獅子の甘噛み、猫の甘噛み

くる ひなた

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第一話 飼い主と飼い猫

飼い主と飼い猫3

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 ピンク色の鼻先に、斜めに走った爪の跡。
 
「おっ、ロウ。ちょっとは勇ましい面になったんじゃないか?」

 三毛猫ロウは傷跡をペロリと舐め、そんな主人の揶揄にさえまんざらでもない様子。
 それぞれのお楽しみの時間を終えた二組は、ひとまずララが整えたお茶の席についた。
 レオの前には真っ黒い液体が入ったカップ。
 中身は南の島で採れる実の種子を焙煎し、それを挽いた粉から湯や水で抽出した嗜好飲料……いわゆるコーヒーである。
 紅茶よりもずっと渋くて苦いのでそのまま飲むのは苦手だが、ミルクと砂糖を加えたものはララも好きだ。
 ララは自分もお気に入りのカップに入れた甘いカフェオレを飲みながら、テーブルの上で煮干しをがっつき始めたロウにため息をついた。

「ロウ、食べ過ぎちゃダメ。半分こだよ」

 彼女はそう言って、ロウが煮干しを一気にかき込んでしまわないように、小皿の上に掌を置いて八割方蓋をした。
 とたん、耳をぺたんと倒して切なげな鳴き声を上げたロウが、ララの手と小皿の隙間から煮干しを掻き出そうと必死になる。
 そんな一人と一匹の攻防に、レオはコーヒーのカップに口をつけつつ苦笑した。

「ララはなかなか厳しい世話係だな」
「だって、ご主人様。ロウったら、前の港で見た犬よりも大きくなっちゃってるんですよ?」
「まあ、今だけは大目に見てやれ。一仕事終えた後だから、精をつける必要があるんだろうよ」
「……」
「ああ、その理屈でいくと、同じく一仕事終えた俺にも必要か?」

 その〝一仕事〟の相手を務めたララが頬を赤らめて俯くと、にやりと笑ったレオは猫を宥めるように彼女の顎の下を指で撫でた。
 そして、ララがしぶしぶ手をどけた小皿から煮干しを一匹摘まみ上げて口に放り込み……

「……うん、コーヒーに煮干しは合わんな」

 とたんに顔を顰めた彼に、ララはちょんと口を尖らせてビスケットを薦めた。
 ロウはというと、蓋のなくなった小皿に飛びついて再びがっつき始める。
 ララは諦めたようなため息をつくと、ロウの顔の脇から煮干しを数匹摘まみ上げて膝の上に――そこに抱いていた白猫の口元に持っていった。
 ポリポリ、ポリポリ……
 ロウとは打って変わって、実に上品な食べ方だ。
 ララは白猫のなだらかな背中を優しく撫でてやりながら、ビスケットで口直しをしているレオに問うた。

「ご主人様、この子、飼うんですか?」
「そうだな。ロウの手付きにもなったことだし、このまま連れていくか」
「はい。名前、どうしましょう」
「お前が面倒をみるんだ。好きに付けるといいさ」

 そう言われ、ララはじっと白い猫を見つめた。
 煮干しを食べ終わって口の周りを舐めた白猫の方も、膝の上からじっとララを見上げてくる。
 その瞳は煌めく琥珀色で、十五夜の空を思わせた。
 自然と、ララの頭に一つの名が浮かんでくる。

「――ルナ……」
「〝ルナ〟か。いいんじゃないか」

 レオはララの呟きに頷くと、ロウの顔を大きな掌でわしっと掴んだ。
 煮干しの小皿を空にするだけでは飽き足らず、さらにビスケットを狙い始めたからだ。
 さすがに、おやつの時間はおしまいらしい。
 レオはそのままロウの頭を撫で、さらに後ろに手を滑らせて彼の背中をガシガシと掻くと、テーブルから下ろして告げる。

「ロウ、日が暮れるまで少しは運動してこい。可愛い新妻に、お前の職場でも案内してやるといい」
「なーお」

 ロウは主人の命令に是とも否とも判断しがたい鳴き声を返したが、白猫ルナがララの膝の上から軽やかに飛び降りて仕切りの向こうに消えると、大慌てで後を追った。
 その光景に、カップを空にしたレオが吹き出す。

「見たか、あの慌てよう。ロウは意外に尻に敷かれるタイプなんだな」
「仲良しになってよかったですね」

 一方、ララのカフェオレのカップの底には溶け切らなかった砂糖が残っていて、とにかく甘かった。
 甘いのが好きな彼女が思わずふにゃんと頬を緩めていると、それをじっと見つめたレオがテーブルに頬杖をついてはぽつりと呟く。

「……俺も、尻に敷かれてみるか」

 こっちへこい、とレオが膝を叩いてララを呼んだ。
 主人に呼ばれれば、従わないという選択肢はない。
 すぐさまカップをテーブルに置いてに擦り寄ったララを、レオは軽々と片膝に掬い上げ、彼女の前髪を満足そうなため息で揺らした。

「なかなかいいな。このまま仕事しよう」
「何がいいんですか? 足、痺れちゃいますよ?」
「お前の小さい尻を乗せていたくらいで、痺れはせん」
「はあ……」

 そうしてララを膝に座らせたまま、レオは書類とペンに手を伸ばす。
 海を越えて商売をする場合、相手の国の法律や税率を熟知しておかねばならず、さらに商談に関する書類なんてものはとにかく細かくて到底ララの手には負えない。
 しかしながら、レオに買い取られてから文字の読み書きを習ったおかげで、何が書かれているのかくらいは理解できるようになった。

 実の親に売り飛ばされ競売の舞台に立たされた時、幼いララは自分はもう人間ではないのだと思った。
 珍しいオスの三毛猫の、ただのおまけ。

 ――お前など、いてもいなくてもいい。

 ロウを欲して声を張り上げる客達の口が、ララにはそう言っているように見えた。
 恐ろしくて、悲しくて、寂しかった。
 ロウのついででもいいから、ララも欲しいよ、と誰かに言ってもらいたかった。
 稀少なオスの三毛猫を求めて値はどんどんと釣り上がり、それに比例して人々の興奮も高まっていく。
 ララは彼らの声に怯えて耳を塞ごうとした。
 ところが、その時――凛と響いた男の声は特別だった。

 ――その一人と一匹、俺が買おう

 それは不思議と、喧騒を蹴散らしてララの耳に届いたのだ。
 彼女は耳を塞ぐにも忘れ、懸命に声の主を探した。
 その人は、すぐに見つかった。
 何故なら、他の客達の視線がロウに釘付けの中、彼のブルーの瞳だけがララを見ていたからだ。
 こうして、ララはレオに出会った。

 レオが、好きだ。

 だって、彼はララの英雄で、救世主で、それこそ全てなのだから。
 レオの役に立てるなら何だって誇らしいし、自分にできることなら何だってしてあげたいと思う。
 最近では、書類の整理のような簡単な仕事ならば手伝わせてもらえるようになり、ララはそれがとても嬉しい。
 それなのに……

「……ご主人様、お仕事に集中しないと」
「してる」

 今、肝心のレオの片手が仕事をしない。
 利き手は確かにペンを握り、確認を終えた書類に次々とサインを施しているのだが、いかんせんララを乗せている膝の方の手は彼女をかまうのに忙しいのだ。
 ララのありふれた焦げ茶色の髪に指を絡めてみたり、まだあどけなさを残す頬を指の背で撫でてみたり、あるいは子猫をあやすように顎の下を撫でてみたり。
 困った顔をして窘めるも、レオはまったく耳を貸さない。
 仕方なく、ララは大人しく主人の膝に抱かれた猫を演じることにした。
 本来ならそれはロウの役目であるはずなのに、レオの膝に乗る機会はララの方が圧倒的に多い。

「日が暮れたら出かけるから、今のうちに少し眠っておけ」
「お出かけ……私も、ですか?」
「ああ、マード卿のホームパーティに誘われているんだ」
「マード卿……」

 マード卿は、現在船が停泊している港がある街の有力者で、レオの父の古い友人でもある。
 レオに連れられて何度か顔を合わせたことがある穏やかな老紳士は、ララとロウのこともいつも歓迎してくれるので好きだ。
 ただマード卿の屋敷には、ララが苦手とするものもいた。
 それを思うと少し憂鬱だったが、やはり主人であるレオの意向に逆らうなどという選択肢は、彼女の中には存在しない。

「時間になったら起こしてやるから、寝てろ」

 そう言って優しく髪を撫でられると、自然とララの瞼は重くなった。


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