太陽王と灰色の王妃

雨宮れん

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番外編SS

夢の一夜

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「申し訳ありません、リティシア様」
 コンラートは、リティシアを小屋に招き入れた。
「このようなことになってしまって……」
「しかたないわ。わたしが足をひっぱってしまったのですもの」
 吹雪の中、リティシアたちはファルティナとローザニアの国境にむかっていた。
 リティシアが遅れたため、護衛の騎士たちとはぐれてしまい、吹雪の中で道を見失ってこの小屋にたどりついたのだ。

 持ち主の姿は見あたらなかったが、幸いなことに薪は十分な量が残されていた。馬小屋に馬をつなぎ、無人の小屋へと入りこむ。
 リティシアが濡れた髪をぬぐっている間に、コンラートが手早く火をおこした。
「明日にはやむかしら」
 窓の外を見て、リティシアはため息をついた。
「リティシア様、お着替えは濡れていませんか?」
「大丈夫。厳重にくるんでおいたから」
「では、もう少し薪を持ってきます。その間にお召し替えを」
 
 彼の言葉に従って、リティシアは急いで着替えた。薪を取ってくるだけにしてはかかりすぎているのではないかと思うほどの時間がかかった頃、ようやく戻ってくる。
 薪を運び入れたコンラートは、失礼しますと小さく言うとリティシアの背の方に回った。
 彼が何をしようとしているのか理解したリティシアは、暖炉の炎から目を離さないようにする。
 やがて着替えを終えたコンラートは、リティシアから少し離れた場所に腰をおろした。

「そこは寒いのではないの?」
「俺なら大丈夫です」
 そのまま二人とも黙り込んでしまう。リティシアは出発した前日のことを思い出した。
 コンラートにレーナルトの元へ戻ると告げたあの日。コンラートと交わした約束をまだ果たしていない。
 あの時彼は言った。
「もう一度だけあなたと二人きりの時間がほしい」
 と。

「……ごめんなさい」
 リティシアの口をついて出たのは詫びの言葉だった。
「あなたとの約束、果たせそうもないわ」
 コンラートは笑った。
「果たしていただいていますよ、今」
 リティシアは目をみはる。二人の時間が欲しいと要求された時、彼女が考えていたのはまったく別のことで――リティシアはそれに応じる覚悟を決めていた。それが夫を裏切ることになるとわかっていても。

 そっと近づいてきたコンラートがリティシアの手を取る。
「俺にはこれでも分不相応です」
 コンラートはうつむいた。握りしめたリティシアの手に唇が落とされる。
「初めてあなたと出会ったあの日から、一生あなたをお守りすると決めていました」
 彼の言葉に、リティシアの脳裏にも初めて会った日の光景がよみがえる。
 一つ年上の姉の後ろから隠れるように様子をうかがうリティシアに、優しい目を向けてくれた少年。
 
 あの日からずっと彼はリティシアを見守っていてくれた。彼の人生すべてをリティシアに捧げて。
「俺はその日誓ったことを忠実に守っているだけですよ」 何でもないことのように彼は言うが、彼の払った犠牲の大きさをリティシアは理解していた。
「コンラート……あの……ありがとう……」
 続けようとしたリティシアの唇にそっとコンラートは人差し指を押し当てた。

「それ以上はいけません」  
 美姫は、騎士の捧げる愛情と忠誠心をただ受け取ればいい。何かを返そうなんて思う必要はないのだ。礼すらのべる必要はない。
「あなたの好きな物語でもそうではないのですか?」
「……これは物語とは違うわ」
 リティシアの髪をすくいとって、コンラートは口づける。
 そして手を伸ばすと、リティシアを腕の中に引き寄せた。

 リティシアは体を強ばらせた。それでも彼女は逃げだそうとはしない。コンラートの胸に体を預けて、彼の規則正しい鼓動に耳をかたむける。
 そんなリティシアをなだめるように、コンラートの手が髪を滑り落ちた。
 繰り返し、何度も、何度も彼はリティシアの髪をなでた。リティシアが眠気を覚えるまで。

「お休みください。リティシア様」
 リティシアを腕にコンラートはささやく。
「明日はまた一日馬に乗らなければなりません。ですから、ゆっくりお休みください」
 リティシアの髪をゆっくりとコンラートはなで続ける。リティシアは目を閉じ、やってきた睡魔に身をゆだねた。

 朝には吹雪はやんでいた。空はまだ曇っているが、今日は雪が降りそうな気配はない。
「そろそろ出立しましょう」
 コンラートはリティシアをうながした。リティシアは髪を首の後ろで一つに束ねて、彼の言葉にうなずく。
「今日中にグエンたちに合流できるとよいのだけど」
「騎士団長たちは、おそらく次の町に泊まっているでしょう。まずはそこを目指しましょう」 
 隣の馬小屋につないでおいた馬たちも一晩休んで、元気を取り戻しているだろう。

「リティシア様」
 意を決したようにコンラートは顔をあげる。
「あなたのお髪を――一房だけいただけませんか?」
 リティシアは無言でナイフを手に取った。明るい茶の髪を惜しげもなく切り取って、ハンカチに包む。
「……このくらいしか、わたしにはできないから」
 リティシアの顔がゆがむ。
 彼の忠誠心にリティシアは返す物を持たないから。ハンカチを渡すリティシアの手と、コンラートの手が一瞬触れ合う。

「――生涯、大切にいたします」
 低い声でコンラートは言った。
「……連れて行ってくれる? 陛下のいらっしゃるところへ」
「……この命に代えましても」
 小屋の主はまだ戻ってこない。薪と馬の餌の代金として何枚かの銀貨を残して二人は出発した。

 二人ともこの夜のことを忘れることはないだろう。口を開くことはないけれど。
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