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第八章 最終夜の舞踏会

第三十二話 別々の相手と踊る2

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「――断られてしまうかと思いました」

 三拍子で奏でられる優雅な音楽に乗り、足を滑らせるようなステップを踏みながら、大広間を円を描くみたいに踊る。
 危なげなく自分をリードをしながら、ふいに口を開いたオズワルドに、ソフィリアは微笑みを浮かべて首を傾げた。

「お断りする理由がございません。きちんと筋を通して誘ってくださいましたもの。それに、昨夜はオズワルドさんのおかげで助かりました。そのお礼になるのでしたら、喜んでお相手させていただきますわ」
「昨夜のことは、その……驚きました。まさか、あんなことが起こるだなんて……」

 昨夜、ソフィリアに叱られてすごすごと客室に戻ったと思われていたオズワルド。
 しかし、頭を冷やすために庭園の隅に置かれたベンチに腰を下ろしたところ、王宮とは反対方向に歩いていく彼女を目撃し、思わず後を追ったのだという。

「べ、別にやましい気持ちがあったわけではないんですよ? ただ、暗い庭園の中を女性が一人で行かれるのは、どうにも放っておけなくて……」
「あら、心配してくださったんです? 私に手首を捻られて、可愛らしい声を上げていらっしゃったのに?」
「そ、それとは別問題ですっ!」
「ふふ、からかってごめんなさい。それに、ご心配もおかけして申し訳ありませんでした」

 ソフィリアをそっと追いかけたオズワルドも、見知らぬ男にモディーニが襲われるところを目撃する。
 さらに、ソフィリアが男にガラス容器を投げつけてモディーニを救い、その手を引いて逃げていく姿を――そして、くそっと悪態を吐いて彼女達を追いかけていく男の手にナイフが握られているのを目の当たりにし、慌てて助けを呼びに走った。
 彼のその機転のおかげで、ルドヴィークもヴィオラントも、ユリウスをはじめとするグラディアトリアの騎士達も、早急にソフィリア達のもとに駆け付けることができたのだ。

「僕一人であの男を取り押さえられていれば、今頃胸を張れていたんですけど……」
「相手はナイフを持っておりましたもの。オズワルドさんは冷静に最善の判断をなさいましたわ」
「それでも、僕が自分であなたを助けられたらよかったと思います。そうしたら……きっと、もっと堂々とあなたにダンスを申し込めたでしょう」
「あら……」

 これまで人目も憚らずソフィリアに求婚しまくっていた彼が、先ほどはいやに緊張した面持ちでダンスに誘ってきたと思ったら、そういう葛藤があったらしい。
 オズワルドは悔しそうな顔を隠しもせずに、それでいて危なげなくソフィリアをリードする。
 彼の手によってくるりと華麗にターンを決めたと同時に、ソフィリアの視界の端にオルセオロ公爵夫妻の姿が入った。
 オルセオロ公爵夫人――皇姉ミリアニスを見ると、同じ色の髪、同じ色の瞳をし、同じように母后陛下の面影を持つかの人をついつい思い浮かべてしまう。
 すると、そぞろになった彼女の気を引くように、オズワルドがその手をぎゅっと握った。
 昨夜とは違って、ダンスのパートナーの手を握っても無礼には当たらない。

「僕は――まだ、ソフィリアさんが諦めきれない」
「オズワルドさん、ですが……」
「今すぐ思いを受け入れてもらえなくてもいいんです。でも、昨夜も言いました通り、僕にも機会が与えられたっていいはずです。――本当に、ソフィリアさんに他に好きな方がいらっしゃらないのならば!」
「……っ」

 ぐっと引き寄せられ、ソフィリアは息を呑む。
 いいや、本当はオズワルドの言葉にこそ、息を呑んだ。
 ロレットー公爵とシェリーゼリアが、気遣わしげな視線を寄越しながらすぐ側を通り過ぎる。
 昨夜アカシアの木の下で、他に好きな人がいるのかと問い詰められた時、ソフィリアは頷けなかった。
 ルドヴィークの姿をありありと脳裏に浮かべておきながら、往生際悪く彼への想いを認めようとしなかったのだ。
 けれども、今は違う。

「ソフィリアさん、僕と結婚してください」

 もう何度目になるだろう。
 同じ言葉をひたむきにぶつけてくるオズワルドに、ソフィリアも真摯に向き合う。

「申し訳ありません――私には、お慕いしている方がおります」

 そう言ってドレスの裾を翻し、くるりとターンをしたソフィリアは、思いのほか近くにいた母后と目が合った。
 いつもと変わらず、母のように慈しみに溢れたその眼差しが、背中を押してくれている気がする。
 一方、母后のダンスの相手をしていた弟のユリウスは、牽制するような目でじろりとオズワルドを見た。

「……その方と、結婚するんですか?」

 震える声でそう問われ、ソフィリアは昨夜のように首を横に振ろうとして、やめた。
 八年前の愚かな行いによって、皇妃候補から外れた彼女がそれを望むことは、おこがましいかもしれない。
 けれども、夢見ることくらいなら許されるのではなかろうか。
 ソフィリアはルドヴィークを、主君として敬愛し、親友として慕い――さらには一人の男性として、愛してしまった。
 たとえこの想いが報われなかったとしても、もう構わない。
 離れたところで踊るルドヴィークとモディーニの姿は、あえて見ないようにした。
 心がチクチクと痛むからだ。
 けれど、自分の気持ちに見て見ぬふりをするのはもうやめにしよう。
 ソフィリアはまっすぐにオズワルドを見上げて口を開く。
 彼の瞳の中には、恋に焦がれる女の顔が映り込んでいた。


「結婚は、分かりません。ですが――私は生涯、その方を思い続けるつもりでおります」


 ぐっ、とオズワルドの顔が泣きそうに歪んだ。
 その背後を、リュネブルク公爵夫妻が通り過ぎる。
 かつての上司と親友夫婦の心配そうな眼差しに、ソフィリアは微笑んで返した。
 そんな中、はああ……と頭上から盛大なため息が落ちてくる。オズワルドだ。

「僕の失恋は、どうあっても確定なんですね……」
「申し訳ありません」
「いいえ、謝らないでください。何度も断られているのに、しつこく追い縋ったのは僕ですから」
「オズワルドさん……」

 恋が叶う望みはないと知って、オズワルドは心底消沈した様子だった。
 しかしながら、ダンスの方には余念がない。
 途中、どういうわけか二人の間を割くようにシオンとアリアーネが通り過ぎたのには驚いていたが、さっきのユリウス同様牽制するような目でじろりと見上げてきた前者には気づかないまま、オズワルドはすぐさま体制を立て直した。
 ゆったりとした曲に乗って二人は踊る。
 前へ後ろへ、ステップを踏みながらオズワルドが続けた。
 
「自分から女性にダンスを申し込んだの……ソフィリアさんが初めてだったんですよ」
「光栄ですわ。オズワルドさんは、ダンスがとてもお上手でいらっしゃるのね」

 ソフィリアが言ったのはお世辞ではない。
 ロートリアス公爵令嬢として、またここ二年は皇帝補佐官としても、様々な相手とダンスをした経験がある彼女から見ても、オズワルドのそれは卓越している。
 ソフィリアがそう告げると彼は素直に嬉しそうな顔をしたものの、父が厳しかったので、と呟いて肩を竦めた。
 隣国にまで醜聞を轟かすだらしない兄メーヴェル侯爵を嫌悪し、彼を反面教師として自分にも他人にも厳しかったらしいアンセル侯爵。
 その姿は、自由奔放な姉に反発するように、異様なほどに体裁にこだわっていたソフィリアの母とどこか通じるものがある。
 母がソフィリアを皇妃を最終目標とする完璧な淑女に仕立て上げたがったように、オズワルドもまた父から何事に関しても完璧を求められてきた。
 健気にもそんな父に認められようと、あらゆるものに懸命に取り組んできたために、ダンスもこんなに上達したのだろう。
 そうこうしているうちに、円舞曲が終わる。
 そっと手を離したソフィリアとオズワルドは向かい合い、お互いを讃えるように小さく礼をした。
 周囲で踊っていた他の男女も、それぞれ思い思いに次の行動に移る。
 給仕からワイングラスを受け取って一休みする者、はたまたパートナーを変えて次の曲に備える者もいた。
 そんな中、ソフィリアはというと――

「ソフィリアさん。もう一曲、お願いできますか?」

 そう言って、再び差し出されたオズワルドの手を取ろうとした。
 何しろ彼は本当にリードが上手で、ソフィリアも思いのほかダンスを楽しめたのだ。
 オズワルドからの求婚はきっぱりと断ったし、彼もそれに納得してくれた。
 後は心置きなく、お互いただ純粋にこの舞踏会を楽しもう。
 そう考えてのことだった。

 ところがである。

「えっ……?」

 オズワルドが差し出す左手に重なろうとしたソフィリアの右手を、ふいに横から伸びてきた何者かの左手が掴んだ。
 はっとして顔を上げたソフィリアの目に飛び込んできたのは……


「……陛下」


 さっきまで、離れた場所でモディーニと踊っていたルドヴィーク。
 ソフィリアが主君として敬愛し、親友として慕い――さらには一人の男性として愛し、生涯想い続けると宣言した相手だった。
 ルドヴィークは、ぽかんとしるソフィリアを自分の側へと引き寄せる。
 そして、同じくぽかんとしているオズワルドに向かってこう言い放った。


「すまないが、一曲で許してもらおう。この後のソフィリアの時間は、私が予約していたんだ」


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