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王家最後の生き残り(ルディガー視点)

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「殿下、お逃げください! あなたを失っては、王家の血が絶えてしまう!」

 目の前で、自分をかばってくれた騎士が倒れる。振り返ったルディガーは、襲いかかってきた騎士の首を一撃ではねた。肩で息をつきながら、周囲を見回す。今までの戦闘で、ルディガー自身、あちこち傷を負っていた。

 マクシムの軍が、これほど強力だとは想定外だった。

 自分の主を殺し、王となったマクシムが国境を侵犯してきたのは、ひと月ほど前のことだった。最初に撃って出たのは兄。それから父と共にルディガーも出たが、もう戦線を維持するのは無理だろう。

 どうやら、ここまでのようだ。

  また一人、ルディガーをかばって倒れる。自分がこれ以上ここにいても無駄に犠牲を増やすだけだと判断した。

「無理はするな! 降伏しろ――マクシムも、おとなしくしていれば殺すことはないだろう」

 マクシムの噂は聞いているが、早めに降伏すれば処刑は免れるはずだ。生きてさえいれば、再起を果たすこともできるだろう。

「どうか――ご無事で! 殿下!」

 声をかけてくれた騎士の方には見向きもせず、ルディガーは戦場を去る。目の前に現れる兵士を切りつけ、倒し――いったい何人を手にかけたのか、覚えていない。

 敵の目の見えないところで、目立つ服を脱ぎ、あたりに倒れていた兵士の服の中で、いくぶんましなものを着こんだ。

 このまま、身をひそめて、まだ生き残っている家臣達と合流する。それがルディガーの考えていた計画であった。

 だが、どこかで道に迷ってしまったようだ。脱出の最中、持っていたはずの食料も失ってしまい、傷の手当ても、布を巻き付けただけだった。

 小川を見つけ、貪るように水だけを飲む。そのままそこに倒れ込んでいたら、目の前にパンを持った少女がいた。

 三日食べていなかったから、目の前にあるそれに逆らえなかった。少女の手からパンを奪い、ろくに咀嚼もせずに飲み込む。

 目の前にいる少女が、目を丸くしているのに気が付いて、ようやく自分が何をしたのかに思い至った。

「悪い……三日間、何も食べていなかったから、つい」

「いいわ。あなた、ずいぶん困っているように見えるもの。どうぞ」

 ひとかけだけ残ったパンを彼に与えて、彼女はちょっと困ったように笑う。

 年の頃は十……二、三か。見習い修道女と同じような簡素な衣服を身に着けているが、顔立ちは整い、物腰には気品がある。

 彼女の名がディアヌというのを聞き、すぐにマクシムの娘だと気づいたわけではなかった。修道院に貴族の子女が預けられるのも、ディアヌというその名も珍しくはなかったから。

 納屋に匿われたが、すぐに院長に発見されてしまう。その後、滞在することを許されたのは驚きではあったが。

 医学の心得があるという修道女が、ルディガーの怪我を診察し、不十分な手当てだとがみがみ言う。そのあと、院長がルディガーをたずねてやってきた。

「どうして、俺を助けようと思った?」

 あとから聞いたところによれば、クラーラ院長は、昔、傭兵として戦場を渡り歩いていたらしい。

 たしかに孫のいる年齢の女性にしては、動きが力強いというか、年齢不詳の若さがある。修道服に身を包んでいても、彼女のまなざしは嘘を許さないという鋭さに満ちていた。

「どうして助けたのかって、まさか――あのまま野垂れ死んだ方がよかったと?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」

 今、ディアヌはジゼルと一緒に行儀作法の勉強とやらに行っている。

 あの時は死んだかと思いかけたが、どういうわけか、今はこうして、生きながらえている。傷が治ったら、外に戻っていくつもりだった。

 ディアヌを一人、残していくのは――なんだか気が進まなかったけれど、その理由は彼にもよくわからなかった。

「……前途有望な若者を、みすみす見殺しにするのも気が重いしね。労働力は必要だし」

 冗談めかした口調で、院長は言う。彼女の声音に、後悔のようなものが滲んでいるのに気づいたけれど、ルディガーはそこをあえて問おうとは思わなかった。

「……そっか。俺って、前途有望なんだ」

「前途有望じゃない若者の方が少数派だよ」

 そう言って笑う院長に、ルディガーの胸があたたかくなる。悪い人じゃない。素直にそう思った。

「そうそう、あんたが所属していたセヴラン軍だけどね――南の方に撤退していったらしいよ。マクシムは、彼らを徹底的に叩くらしい」

「……そうか」

「もう少し、ここにおいで。気がせくのもわかるけど、シュールリトン軍も、まだこのあたりをうろうろしている。見つかるのはまずいだろう。あんたのことは、私が預かった怪我人ということにしておくから、もし、誰かに見とがめられたらそう言えばいい。たまに、この小屋で病人を預かるのは本当のことだからね」

 院長は、何か知っているのではないだろうか――不意にそんな思いにとらわれる。

 自分の身元を知られているのだとしたらまずい。

 だが、院長はルディガーを深く追求することはなかった。それだけを言い残して、自分の部屋へと戻っていく。

 それからしばらくの間は、平和な日が続いた。ディアヌの面倒をみてやり、ジゼルをからかう。それは、彼自身忘れかけていた十六の少年にとっては、ごく当たり前の日常なのかもしれなかった。

 ――父や兄の仇を取るのは忘れてはいない。

 セヴラン王族の生き残りは、ルディガー一人だという。彼の行方を、家臣達は今でも探しているだろう。

 時々、彼らに合流するのだという決意を忘れそうになる。無邪気にしたってくれる少女。彼女の瞳が時として不安そうに揺れるのは気づいていた。

 勉強はかまわないが、剣の稽古は嫌だとだだとこねて見せる。それが寂しさの裏返しであることも、さらに何やら後ろめたさのような感情がこもっているのも。

「そんなことないだろ。お前は大人になったら美人になる。国中の貴族が、お前を欲しがるはずだ――お前は、貴族の娘なんだろう。それなら、絶対に自分の身を守るすべは必要だ」

 まだ十二歳という話だったけれど、将来恐ろしいほどの美貌の持ち主になるであろうことは、容易に推測できた。修道院に彼女を預けている家族も、これならば安心するであろうというほどに。

 けれど、彼女はその発言は少しも喜ばなかった。

「――あなた、本気でそれを言ってるの? わ、私の父親は――あなたの国を滅ぼした王よ。それでも、そんなこと言えるの?」

 大きく目を見開いて吐き出された言葉。

 その言葉で初めてルディガーの頭の中ですべてが一本の線につながった。ブランシュ王妃の産んだ王女は、王宮では生活していないという噂は聞いていた。

 妙に警戒心の強い修道女達。ただの貴族の娘にしては気品あるディアヌの物腰。ときおり、不安そうに揺れる瞳。

 そう、どうして今まで気づかなかったのだろう。マクシムの末娘の名は――ディアヌ、だ。

 ――目の前に、憎い男の血を引く娘がいる。

 一瞬にして、頭に血が上った。だが、改めて彼女の顔を見て、すぐに平静を取り戻した。

 目の前にいるのは十二の少女。王宮を離れて暮らしている。マクシムの顔すらよく覚えていないという話ではないか。

 その直後、修道院が襲撃された。ジゼルも連れ、三人で身をひそめる。

 男達の撃破には成功したが――少女にも武器をふるわせてしまった。

 血のついた剣を手に、地面に座り込んでただせわしない呼吸を繰り返す。今の事件が、彼女の心に深い傷を残したのは間違いなかった。

 憎い相手の血を引いているからなんだというのだ。不意にそんな思いが込み上げてくる。

 出会ったあの日、彼女に発見されなければあの場で命を落としていたかもしれない。

 互いに命を救い合ったその相手を、ただ、憎い男の血を引くというだけで憎むことなんてできなかった。

 
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