ちっちゃな王妃様に最も愛されている男

くる ひなた

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第九話

王妃様に最も愛されている男2

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「どうか、娘と息子をお返しください。子供達を無事返してくださるならば、私はあなたの過ちを許しましょう」

 雨足は、時が経つにつれ強くなっていく。
 ウルがケットと猫悪魔ドンロを伴って駆け付けた時、賊が立てこもる部屋の扉に向かって、アシェラが存外穏やかな声で語りかけていた。
 ――いや、訂正する。
 穏やかなどであるはずがなかったのだ。

「ですが、子供達に傷一つでもつけたら、私はあなたを決して許しません」

 そう静かに告げたアシェラの目は、凄まじい憤怒と憎悪に塗れていた。

「あなたを指の先から少しずつ切り落として、あなたの目の前で燃やしていきましょう。己の身体が焼けるにおいを嗅ぎながら、あなたはゆっくりと死んでいくのです。痛みと恐怖に塗れて、為す術もなく、あなたは死ぬのです」
「アシェラ……」
「その時になって後悔しても、もう遅いのですよ。私は必ず――あなたを殺します」
「アシェラ!」

 友が狂気に呑まれる様に耐えきれず、鋭くその名を呼ぶ。
 一拍して、ゆるりと自分を見た底なし沼のような瞳に、ウルはぞっとした。

「まあ……ウル……なにしにきたの……?」
「……マイリを迎えにきた。とりあえず、呪詛を吐くのはやめろ。賊を刺激しない方がいい」

 それもそうね、と呟くアシェラの焦点の合っていない目を見て、ウルはちっと舌打ちをする。
 幼い我が子が二人とも人質に取られてしまったのだ。
 母親が正気を保っていられるほうが不思議だろう。
 しかも、アシェラは七日前に子供を産んだばかりで、体調も万全ではないはずだ。
 ウルは、涙ぐんでいるフェルデン公爵家のメイドにアシェラを預け、件の部屋の扉にそっと耳を押し当ててみる。
 中からは、物音ひとつしなかった。

「コリンも一緒に人質になっていると聞いたぞ。いったいどういう状況だ」
「大司祭様は、シトラの誕生を祝いに来てくださったの。ウォーレー家とは犬猿の仲と言われているけれど、フェルデン公爵家は大聖堂に巨額の寄付をしているから。マイリが生まれた時にもいらしたわ。ただし、お義父様の留守を狙ってですけれど」
「へえ、律儀なことだな。しかし、フェルデン公爵とは意地でも顔を合わせたくないってか」
「まあ、お義父様がその後大聖堂にお礼に伺うから、結局嫌でも顔を合わせることになるんですれど」

 そんな大司祭コリン・ウォーレーを、マイリは先代国王の猫をしていた時代に美味しいものをたらふく貢がれたとかで随分と気に入っている。
 この日も彼の訪問に喜んで、自ら手を引いて弟が寝かされているこの子供部屋まで案内したのだという。
 その時、コリンに随行した若い司祭も一緒に中に入ったのだが、アシェラがメイドにお茶の用意を頼んでいたところ、その司祭が彼女を廊下に突き飛ばして鍵をかけてしまったというのだ。

「司祭が犯人だということは、大聖堂絡みの怨恨か? だったらコリンはともかく、なぜマイリやシトラまで……」
「大聖堂絡みの怨恨じゃなくて、フェルデン公爵家絡みの怨恨だからよ。――その司祭、本人曰くワニスファー公爵家の関係者ですって」

 その言葉に、ウルはひゅっと息を呑んだ。
 ワニスファー公爵家は、マイリの専属お針子ソマリの父が謀反の疑いで追放処分を受けた末、家督を継いだ幼い三男を後見する名目で実質フェルデン公爵家の傘下に入れられてしまった。
 マイリ達を人質にとった司祭は、どうやらそれを恨んでいるらしい。

「だから――お義父様の大事なものを奪ってやるんですって」

 淡々とそう告げたアシェラだが、先ほどからまったく瞬きをしなくなっており、精神的にいよいよまずい状態なのは明白だった。
 もちろん、ウルだって怒りや焦りで頭がおかしくなりそうだ。
 それを懸命に押し殺す彼の横で、ケットが扉に手をかけようとした。

「陛下、扉をこじ開けて突入しますか!?」
「やめて! 無理やり扉を開けたら、子供達を殺すと言われたの!」

 アシェラの悲鳴に、ケットの鬼畜面も真っ青になる。
 ドンロもおろおろした様子で、扉の前をひたすら行ったり来たりしていた。
 ウルは心を落ち着けるように深呼吸をすると、もう一度扉に耳を押し当て、囁く。

「――マイリ」

 耳をそばだて、神経を研ぎ澄まし、扉の向こうに意識を集中する。
 トクトクと、己の心音ばかりが頭の中に響いた。
 やがて、ウルはこう結論を出す。

「――人質は嘘だ」
「「は?」」
「この中に、マイリはいない」
「「は!?」」

 ケットもアシェラも訳が分からないといった顔をしているが、ウルには分かる。
 人ならぬ存在であるマイリの伴侶となったことで、少しずつ人間の理から外れ始めているらしい彼には分かるのだ。
 今や己の半身ともいえる、あのちっちゃくて可愛いヴィンセント国王妃の欠片さえ、すでにこの扉の向こうには存在しないということが。
 だったら、彼女はどこへ行ってしまったというのか。

「中の奴に聞くのが一番手っ取り早い」

 そう決断したウルの行動は早かった。
 訝しい顔をするケットとアシェラに説明することもなく、片足を振り上げ――

「ウ、ウル!?」
「陛下っ!?」

 扉を一気に蹴破ったのだった。
 ガンッ! と大きな音を立てて、蝶番が外れた扉が室内へと吹っ飛ぶ。
 それにぎょっとしたのは、ケットとアシェラ、そうして子供部屋に立て篭もっていた若い司祭だ。
 司祭が我に返る前に中へと踏み込んだウルは、あっという間に彼を床に引き倒して後ろ手に拘束してしまった。
 そうして見回した子供部屋の中には、子供用のベッドとテーブルと椅子、ベッドの向こうに年季の入った作り付けの戸棚があるだけで、やはりウルが感じた通り、マイリも、シトラもコリンもいない。
 慌てて駆け込んできたケットに拘束役を交代すると、ウルは司祭の髪を鷲掴みにして顔を上げさせ、問うた。

「――マイリを、俺の妃をどこへやった」
「は、あ……へ、陛下……?」
「答えろ。俺が怒りに任せて貴様の首を引き千切る前に、全て吐いてしまえ」
「ひいいっ……お、お助けを! ひ、妃殿下と赤子は、大司祭様と一緒に消えてしまったのです!」

 司祭もいきなり国王陛下が登場するとは思っていなかったのだろう。
 それとも、ケットの鬼畜面に怯えているのだろうか。
 ブルブルと震えながら素直に質問に答えたが、それはどうにも腑に落ちないものだった。

「消えたとは何だ。まさか、コリンが五歳児と新生児を連れて窓から逃げたとでも言うのか」
「わ、わわ、わかりません! 私が扉越しに会話をしていた一瞬の隙に、いなくなってしまったんです!」

 肝心の人質が一瞬で消えてしまって、司祭はさぞ慌てたことだろう。
 踏み込まれてはまずいと思って、扉を破れば人質を殺すなどと口走ってしまったが、本当はそこまでするつもりはなかったのだ、と彼は泣き崩れた。
 そんな聖職者の衣装を纏った罪人を、子供を奪われた母親が氷のような目で見下ろす。

「あなた、嘘をついているのね? 私の可愛い子供達をどこへ隠したの? やっぱり、指の先から少しずつ切り落としてくことにしましょうか? ええ、そうね。そうしましょう――ロッツ、やっておしまいなさい」
「――うん、アシェラ」

 いつの間にか現れたロッツが振り下ろした短剣の切先から、ウルはすんでのところで司祭を蹴飛ばして逃した。
 必然的に彼を取り押さえていたケットまで床に転がってしまったが、やむを得まい。
 とたん、瞳孔をかっぴらいた菫色の瞳は矛先を変え、幼馴染の手がウルの胸ぐらを掴んだ。
 
「ウル、どうして邪魔するの! そいつは、マイリちゃんとシトラ君をっ……!!」
「わかっている!! だが、マイリ達を保護するのが先だ!!」

 ウルはロッツの手を振り払い、ついでに短剣も奪い取る。
 そうして抜き身のそれをダンッと勢いよく床に突っ立てると、司祭の顔をそのスレスレに押し付けて凄んだ。

「おい、正直に答えろ! マイリ達は、消える直前どこにいて、どんな様子だった!!」
「そ、そこの……赤子用のベッドの側です! 私が扉に鍵をかけたのを見て、大司祭様は赤子を片腕に抱き、反対の手を妃殿下と繋いで……っ!!」

 司祭の言葉から、コリンが即座にマイリとシトラを守ろうとした様子が伝わってくる。
 しかしながら、やはり合点がいかない。
 なにしろ、赤子のベッドの側にある窓は小さくて、とてもじゃないが幼子二人を抱えたコリンが抜け出せるようには見えないのだ。
 ベッドから離れた場所に大きな出窓はあるものの、事故防止のために開閉はできない仕様となっている。
 つまり、マイリ達が窓から逃げ出した可能性は極めて低いということだ。

「どこだっ……マイリ、どこへ行った!!」

 ウルが頭を抱えかけた、その時だった。

「――陛下、ベッドの向こうにある戸棚に、答えがございますよ」

 ふいに、そうのんびりとした声が聞こえてきて、ウルは弾かれたみたいに顔を上げた。
 彼が扉を蹴り飛ばしたために開けっ放しになっていた部屋の入り口から、にこにこしながら現れたのは、マイリの祖父にして、この家の現当主。
 
「フェルデン公爵……」
「上から三番目の引き出しの取っ手を、時計回りに回してごらんなさい」

 一瞬、何を言われているのか分からなかったウルだが、すぐに我に返って件の戸棚へと駆け寄った。
 作り付けの戸棚は、全部で十段。その上から三番目の引き出しの取っ手を、ウルはフェルデン公爵の指示通り時計回りに回してみる。
 するとどうだろう。
 カチッと留め具が外れるような音がしたかと思ったら、戸棚が九十度回転。
 そして、その向こうに現れたのは――
 
「――隠し通路か!」
「私も子供の頃にこの部屋を使っておりましてね。その隠し通路は、懇意にしていた大工を巻き込んでこっそり作ったものです」

 それを聞いて首を傾げたのは、息子のロッツだ。
 父の落ち着いた様子に幾分冷静さを取り戻したのだろう。
 顔色の良くないアシェラを抱き寄せながら、のんびりとした足取りでやってきたフェルデン公爵に問うた。

「でも、父上。僕も子供の頃にこの部屋を使っていましたが、隠し通路があるなんて今初めて知りましたよ?」
「そうでしょうなぁ。言っていなかったと思います。おそらく、マイリも知りませんよ」

 それなのにどうして、マイリ達はとっさに隠し通路に逃げ込めたのだろう。
 そんな一同の疑問に、フェルデン公爵はにっこりと微笑んで答えた。

「大司祭様が――コリンが、知っています。昔、ここで私と一緒に遊んだことを……彼はちゃんと覚えていたんでしょうなぁ」

 
 
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