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瑠璃とクリスマス
しおりを挟む常春の国グラディアトリアは、一年中温かく過ごしやすい。
午後のお茶の時間に、今やお馴染みとなった宰相閣下の執務室を訪れたルリは、この日も手作りのお菓子を持参した。
少し横長の箱の中身は、ケーキである。
執務机を丁寧に片付けてやってきたクロヴィスは、テーブルの上の箱を覗き込んで「おや」と眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。
「今日のケーキはいつもと形が違いますね。それに、やけに飾りに凝ってる。これは……木の幹ですか?」
「はい、クロヴィス様。今夜はスミレ様のお国では“くりすます・いゔ”というのだそうです。こういうケーキを食べてお祝いするのだとうかがいました」
この日の昼間、スミレはヴィオラントとともに王城を訪問していた。
夫が皇帝と宰相の相談役を務めている間に皇太后陛下の侍女であるルリと一緒にケーキを焼いたのだ。
それは、スミレの生まれた世界でクリスマスに定番の、ブッシュ・ド・ノエル。
フランスという国の言葉で、“クリスマスの薪”という意味なのだそうだ。
「まぁた、あの義姉上様が絡んでますか。スミレの国にはいろいろと訳の分からない風習があるようですね。兄上もいちいちお付き合いなさって、ご苦労なことです。けれど、ルリまであのちびっ子に付き合うことはないんですよ?」
「でもでも、クロヴィス様。ご一緒させていただけてとても楽しかったのです」
「まあ……あなたが楽しいと言うなら、かまいませんけどね」
そもそもクリスマスというのが何の行事なのか、ルリには分からなかった。
けれど、とにかくうきうきしているスミレが可愛かったので、ルリも喜んで付き合ったのだ。
チョコレートベースのロールケーキにチョコレートクリームを塗り、フォークの先で木の幹の表面のように筋を描き、その上に果物やナッツをトッピング。
スミレが実家から持ってきてくれた“イチゴ”という、トンガリ帽子のような形の赤いベリーが特に可愛らしい。
味見に一足先にいただいたそれは、甘酸っぱくてほっぺが落ちそうなほど美味しかった。
ホールケーキともロールケーキとも違うブッシュ・ド・ノエルを前に、どこからナイフを入れようかとルリは悩む。
そんな彼女を微笑ましく見守りながら、クロヴィスは紅茶をカップに注いだ。
「それで、クリスマス・イヴというのはそのケーキを食べる以外に何をすると、スミレは言っていましたか?」
「あとは、シチメンチョウという鳥の丸焼きを食べるんだそうです」
「聞いたことのない鳥ですね」
「七つの面の鳥と書くのだそうです。七つも顔があるなんて、すごい鳥ですね」
「そんな不気味なものを食べるのはごめんですね。真似るなら、普通のチキンにしましょう。それから、何をするのです?」
ルリはようやくナイフを入れる場所を決意して、ケーキを切り分け始めた。
そんな彼女の前に紅茶のカップを置き、その向かいのソファに腰を下ろしたクロヴィスは、断面を見せ始めた切り株を眺めながらさらに問いかける。
ルリは慎重にナイフを進めながら、スミレに聞いた話を彼に教えた。
「とにかく飲んで騒いで、酔い潰れて寝るんだそうです」
「は?」
「そうしたら、眠っている間に白いお髭のおじいさんがいらっしゃって、願い事を聞いてくれるのだそうです。素敵ですね」
「こらこら、待ちなさい。そもそもその白い髭のおじいさんというのは何者ですか? どこからいらっしゃるのですか?」
「ソリに乗って空からいらっしゃって、煙突を通って来られるのだそうです」
「煙突からこそこそ入ってくるのは泥棒です。何故泥棒が願いを叶えてくれるのですか? おかしいでしょう」
クロヴィスが眉を顰めてそう返すも、何故かルリはぱああっと顔を輝かせ、弾んだ声を上げた。
「まあ、クロヴィス様ったら! スミレ様がおっしゃった通りの答えをなさいました!」
スミレは、ルリへのサンタクロースの説明の後にこう付け加えていた。
『クロちゃんにこの話をしたらね、“煙突から入ってくるのは泥棒だ”って言って、胡散臭いって顔するよ、絶対。あんな夢のない大人になっちゃダメだよね』
「……夢がなくて悪かったですね」
「大丈夫です! きっとクロヴィス様の所にも、さんたくろーす様は来てくださいます! ルリはちゃあんとクロヴィス様の分の靴下も用意しておきました!」
「……は?」
「さあ、今からでも間に合います。クロヴィス様も願い事を書いて、この中に入れてくださいね!」
そう言って、ルリが得意げに取り出したのは、巨大な靴下が二つ。
赤と白の大きなシマシマは、つい先ほどまで膨大な書類と睨めっこしていたクロヴィスの疲れ目に、あまり優しくない。
彼は眼鏡を外して目頭を揉みながら、おそらくちっちゃな義姉と同じレベルでうきうきしているルリに向かい、ため息混じりに問いかけた。
「……ルリはもう、願い事を書いたんですか?」
「はい! もちろんです!」
それに、元気よく答えた彼女に向かい、眼鏡をかけ直したクロヴィスは、すっと片手を差し出した。
「――見せなさい」
「――っ!? だ、だめですっ! これはさんたくろーす様にしか見せてはいけないのです。そうしないと叶えてをいただけないのですっ!」
「あのね、そんな得体の知れないじーさんに頼まずに、私に頼みなさい。あなたの願いくらい、いくらでも叶えてあげます」
「だめです、だめですっ! ああっ……だめっ……!!」
「そういう色っぽい声は、ベッドの中だけになさい」
「――っ!!」
顔を真っ赤にして怯んだルリの隙をつき、彼女の靴下を奪い取ったクロヴィスは、中に綺麗に折り畳まれて入っていた紙を取り出して広げた。
慌てたルリが取り返そうと手を伸ばすも、身長の差は歴然としていて、クロヴィスがそれを高く掲げてしまうと到底届かない。
それでも一生懸命ぴょんぴょん跳ねて、必死で取り返そうとするルリの姿が可愛くて、クロヴィスはにやにやしながら紙に書かれていた文字を読んだ。
「……」
「返してくださいませっ、クロヴィス様っ!!」
「……」
「ああもう、読んではだめですっ!!」
「……ルリ」
「~~~っ」
そのメモには、ルリらしい几帳面で慎ましい字でこう記されていた。
『クロヴィス様が、ゆっくりお休みがとれますように』
「まあ、確かに……ここ数日は忙しくて休めていませんでしたが……」
「もう……十日も夜遅くまでお仕事をなさってます」
この数日、周辺諸国の王族の訪問があったり、新しい外交条約を制定したりと忙しく、その上宰相閣下の右腕たる副官が、田舎の母上のぎっくり腰の看病のために休暇をとっていたのだ。
そんな中でもクロヴィスの癒しとしてお茶の時間に招かれていたルリは、当然彼がリュネブルク邸にもずっと帰れていないのを知っていた。
それに……
「ねえ、ルリ?」
「はい……」
「ここ数日は、あなたともお茶の時間しか、ゆっくり話せませんでしたね?」
「……はい」
「……もしかして、寂しかった?」
「……」
図星だったらしいルリの顔は、一瞬にして真っ赤に染まり、クロヴィスは破顔して愛おしげにそれを見つめた。
「ほらみなさい、こんな願い、得体の知れぬ爺さんになど叶えられるはずがないでしょう」
「……すみません」
クロヴィスはソファから立ち上がると、テーブルを回って向かいのルリの隣に座り直し、そっと彼女の肩に腕を回して抱き寄せた。
ルリはまだ赤いままの頬を両手で隠すように抑え、恥ずかしそうにしている。
それがまたどうにも可愛くて、クロヴィスは彼女の柔らかな栗毛にそっと唇を落とすと、穏やかな声で言った。
「ここ数日の案件は、昨日で大体片がついたのですよ」
「お疲れ様でした……」
ようやくクロヴィスがゆっくりできると知り、ほっと安堵したようなため息をついたルリに向かい、彼は晴れやかな顔で続けた。
「実はもう、明日からのルリの休みも抑えています」
「――えっ? い、いつのまに!?」
「ルリの休みは早めに知らせるよう、侍女頭に頼んでありますので」
「ええっ……?」
「ついでに、三日の連休を確保しました。当家の別荘で過ごすよう、もう手配も済んでます」
「そんなの、初耳ですっ!!」
「ええ、今初めて言いました。でも大丈夫、義母上にはすでにお許しをいただいています」
「皇太后様までっ……?」
自分のあずかり知らぬ所で着々と外堀が埋められていることを聞かされたルリは、驚いて身体を引き離そうとした。
しかし、もちろんクロヴィスがそんなことを許すはずもない。
彼は逆にルリの身体を懐深く抱き込んで、にやりと人の悪い笑みを浮かべて告げた。
「そういうわけですから。煙突から来るじいさんなどに期待していないで、今日は旅の支度が済んだら早く寝なさいね? 明日の朝早く、迎えに行きますから」
「……」
その夜、ルリの元にはもちろんサンタクロースは訪れては来なかった。
しかし彼女が靴下に入れた願い事は確かに叶った。
翌朝、約束通りルリを迎えに来たクロヴィスは、仕事から解放された晴れやかな笑顔を浮かべていた。
メリークリスマス!
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