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第六章 満月の下の騒動
第二十三話 認めずにはいられない
しおりを挟む「どうやら、うまく撒けたみたいね」
「……」
モディーニの手を引いて月夜の庭園を疾走したソフィリアは今、プリペットの垣根に身を隠していた。
オズワルドと別れたアカシアの木よりもずっと王宮から離れたここからならば、城門の方が近い。
早急に安全を確保するには、城門まで行って門番に助けを求めるのが最善だろう。
ただし、ここから先は視界が開けているため、迂闊に動くとナイフを持った男に見付かってしまうかもしれない。
さっきは男の意表を突くことでなんとか逃げ果せたが、女の足では城門にたどり着く前に追いつかれてしまう可能性もある。
そう考えたソフィリアは、見回り当番の騎士が近くを通りかかるまで、モディーニと一緒にこの垣根に身を潜めておくことにした。
「ソフィリア様……ごめんなさい……」
ソフィリアの背後にしゃがみ込んで、上がった息を整えていたモディーニが、やっとおずおずと口を開く。
ソフィリアは小さく肩を竦めてから、首から上だけ後ろを振り返った。
「それは、何に対するごめんなさいかしら?」
「えっと……」
「私の部屋に勝手に入って、プチセバスをさらったこと? それとも、オズワルドさんをけしかけたこと?」
「うっ……ど、どっちも……。それに……今度は、面倒に巻き込んで……ごめんなさい」
モディーニはぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、素直に謝罪を口にする。
そんないとけない姿を見ていると、確かに彼女の行いに腹を立てていたはずのソフィリアも矛を収めずにはいられなかった。
「どうして、あんなことをしたの?」
そう問われたモディーニは、ぐっと唇を噛み締めて俯く。
そのまま黙りを決め込むかと思われたが、しばらくすると彼女はまたおずおずと口を開いた。
「だって、私……ルドヴィーク様と結婚したいんです。そのためには、ソフィリア様が邪魔だったんですもの」
「……あらまあ」
あまりにも明け透けな言いように、ソフィリアは腹が立つよりも呆れ返る。
すると、モディーニはさっきまでのしおらしい態度を一変させ、キッとソフィリアを涙目で睨んで叫んだ。
「ソフィリア様は皇妃になるつもりはないとおっしゃったけれど、ルドヴィーク様の隣にいるのはいつもあなただった! あなたがいる限り、ルドヴィーク様は私の求婚に頷いてはくださらないと分かったんです!」
「えっ……?」
「ソフィリア様は、あのコンラートの方と結婚なさればいいではないですか! あんなに一途に想ってくださっているんですから、応えて差し上げればいいではないですかっ!!」
「モ、モディーニさん、静かに! ちょっと声を抑えて……!」
興奮のあまり声が大きくなるモディーニを慌てて窘めつつ、ソフィリアはたまらずため息を吐き出した。
そうして、涙に濡れた彼女の灰色の瞳を覗き込んで、静かに問う。
「モディーニさんは、どうしてそんなに陛下と結婚したいのかしら?」
「え? だ、だって……ルドヴィーク様は、グラディアトリアで今一番偉い方ですもの……」
その答えを聞いて、ソフィリアは目を細めた。
モディーニを見ていると、かつての自分を前にしているような気分になる。
グラディアトリア皇妃になるのだと信じ切っていた頃、ソフィリアはルドヴィークのことなんて何も知らなかったし、知ろうともしなかった。
ただ彼の〝グラディアトリア皇帝〟という肩書きしか、目に入っていなかったのだ。
もっと言うと、その肩書きさえ持っていれば、ルドヴィークでなくてもよかったのだろう。
ロートリアス公爵令嬢でしかなかったあの頃のソフィリアは、ルドヴィークのことを愛しもせぬまま、彼の妻になって、彼の子を産んで、次代のグラディアトリア皇帝を育てるつもりでいた。
その後、問題を起こして皇妃候補の座を降りてやっと、ソフィリアはルドヴィークという生身の人間と向かい合うことになる。
そうして彼は今――グラディアトリア皇帝なんて肩書きを抜きにしても、ソフィリアの心を大きく占める存在になっていた。
もう、認めずにはいられない。
ソフィリアはルドヴィークを、主君として敬愛し、親友として慕い――さらには一人の男性として、愛してしまった。
皇妃となる道を自ら閉ざしておきながら、今更になって報われることのない感情を抱いてしまったことに、ただただ虚しさを覚える。
一方モディーニの方も、ただ皇帝のお妃様になりたい夢見がちな少女というわけではなく、何やら事情がありそうだ。
彼女は思い詰めた表情をして続けた。
「ルドヴィーク様と結婚したら、ずっとグラディアトリアにいられる……誰も、私をこの国から追い出したりできないでしょう?」
「モディーニさんは、このままずっとグラディアトリアに住みたいのかしら? そのために、陛下と結婚したいの?」
「だって……私はもう、パトラーシュには帰らないんですもの……」
「まあ……」
ぐっと唇を噛んで俯くモディーニの肩を、ソフィリアはそっと抱いてやる。
「それに……皇妃になれたら、お兄様はきっと私を誇りに思ってくださるわ……」
そう、消え入りそうな声で呟いた少女の身体は、小さく震えていた。
「さっきの男……モディーニさんの顔見知りかしら?」
「いいえ……でもあの人、パトラーシュの騎士団の制服を着ていました」
「そう、パトラーシュの……。どうして襲われたのか、心当たりはある?」
「そ、それは……」
とたんに、モディーニはうろうろと目を泳がせ始める。心当たりはあるようだ。
パトラーシュの騎士ということは、三国間宰相会議のために宰相シェリーゼリアを護衛してきた騎士団の内の一人だろう。
襲われたモディーニもパトラーシュの人間であるとはいえ、ここはグラディアトリアの王城である。
その庭園で、異国の騎士がナイフを抜いたとあっては、ソフィリアとしても見過ごすわけにはいかない。
これは面倒なことになりそうだ、とため息を吐きかけた――その時だった。
ガサガサ、とモディーニの後ろの方で茂みをかき分けるような音が上がる。
はっと息を呑んだソフィリアは、とっさに彼女の腕を掴んで自分の側へと引き寄せた。
「ソ、ソフィリア様……」
「……」
怯えてしがみついてくるモディーニを、ソフィリアもぎゅっと抱きしめる。
じりじりと二人して後退ってはみたものの、すぐにプリペットの垣根に阻まれて逃げ場を失った。
ガサガサという音が、だんだんと近づいてくる。
ソフィリアは、ゴクリ、と自分の喉が鳴るのを聞いた。
そうしてついに、すぐ目の前の茂みが大きく揺れて――
「――あれ? ソフィとモディじゃん。二人とも、こんなところで何してるの?」
「「シオンちゃん!?」」
現れたのは、先ほどモディーニを襲ったパトラーシュの騎士ではなく、レイスウェイク大公爵家の一人息子、シオンだった。
月の光に照らされて、彼の父親譲りの美しい白銀の髪がキラキラと輝く。
ソフィリアとモディーニは思わず顔を見合わせ、ほうっとため息を吐き出した。
シオンも母スミレと一緒に母后陛下の側にいたのが、ソフィリアの到着を待つ間にまたしても着せ替え人形にされそうになって、慌てて逃げてきたのだという。
パトラーシュの騎士にモディーニが襲われそうになったという話を聞くと、彼は小さな胸をドンと叩いて言った。
「僕が父上とルド兄に知らせてくるから、ソフィ達はこのままここに隠れてなよ!」
「だめよ、シオンちゃん! まだ、さっきの男が近くにいるかもしれないわ! 相手はナイフを持っているのよ!?」
「へーき! 僕の背丈なら垣根に隠れていけるから、絶対見つからないって!」
「で、でも――」
その時だった。
茂みに背中を向けて立っていたシオンの影で、何かがギラリと光る。
それに気づいたソフィリアがあっと声を上げた時にはもう、背後から伸びてきた逞しい腕が、彼の小さな体を抱き上げていた。
そうして、その母親似の愛らしい顔に、ナイフの切先が突きつけられる。
息を呑むソフィリアとモディーニの視線の先に立っていたのは、パトラーシュの騎士団の制服を着た若い男だった。
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