日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第三十七話『孤児』 破

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 立体駐車場の階を降りたまゆづきが、三人を見付けるのはそう困難ではなかった。
 駆け寄るまゆづきに気付いたびやくだんあげは泣いて狂喜し、自身と三十センチ以上も身長差のある相手にすがいた。

まゆづきさん、よく来てくれました! 心細かったですう!!」

 情けない姿に困惑を禁じ得ないまゆづきだったが、びやくだんの立場からすれば無理も無いことである。
 しんの乏しい彼女の前から、同じく戦闘能力を持たないくも兄妹を残して、他の者達が突然姿を消したのである。

「もう気が気じゃなかったですよお! エレベーターの中で襲われたら逃げ場が無くて詰むからってえずフロアに出ましたけど、車が出入りする度に敵が出てくるんじゃないかって息が詰まりそうで、心臓が張り裂けそうで!」

 びやくだんの目からは滝の様な涙がなくあふれていた。
 傍らではくも兄妹が双子特有のそっくりな顔を全く同じ仕草で傾けている。

びやくだんさん、もう少しで他のみんなも降りて来ると思います。そうしたらすぐに出発しましょう」
「はい一刻も早く安全圏へ!」

 幻覚的サイケデリックな赤い髪を振り乱して首を前後させるびやくだんの姿はさながらヘッドバンキングである。
 この目立つ格好で息を潜めていて、さぞかし不安だったことだろう。

 そんな二人のもとへ一人分の足音が近付いていた。
 遠くで聞いていた彼女達は最初、仲間の誰かが降りてきたのだと思った。
 だがすぐに、その歩幅、体重が見知った者の誰とも違うことに気が付いた。
 振り向いたまゆづきが見たのは、小柄な少年に見える総角あげまき髪の、古代の朝服姿にも似た服装の男だった。

「おめでとう、ひとずは生き残ったようだね」

 少年は手をたたいた。
 その雰囲気は見た目に反して、まるで何百年も生きた様なかんろくを感じさせるものだ。

「誰!?」

 まゆづきびやくだんは警戒から臨戦態勢を取った。
 そんな二人に対し、少年は不気味な笑みを浮かべて答える。

「初めまして、お嬢さん方。ぼくおとせいそうせんたいおおかみきばの首領補佐だ。そして、さようなら。ぼくが自分から名乗るのは、相手にすぐ死んでもらうときだけだ」

 おとが放つすさまじい邪気に、まゆづきは完全にまれていた。
 そんな彼女を差し置いて、びやくだんが一歩前へ出た。
 先程までのおびえた様子から一転、至って落ち着いた様子でおとに言葉を返す。

「あー、貴方あなたおとせいですかー。ということは、目的はわたしさんですね?」

 口調こそ普段のひようひようとしたものだが、びやくだんの表情はふざけた印象をじんも感じさせない真顔だった。
 逆に、不敵な笑みを浮かべるおとは軽妙さの裏に底知れない何かを隠している。

「へえ、随分と察しが良いじゃないか。ということは、もう例の写真は共有されているのかな? ま、ぼくはそれ程深刻には受け取っていないけど、つきしろやつが『こうこくに居るうちに始末しろ』ってくてね。悪いけど、探偵ごっこは地獄でやってもらえないかな?」

 おとはゆっくりと彼女達に迫る。
 まゆづきしんの乏しいびやくだんのことを下がらせようとしていた。

わたしが戦います。ここは下がっていてください」
「んーまゆづきさん、申し訳無いです。わたしはこの男に、どうしてもかなければならないことがあるんですよねー」
「ほう……」

 おとの足が止まった。

「良いよ、差し支えない範囲なら、冥土の土産に教えてあげようじゃないか。どうぞ、言ってみておくれ」
「そうですか、では直球で」

 びやくだんは普段からは想像も付かない厳しい表情でおとにらけた。

「お前はれん君を殺したのか?」

 びやくだんの同僚、れんの件である。
 そうせんたいおおかみきばに潜入していた間諜スパイで、拉致被害者が脱走した時点で合流を指示されたはずだった。
 だが、びやくだんが拉致被害者を迎えにしんかんせんで移動している最中、一枚の写真を送り付けて音信不通になってしまった。
 は、が何者か――写真を撮られたおとつきしろあるいはその手の者に殺害されたと見ている。

れん君? ああ、のことか」

 おとは不敵に笑いながら、悪びれもせずに答える。

「そう尋ねるということは、もう答えはわかっているんだろう? まあ一応答えてあげよう。殺したかという問いにはイエス。直接手を下したのははっしゅうの一人・わたりりんろう。そして、彼にそう指示を出したのは確かにぼくだ。は事もあろうにぼくの正体に感付いたようなのでね……」

 その答えを聞いた時、びやくだんは両拳を固く握り締めた。
 まゆづきはその後ろ姿を見ただけで、びやくだんの凄まじい怒りを感じずにはいられなかった。
 一九三センチの、女としてはもちろん男と比較してもかなり大柄な体型にさわしい、強い威圧感を四方八方にぶちけていた。

れん君はですね、わたしにとって孤児院時代から知っている気の置けない友達だったんですよ。勿論、この仕事を選んだ時点でお互いに覚悟はしていました。でも、そのかたきを目の前にして何の感慨も湧かないって訳じゃない」
「成程ね、心中お察しするよ。しかし、だからどうしたと言うんだ? きみにはほとんど戦闘能力が無いんだろう? さっきみたいに、情けなくお仲間に縋り付いている方がお似合いだと思うがね」

 空気が張り詰める。
 怒気と邪気が当たりに渦巻き、巨大な殺気の蛇となって絡み合っている。
 だがそんな空気の中で、おとおどける様に肩をすくめた。

「ははは、見知らぬ女性方にそう見詰められると照れちゃうな。しかし、きみには結構親近感が湧いたよ」
「何が?」

 びやくだんはや怒りといらちを隠せていない。
 そんな彼女に対し、おとなおもふざけた調子で言葉を返す。

びやくだんあげきみみなしだったんだねえ。実はぼくもそうなんだよ。いやあ、懐かしいなあ……」

 瞬間、びやくだんは右手を前に突き出した。
 堪忍袋の緒が切れた、と言った様に、彼女に備わった攻撃手段をすいこうする。

めるな。わたしの能力に攻撃能力が無いとでも思っているのか!」
「へ?」

 びやくだんじゆつしきしん、それは空気を利用した幻惑能力である。
 だがそれは、幻覚を直接的に投影するものではない。
 対象物を中心に、周囲の空気を揺らすことで催眠効果のある微弱な「音」を作り出し、認識をゆがませることで幻覚を見せるのだ。
 使うしんが大きくなればなる程、より遠くまで微弱な振動を届け、また大胆な幻惑を掛けることが可能である。

 そしてその応用として、極めて狭い範囲ではあるものの、振動を巨大化させることで音波攻撃が可能になるのだ。
 その伝達は、ある程度の指向性を持たせることが出来る。

らえ!」

 破壊力を伴った音波の猛威がおとに襲い掛かった。
 混凝土コンクリートの床や柱、天井がひびれ、古い木材の様に毛羽立つ。
 だが、そこにおとの姿は無かった。

「消えた!? 何処どこへ行った!」
だよ」

 おとびやくだんのすぐ後でぬきを構えた。
 瞬間、まゆづきびやくだんを突き飛ばし、ほのおの翼を背に生やしておとけんせいした。

「くっ、面倒な能力を……!」

 焔がおとの腕に燃え移り、彼はこれを消そうとして激しく腕を振っていた。
 その間に、まゆづきは体勢を立て直し、能力の真価を発揮した。
 八面体の燃える結晶が三発、おとを狙って放たれ、彼の肩・腹部・だいたいを貫通。
 更に二発がおとの右肘・左膝を千切った。

(簡単過ぎる……。いくらしんかいふく力があるといっても、これじゃもうあの男は戦えない、それどころか死ぬ)

 まゆづきはそれ以上の攻撃をやめた。
 だが、おとは不気味な笑みをその少年の様な顔にたたえていた。

「ククク、甘ちゃんだなあ……」

 おとの体がみるみるうちに修復される。
 それはしんの恢復力を明らかに超えた効果だった。
 肩・下腹・大腿部の穴も、右腕と左脚の欠損も何事も無かった様に元通りとなってしまった。

「そんな……な……」
「ふっふっふ、悪いがこんな程度じゃぼくは死なないんだよ。だが、一つだけ懸案事項はある。先にそれからつぶさせてもらおうか……」

 おとはそう言うと、突然まゆづきびやくだんに背を向けて別方向に走り出した。
 いな、彼が向かう先には別の人間が居る。
 標的にされたのはくもたかだった。

うそ!? しまった、そんな!」

 まゆづきは慌てて再度結晶を生成するも、この位置から撃っては守るべきくもたかと、その妹・くもに当たってしまう。

「二人の攻撃力は恐るるに足りん! だが、しんを貸し与えて猫を虎に変貌させることが出来る餓鬼は脅威だ! 先に殺す!」
にいさま!!」
「ふ、ふにゅううううぅっっ!!」

 常に泰然自若としていたくも兄妹もすがあおめて悲鳴を上げる。
 この場に居る誰もおとを止めることが出来ない、まさに絶体絶命である。

 だがおとの貫手がたかに振るわれんとしたその瞬間、黒い影が猛スピードで両者の間に割って入った。
 そしてその女は、おとの顔面に痛烈無比な拳をたたんだ。

「ぐボォァッッ!!」

 おとは激しく転倒し、混凝土コンクリートの床を跳ねながら転がり飛んで行った。
 超絶的な破壊の暴を放ったのは、遅れてこの場に到着した彼女だった。

「み、ことさん!!」

 助けられたたかが歓喜の声を上げた。
 最強の戦乙女ワルキューレうることさつそうと窮地に駆け付け、立ち上がることもままならないおとを遠く見下ろしていた。
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