日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

幕間七『黑體』

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 それは、いまに見るという走馬灯か。
 きのえくろは己の人生を振り返る。

 彼は生来、気の小さな男だった。
 六摂家筆頭たるきのえ公爵家の嫡男として生まれ、十代には美少年との評を得た彼は、そうめいだが相応に傲慢な少年であった。
 しかしその実、彼は人一倍自尊心の傷付きを恐れる繊細な少年だった。

 そんなきのえくろの数少ない理解者が、政権奪還にける功労者として名高い公爵・おんみきのりであった。
 青年期、西洋美術の世界に興味と憧憬を抱いていたきのえ巴里パリ留学を後押ししたのもおんだった。
 この時はまだ、こうこくが世界線を渡り行く長い旅に出ることなど誰も想像だにしていなかった。

 しかし、この巴里パリ留学がきのえにとって大きな転機となってしまう。
 きのえが現地で接したのは上流階級の人間であり、彼が教養人であったこともあいって、表面上は露骨に無下な扱いを受けることはめつに無かった。
 しかし、聡明でうたぐぶかくそして繊細な彼には、同級生達の根底に非欧州人への差別意識が潜んでいることを嫌という程に感じてしまったのだ。

 そして、彼を決定的に闇へとしてしまったのは、巴里パリへ外遊に訪れたおんが死亡してしまったことだ。
 おんは当時の政権の要請で体調不良を押して国際会議に出席するために訪仏していた。
 その折に、スケジュールの合間を縫って無理をしてまできのえに会いに来たのだ。
 それが間違いだった。

 きのえを訪れた帰り、おんは倒れた。
 彼はすぐに病院へ運ばれたが、治療の甲斐かいなくそのまま帰らぬ人となった。

 きのえはすぐに遺体と面会することが出来なかった。
 要人の突然死とあって事件性が疑われ、司法解剖されたのだ。
 結局、おんは病死と判断されたが、この一件はきのえの心に拭えない疑念を植え付けた。
 すなわち、おんが黄色人種であるが故に差別され、本来助かったにもかかわらず命を落とし、その事実を隠蔽されたのではないか、という疑念だ。

 この時、きのえの心に、からだじゅうにどすぐろい感情がこびり付いて離れなくなった。
 その後、巴里パリ留学生活で差別のへんりんかいる度に彼の中の闇は深く濃くなっていった。

 まだそれ程に階級意識に凝り固まっていなかったきのえは、一般こうこく臣民の巴里パリ滞在者からも話を聞いてみたりもした。
 そうやって話を聞けば聞く程に、きのえは欧州に根強く残る人種差別を思い知り、ぞうを深めていった。
 一方で、肝心の語り手自身にその意識がほど感じられないという点もきのえいらたせた。
 彼らは差別にあらがうどころか、欧州に滞在することにこうこく本国で暮らす臣民への優越意識すら抱いており、差別に甘んじて助長していると感じられたのだ。

 巴里パリ留学からこうこくへ戻る頃、きのえの中に二つの志向が確立されていた。
 一つは、じんのうの下で世界の覇権国家となるであろうこうこくの政治権力を牛耳ることにより、世界の王として憎き欧州社会を上から支配してやろうという野望。
 一つは、こうこく臣民としての誇りに欠ける平民への徹底した蔑視である。
 後者は皮肉にも、自身の立場への強烈なおごりと苛烈な階級差別主義的思想へと発展していった。

 しかしながらその闇は傲慢な態度を加速させていき、貴族社会でも周囲から孤立していった。

 同格のいちどうすえ麿まろからは初め苦言を呈されたが、次第に諦められて特にくちうるさく言われなくなった。
 とおどうあやのこともかつては姉の様に接していたが、次第に心が離れて社交辞令以外の付き合いはなくなった。
 殿でんふしは最初から心を許せる相手ではなかった。
 どうあきつらたかつがいよるあきが知るきのえくろは、既に苛烈な人間性を完成させた後だった。

 小心者のきのえは孤立を深める中で、ますます家柄に拘泥していった。
 その悪循環が続けば続く程、きのえの心を空虚にしていった。

 唯一人、さきもりわたるだけが今際の彼に美点をみいした。
 貴族としての誇りを拾い上げ、素朴な感情から「立派だ」「すがすがしい」と評した。
 さいきのえがどこかものの落ちた晴れやかな表情を浮かべていたのは、少しでも嘗ての自分を、後天的な闇に紛れてしまった本当の意味でのきのえ公爵家に生まれた誇りを思い出たからだろうか。

 真相は誰にも、死にきのえ自身にも分からない。
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