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第一話

新しい国王と王妃のままごとのようでいて時々血腥い新婚生活1

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 タン、タン、タン……
 リボンの付いた黒のオペラシューズが、冷たい石の階段を一歩一歩上っていた。
 象牙色の内部にぐるぐると渦巻きを描く螺旋階段を見上げていると、まるで巻貝の中にでもいるように錯覚する。
 菫色の大きな瞳はその頂上にある木の扉を捉え、ゆっくりと一つ瞬きをした。


 ヴィンセント王国の城の外れに、石造りの古い塔がひっそりと佇んでいた。
 いにしえよりの習わしで、戴冠を済ませた最初の夜、新しい国王はこの塔に一人きりで上り、頂上に設けられた部屋で一夜を過ごさねばならない。
 天におわす先人達の霊と交信して叡智を賜り、正しき君主の心得を授かるため。あるいは、これまでの人生で背負った穢れを落とす禊の儀式とも言われているが……

「どうせ、ただの風習だろう。面倒くさい……」

 そう吐き捨てた黒髪の青年は、カツカツと軍靴を鳴らして部屋を横切り窓辺に立った。
 太陽はとっくに地平線の彼方へ消え去り、空はいつもと変わらず濃い群青色に染まっている。
 一方、城壁の向こうに広がる町の明かりは、今宵は一段と華やかだ。
 それもそのはず。この日、ヴィンセント王国にとってはちょうど百代目に当たる国王の戴冠式が行われた。
 新しい国王となったのは、窓の縁に片肘をついて気怠げな表情をしている青年。
 名を、ウルという。
 十六歳までの六年間、隣国ヒンメル王立学校で学びつつ騎士に混じって武芸の鍛錬に励んだ。
 卒業後は、幼馴染みであるフェルデン公爵家の嫡男ロッツと二人で諸国を旅して回り、すっかり逞しくなって祖国に戻って来たのが二十歳の時。今から四年前のことである。
 本人としてはまだまだ見聞を広め足りなかったのだが、早々に引退を決めた父王に呼び戻されてしまったのだ。
 建国当初からこの場所にあったと言い伝えられている塔は、繋ぎ目のない石の壁に幾重にも蔓が巻き付いた古めかしい外観をしている。
 普段は管理人以外近づくことができない場所のため、辺りはしんと静まり返っていた。
 ウルだって、わざわざこんな寂れた場所になど足を運びたくなかったのだ。
 しかしながら、よほどの悪弊でもない限りは、伝統を守るのも国家を継承する者の責務である。
 塔の頂上にあったのは、まるで屋根裏部屋みたいな質素な部屋だった。
 調度といえば、素朴な木のテーブルと椅子が二脚、その奥に簡素なベッドがあるだけだ。一国の君主が過ごすにはいささか侘しい場所だろう。
 ただし、諸国を旅していた頃は野宿も厭わなかったウルがそれに眉を顰めることはない。
 彼はテーブルの上に用意されていたワインを一口飲んでから、戴冠式用の華美な上着と軍靴だけを脱いで、勢い良くベッドの上に横たわる。
 枕はふかふかで、日干ししたばかりみたいないい香りがふわりと鼻腔を掠めた。
 塔自体は管理人が掃除や修繕を行うが、この頂上の部屋に入ることが許されるのはヴィンセント国王のみ。
 ウルは今日、玉座とともにこの部屋の鍵を受け継いだのだ。
 ということはつまり、テーブルにワインを用意してくれたのも、枕を日干ししてふかふかにしてくれたのも、前国王であるウルの父以外にありえない。

「ぶっ……」

 そう思い至ったウルは、ベッドに仰向けに寝転がったまま思わず吹き出していた。
 あのいつも厳めしい顔の父が、せっせとワインをテーブルに配置し、窓から枕を出してパンパン埃を叩いている姿を想像すると、笑いが止まらなくなりそうだ。
 そんな厳格な父王が守ってきた国を、これからは彼が受け継いでいかなければならない。
 ウルはその責任を重荷に感じるよりも、四年間の旅で得た知識や経験を活かし、祖国をこれからどのように発展させていこうかという希望に満ち満ちていた。
 しかしながら、早朝より始まった戴冠式やその他諸々の儀式に丸一日を費やし、さしもの彼もいささか疲れた。
 やっと一人きりになれたのだから、今宵は何者にも煩わされずゆっくり休もう。
 父が整えたであろうベッドは存外心地良い。
 欲を言えば、父が日干しした枕より、女の柔らかな身体に頬を埋めたかった。
 かつては身分を隠して後腐れのない恋愛ばかりしてきたが、祖国に戻ってからの四年間は次期王妃の座を狙うご令嬢達からの猛アピールに辟易する日々。
 お忍びで夜の町に繰り出そうにも、一緒に旅をした幼馴染のロッツは、帰国してすぐにヒンメル王立学校時代の同級生と結婚して一児の父になっている。
 つまり、たいそう付き合いが悪い。
 とはいえ、国王として立ったからには、ウルもまた身を固めないわけにもいかないだろう。

「……面倒くさいな」

 ため息とともにそう吐き出して、灰色の瞳を瞼の下に隠した彼は、そのままゆっくり眠りの淵へと降りていった。
 そうして、どれくらい眠っていただろうか。

「――っ!?」

 ふいに、くっ、と首筋に何か硬いものが押し当てられる感触を覚えて目を見開く。
 ウルはすかさず首元を手で払い、腰のナイフを確かめつつ飛び起きた。

「んぎゃっ!」

 とたん、短い悲鳴とともに、膝の上に何かがころんと転がる。
 その何かは、どうやら仰向けに寝そべっていたウルの胸の上に乗っていたらしい。
 状況が飲み込めない彼の視線の先で、それはゴム毬みたいにぴょんと跳ね起きたかと思ったら、猛然と食ってかかってきた。

「急に起き上がるな、ばかものっ! びっくりしたじゃろうがっ!」

 噛み付くくらいの勢いで、ウルの白いシャツの胸倉が乱暴に掴まれる。
 とはいえ、彼がそういう仕打ちを受けるのは、身分を隠して旅をしていた頃にはさして珍しくもなかった。
 酒場で絡んできた酔っぱらいの薄汚い手を捻り上げてやったのも記憶に新しい。
 しかし今、彼の胸倉を掴んでいるのは、あの熊みたいな大男の巨大な手とはほど遠い、小さくてふくふくした幼子の手。
 それもそのはず。
 ベッドに座り込んだウルの膝を跨いで立ち、さも不服そうな顔をしているのは、小さな小さな女の子だったのだ。
 ウルは声も無いまま、そんな相手を灰色の瞳でまじまじと眺めた。
 ブロンドの髪と菫色の瞳を持つ幼子の小さな身体は、真っ白いネグリジェと淡いピンクのガウンに包まれている。
 ベッドの脇では、さっきウルが乱雑に脱ぎ捨てた軍靴の隣に、リボンの付いた黒のオペラシューズがちんまりと並べて置かれていた。
 塔は城の外れにあり、国王と管理人以外は近づけないし、この部屋に至っては扉に鍵が掛かっていたはず。
 窓の外は真っ暗で、すっかり夜も更けている。
 こんな場所、こんな時間に、何故こんな幼子がいるのか……。
 困惑を極めるウルの眉間を、ようやくその胸倉を離した小さな手がベチンと叩いた。

「いてっ」
「これっ、おぬし! いつまでもねぼけておらんで、うんとかすんとか申してみよ!」

 舌足らずなくせに、いやに年寄りくさい話し方をする幼子である。
 ウルは容赦なく叩かれた眉間を片手で押さえつつ、いささかムッとした顔で問うた。

「お前、なんなんだ」
「わらわは、わらわじゃ」
「答えになっていない。何故ここにいる」
「は? なぜここにいる、だと?」

 あまり気の長い方ではないウルがイライラしながら問いを重ねると、幼子は何を馬鹿なことを聞くのだとでも言いたげな顔をした。

「わらわの土地にわらわがいて、何がわるい」
「お前の土地……?」

 幼子が何を言っているのかさっぱり分からないウルは、訝しい顔をした。
 しかし、ここでふと、彼女の顔に見覚えがあることに気づく。
 そのブロンドの髪と菫色の瞳は、ウルにとって馴染み深い人物を彷彿とさせた。

「待てよ、お前……確か、ロッツの……」
「いかにも。今代のわらわは、ロッツなる男の長女として器を得ている」

 ウルの幼馴染ロッツは、代々宰相を務めるフェルデン公爵家の跡取り息子だ。
 そして、ヒンメル王立学校時代は甘いマスクでモテまくって遊びまくっていた彼を家庭人へと華麗に転身させたのが、今ウルの前でふんぞり返っている幼子である。
 溺愛する娘に悪い虫が付くのを恐れたロッツは、幼馴染で親友で悪友のウルにさえ一切接触を許さなかったため、本日の戴冠式が初対面となった。
 長い睫毛に彩られた大きな瞳が印象的な、人形みたいに愛らしい子供だ。
 名前は確か……

「マイリ、だったか。どうやってここに来た? お子様はねんねの時間だぞ」
「本当はおぬしよりも先にここにきて、出迎えてやるつもりでおったのだがな。なにぶんこの通り、おさなごの器ゆえ、なかなか母がはなしてくれなかったんじゃ」
「……それで?」
「わらわの迫真のたぬき寝入りでもだまされてくれなかったのでな。やむをえず、わらわに絵本をよんできかせていた母の首のうしろをこう、トン、とな」

 ふくふくした小さな手を手刀の形にして、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべた幼子は、最高にシュールだった。


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