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第三章 二人の公爵令嬢
第十一話 前向きなお嬢様
しおりを挟む「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」
パトラーシュの公爵令嬢、モディーニ・ラ・レイヴェスがグラディアトリアにやってきて、五日が経った。
その境遇を憐れんだ母后陛下は快く彼女を迎え入れ、部屋を与えて住まわせている。
そんなモディーニは、毎日朝一番に皇帝執務室を訪ねてきては、決まって冒頭の台詞を放つのであった。
「ルドヴィーク様、私と結婚してくださいませ」
皇帝執務室で相対した最初の日、ルドヴィークはモディーニからの求婚をきっぱりと断った。
モディーニもその時は口を噤んで俯き、彼の答えを受け入れたように見えたのだ。
ところがその翌朝、モディーニは何ごともなかったかのように再びルドヴィークに求婚し始めたのである。
「……おはよう、モディーニ」
「おはようございます、ルドヴィーク様。結婚してくださいませ」
困った顔のルドヴィークに対し、彼女はにこりと微笑んで同じ言葉を繰り返す。
「その話は、もう終わったはずなのだがな」
「あら。私、一度や二度ふられたくらいで諦めたりしませんわ」
そう言って誇らしげに胸を張る少女に、ルドヴィークは金色の髪をかきあげつつ、大きくため息をついた。
すると、執務机越しにルドヴィークと向かい合っていたモディーニの背後から、今度はうんざりしたような男の声が上がる。
「無駄に前向きなお嬢様でいらっしゃる。まあ、陛下にとってはご迷惑以外の何ものでもないでしょうけど?」
ルドヴィークの命により、渋々モディーニの護衛騎士となったユリウスだ。
モディーニが抱える事情は、もちろん彼にも伝えられた。
グラディアトリア騎士団第一隊にて、隊長カーティスの補佐を務めるまでになったユリウスの剣の腕は一級品。モディーニの身の安全を守るに充分な力量を備えている。
ただ残念ながら、彼女との相性はあまりよくはないようだ。
「そもそも、こんなじゃじゃ馬が陛下のお心を掴めるとは思えませんがね」
「あら、ルドヴィーク様はおしとやかな女性よりも活発な女性がお好きだって、フランディース様がおっしゃってましたわ」
ユリウスとモディーニはそう言うと、火花を散らさんばかりに睨み合う。
「ユリウス、おやめなさい。大人げないですよ」
執務机の脇に立ち、ルドヴィークがサインすべき書類をまとめていたソフィリアが、眉を顰めて弟を窘める。
すると、ユリウスは今度はソフィリアを睨みつけ、口を尖らせて反論してきた。
「そうはおっしゃいますがね、姉上。このお嬢様、一時もじっとしていないんですよ? 城の庭を散策するくらいならともかく、昨日なんか街に出ると言い出して……振り回されるこっちの身にもなってくださいよ!」
「あらあら……」
何度断られてもめげずに、日々ルドヴィークに求婚し続けるモディーニ。
だが、彼が政務で忙しい日中は、さすがに執務室へ押し掛けるのを控えているようだった。
その間、彼女は母后の側で過ごしているのだと思っていたら、どうやらその限りではないらしい。
うんざりした顔で文句を言うユリウスに苦笑しつつ、ソフィリアはモディーニに声をかけた。
「モディーニさん、グラディアトリアの街はいかがでしたか?」
すると、モディーニはぱっと顔を輝かせて答えた。
「とても賑やかで、活気に溢れておりました。珍しいものもたくさんあってっ……」
「あれは何だこれは何だ、とはしゃいで大変でした。まったく子守りも楽ではありませんよ」
すかさず口を挟んだユリウスを、モディーニはたちまち顔を赤らめて睨む。はしゃいでしまった自覚があるのだろう。
だって、と彼女は小さく唇を尖らせた。
「パトラーシュの街だって、歩いたことがなかったんですもの。いつも馬車の窓から眺めるばかりで……」
「まあ、そうでございましたか……」
ソフィリアが彼女に対して最初に感じた生粋の箱入り娘という印象は、間違いではなかったらしい。モディーニを溺愛していた父親は、随分と過保護でもあったようだ。
しかしソフィリア自身も、ロートリアス公爵令嬢として澄ましていた頃は、ろくに街を散策したこともなかったので、モディーニが特別というわけでもないだろう。
モディーニの母親は貴族ではないらしいが、生まれてからずっと父親の下で大貴族の令嬢そのものの暮らしをしていたため、自分で金銭を持ち歩いたことも、それで品物を購入したこともないと言う。
「昨日、この世間知らずのために立て替えた分は、陛下にきっちり請求させていただきますからね」
「分かった分かった」
護衛以上の面倒をかけられたらしいユリウスが仏頂面をして言うのに、ルドヴィークは苦笑を浮かべて頷いた。
それを横目に、ソフィリアもくすりと笑う。
「レディの初めての散策をエスコートできるなんて、光栄なことではなくて、ユリウス。つべこべ言わずに支払って差し上げるのが紳士というものではないかしら?」
「もう少しおしとやかなお嬢様でしたら、喜んでエスコートさせていただいたんですがね」
とたん、ユリウスがこれみよがしに肩を竦めて吐き捨てる。
しかし、モディーニも負けてはいなかった。
彼女はツンと澄まして言い返す。
「あら。私だって、あなたじゃなくてルドヴィーク様に案内していただければ、もっとずっと楽しかったと思いますわ」
ソフィリアは、ユリウスとモディーニの間でバチバチと火花が散ったように錯覚した。
「だったら、さっさと陛下を口説き落としてみろよ!」
「言われなくてもそのつもりよ!」
二人が再び、真正面から睨み合う。
ユリウスの方が八つも年上なのに、どうにも子供っぽくていけない。
ソフィリアはルドヴィークと顔を見合わせ、やれやれとため息をついた。
そんなことがあった日の午後のことだ。
三時のお茶の時間を前に、皇帝とその補佐官が仕事を一段落させてペンを置いた、その時である。
――ドンドンドンドンッ!
突然、皇帝執務室の扉が激しくノックされた。
さらには、こちらの返事も待たずに、バーン! と勢いよく扉が開く。
ソフィリアはルドヴィークを守ろうと、とっさに彼の執務机の前に飛び出した。
ところが……
「たいへんたいへんたいへんたいへんんんーーーっ!!」
そんな叫び声とともに皇帝執務室に駆け込んできたのは、暴漢などではなく、白銀色の髪をした小さな男の子だった。
「――シオン!?」
ルドヴィークの甥で、レイスウェイク大公爵家の一人息子シオンだ。
つい先日会った時は、母后の着せ替え遊びの犠牲になって女児用のドレスを着せられていたが、今日は貴族の子息らしくシャツとズボン、ベストを身に着けている。
シオンはソフィリアの脇を擦り抜けると、椅子から立ち上がっていたルドヴィークに飛びついた。
「わああん! ルド兄ぃー! どうしようー!!」
「落ち着け、シオン! どうした? 何があったんだ!?」
ルドヴィークは狼狽し切った様子のシオンを膝に抱き上げ、慌ててその顔を覗き込む。
母親そっくりの大きな紫色の瞳は、うるうるに潤んでいた。
「うう、ルドにい……」
「よしよし、大丈夫だから。落ち着いて、何があったのか話してごらん?」
ルドヴィークが、シオンの頭を撫でてやりながら穏やかな声でそう問いかける。
しかし、まだ七歳ながら、しっかり者できかん気なシオンが涙を見せるなんて、ただごとではあるまい。
あのね、と話し出した彼の震える声に、ソフィリアとルドヴィークが息を呑んで耳を傾けた時だった。
「ルドー、ソフィー……お仕事中、すみませーん」
シオンが開け放してきた扉の方から、また新たな声が上がる。
馴染み深いその声に、ソフィリアとルドヴィークはぱっと視線をやる。
次の瞬間、彼らは声を揃えて叫んだ。
「「――ス、スミレ!?」」
シオンに続いて皇帝執務室を訪ねてきたのは、その母親で、二人の親友でもあるスミレ。
しかし、彼女の思いも寄らない姿に、ソフィリアもルドヴィークもしばし言葉を失うのだった。
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