紳士に縋るような目を向けたが、何やら大きく頷いてぐっと親指を突き上げられただけだった。
なお、今回御者も務めたマチアスの一の従卒は、前回姉皇帝がヴィンセント王国を訪問した際に同行した騎士の一人で、ケットとはその際きゃっきゃうふふとお茶をしばいた仲である。
わああ、久しぶりいいっ、と小さく両手を振り合う姿は、完全に女学生のそれだ。どちらも、たいそう気合の入った面構えではあるが。
さらに馬車からは、のろのろと一匹の犬が降りてきた。
別段特筆するところのない、薄茶色の毛並みをした中型犬だ。
これぞ雑種といった風情のそいつは当たり前のようにマチアスの隣に並び、彼と向かい合っていたマイリを見てぷりぷりとしっぽを振った。
そんなこんなで、戦闘力ミジンコの勇者マチアス、かしこくてかわゆい案内役マイリ、鬼畜面の妖精ケット、少し離れて付いてくる厳ついモブ騎士、そして犬、というパーティーが誕生する。
彼らはまず、ヴィンセント城の一階──玄関を入って廊下を右に進んだ突き当たりの部屋の扉を叩いた。
どうぞ、と中から返ってきたのは若い女性の声で、どうやら恐ろしいモンスターではなさそうだ、とマチアスは安堵のため息を吐く。
ところが、いざ部屋の中に入ってきた彼をじろりと眺め、声の主は開口一番こう言った。
「──そんな装備で大丈夫ですか?」
「……え?」
部屋の中は色とりどりの布で溢れかえっていた。ここは、王妃専属お針子としてその地位を確かなものとしたソマリのアトリエ。彼女は自称異世界ニホンからの転生者で、ダンジョンという概念をマイリに与えた張本人でもある。
そんなソマリの問いかけに、あわあわと自分の格好を見下ろすマチアスは、大国ヴォルフ帝国の特使、しかも現皇帝の実弟という肩書きにふさわしい、それはもう豪華な装いをしていた。
金の糸で緻密な刺繍が施されたジャケットも、クラバットを留めた大きなサファイアのブローチも、底の厚い革のブーツも、引き摺るほど長い豪華なマントも、晴れて娑婆に戻った弟のために姉皇帝が贅を尽くして調えたものだ。
明らかに衣装負けしているヴォルフ皇弟に、お針子は不躾にも縫い針の先をビシリと突きつけ、再度問う。
「勇者よ──そんな装備で大丈夫ですか?」
「ええっと……」
すると、ここで口を開いたのはマイリである。
「大丈夫ではないのう。──死ぬな、これは」
「ええっ!?」
ぎょっとするマチアスをよそに、ソマリとケットがうんうんと頷く。
「大丈夫ではありませんね。完全に死にます」
「えええっ!?」
「妃殿下が死ぬとおっしゃったなら、それはもう死にますね」
「ええええっ!?」
死ぬ死ぬ言われて真っ青になるマチアスを、強面のモブ騎士が両目をうるうるさせて見守る。
犬は、マイリを見つめてひたすらしっぽを振っていた。
「私は、死ぬのですか……そうか……ウルは、悲しんでくれるかな……」
悄然としてそう呟くマチアスを、たわけ、とマイリが一蹴する。
「死なぬように装備をととのえる。そのために、おぬしをここに連れてきたんじゃろうが──ぬげ」
「きゃあ!?」
かくして、有無を言わさず豪奢な衣装を剥ぎ取られたマチアスには、新たに簡素なシャツとズボン、軽いブーツ、そうして短めのマントが与えられた。
これぞ、勇者レベル一。今まさに故郷の村を出発したばかりです、といった風情である。
つまり、たいそう弱そうなのだが……
「わあ……なんでしょうか。劇的に、身体が軽くなった気がします……」
満更でもなさそうなマチアスの呟きに、マイリはため息交じりに答えた。
「軽くなったであろうよ。あのような重装備とくらべればな。レベッカは本当に、あれがおぬしにふさわしいと思って着せたのか?」
「あはは……私はご覧の通り、姉やウルと違って見栄えのしない人間なので……姉はせめて、格好だけでも立派に見えるようにしてやろうと考えたのでしょう」
自嘲して言う相手に、マイリの眉間にむぎゅっと皺が寄る。
しかし、マチアスが続けた言葉に、たちまち機嫌を直した。
「それにしても、この服……簡素に見えますが、とても着心地がいいですね」
「あたりまえじゃ。なにしろ、それを仕立てたのはこのソマリ。いっとう腕のよい、わらわ自慢のかわゆいお針子じゃぞ」
「はわわわ、マイリ様ぁあああ!! 恐悦至極にございますうううう!!」
心酔するちっちゃな主人からの賞賛に、ソマリは狂喜乱舞する。
マイリを抱き上げてひとしきりくるくる回ったかと思ったら、彼女のもちもちの頬に己のそれをムニムニと擦り寄せた。
マイリが身に着けるものは、いまや履物や下着に至るまで、すべてこのソマリが調えている。
もちろん、本日の真っ白いローブを用意したのも彼女だ。
ムニムニ、もちもち、スーハースーハー。
たっぷりとマイリを堪能するソマリに、横で見ていた鬼畜面の妖精さんの鋭い目が嫉妬のあまり血走った。
しかし、彼らの悲喜こもごもなどどこ吹く風。
ソマリに戯れ付かれて乱れた髪を手櫛で整え、白いフードを被り直したマイリは、そのちっちゃなふくふくの手を新米勇者に向かって差し出すのだった。
「では、ゆくか、マチアスよ。わらわについてまいれ」
「は、はい──よろしくお願いします」
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