日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第四十三話『夢魔』 序

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 さきもりわたるは見知らぬ部屋で目を覚ました。
 亀甲縛りの縄は解かれたが、全裸の状態でかせあしかせめられて椅子に拘束されており、身動きが取れない。
 どうやら気を失っている間に何者かの寝室に運び込まれたらしい。

……は……?」

 ごうけんらんな意匠・装飾・美術品の数々から、この寝室の主は相当の上流階級のようだ。
 わたるは段々と思い出してきた。

(確か……あの皇女、様のお姉さんに連れて来られた……?)

 わたるが記憶を辿たどっていると、部屋の扉が開いた。

「目が覚めたようですね」

 第一皇女・かみせいが、ドレスをまとった二人の従者を伴って寝室へ入ってきた。
 長く美しい黒髪を備えた、長身でグラマラスな美女の寝室に招待されたといえば聞こえは良いが、この状況はどう考えてもそんな喜ばしいものではない。

「そんなに暴れても、そのかせは壊せませんよ。ちようきゆうどうしんたいの装甲と同じ処理が施された金属ですからね。こうこくで拘束用に使われる部材は、しん対策で同じ素材から出来ているのですよ。皇太子殿下の発明品なのですが、我が弟ながら実に英明な頭脳ですね」

 言われてみれば、第二皇女・たつかみに縛られた拘束も、しんで強化された身体能力を駆使しようが解けなかった。
 こうこくでは当然、犯罪者や謀反人の確保はそういった相手を想定して標準化されているのだ。

ぼくをどうする気だ!」
「そう怖い顔をせずとも平気ですよ。悪い様にはしませんからね」

 かみが手を上げると、二人の従者がわたるの両脇に歩み寄ってきた。
 彼女の後ろの控えていたときは暗がりでわからなかったが、近くで能く見るとこの二人は化粧と女装を施された男だ。

「なんだ、この二人……?」
わたくしとぎ役です」

 臆面も無く告げられ、わたるは更に恐る恐る尋ねる。

「その格好は本人の意思で……?」
「いいえ、わたくしの趣味です」

 かみは恥ずかしげも無く堂々と答え、困惑するわたるに二人を紹介し始める。

「向かって左がおとがい望愛のあ、右がしししょうです。二人とも美形なので、こうやってわいらしく着飾って飼ってやっているのですよ」

 かみはそう言うと、自身もまたわたるに歩み寄った。
 つややかなほほみをたたえ、潤んだわたるの眼を見ている。
 そしてきめ細やかな肌をした白い手でそっとわたるほおに触れてきた。
 わたるの心臓が高鳴っているのは、その色気に惑わされているというよりは拷問前の恐怖に近い。

まえも美形ですね」

 かつて無いおじわたるの背中を走り抜けた。
 確かに、かみせいは見た目わたる好みの美女である。
 だが、その言葉にはたとえようのない恐怖感が勝っている。
 しかしかみに意に介する様子は無い。

わたる、その唇はせつぷんを交わしたことがありますか? この、程良く鍛えられて絞られた体は女を知っているのかしら? 興味が尽きませんよ」

 かみに見据えられ、わたるは蛇ににらまれたかえるの様に固まってしまった。
 この迫力、彼女には逆らえない、有無を言わせぬ何かがある。
 幼馴染のうることとは違う種類の気後れがわたるに嫌な汗をかせる。
 そんなわたるに対し、かみは更なる言葉で追い打ちを掛ける。

わたくしの質問に答えなさい」

 ビクリ、とわたるは震えた。
 このひとに逆らうのは絶対にまずい。
 わたるは恐る恐る口を開いた。

「無い……です……」
「そうですかそうですか。それはそれは……」

 かみうれしそうに手を合わせると、かさずわたるの顎を摘まんで強引に唇を重ねてきた。
 相手の意思を一顧だにせず強行された接吻である。
 初めてだと知った上で、舌まで入れてくるその行いには、彼女の自分本位な性格が端的に表れていた。

 これ程強引に求められたのは、わたるにとって初めての経験だった。
 言うまでも無く、初めての口付けはことと交わしたかった。
 しかし、その望まないはずの接吻が、どうしようもなくわたるとろけさせている。
 それはわたるに強いはくだつ感を与えた。

こと……ごめん……!)

 わたるのうことの姿が浮かぶ。
 その幻影は心底冷めた表情を浮かべ、背を向けてしまった。
 その後には、ただ柔らかな唇と滑らかな舌の感触だけが残された。

 溺れそうになる、つぶされそうになる。
 抵抗の意思が溶けて無くなる、その寸前まで行ったところでかみの唇がわたるから離れた。

「はぁ……はぁ……いきなり何を……!」
「言ったでしょう。御褒美ですよ」

 彼女が言っているのは、きのえ公爵邸に押し入ったてんまつを語った際に告げられた言葉のことだろう。

「そんなの……ぼくは望んでません」
「ええ。わたくしからの気持ちです」
「そんな勝手な……! きのえの件だって、ぼくはまだ納得した訳じゃない……!」
「ほう、あくまでほんの証拠は無い、と?」

 かみはさもしげにくすくすと笑った。

「随分拘っているところ気の毒ですが、実はその様なことなどどうでも良いのですよ」
「は?」
「首相を降板してからというもの、きのえろくなことをしてきませんでしたからね。わたくしも迷惑していたのですよ」
「迷惑……?」

 どうやら、きのえは謀叛の容疑とは関係無く、ただ政治的な理由でかみに排除されたらしい。
 彼女はわたるの後に回りながら続ける。

殿でんどうに唆され、何やら皇族や旧華族へのしよくざい意識の醸成を教育に盛り込もうとしていたようです。そんなことをされてしまっては、皇族は崇敬ではなくれんびんの対象となってしまう。わたくし達は臣民の上に君臨し、善導する使命を負った強者であって、弱者として保護の対象にされるなど不愉快極まりない。不敬千万なる思い上がりです。それに、崇敬という正の感情は求心力となって君臣間の強固な団結を生みますが、憐憫という負の感情は敬遠の元となって深刻な断絶を生みます。これは良くありません」

 かみわたるの頭をでながら溜息を吐いた。

「普段ならばわたくしが手を回して貴族院の三分の二で否決し、類似法案の永久廃案に持ち込むところです。しかし、じんのう陛下の地位を不動のものにするという建前からきのえの側に付く議員もそれなりに居て、難儀していたのですよ。まったく、面倒なことをしてくれるものですよね……」

 こうこくの立法府、議会の構成は日本国のそれと似ている点と異なる点がそれぞれある。
 衆議院と貴族院の二院から成り、法案の成立には両院の過半数か衆議院の三分の二が必要である点、それから首班指名にける衆議院優越は日本国とほぼ同じであるが、その代わり貴族院には一つ強力な権限がある。

 衆議院で過半数を得て通過した法案は貴族院へ送られ、採決の結果貴族院の過半数を得られれば法が成立する、逆に得られなければ衆議院に送り返される――ここまでは同じである。
 しかし貴族院での採決の際に賛成が三分の一を超えなかった法案に感して、類似すると認められた法案を貴族院の判断で廃案にすることが出来るのだ。
 この貴族院の強さは、こうこくに於ける華族制度が維持され、強固な貴族社会を形成している一因となっている。

 そしてかみせいは、貴族院議員として活動する唯一の皇族である。
 彼女はその権威をもつて、議会を裏から支配しているのであった。

「更に、きのえわたくしを強行的な主戦派と印象付けることによって、自身の勢力拡大に利用していた。わたくしは相手国へ服従を求めるために力を背景とし、場合によっては武力行使をも辞さずという立場であって、最初から武力にたのんだ安易な解決を求めている訳ではありません。しかし、きのえしかも、わたくしも自身と同じ立場であるとふいちようしていた……」

 かみが話す傍ら、二人の従者が小卓の上に化粧品を並べ始めた。
 あおめるわたるの表情など見える筈も無いかみは、構わず話を続ける。

「可愛い妹のまでその誤解が浸透していると知った時、わたくしきのえの排除を決意しました。てどうしたものかと計略を巡らせていたのですが、丁度良い具合にまえが騒ぎを起こしてくれましてね。お陰ですんなりと筋道が整いました。本当に、良くやってくれましたよ」

 高らかに笑い声を上げるかみだが、わたるはそれどころではない。
 二人の従者がわたるに化粧を施す手を拒む術が無いのだ。

「ですからまえには、わたくしの夜伽役となる褒美を与えましょう。見目うるわしきまえにはその資格が充分ある。そうすれば、弟のきさきとなるまえの思い人のことも見続けられますよ」

 かみは再び、簡易的な化粧を施されたわたるの前に回った。

「な、何を言っているんですか! 日本に帰してくれるんじゃなかったんですか!」
「どうせこうこくめいひのもとを吸収してしまうのですから、今帰ろうが帰るまいがさいなことですよ」
「なっ……!」

 わたるは今、こうこくの有力政治家からはっきりと日本国吸収の方針を聞かされた。
 薄々分かってはいたが、かみ程の立場の者に直接聞かされた衝撃は大きかった。

「ふ、ふざけないでください……!」
「大真面目ですよ。これはまえの国の為でもあります」

 かみわたるから離れ、その両眼を鋭く光らせる。

「聞けばめいひのもとは衰退し始めているというじゃありませんか。しかしこうこくの大いなる力を以てすれば、事態を好転させることが出来ます。これは同じ日本の、大和民族のよしみで施そうという慈悲に他なりません。強者に組み込まれ、その恩恵にあずかることは弱者にとってぎようこうです。しかもこうこくしんという力によって無限に繁栄をおうすることが出来る。その何処どこに不安や不満があるのか、理解に苦しむと言う他ありませんね」

 どうもくするわたるを尻目に、かみは両腕をひろげた。

「そうして大和民族の大連合によって強大な運命共同体を築き上げ、こうこくは世界の新たなる軸となるのです! 更には世界の在り方を修正することによって、我々は全人類を善導する指針となる! 見なさい、今の世界を! 文明が成熟したといえば聞こえは良いですが、熟れすぎた結果は老醜であり、もうろくです! 弱者や敗北者におもねり、良い顔をしようという下心で先人の歩みを否定し、伝統的な風習の中に生きる民衆をおいてけぼりにし、強さと気高さを投げ捨ててはばからない! そんな愚かな潮流を打開し、世界を救済する為に我々は幾度と無く時空をまたいできたのですよ!」

 わたるがくぜんとしていた。
 六年前にこの世界へと顕現した「しんせいだいにっぽんこうこく」は、これまでわたるにとって日本と似ているが強大な軍事力を持つ外国でしかなかった。
 しかし、今開示されたその思想はあまりにも危険である。

「救済……。貴女あなた達は既に随分この世界でちやちやしてきたような気がするが……?」
「それはここ数年の話でしょう。なる統治もずは覇道から始まるものです。我々がしているのは、この行き詰まった既存の秩序に変わる新たな体制を築くという数十年の大偉業の話です。近視眼的なまえ達では見えぬやも知れませんが、えて言いましょう」

 かみは穏やかに、何ら悪びれている様子も無い微笑みを浮かべて言い放つ。

こうこくは日本を、世界を『救済』してやるのですよ」

 わたるは絶句するしかなかった。
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