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第二章『神皇篇』
第四十九話『神日本磐余彥』 序
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日本国は東京の路上、防衛大臣兼国家公安委員長・皇奏手を乗せた自動車が首相官邸へと向かっていた。
皇國の夜空に映し出された映像は世界中へ同じように発信されており、日本国にも当然届いている。
皇もまた皇國で映像を受け取った者達と同様に、映像を切掛として皇國が侵攻に踏み切る可能性が高いと見ていた。
「先生、本当に皇國は仕掛けてくるのでしょうか?」
腕を組んだ指で小刻みに二の腕を叩いて苛立ちを表す皇に、相席する彼女の秘書・伴藤明美が問い掛けた。
日本国が戦争を仕掛けられるという予測に懐疑的なのは彼女だけでなく、国民の大半を占める見解だろう。
しかし、皇を始めとする政府高官はそうではなかった。
「確かに、現代の国際社会に於いては戦争を仕掛けることそのものは国家による不法行為とされているわ。だから大国が開戦する筋道は主に二つ。国連の安保理決議による勧告に基づいた介入という体裁を取るか、それとも戦争ではなく特例の軍事作戦の名目を装うか」
「前者は米国が、後者は中露が使う手というイメージがありますね……」
「しかし、皇國にはそういった常識が無い。抑も彼らは違う世界から渡ってきた特異な国家なのよ。従っておそらく、宣戦布告などという時代後れの通達も平然と行うでしょう。それが実際の武力行使とどちらが先になるか、という差はあるでしょうけれどね……」
夜遅くにも拘わらず皇が首相官邸に向かうのは、事態がそれだけ風雲急を告げているということだ。
その時、皇に一本の電話が入った。
「もしもし、真柴総理ですか? はい……そうですか……」
首相からの電話を受けた皇の表情は次第に険しくなっていく。
良からぬ報せを受けたようだ。
「承知しました、引き続き官邸へ向かいます。今後のことは其方で。はい……失礼します……」
電話を切った皇は大きく溜息を吐いた。
「先生、総理は何と?」
「皇國の能條緋月首相が亡くなったそうよ。そして後を引き継いだ新首相・小木曽文章氏からたった今、両国の外交筋を通じて我が国の仁科首相に宣戦布告が届いた……」
「そんな……!」
伴藤は青褪めた。
自国が戦争に巻き込まれるという現実感の無い事態にどうすれば良いか分からないのだろう。
「準備を進めておいて良かったと、一先ずはそんなところかしら。焼け石に水かも知れないけれどね。それより気になるのは……」
「拉致被害者……」
「ええ。今日帰国の筈だけれど、間に合って頂戴よ……」
その時、再び皇の電話が鳴った。
発信者の名前を見た皇は息を呑み、電話に出た。
「もしもし、魅琴ちゃん? どうしたの? 日本と皇國は今、本当に大変なことになっているの。拉致被害者はどうなった? 貴女達、帰国出来るの?」
娘・麗真魅琴から掛かってきた電話に、皇はつい矢継ぎ早に捲し立ててしまう。
一応、戦争相手国に取り残された国民が一切帰国出来ない、とは言い切れない。
第二次世界大戦中、米国に残された外交官や留学生が、交換船を使って第三国であるスイスを通して日本へ帰国したことがある。
『今し方、日本へ帰国する飛行機が飛び立ちました。三時間後には到着する予定なので、丁重に迎えてあげてください』
「そう、良かった……」
一瞬、皇は胸を撫で下ろした。
しかし、どうにも魅琴の口振りには違和感がある。
優秀な皇は、すぐに気が付いてしまった。
「待ちなさい、魅琴ちゃん。貴女は今どうしているの? 帰国の便には乗っているんでしょうね?」
暫し、電話の向こうの魅琴は黙った。
その沈黙が既に答えだった。
「魅琴ちゃん!?」
『御母様、ごめんなさい。でも、お解りかと思います』
「貴女まさか……! ちょっと、約束した筈でしょう! 貴女も無事帰国すると!」
『最期まで我が儘な娘でごめんなさい。立派に務めを果たしますので、後のことは頼みます。日本を宜しくお願いします』
「駄目よ魅琴ちゃん! 早まらないで! ちょっと、ねえ!!」
電話は一方的に切られた。
「根尾は何をしている……! 何の為に同行させたと……!」
皇は頭を抱えた。
実のところ、魅琴が帰国しない事態を考えないではなかった。
それでも娘の皇國入りを許したのは、許さずとも皇國へ乗り込むと宣言されたことが理由だった。
それならば、監視を付けて手綱を握った方が良いと考えたのだ。
しかし、その目論見は失敗してしまった。
事態は急展開し、監視に着けた根尾弓矢は魅琴が動く前に意識を失ってしまったのだ。
「皇先生……」
伴藤の心配を余所に、皇は急いで電話を掛ける。
「もしもし、真柴総理、度々すみません、皇です。会談の前に少しやらなければならないことが出来てしまいました。はい、此度の事態に於ける対応の一環です。申し訳御座いませんが、少々遅れます。はい、このような時にすみません。では……」
続けて、皇はすぐさま別の相手に電話を掛ける。
「波瀬統合幕僚長、防衛大臣として要請します。大至急、手配してほしいものがあるのですが……」
皇の行動は極めて迅速だった。
これは時代の激動である。
動乱の事態へと時は一秒たりとも待たず、破滅へ向けて針を急進させていた。
⦿⦿⦿
皇國から日本へ帰国する飛行機の中、座席に坐らされていた虻球磨新兒と繭月百合菜が意識を取り戻した。
倒された背凭れに身体を預けていた二人の目に入ったのは先ず、知らない天井である。
次に、既に目覚めていた久住双葉、白檀揚羽、そしてもう一人、能く知る顔の女であった。
「手前、椿!」
「どうして貴女が私達と同じ飛行機に!?」
椿陽子の存在に二人が驚いたのは当然だった。
彼女は拉致被害者を装い、武装戦隊・狼ノ牙と通じていた内通者だったのだ。
つまるところ、敵である。
第三皇女・狛乃神嵐花との戦いで満身創痍の二人が警戒するなと言う方が無理な話だ。
「待って、二人とも。これには事情があるの」
二人を宥めたのは双葉だった。
彼女は狛乃神と交戦になる前に気絶させられたが、その分目を覚ますのも早かった。
そして双葉と陽子は相部屋になったこと、それから公殿句子との戦いで共闘したこともあって、心を通じ合わせている。
今回そのことが功を奏し、陽子の事情に理解を示すのも早かったのだ。
「陽子さんの弟さんが殺された飛行士の代わりに飛行機の操縦を買って出てくれたの」
「あ? 何でまたそんなことを?」
「陽子さんはね、公転館を脱出する前に私と約束してくれてたんだよ。私達のことを必ず自由にするって」
双葉に擁護された陽子は、後ろめたさからか窓の外へと顔を背けた。
「確かに、陽子さんは狼ノ牙の一員だった。けど、完全に敵って訳じゃないんだよ」
「そういえば、十桐さんが言っていたわね。椿さんが狼ノ牙に協力する事情は酌量しても良いって……」
繭月は双葉の言葉を頭ごなしに否定しない。
新兒は釈然としない様子だったが、反論する言葉も見付からないようで黙って再び寝そべった。
「ま、良いんじゃないですかー? 味方をしてくれるっていうんなら御言葉に甘えさせてもらえばー……」
白檀はあっけらかんとしていた。
彼女は狛乃神から受けた攻撃がまだ大したものでは無かったので早くに目を覚ましたのだ。
意識が戻っていないのは、ダメージが深刻な二人と、死んでしまった一人である。
根尾弓矢は腹部を貫かれている。
「ぐ、うぅぅ……!」
その根尾もまた目を覚ました。
彼は周囲を見渡すと、大方の事情は察した様だ。
「此処は帰国便の中か。狛乃神嵐花の襲撃を凌ぎ切ってくれたんだな……。そして……」
根尾は思い詰めた様に顔を伏せた。
飛行機に乗り込んだ面子が、彼の託された仕事の失敗を物語っている。
「そうか……そうなってしまったのか……」
一人離れた場所に寝かされているのは、顔にタオルを掛けられた岬守航である。
死亡した虎駕憲進を除けば、最も甚大なダメージを負ったのが彼だ。
それは他の者達とは比べものにならない。
「大丈夫なのか、岬守君は? 随分と酷い目に遭わされた様だが……」
「言っておくけどね、やったのは第三皇女じゃないよ。貴方達を迎えに来た、胸糞の悪い鬼畜糞女さ」
陽子は声に不快感を滲ませていた。
「あの女、頭おかしいんじゃないのか? 岬守を散々甚振って愉しんでやがった。常軌を逸した暴力だったよ」
「つまり、麗真君は岬守君との決別を選んだんだな……」
その時、航の身体が震えた。
魅琴の話が出て、心を揺さぶられた様だった。
「うあ……あ……! やめ……ろ……! やめてくれ……!」
他の者と違い、航の傷は神為を以てしても殆ど癒えていない。
身体の傷よりも寧ろ、精神が負ったダメージの方が遥かに甚大なのだ。
「行かないで……! 魅琴、行かないでくれ……!」
譫言で懇願する航の頬に涙が伝う。
尚も魅琴への未練を棄て切れない航の様子に、陽子は呆れた様に溜息を吐いた。
「もう忘れなよ、岬守。あの女はね、貴方の心を徹底的に踏み躙る様な最悪の嗜虐嗜好女なんだよ。綺麗さっぱり忘れて、他の幸せを探した方が良い。貴方なら良い相手はいくらでも居るよ」
「嫌だ……! 魅琴は……そんなんじゃない……! 何かの間違いだ……!」
「違わないよ……」
陽子は吐き捨てる様に呟いた。
魅琴を諦め切れない航の方にも苛立っているのかも知れない。
唯一、凄惨な暴行の現場を目撃したのが陽子である。
この反応は当然だろう。
一方、根尾は軋む身体に鞭打って席を立った。
まだ傷は回復し切っていない様で、貫かれた腹を押さえて青い顔を顰めている。
しかしどうやら、そんな無理をしてでも彼は航の側へ行きたかったらしい。
根尾は航の隣に傷を庇いながらゆっくりと腰掛けた。
「麗真君は君と、何が何でもこれっきりにしたかったんだな。助けるに助けられないようにしたかった。あくまで自分一人で事を為したかった。これ以上君のことを巻き込みたくなかったんだ」
「随分と都合の良い解釈だね……」
陽子は尚も悪態を吐く。
余程魅琴ことが腹に据えかねているのだろう。
しかし、根尾の考えは変わらない。
「俺は麗真君のことを能く知っている。麗真家のこと、と言った方が良いかも知れんな。何せ俺は、彼女の従兄だからな……」
「え?」
白檀が声を上げた。
「根尾さん、それは私も初耳ですよ?」
「言ってなかったからな。皇先生にも口止めしていた。魅弦さんの葬式にも、丁度厄介ごとに巻き込まれていて出られなかった。麗真君自身も知らなかっただろう。あの日初めて会ったであろう伯母・根尾魅弓が俺の母だとはな……」
根尾の告白の横では、航が震える手を挙げている。
ぎこちない手付きで、彼は自身の顔を覆っているタオルを掴んだ。
傷だらけの顔が曝されたが、腫れた目は根尾に視線を向けている。
彼なりに、何かと向き合おうとしている様だった。
「岬守君……」
根尾もまた、そんな航と向き合った。
「日本に着くまでの間、麗真家のことを話そう。君には知る権利がある、知っておくべきだ、彼女の為にも……」
今根尾の口から、麗真魅琴の背景と真実が語られようとしていた。
皇國の夜空に映し出された映像は世界中へ同じように発信されており、日本国にも当然届いている。
皇もまた皇國で映像を受け取った者達と同様に、映像を切掛として皇國が侵攻に踏み切る可能性が高いと見ていた。
「先生、本当に皇國は仕掛けてくるのでしょうか?」
腕を組んだ指で小刻みに二の腕を叩いて苛立ちを表す皇に、相席する彼女の秘書・伴藤明美が問い掛けた。
日本国が戦争を仕掛けられるという予測に懐疑的なのは彼女だけでなく、国民の大半を占める見解だろう。
しかし、皇を始めとする政府高官はそうではなかった。
「確かに、現代の国際社会に於いては戦争を仕掛けることそのものは国家による不法行為とされているわ。だから大国が開戦する筋道は主に二つ。国連の安保理決議による勧告に基づいた介入という体裁を取るか、それとも戦争ではなく特例の軍事作戦の名目を装うか」
「前者は米国が、後者は中露が使う手というイメージがありますね……」
「しかし、皇國にはそういった常識が無い。抑も彼らは違う世界から渡ってきた特異な国家なのよ。従っておそらく、宣戦布告などという時代後れの通達も平然と行うでしょう。それが実際の武力行使とどちらが先になるか、という差はあるでしょうけれどね……」
夜遅くにも拘わらず皇が首相官邸に向かうのは、事態がそれだけ風雲急を告げているということだ。
その時、皇に一本の電話が入った。
「もしもし、真柴総理ですか? はい……そうですか……」
首相からの電話を受けた皇の表情は次第に険しくなっていく。
良からぬ報せを受けたようだ。
「承知しました、引き続き官邸へ向かいます。今後のことは其方で。はい……失礼します……」
電話を切った皇は大きく溜息を吐いた。
「先生、総理は何と?」
「皇國の能條緋月首相が亡くなったそうよ。そして後を引き継いだ新首相・小木曽文章氏からたった今、両国の外交筋を通じて我が国の仁科首相に宣戦布告が届いた……」
「そんな……!」
伴藤は青褪めた。
自国が戦争に巻き込まれるという現実感の無い事態にどうすれば良いか分からないのだろう。
「準備を進めておいて良かったと、一先ずはそんなところかしら。焼け石に水かも知れないけれどね。それより気になるのは……」
「拉致被害者……」
「ええ。今日帰国の筈だけれど、間に合って頂戴よ……」
その時、再び皇の電話が鳴った。
発信者の名前を見た皇は息を呑み、電話に出た。
「もしもし、魅琴ちゃん? どうしたの? 日本と皇國は今、本当に大変なことになっているの。拉致被害者はどうなった? 貴女達、帰国出来るの?」
娘・麗真魅琴から掛かってきた電話に、皇はつい矢継ぎ早に捲し立ててしまう。
一応、戦争相手国に取り残された国民が一切帰国出来ない、とは言い切れない。
第二次世界大戦中、米国に残された外交官や留学生が、交換船を使って第三国であるスイスを通して日本へ帰国したことがある。
『今し方、日本へ帰国する飛行機が飛び立ちました。三時間後には到着する予定なので、丁重に迎えてあげてください』
「そう、良かった……」
一瞬、皇は胸を撫で下ろした。
しかし、どうにも魅琴の口振りには違和感がある。
優秀な皇は、すぐに気が付いてしまった。
「待ちなさい、魅琴ちゃん。貴女は今どうしているの? 帰国の便には乗っているんでしょうね?」
暫し、電話の向こうの魅琴は黙った。
その沈黙が既に答えだった。
「魅琴ちゃん!?」
『御母様、ごめんなさい。でも、お解りかと思います』
「貴女まさか……! ちょっと、約束した筈でしょう! 貴女も無事帰国すると!」
『最期まで我が儘な娘でごめんなさい。立派に務めを果たしますので、後のことは頼みます。日本を宜しくお願いします』
「駄目よ魅琴ちゃん! 早まらないで! ちょっと、ねえ!!」
電話は一方的に切られた。
「根尾は何をしている……! 何の為に同行させたと……!」
皇は頭を抱えた。
実のところ、魅琴が帰国しない事態を考えないではなかった。
それでも娘の皇國入りを許したのは、許さずとも皇國へ乗り込むと宣言されたことが理由だった。
それならば、監視を付けて手綱を握った方が良いと考えたのだ。
しかし、その目論見は失敗してしまった。
事態は急展開し、監視に着けた根尾弓矢は魅琴が動く前に意識を失ってしまったのだ。
「皇先生……」
伴藤の心配を余所に、皇は急いで電話を掛ける。
「もしもし、真柴総理、度々すみません、皇です。会談の前に少しやらなければならないことが出来てしまいました。はい、此度の事態に於ける対応の一環です。申し訳御座いませんが、少々遅れます。はい、このような時にすみません。では……」
続けて、皇はすぐさま別の相手に電話を掛ける。
「波瀬統合幕僚長、防衛大臣として要請します。大至急、手配してほしいものがあるのですが……」
皇の行動は極めて迅速だった。
これは時代の激動である。
動乱の事態へと時は一秒たりとも待たず、破滅へ向けて針を急進させていた。
⦿⦿⦿
皇國から日本へ帰国する飛行機の中、座席に坐らされていた虻球磨新兒と繭月百合菜が意識を取り戻した。
倒された背凭れに身体を預けていた二人の目に入ったのは先ず、知らない天井である。
次に、既に目覚めていた久住双葉、白檀揚羽、そしてもう一人、能く知る顔の女であった。
「手前、椿!」
「どうして貴女が私達と同じ飛行機に!?」
椿陽子の存在に二人が驚いたのは当然だった。
彼女は拉致被害者を装い、武装戦隊・狼ノ牙と通じていた内通者だったのだ。
つまるところ、敵である。
第三皇女・狛乃神嵐花との戦いで満身創痍の二人が警戒するなと言う方が無理な話だ。
「待って、二人とも。これには事情があるの」
二人を宥めたのは双葉だった。
彼女は狛乃神と交戦になる前に気絶させられたが、その分目を覚ますのも早かった。
そして双葉と陽子は相部屋になったこと、それから公殿句子との戦いで共闘したこともあって、心を通じ合わせている。
今回そのことが功を奏し、陽子の事情に理解を示すのも早かったのだ。
「陽子さんの弟さんが殺された飛行士の代わりに飛行機の操縦を買って出てくれたの」
「あ? 何でまたそんなことを?」
「陽子さんはね、公転館を脱出する前に私と約束してくれてたんだよ。私達のことを必ず自由にするって」
双葉に擁護された陽子は、後ろめたさからか窓の外へと顔を背けた。
「確かに、陽子さんは狼ノ牙の一員だった。けど、完全に敵って訳じゃないんだよ」
「そういえば、十桐さんが言っていたわね。椿さんが狼ノ牙に協力する事情は酌量しても良いって……」
繭月は双葉の言葉を頭ごなしに否定しない。
新兒は釈然としない様子だったが、反論する言葉も見付からないようで黙って再び寝そべった。
「ま、良いんじゃないですかー? 味方をしてくれるっていうんなら御言葉に甘えさせてもらえばー……」
白檀はあっけらかんとしていた。
彼女は狛乃神から受けた攻撃がまだ大したものでは無かったので早くに目を覚ましたのだ。
意識が戻っていないのは、ダメージが深刻な二人と、死んでしまった一人である。
根尾弓矢は腹部を貫かれている。
「ぐ、うぅぅ……!」
その根尾もまた目を覚ました。
彼は周囲を見渡すと、大方の事情は察した様だ。
「此処は帰国便の中か。狛乃神嵐花の襲撃を凌ぎ切ってくれたんだな……。そして……」
根尾は思い詰めた様に顔を伏せた。
飛行機に乗り込んだ面子が、彼の託された仕事の失敗を物語っている。
「そうか……そうなってしまったのか……」
一人離れた場所に寝かされているのは、顔にタオルを掛けられた岬守航である。
死亡した虎駕憲進を除けば、最も甚大なダメージを負ったのが彼だ。
それは他の者達とは比べものにならない。
「大丈夫なのか、岬守君は? 随分と酷い目に遭わされた様だが……」
「言っておくけどね、やったのは第三皇女じゃないよ。貴方達を迎えに来た、胸糞の悪い鬼畜糞女さ」
陽子は声に不快感を滲ませていた。
「あの女、頭おかしいんじゃないのか? 岬守を散々甚振って愉しんでやがった。常軌を逸した暴力だったよ」
「つまり、麗真君は岬守君との決別を選んだんだな……」
その時、航の身体が震えた。
魅琴の話が出て、心を揺さぶられた様だった。
「うあ……あ……! やめ……ろ……! やめてくれ……!」
他の者と違い、航の傷は神為を以てしても殆ど癒えていない。
身体の傷よりも寧ろ、精神が負ったダメージの方が遥かに甚大なのだ。
「行かないで……! 魅琴、行かないでくれ……!」
譫言で懇願する航の頬に涙が伝う。
尚も魅琴への未練を棄て切れない航の様子に、陽子は呆れた様に溜息を吐いた。
「もう忘れなよ、岬守。あの女はね、貴方の心を徹底的に踏み躙る様な最悪の嗜虐嗜好女なんだよ。綺麗さっぱり忘れて、他の幸せを探した方が良い。貴方なら良い相手はいくらでも居るよ」
「嫌だ……! 魅琴は……そんなんじゃない……! 何かの間違いだ……!」
「違わないよ……」
陽子は吐き捨てる様に呟いた。
魅琴を諦め切れない航の方にも苛立っているのかも知れない。
唯一、凄惨な暴行の現場を目撃したのが陽子である。
この反応は当然だろう。
一方、根尾は軋む身体に鞭打って席を立った。
まだ傷は回復し切っていない様で、貫かれた腹を押さえて青い顔を顰めている。
しかしどうやら、そんな無理をしてでも彼は航の側へ行きたかったらしい。
根尾は航の隣に傷を庇いながらゆっくりと腰掛けた。
「麗真君は君と、何が何でもこれっきりにしたかったんだな。助けるに助けられないようにしたかった。あくまで自分一人で事を為したかった。これ以上君のことを巻き込みたくなかったんだ」
「随分と都合の良い解釈だね……」
陽子は尚も悪態を吐く。
余程魅琴ことが腹に据えかねているのだろう。
しかし、根尾の考えは変わらない。
「俺は麗真君のことを能く知っている。麗真家のこと、と言った方が良いかも知れんな。何せ俺は、彼女の従兄だからな……」
「え?」
白檀が声を上げた。
「根尾さん、それは私も初耳ですよ?」
「言ってなかったからな。皇先生にも口止めしていた。魅弦さんの葬式にも、丁度厄介ごとに巻き込まれていて出られなかった。麗真君自身も知らなかっただろう。あの日初めて会ったであろう伯母・根尾魅弓が俺の母だとはな……」
根尾の告白の横では、航が震える手を挙げている。
ぎこちない手付きで、彼は自身の顔を覆っているタオルを掴んだ。
傷だらけの顔が曝されたが、腫れた目は根尾に視線を向けている。
彼なりに、何かと向き合おうとしている様だった。
「岬守君……」
根尾もまた、そんな航と向き合った。
「日本に着くまでの間、麗真家のことを話そう。君には知る権利がある、知っておくべきだ、彼女の為にも……」
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