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第二章『神皇篇』
幕間八『二つの朝廷』
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皇宮の正門から宮殿へ向かう途上に鉄橋が架かっている。
そこを皇族とその侍従・侍女達が歩いて渡っていた。
十八歳に達していない末娘の第三皇女・狛乃神嵐花以外、五人の皇族達はそれぞれの邸宅に暮らしており、夕食会も終わったので戻ろうとしていたのだ。
例の映像が夜空に映し出されたのは、まさにそんなタイミングだった。
映像が終わり、第二皇女・龍乃神深花と第三皇子・蛟乃神賢智は驚愕に目を見開いたまま天を仰いでいた。
「何なんだ、今の映像は……!」
「能條は嵌められたのか……」
この二人は皇族の中でも日本国への武力行使に強く反対する穏健派である。
対して、力による征服を辞さない強硬派もまた共に並び歩いていた。
「これはまた随分と意外な展開ですね」
「姉様……!」
第一皇女・麒乃神聖花もまた立ち止まり、何を思ってか空を見上げていた。
彼女の脇には第一皇子・獅乃神叡智も並んでいる。
龍乃神は彼女の動きを警戒していた。
そんな妹を差し置き、麒乃神はもう一人の弟に声をかける。
「那智」
「はい、姉様」
「近く招集があるかも知れません。今の内に準備を進めておきなさい」
「出兵の準備なら日々進めていますよ、姉様」
もう一人の強硬派である第二皇子・鯱乃神那智は軍人である。
その彼に、貴族院議員でもある第一皇女・麒乃神聖花が招集を仄めかす。
明らかに不穏な意味を孕んだ行いだ。
「姉様、どういうことですか!」
龍乃神は姉の背中越しに問い詰めた。
「今の映像、明らかに捏造でしょう。しかし、私達政治家にとって重要なのは、あの映像を出した者の政治的意図、そして利用価値です。能條が開戦に慎重であったのは周知の事実。であるならば、今起きたことが彼女にとって負の材料となるのは間違いありません。近い内に政局が起こり、政界が一気に主戦論へと傾くことが予測されます」
「まさか、開戦なさるおつもりですか……!」
「それは私が決めることではありません」
龍乃神は麒乃神の物言いが気に食わなかった。
強行的な姉はこの状況を面白がっているのではないか、そう思っていた。
しかし、どうもそう単純ではないらしい。
「しかし、気に入りませんね……」
「どういうことだ、姉上?」
第一皇子・獅乃神叡智もまた、妹と同じ言葉で姉に尋ねた。
「このやり方、恰も能條の首を挿げ替え、主戦派に発破を掛けている様ではありませんか。皇國を恣に操ろうという意図が透けて見えます。何やら不届きなる者が背後で蠢いているようですね……」
麒乃神は弟・獅乃神の方へ目を遣った。
その視線は巨躯に遮られた先に向かっているようにも見える。
即ち、脇に控える皇太子の近衛侍女・貴龍院皓雪である。
その貴龍院はそれに気付く様子は無く、ただ獅乃神に付いて歩いていた。
「まあ良いでしょう。どの道この後のことを決めるのは内閣です。開戦するか、それとも尚先延ばしにし続けるのか……。何れにせよ、私の仕事は皇國の行く道を舗装し整えることです。私はこれから、議員会館へと向かいます。では、おやすみなさい」
麒乃神はその場から忽然と姿を消した。
「では私も邸宅に戻り、招集に備えるとしよう。水徒端、君も例のあれを準備しておけ」
「畏まりました」
鯱乃神は足早に先へ行き、彼の新しい侍女である水徒端早辺子もやや駆け足で付いて行った。
「くっ、このまま開戦などさせるか……!」
龍乃神の表情に焦りが滲む。
「賢智、力を貸してくれ。内閣や姉様を止めないと……!」
「止める? 龍姉様、本当は解っているんでしょう?」
第三皇子・蛟乃神賢智は姉の言葉に溜息で応えた。
「麒姉様も鯱兄様も、当然予感している筈だ。だからこそ、確定したかの様に動いている。それが解らない龍姉様でもないでしょう。残念ながらもう、戦争は不可避なんだよ」
「だからって、このまま流れに任せて良い筈が無い。君の方こそ解っているだろう」
「貴女はいつもそうだね……」
蛟乃神はうんざりとした表情で姉から顔を背けた。
「僕はほとほと嫌気が差したよ。甲といい能條といい麒姉様といい、政治家は身内の権力抗争しか考えていない。それで外部の言うことを聞かず、他国を踏み潰す安易な選択をして憚らない」
「賢智、だからこそ妾達がなんとかしないと……!」
「皇族は本来、政治に関わるべきではないんだよ。それでなくても、僕はもう世の中のこととは距離を置きたい。疲れたからもう休むよ……」
「賢智……!」
引き留めようとする龍乃神を振り切る様に、蛟乃神はその場から忽然と姿を消した。
「くっ……! 諦めてなるものか……!」
龍乃神は悔しさに奥歯を噛み締めた。
とその時、彼女の前方で兄・獅乃神に付いていた貴龍院の電話が鳴った。
「もしもし。どうかしたの、灰祇院君?」
貴龍院の口から出た名前に、龍乃神は息を呑んで目を瞠った。
貴龍院は構わず話を続ける。
「……色々と大変そうじゃない。取り敢えず、貴方の主に引き継いだ方が良さそうね」
どうやら、龍乃神が夕食会の客人だった麗真魅琴を送り届けに出した侍従・灰祇院在清に何かあったらしい。
貴龍院は電話を切ると、龍乃神の方へ振り返った。
「畏れながら龍乃神殿下、たった今灰祇院君から連絡が入りましたわ。場所をお伝えしますので、お迎えに行かれた方が宜しいかと……」
「どういうことだ?」
「何やら色々と緊急の事態が立て続けに起こった様で御座いますわ。取分け重要なのは、その中で彼が不覚を取り動けない、ということです」
「何だと……!?」
龍乃神は驚きを隠せなかった。
灰祇院の力は龍乃神も能く知っている。
そう簡単にやられたとは、俄かには信じ難かった。
「それが事実だとして、何故妾に直接連絡してこない?」
「さあ? 気障な彼のことですから失態を主に直接伝えるのが恥ずかしいのでしょうか……?」
龍乃神はどうにも腑に落ちず、眉を顰めた。
(それはおかしい。灰祇院が気位の高い男だとは重々承知だが、妾への忠義は確かな筈。妾に筋を通すよりもつまらぬ誇りを取るとは考えられない。何か他に理由があるのか……?)
疑問は残ったものの、それは灰祇院に直接問うべきだろうか。
龍乃神は貴龍院から詳細な場所を聞き、現場へ向かうべくその場から姿を消した。
鉄橋にはただ二人、獅乃神と貴龍院だけが残されていた。
「灰祇院君、貴方の意図は解っているわぁ……。それにしても、まさか彼が事をし損じるとはね……」
「貴龍院、今の電話に何か思う処があるのか?」
「ええ、少し気になることが。しかし、些細なことですし私の思い過ごしかと……」
「そうか。ならば何も問うまい」
獅乃神は特に気にしないのか、それ以上貴龍院を問い詰めることは無かった。
貴龍院は一人、意味深に北叟笑んでいた。
「それにしても、縁談の話が一旦頓挫したのは、詮方無きこととはいえやや不完全燃焼だな。少し飲み直すか」
「畏まりましたわ、獅乃神殿下」
「折角だ、敷島のことも呼ぼうではないか」
「……承知しました。連絡しておきましょう」
貴龍院の表情から笑みが消えた。
⦿⦿⦿
首相官邸から出た前総理大臣秘書・推城朔馬は独り夜空を見上げていた。
「愈々、か……」
風がざわめき、揺れる木の葉が激動の訪れに怯えているかの様だ。
そんな情景に、武士の様な出で立ちの偉丈夫は何を思うのだろうか。
「あな懐かしや。二つの朝廷、互いの存続を懸けし争い……」
そんな彼の背後に、二人の男が姿を顕した。
軍服の老翁と、朝服の少年である。
「こんな場所で黄昏れてどうしたんだい、推城?」
「此方の仕事は概ね済ませましたぞ」
「お前達か……」
武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千に、猫面の老翁である。
この三人は日本と皇國の裏で陰謀を巡らせ、蠢いていた。
「しかし、君がよく、苟且とはいえ自分の主君を貶める様な策に乗ったね」
「儂が言い出したことですが、少々驚きましたぞ」
「何を言う。私に言わせれば、故あらば主君を鞍替えするなど珍しくともなんともない。たった一人に忠義を尽くし、最期まで仕える方が奇特過ぎるのだ……」
推城は両目を閉じた。
その胸中に何かを巡らせているようにも見える。
しかしそれは誰にも、本人にすら十全に理解し得ない思いだろう。
「そんなことを言って、君はもう何百年もたった一人への忠義を胸にここまで来たじゃないか」
「その様ですな。儂には計り知れぬところではありますが」
「それは……そうか。確かに、裏切りに何も思わぬという訳でもない。だが、お前達のいう一人への忠義が私の心を一つの意思に黒く塗り潰すのだ」
推城は再び両目を開いた。
「我らが歩み続けたるは冥府魔道と百も承知よ。今更揺れはせん」
「成程、儂などとは年季が違いますな」
「何を言っているんだい。生きた時代は違えども、僕達が秘めた胸の傷、恨みの向きは皆同じじゃないか」
「八社女の言うとおりだ」
三人は並び立ち、一様に空を睨んだ。
「持國天よ、貴様の御陰で我らの樂園へ大きく近付いた。盟に加わりしこと、感謝しておる」
「光栄の至りです、多聞天様」
「広目天の御媛様も喜んでいるよ」
「幸甚ですな、増長天様」
三人が見上げる先に、雲が急速に集まって紅い月へと渦を伸ばしている。
それはまるで、闇の底へと世界を巻き込み吸い込まれていく様に。
「我が父君を貶め盟約に背きし忘恩の統よ、心大いに延ばし亡びの刻を待つが良い……」
長い長い夜が、様々な思惑を包み込み、更けていく。
日本と皇國――二つの皇統を、天日嗣・三種の神器を巡る争いへと誘いながら……。
そこを皇族とその侍従・侍女達が歩いて渡っていた。
十八歳に達していない末娘の第三皇女・狛乃神嵐花以外、五人の皇族達はそれぞれの邸宅に暮らしており、夕食会も終わったので戻ろうとしていたのだ。
例の映像が夜空に映し出されたのは、まさにそんなタイミングだった。
映像が終わり、第二皇女・龍乃神深花と第三皇子・蛟乃神賢智は驚愕に目を見開いたまま天を仰いでいた。
「何なんだ、今の映像は……!」
「能條は嵌められたのか……」
この二人は皇族の中でも日本国への武力行使に強く反対する穏健派である。
対して、力による征服を辞さない強硬派もまた共に並び歩いていた。
「これはまた随分と意外な展開ですね」
「姉様……!」
第一皇女・麒乃神聖花もまた立ち止まり、何を思ってか空を見上げていた。
彼女の脇には第一皇子・獅乃神叡智も並んでいる。
龍乃神は彼女の動きを警戒していた。
そんな妹を差し置き、麒乃神はもう一人の弟に声をかける。
「那智」
「はい、姉様」
「近く招集があるかも知れません。今の内に準備を進めておきなさい」
「出兵の準備なら日々進めていますよ、姉様」
もう一人の強硬派である第二皇子・鯱乃神那智は軍人である。
その彼に、貴族院議員でもある第一皇女・麒乃神聖花が招集を仄めかす。
明らかに不穏な意味を孕んだ行いだ。
「姉様、どういうことですか!」
龍乃神は姉の背中越しに問い詰めた。
「今の映像、明らかに捏造でしょう。しかし、私達政治家にとって重要なのは、あの映像を出した者の政治的意図、そして利用価値です。能條が開戦に慎重であったのは周知の事実。であるならば、今起きたことが彼女にとって負の材料となるのは間違いありません。近い内に政局が起こり、政界が一気に主戦論へと傾くことが予測されます」
「まさか、開戦なさるおつもりですか……!」
「それは私が決めることではありません」
龍乃神は麒乃神の物言いが気に食わなかった。
強行的な姉はこの状況を面白がっているのではないか、そう思っていた。
しかし、どうもそう単純ではないらしい。
「しかし、気に入りませんね……」
「どういうことだ、姉上?」
第一皇子・獅乃神叡智もまた、妹と同じ言葉で姉に尋ねた。
「このやり方、恰も能條の首を挿げ替え、主戦派に発破を掛けている様ではありませんか。皇國を恣に操ろうという意図が透けて見えます。何やら不届きなる者が背後で蠢いているようですね……」
麒乃神は弟・獅乃神の方へ目を遣った。
その視線は巨躯に遮られた先に向かっているようにも見える。
即ち、脇に控える皇太子の近衛侍女・貴龍院皓雪である。
その貴龍院はそれに気付く様子は無く、ただ獅乃神に付いて歩いていた。
「まあ良いでしょう。どの道この後のことを決めるのは内閣です。開戦するか、それとも尚先延ばしにし続けるのか……。何れにせよ、私の仕事は皇國の行く道を舗装し整えることです。私はこれから、議員会館へと向かいます。では、おやすみなさい」
麒乃神はその場から忽然と姿を消した。
「では私も邸宅に戻り、招集に備えるとしよう。水徒端、君も例のあれを準備しておけ」
「畏まりました」
鯱乃神は足早に先へ行き、彼の新しい侍女である水徒端早辺子もやや駆け足で付いて行った。
「くっ、このまま開戦などさせるか……!」
龍乃神の表情に焦りが滲む。
「賢智、力を貸してくれ。内閣や姉様を止めないと……!」
「止める? 龍姉様、本当は解っているんでしょう?」
第三皇子・蛟乃神賢智は姉の言葉に溜息で応えた。
「麒姉様も鯱兄様も、当然予感している筈だ。だからこそ、確定したかの様に動いている。それが解らない龍姉様でもないでしょう。残念ながらもう、戦争は不可避なんだよ」
「だからって、このまま流れに任せて良い筈が無い。君の方こそ解っているだろう」
「貴女はいつもそうだね……」
蛟乃神はうんざりとした表情で姉から顔を背けた。
「僕はほとほと嫌気が差したよ。甲といい能條といい麒姉様といい、政治家は身内の権力抗争しか考えていない。それで外部の言うことを聞かず、他国を踏み潰す安易な選択をして憚らない」
「賢智、だからこそ妾達がなんとかしないと……!」
「皇族は本来、政治に関わるべきではないんだよ。それでなくても、僕はもう世の中のこととは距離を置きたい。疲れたからもう休むよ……」
「賢智……!」
引き留めようとする龍乃神を振り切る様に、蛟乃神はその場から忽然と姿を消した。
「くっ……! 諦めてなるものか……!」
龍乃神は悔しさに奥歯を噛み締めた。
とその時、彼女の前方で兄・獅乃神に付いていた貴龍院の電話が鳴った。
「もしもし。どうかしたの、灰祇院君?」
貴龍院の口から出た名前に、龍乃神は息を呑んで目を瞠った。
貴龍院は構わず話を続ける。
「……色々と大変そうじゃない。取り敢えず、貴方の主に引き継いだ方が良さそうね」
どうやら、龍乃神が夕食会の客人だった麗真魅琴を送り届けに出した侍従・灰祇院在清に何かあったらしい。
貴龍院は電話を切ると、龍乃神の方へ振り返った。
「畏れながら龍乃神殿下、たった今灰祇院君から連絡が入りましたわ。場所をお伝えしますので、お迎えに行かれた方が宜しいかと……」
「どういうことだ?」
「何やら色々と緊急の事態が立て続けに起こった様で御座いますわ。取分け重要なのは、その中で彼が不覚を取り動けない、ということです」
「何だと……!?」
龍乃神は驚きを隠せなかった。
灰祇院の力は龍乃神も能く知っている。
そう簡単にやられたとは、俄かには信じ難かった。
「それが事実だとして、何故妾に直接連絡してこない?」
「さあ? 気障な彼のことですから失態を主に直接伝えるのが恥ずかしいのでしょうか……?」
龍乃神はどうにも腑に落ちず、眉を顰めた。
(それはおかしい。灰祇院が気位の高い男だとは重々承知だが、妾への忠義は確かな筈。妾に筋を通すよりもつまらぬ誇りを取るとは考えられない。何か他に理由があるのか……?)
疑問は残ったものの、それは灰祇院に直接問うべきだろうか。
龍乃神は貴龍院から詳細な場所を聞き、現場へ向かうべくその場から姿を消した。
鉄橋にはただ二人、獅乃神と貴龍院だけが残されていた。
「灰祇院君、貴方の意図は解っているわぁ……。それにしても、まさか彼が事をし損じるとはね……」
「貴龍院、今の電話に何か思う処があるのか?」
「ええ、少し気になることが。しかし、些細なことですし私の思い過ごしかと……」
「そうか。ならば何も問うまい」
獅乃神は特に気にしないのか、それ以上貴龍院を問い詰めることは無かった。
貴龍院は一人、意味深に北叟笑んでいた。
「それにしても、縁談の話が一旦頓挫したのは、詮方無きこととはいえやや不完全燃焼だな。少し飲み直すか」
「畏まりましたわ、獅乃神殿下」
「折角だ、敷島のことも呼ぼうではないか」
「……承知しました。連絡しておきましょう」
貴龍院の表情から笑みが消えた。
⦿⦿⦿
首相官邸から出た前総理大臣秘書・推城朔馬は独り夜空を見上げていた。
「愈々、か……」
風がざわめき、揺れる木の葉が激動の訪れに怯えているかの様だ。
そんな情景に、武士の様な出で立ちの偉丈夫は何を思うのだろうか。
「あな懐かしや。二つの朝廷、互いの存続を懸けし争い……」
そんな彼の背後に、二人の男が姿を顕した。
軍服の老翁と、朝服の少年である。
「こんな場所で黄昏れてどうしたんだい、推城?」
「此方の仕事は概ね済ませましたぞ」
「お前達か……」
武装戦隊・狼ノ牙の首領補佐・八社女征一千に、猫面の老翁である。
この三人は日本と皇國の裏で陰謀を巡らせ、蠢いていた。
「しかし、君がよく、苟且とはいえ自分の主君を貶める様な策に乗ったね」
「儂が言い出したことですが、少々驚きましたぞ」
「何を言う。私に言わせれば、故あらば主君を鞍替えするなど珍しくともなんともない。たった一人に忠義を尽くし、最期まで仕える方が奇特過ぎるのだ……」
推城は両目を閉じた。
その胸中に何かを巡らせているようにも見える。
しかしそれは誰にも、本人にすら十全に理解し得ない思いだろう。
「そんなことを言って、君はもう何百年もたった一人への忠義を胸にここまで来たじゃないか」
「その様ですな。儂には計り知れぬところではありますが」
「それは……そうか。確かに、裏切りに何も思わぬという訳でもない。だが、お前達のいう一人への忠義が私の心を一つの意思に黒く塗り潰すのだ」
推城は再び両目を開いた。
「我らが歩み続けたるは冥府魔道と百も承知よ。今更揺れはせん」
「成程、儂などとは年季が違いますな」
「何を言っているんだい。生きた時代は違えども、僕達が秘めた胸の傷、恨みの向きは皆同じじゃないか」
「八社女の言うとおりだ」
三人は並び立ち、一様に空を睨んだ。
「持國天よ、貴様の御陰で我らの樂園へ大きく近付いた。盟に加わりしこと、感謝しておる」
「光栄の至りです、多聞天様」
「広目天の御媛様も喜んでいるよ」
「幸甚ですな、増長天様」
三人が見上げる先に、雲が急速に集まって紅い月へと渦を伸ばしている。
それはまるで、闇の底へと世界を巻き込み吸い込まれていく様に。
「我が父君を貶め盟約に背きし忘恩の統よ、心大いに延ばし亡びの刻を待つが良い……」
長い長い夜が、様々な思惑を包み込み、更けていく。
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