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婚儀を終えた翌朝に

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 長かった。結婚式の翌朝、一人きりの寝室でしみじみとそう思う。

 ようやくルディガーをこの城に入れるところまでたどり着いた。

 この城に戻って二年――その間、少しずつ準備を進めて。

 異母兄達は、侍女に手を付けるのは当然と思っているようだったから、身の回りから徹底的にジゼル以外の女性は遠ざけた。

 使用人達の方も馬鹿ではないから、王子達の気を引きそうな若い娘は、極力王宮での仕事にはつかないようにしていたはずだ。

 ディアヌが侍女を用いなければ、城で必要とされる女手は下働きの者ばかりになる。彼女達もまた、王族の目には極力触れないようにしているみたいだった。

 商売として城に呼ばれる女性達についてまでは、ディアヌの方ではどうしようもない。彼女達も、王子達との関係については織り込みずみなのだろうから。

 ――昨日は、眠ることができなかった。

 結婚式を終えた後も、それから後も――緊張でいっぱいだった。

 長い一日を終えた後、部屋までルディガーが来て。

 ディアヌは、自分の唇を指でなぞってみる。昨夜、そこにルディガーの指が触れた。

 それ以上の行為はなかったけれど、それでも胸が締め付けられるような気がする。

 そこにささやかな幸せを見出してしまい、そこに全力で縋りつこうとしている自分を愚かしいと自分で自分を笑わずにはいられなかった。

「……姫様……いえ、王妃様」

 一人しかいない寝室に、ジゼルが入ってくる。彼女も、昨夜はあまりよく眠れなかったのだろう。目の下に疲労の色が浮かんでいた。

 自分で今日身に着けるドレスを洋服箪笥から出し、ディアヌはなんとも表現しがたい笑みを浮かべる。

「その呼び方もおかしいわね。いえ、正しいのだけれど――今後は、名前で呼んで」

「姫様――いえ、ディアヌ様。今日は何をなさいますか」

 女王だったのは、ほんの一瞬のこと。もう結婚と引き換えに王位はルディガーに渡してしまっている。

 ほんの形式上のことにしか過ぎない。父は、前王朝を乗っ取った後、そんな形式を整えたりはしなかった。

 ――けれど。

 少なくとも、父の下にいた貴族達に、ルディガーにつくための大義名分を与えるためには必要なことだろう。

 ルディガーにつくのは、『女王』の意思だからしかたないのだ、と。

「葬儀の準備かしらね。数日後には、お父様とお異母兄様が処刑されるのでしょう――私くらいは、お祈りをしないと」

 今さら、家族の命乞いをするつもりはない。

 罪人の死体は晒しものにされるのが普通なのだが、ルディガーは遺体を引き渡すと約束してくれている。彼らを埋めるための場所を用意しておかなければ。

 ジゼルは複雑な表情になったけれど、ディアヌの意思はくみとってくれた。動きやすい衣服を出してくれて、寝間着をそれに改める。

 身支度を終えた頃、やってきたのはノエルだった。入ってきた彼は、厳しい表情をしている。

「――俺は、あなたとルディガーの婚姻には反対だ。ルディガーは、シュールリトン王家の血などなくともこの国を統一することができる」

「そうでしょうね。それを疑う人はいないと思います。私自身も、そう思いますもの」

 ディアヌは、ぎゅっとこぶしを握り締めた。

 自分が彼と釣り合わないことくらいわかっている。彼女がルディガーに与えることができるのは王位だけ。それだって、ルディガーには必要なかった。

 父が亡くなった今、ルディガーの下につきたいという貴族は多い。彼につくことを選ばないであろう残り僅かな者達だって、ルディガーならば討ち果たすことができるはず。

「二年たてば、私は――この城を去ることになっているのですよ」

 ひょっとしたら、二年も必要ないのかもしれない。

「――俺は。ルディガーは――史上最高の王になると信じている」

 ノエルの言葉には、完全に同意だった。きっと、ルディガーはいい国王になるだろう。「だから、二年後、あなたにはかならずこの城を立ち去ってもらわなければならない。それは約束できるのか?」

「あ、あなたねぇ……! ディアヌ様がどんな思いで――!」

 声を上げかけたジゼルを制したのは、穏やかなディアヌの声だった。

「ジゼル。厨房に行って、水をもらってきてくれないかしら。喉が渇いてしまったの」

「水ならそこにあるではありませんか」

「新しくて冷たい水をお願い。水差しの水は、ぬるくなっているから」

「――かしこまりました」

 自分をこの場から遠ざけるための口実だと理解したのだろう。ジゼルは不満げな顔になったけれど、命令には逆らうことができずに部屋を出ていく。

「ノエル殿――二年後、私が生きているとはかぎりませんよね?」

 にっこりと微笑んでそう言うと、ノエルは顔色を変えた。

「あ、あなたは――何を言っているのですか」

「私を、王妃の座から追いやる方法は、修道院に送るだけではないと言ったのです。あなたになら、それができますよね」

「なぜ、そこまでするのですか――わざわざこのような手段を取らなくとも、他にいくらだって道はあったはずだ」

 つまり、修道院に送る前に暗殺するという手もある――と暗示したのを、ノエルは即座に理解したようだった。

「言いませんでしたか? 私の血は、ここで滅びるべきです。ルディガーと……いえ、陛下と私の結婚を面白く思わない人もいるでしょう。でも、滅びるべき血ならば、その前に徹底的に利用してもいいと思いませんか」

 理解できないと言うように、ノエルが眉間に皺を寄せる。自分の考えを、完全に彼に理解してもらえるとは思わないけれど。それでも、伝えたいことは伝えるべきだと思った。

「陛下は、私の命の恩人です。いえ、命だけではなくて、心も救ってくださった。陛下の言葉がなければ、きっと父の下で怯えながら生活していたでしょうね」

 王たるものは民のために身を削るべき。あの時、ルディガーはそう言っていた。

 彼のその言葉は、ディアヌの心に強い影響を与えたのだ。彼に指摘されるまで、そう考えたことは一度もなかったのだ。

 ただ、家族と離され、一人修道院に送られたことを恨むばかりで。

「父が生きていれば、民を不幸にしかしない。そう気づいてしまったら、他に道はなかったんだと思います。私に、もう少し力があったなら他に選択肢もあったかもしれませんけれど――あいにくと、父の目は鋭くて」

 ノエルの顔から、完全に表情が消えた。その無表情のまま一礼したところで、新しい水をくんだジゼルが戻ってくる。

「あなた、ディアヌ様に何を言ったの? これ以上、ひどいことを言うようなら、許さないわよ」

「……俺は、何も」

 以前、とっさに彼の短剣を引き抜いて暴漢に立ち向かったということもあり、ジゼルはノエルに対して少々手厳しいところがあるようだ。

「ところで、私の剣はいつ返してもらえるのかしら? それがないと、お守りできないんだけど!」

「――お前は信用できないからな」

「何よ!」

 きぃっとなりかけたジゼルの腕を、ディアヌは軽く叩いた。はっとしたようすで、ジゼルは居住まいを正す。

「トレドリオ王家に仕えていたにも関わらず、マクシムに忠誠を誓っていた者達がいる。……ディアヌ様は、彼らに対して思うところがありませんか」

 ノエルが言っているのは、ヒューゲル侯爵を筆頭とした元トレドリオ家臣達のことだった。

「そうですね。彼らが主を変えるのは二度目、ですか。自分達が一度裏切った分、私には手厳しいかもしれませんね」

「……ジゼル――ええと、その、ジゼル、殿はどうお考えか?」

 どうやら、ジゼルに対する態度を、少し改める気になったようだ。

「私は、私の剣を返してもらえればそれでいい。ディアヌ様の警護は――誰にも任せたくないから。どうにかならないかしら」

「それについては、葬儀が終わるまで待ってほしい。葬儀が終わった後ならば、返してやれるかもしれない」

 その言葉に、ジゼルは驚いたように目を瞬かせた。剣を返してもらえるとは思っていなかったのだろうか。

「他の者に警護をまかせるよりいいだろう。不満か?」

「いいえ、返してもらえるとありがたいわ……ありがたい、です」

 ジゼルの方も、言葉遣いを改める努力はする気になったようだ。話を終えてノエルが出ていくと彼女は息をついた。

「憂鬱な作業は、さっさとすませてしまいましょう」

「そうですね。ディアヌ様――道具を持ってまいります」

 大人二人を葬るだけの穴を、ジゼルと二人だけで用意できるだろうか。だが、さすがに他の人の手を借りるわけにもいかないだろうと思った。
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