太陽王と灰色の王妃

雨宮れん

文字の大きさ
上 下
29 / 33
番外編SS

あるべき姿

しおりを挟む
 毎夜レーナルトはリティシアの居間へと入る。彼女が出奔してからもう一月以上が経過していた。深夜近くまで政務に追われても、彼女の部屋に入るのはかかすことができない。
 並んだ細く丁寧な文字で記された詳細な貴族たちとの面会の記録。最初のうちは頻繁だった貴族たちの訪問も、レーナルトがリティシアを遠ざけた頃からだんだんと少なくなっていって、二月後にはほとんどなくなっていた。
 丹念に細かな字を追っていって、ノートを閉じる。昼間の政務の間もほとんど目を休める余裕はない。レーナルトは目頭を押さえた。

 机の上に置いてあった呼び鈴を手に取る。鳴らすと姿を現したのはタミナだった。彼が役所から引き抜いて、王妃付きの侍女にした彼女とリーザは、リティシアが城を出た今もまだ城にとどまっている。
「茶を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
 物音一つたてず部屋を後にしたタミナは、香りの高い茶をいれたカップを盆にのせて戻ってくる。
「……味が違うな」
 思わず本音がこぼれた。

 リティシアのいれてくれた茶は、もっと香りがよくてほのかに甘みさえ感じられた。
 けれどタミナの茶は違う。リティシアが使っていたのと同じ茶葉を使い、同じ茶道具を使っているはずなのに。
「王妃様と同じようにいれているはずなのですけれども」
 一歩下がった場所から彼を見ていたタミナは、苦笑混じりに返した。
 レーナルトはカップを机の上に戻す。
 リティシアのいれてくれた茶が恋しい。
 
 自分の部屋から持ち込ませた便せんを用意して、ペンを手に取る。三日に一度は、リティシアへ手紙を出しているのだ。毎回同じ返事しか返ってこないのだけれど。
 けれど、今日はいつもにもまして言葉が出てこない。
「タミナ――」
 レーナルトはタミナに声をかけた。
「なんと書いたらいいと思う?」
 ふう、とタミナは大きくため息をついた。国内最高権力者の前でのその態度、本来ならば厳罰ものだが今のレーナルトにそれをとがめるつもりはない。

「陛下ご自身のお心のままに」
 それができれば苦労しない。レーナルトの表情を見て取ったタミナは、
「王妃様のお手紙にはなんと?」
 と質問をかえた。
 レーナルトは、傍らの箱をちらりと見る。そこには彼の送った手紙の返事がおさめられているのだが、並んでいるのはよそよそしい言葉ばかりだ。

 多少言葉は変えてあれど、陛下のお心に感謝いたします、もう少しお時間をくださいませ。要点は毎回同じだ。
 沈黙したままのレーナルトにタミナは言った。
「陛下のお心が伝わっていないのではないですか?」
 伝わっていない、か。
 ペンを置いてレーナルトは息をついた。
 自分の心――何を伝えればいいのだろう。今さら愛している、と書いたところで彼女は信じてくれないだろう。それだけのことをしてきたのだから。
 さがるようにと合図され、タミナはそっと退室していく。

 翌日、同じように茶を運んできたリーザはもっと辛辣だった。
 彼女の茶は、タミナがいれてきた物より苦かった。茶葉の量が多かったのだろう。
 タミナと同じ問いを投げかけられ、
「いまさら、でございますか?」
 と、凍りつくような視線とともに彼に言い放つ。本当に容赦ない。
「王妃様のお手紙を、陛下は何度無視なさいましたか?」
 寝室を別にしてから、リティシアは何度もレーナルトに手紙を書いてよこした。
 時間を取ってほしい、と――何度も、何度も。

 レーナルトは、リティシアのその手紙を無視したわけではない。返事は毎回きちんと出した。口頭で侍従に書かせたものではあるが。
 今は時間を取ることはできない、と。リティシアの侍女たちからしてみれば、無視しているのと同じことだったろう。
「――確かにいまさら、だな」
 彼の口元に苦い笑みが浮かぶ。
 
 そのうちリティシアからの手紙は届かなくなった。そのことに安堵した。
 側に置いたら傷つけてしまう。きっと辛辣な言葉を浴びせかけて、あの大きな灰色の瞳に涙が滲むのを見ることになるだろう。
 そう思ったから遠ざけた。
 それが彼女を宮中で孤立させているとわかっていながら放置したのは――彼が臆病だったからだ。
 彼女と正面から向き合うのが怖かった。これ以上彼女と心の距離を縮めたくない。そうしたらきっと想い人を忘れてしまう。
 彼がぐずぐずしている間に、どんどん彼女を追いつめて――そして彼の妻にはふさわしくないとまで思わせてしまった。彼の側にいてはいけないと思いつめるまで。

「王妃様のお心を考えたら、お返事をする気にはなれないと思いますわ。陛下のなさったことがそのまま返ってきているだけでしょう」
「……厳しいな」
 リーザは肩をすくめる。その気になれば、いくらでも辛辣な言葉を吐くことができるのだ、彼女は。たとえ相手が国王であっても。
「小国の――それも敗戦国の王女。有力な後ろ盾もないまま嫁いできて――頼りにできるのは陛下だけだったでしょう」
「……そうだな」
「先に王妃様の手を離したのは陛下――」
「わかっている」

 できることなら、今すぐ政務を放り出して迎えに行きたいくらいだ。王の責務を放り出すわけにはいかないが。
「戻ってきてほしいんだ、彼女に」
「ではそうお書きになればよろしいのです」
 空になったカップを彼の向かっている机から取り上げ、リーザは一礼してさがろうとする。
 それから思い直したように足をとめた。ふり返ってレーナルトへと問いを投げかける。

「……陛下、王妃様とどのようなご夫婦でありたいのですか?」
 ペンを取り上げようとしたレーナルトの手がとまった。
「……どのような、か」
 どのような、と問われても彼は答えを持たない。彼の両親は不仲だった。父は正妃ではなく寵姫に夢中で、正妃が宮中で孤立していくのを放置していた。
 放置された彼の母は、王宮内の青の間と呼ばれる一角から出ることもなく忘れ去られ――少しずつ正気を失っていって、忘れ去られたまま死亡した。
 
 どのような夫婦でありたいかと問われても、彼にはわからない。夫婦がどうあるべきなのか。
「……わかりませんか?」
 リーザの問いに彼は沈黙で返す。
「そんなお気持ちのまま、ただお手紙を書かれても、きっと王妃様の心には響きません。少なくともわたくしはそう思います」
  
 考えてみれば。
 彼のしたことは父がしたことと大差ないのかもしれない。あれほど憎いと思った父と。
 城を出る前に、リティシアはレーナルトに向かって言ったのだ。「青の間にうつります」と。
 自分は王妃として何もできないから――だから誰でも好きな人を側に置いてほしいと。
 そんな風に言わせてしまった彼に、戻ってきてほしいと口にする資格はあるのだろうか?

「……あいかわらずきついな」
「それも仕事ですから――わたくしの」
 にこりとしてリーザはレーナルトの前から姿を消す。
 レーナルトはペンを取り上げた。大きくため息をついて、レーナルトは便せんと向かい合う。
 何と書けばいいだろう。

 彼には何も見えていない。彼がリティシアとどんな未来を築いていきたいのか。
 それでも、彼女とつながっていたい。それがどんなに細い糸であっても。
 迎えに行ってもいいか。
 その夜、初めて彼はそう書いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。