19 / 34
6.3 吐息
しおりを挟む
水曜日の9時半。
気もそぞろに回診を終え、朝のカルテを突貫工事で仕上げ、病棟を素早く抜け出して、真子と私は1階の外来ホールに集合した。
御崎十字の外来ホールは、ガラス扉のエントランスの正面、円形のホールの中央に受付があり、
ホールの外周にはカフェと会計窓口が並んでいるという一見不思議な構造をしている。
私たちの入職する10年くらい前に改築工事があったらしく、とある有名な建築家による設計だと聞いている。
初めて見学で訪れた朝、
わぁ、水族館みたいだ、
と思って胸がわくわく飛び跳ねたのを覚えている。
山本拓也の受診予定は、11時。
カルテのオーダーは消えていなかったから、死亡の連絡は先方の病院からは届いていない。
診察前にCTと採血の予約もあり、総合病院が混み合うことを知っているならば10時には来院するはず。
私たちは外来ホールの端の円の出口に並んでいるベンチの1つに陣取り、
ホールを出てそれぞれの専門外来へ向かう患者を端からスクリーニングすることにした。
身なりが整った、20代後半の、足が不自由な男性をイメージしているけれど、
先入観とは常に裏切られるために存在する。
「どうしよう・・・意外といるよね、若めのひと。今在宅ワークだから受診しやすいとか?」
「それあるかもねー。車椅子かな、松葉杖かな・・・整形外科外来の人たちと間違いそう~」
患者に気取られないように言葉を交わし、悟られないようにひとりひとりを盗み見る。
真子がしばらく黙ったかと思うと、iPhoneのLINEアプリを開いて堂々とメッセージのやり取りを始めていた。
覗くつもりはなかったが、ちらりと見えた画面の端に、鮮やかなショートカクテルのグラスが映っていた。
その事実にあまり驚きはせず、落胆もせず、
ただ真子には打ち明けられない種類の感情が、自分の中で少しだけ頭をもたげるのを感じた。
(・・・悠馬さんと、個人チャットしてるのか。)
年配の夫婦。子供連れの母親。大股で歩く中年男性、
スーツを着ている人、ジャージの人、作業服、
パンプス、スニーカー、クロックス。
通り過ぎていく患者たちが、大きな水槽の中を流れる小魚の群れのように一体化して見えて来た。
なんだか疲れているな、と思った。
病棟業務の合間に当直、当直が終わったら病棟業務、土日も朝から回診、
情緒はすり減っているし、感情は殺しているし、7時出勤で朝食も食べていないし、
あぁ、いま甘い冷たいものが飲みたい。
喉の渇きが癒せれば、心の乾きも、少しはましになるかもしれないし・・・
「星羅」
真子の澄んだ声がどこかから聞こえる。
微睡みながら、耳を撫でる水流を心地よく覚える。
「星羅!起きて!」
はっと目を覚ます。
仰向けで見上げた、光が飛び散る水面の残像が、まぶたの裏に焼きついていた。
気もそぞろに回診を終え、朝のカルテを突貫工事で仕上げ、病棟を素早く抜け出して、真子と私は1階の外来ホールに集合した。
御崎十字の外来ホールは、ガラス扉のエントランスの正面、円形のホールの中央に受付があり、
ホールの外周にはカフェと会計窓口が並んでいるという一見不思議な構造をしている。
私たちの入職する10年くらい前に改築工事があったらしく、とある有名な建築家による設計だと聞いている。
初めて見学で訪れた朝、
わぁ、水族館みたいだ、
と思って胸がわくわく飛び跳ねたのを覚えている。
山本拓也の受診予定は、11時。
カルテのオーダーは消えていなかったから、死亡の連絡は先方の病院からは届いていない。
診察前にCTと採血の予約もあり、総合病院が混み合うことを知っているならば10時には来院するはず。
私たちは外来ホールの端の円の出口に並んでいるベンチの1つに陣取り、
ホールを出てそれぞれの専門外来へ向かう患者を端からスクリーニングすることにした。
身なりが整った、20代後半の、足が不自由な男性をイメージしているけれど、
先入観とは常に裏切られるために存在する。
「どうしよう・・・意外といるよね、若めのひと。今在宅ワークだから受診しやすいとか?」
「それあるかもねー。車椅子かな、松葉杖かな・・・整形外科外来の人たちと間違いそう~」
患者に気取られないように言葉を交わし、悟られないようにひとりひとりを盗み見る。
真子がしばらく黙ったかと思うと、iPhoneのLINEアプリを開いて堂々とメッセージのやり取りを始めていた。
覗くつもりはなかったが、ちらりと見えた画面の端に、鮮やかなショートカクテルのグラスが映っていた。
その事実にあまり驚きはせず、落胆もせず、
ただ真子には打ち明けられない種類の感情が、自分の中で少しだけ頭をもたげるのを感じた。
(・・・悠馬さんと、個人チャットしてるのか。)
年配の夫婦。子供連れの母親。大股で歩く中年男性、
スーツを着ている人、ジャージの人、作業服、
パンプス、スニーカー、クロックス。
通り過ぎていく患者たちが、大きな水槽の中を流れる小魚の群れのように一体化して見えて来た。
なんだか疲れているな、と思った。
病棟業務の合間に当直、当直が終わったら病棟業務、土日も朝から回診、
情緒はすり減っているし、感情は殺しているし、7時出勤で朝食も食べていないし、
あぁ、いま甘い冷たいものが飲みたい。
喉の渇きが癒せれば、心の乾きも、少しはましになるかもしれないし・・・
「星羅」
真子の澄んだ声がどこかから聞こえる。
微睡みながら、耳を撫でる水流を心地よく覚える。
「星羅!起きて!」
はっと目を覚ます。
仰向けで見上げた、光が飛び散る水面の残像が、まぶたの裏に焼きついていた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
冷酷社長に甘く優しい糖分を。
氷萌
恋愛
センター街に位置する高層オフィスビル。
【リーベンビルズ】
そこは
一般庶民にはわからない
高級クラスの人々が生活する、まさに異世界。
リーベンビルズ経営:冷酷社長
【柴永 サクマ】‐Sakuma Shibanaga-
「やるなら文句・質問は受け付けない。
イヤなら今すぐ辞めろ」
×
社長アシスタント兼雑用
【木瀬 イトカ】-Itoka Kise-
「やります!黙ってやりますよ!
やりゃぁいいんでしょッ」
様々な出来事が起こる毎日に
飛び込んだ彼女に待ち受けるものは
夢か現実か…地獄なのか。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる