日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第二章『神皇篇』

第三十五話『償還過程』 破

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 六摂家当主は、最年少四十八としたかつがいよるあきを除き、還暦を超えている。
 にもかかわらず、その年齢を感じさせる者は一人も居らず、全員十代から三十代の外見をしている。
 それは六人の強大なしんが細胞の老化を防いでいるためであり、全員が一様に理不尽なじゆつしきしんを操るのも同根である。
 とおどうあやも例に漏れず、若さを超えて幼さすら感じさせる少女の外見をしている。

 しかし、見た目からはわからぬ程の歳を重ねているといっても、しんせいだいにっぽんこうこくの成立以前を知っているのはいちどうすえ麿まろ殿でんふしだけだ。
 とおどうあやは王党派による政権奪還、ヤシマ人民民主主義共和国末期の時代、まだこの世に生を受けていなかった。
 故に、彼女が抱いているヤシマ政府の残党や共産主義者への印象や感情は、全て又聞きで植え付けられたものである。
 それは、復活した貴族社会を強固なものとする為、殿でん家が中心となって作り上げた教育にって形成されたものだ。

 とおどうあやは幼少期、ヤシマ人民民主主義共和国を徹底的に否定する教育を実に素直に、従順に吸収した。
 その結果、かつて皇統に大逆を働いた上にみかどせきたる臣民の生活を地獄にたたとし、多くの命を飢餓と粛正で奪った歴史に対して激しいぞうを抱くに至った。
 革命の当時十三歳だったひろとも親王――後のじんのうおぞましい虐待を加え、生涯にわたって消えぬ痕を残した歴史に胸を痛めた。
 そして、そのそれらの所業を生んだ血脈や思想を必ずや根絶やしにすると心に誓ったのだ。

 とおどうあやはその小さな胸に刻み付けている。

『愚かな歴史を、罪深きあやまちを決して繰り返してはならない』

 とおどういちどう殿でん以上に、実態を知らないヤシマ政府を忌み嫌い、えんほのおを常に燃やし続けていた。
 その裏には、同じ日本人の血が流れる自分自身すらも決して大逆の罪から逃れられないという負い目が存在した。



    ⦿⦿⦿



 まゆづきとらわれている薄闇は、とおどうあやの能力に因って作り上げられた空間である。
 そこでは、多元宇宙系からとおどうの望みをかなえる物理法則を持った別宇宙を自在に組み合わせて再現したものである。
 全てはとおどうの思い通りであり、この空間に囚われてしまった時点でとおどうに対抗する手段は無かった。

 そんなとおどうは、まゆづきと一緒に囚われたはなたまを一方的に打ち負かし、何度も踏み付けにしている。
 その振る舞いははないてはその裏に居るそうせんたいおおかみきば――ヤシマ政府の残党への並々ならぬ憎悪に満ちた異様なものであるが、まゆづきはその様に不思議と恐怖を覚えなかった。

 ふと、まゆづきは自分を拘束していた縄が緩んでいることに気が付いた。
 能力で縄を形成したはなが弱っている為だろう。
 まゆづきは背中に火種をくゆらせた。
 いかつく縛られていた時とは違い、緩んだ今ならば焔の翼は酸素を得て燃える。

 髪の毛の縄に火が着き、ばらばらとまゆづきの足元に燃え落ちた。
 その動きに気が付いたのか、とおどうの眼がまゆづきの方に向いた。

「おおっと、ちらは眼中に無かったが、拘束が解けてしもうたか。あまりやつにばかり構ってはおられんの」

 とおどうはそう言うと、懐から短刀を取り出した。
 それではなに止めを刺し、今度はまゆづきを同じようになぶろうという算段だろうか――まゆづきは身構えた。
 だが、予想に反してとおどうはなの目の前にその短刀を投げ捨てた。

「毒が苦しかろう。そいつを貸してやるから勝手に自害すると良い。我はあちらの小娘を相手にせねばならん」

 はなは驚いた様に目をみはり、目の前の短刀を手に取った。
 相手に武器を与え、背を向けるなど愚の骨頂である。
 それだけ自分の能力に自信があるのだろうか。
 実際、はなは毒と別宇宙の物理法則によって立ち上がることすらままならない。

(あれ? でも……)

 しかしこの行動は、まゆづきに一つの気付きを与えた。
 バラバラだった多くの点が線で結ばれる。

「もしかして……自分の手で殺したくない……?」

 とおどうはギョッとした様に眼を見開き、小さくあと退ずさった。
 その様子、全くの的外れでもないのだろう。
 自分でも気付いていなかった内心を言い当てられて動揺した、といった様子だ。

 まゆづきはこれまでのとおどうの行動を思い返す。
 最初、とおどうまゆづきはなの戦いを静観し、つぶし合わせようとした。
 その後も、はなが倒れた後でしつように踏み付けにするのを除いては、決して自分からは攻撃していない。
 実は、ずっと最後の止めを自ら刺さないように立ち振る舞っている。

 まゆづきあずからぬことだが、とおどうのこの様な振る舞いは別の場面にも存在する。
 例えば、いっきゅうどうしんたいを使って拉致被害者達を襲撃しようと提案したのはとおどうである。
 また、過去を知って激怒した殿でんに対しても、自ら始末しようとはしなかった。
 もっと言うと、はんぎやく者に対して六摂家当主の中でもずいいちの憎悪を抱いているにも拘わらず、積極的にこれをちゆうさつしている者として彼女の名は挙がらない。

 要するに、とおどうはどれだけ憎んでいる相手だろうが、自らの手で殺すのは恐ろしくてためうのだ。

(そうか、だからこの女のことは怖くないんだ……)

 まゆづきは深く納得した。
 憎い相手に死んでほしいというのは、取り立てて異常な感性というわけでもない。
 自分の手で殺すことに躊躇いがあるのは人間として当然だろう。
 その結果として自分の与り知らぬところで勝手にくたばってほしいと願うのは、醜悪でひねくれた根性ではあるが常人の域を出るものではない。

 そう、とおどうあやの中身は「凡庸」なのだ。
 その本質があらわにされてしまったからか、とおどうは雷に打たれた様に硬直している。
 そんな様子を見て、まゆづきは思った。

(このひとわいそうかも……)

 小柄な、少女とまがう養子があいってか、まゆづきとおどうあわれに見えてきた。
 おおよそ、人としてありふれた感覚に対して、分不相応な憎悪を抱いている。
 それだけならばまだしも、その憎悪に振り回されても良い力と立場を与えられてしまっている。
 しかもそこまでぜんてされておいて、なおも人殺しの一線を越えられない。

 何処どこまでも、悲しい程に凡庸な人間の性である。

(だったら、ひょっとすると……)

 まゆづきは背中で燃えていた焔の翼を消した。
 自分を殺すとのたまったとおどうに、どうしても聞いておきたくなったのだ。
 そしてそれを切掛に、まゆづきは戦いとは別の手段で事態の打開を図ろうとしていた。

貴女あなた何故なぜ、それ程までに叛逆者を憎むのですか?」
「き、決まっておろうが!」

 とおどうは震える声で答える。

「叛逆者とは、嘗てこの国の方向を誤らせ、社会に間違った道を歩ませ、そして数えきれぬの命を奪った連中じゃ! あまつさえその所業を正当化し、いまなおかの歴史に傷付けられた者達をないがしろにし続けておる! いつらが生きておる限り、こうこくは安心して未来へ歩むことが出来んのじゃ!」
「それは……解ります。しかし、貴女あなたの憎しみはそういう道理だけでは説明が付かないような、もっと感情に根差した背景があるように思えるのです」
「ヤシマ政府の連中は! 少年のみぎりじんのう陛下に!! 虐待とりようじよくの限りを尽くし! 尊厳を奪って死のふちさまわせすらした!!」

 あらん限りの声を張り上げたとおどうは肩で息をしていた。
 そうして数秒間を挟んだ後、話を続ける。

「畏れ多くもじんのう陛下のせいたいを拝見させ給えり折、我は強く心を打たれた。こうこくの全てを慈愛で包み込み、汎ゆる臣民をゆるしになる、涼やかで尊きことこの上無きりゆうがん……。あれほどのかたに対して、嘗てのヤシマ政府はよくも恐ろしい蛮行を働けたものじゃ。それを皇恩にあずかったはずの臣民も後押ししたというのがたまらぬ……」

 まゆづきには正直、とおどうの言葉はピンと来ない。
 こうこくの歴史も、じんのう為人ひととなりほとんど知らないのだから、当然である。
 だが、その裏にあるものを読み取ることは出来る。

貴女あなたが本当に感じているのは……憎しみではない……」
「何?」
「自らの主君への、限り無く慕情に近い忠義。心をささげた人の痛みを我が事の様に覚え、苦しんでいる……」

 とおどうは眉根を寄せ、まゆづきはなの両方から目線をらした。

「そうか……我は陛下を愛しておったのじゃな……。なんとも畏れ多いことじゃ……。そうだったのか……。我の願いとは、愛する陛下の心にいでほしい、癒えてほしい。汚された過去がすすがれ、救われてほしい……。しかしそれは、我が願うにはあまりにもがましきことじゃ……。何故なら我もまた、あの御方を傷付けた者めらと全くの無関係では居られまい。あの御方を前に、びゆうで居られるこうこく臣民など一人もおらんじゃろうて……」

 とおどうまとう気配が明らかに変わっていた。
 焔の様な憎しみはひとず鳴りを潜め、落ち着いた静寂に包まれている。

 これなら、何とかなりそうだ――まゆづきは考える。

 戦いにあっては、どういてもとおどうに勝つ手段など無い。
 まゆづきはこの状況を、対話によって切り開こうとしていた。
 この様子なら、とおどうは話せば通じる人間だ。
 なんとか互いを理解し、そしておん便びんにこの場から解放してもらえないか――そう考え、まゆづきは可能な限りとおどうに寄り添おうとしていた。

 だがその時、血に伏してもだえていたはなが笑い声を漏らし始めた。
 とおどうは再び険しい表情ではなを見下ろす。

「何がしい?」
「そりゃそうだろう。そんな下らない話を聞かされたんじゃな。わたしに言わせれば、貴様の言葉など滑稽なだけだ」

 この期に及んでとおどうを挑発するはなに、再びとおどうの空気が険悪なものになった。
 まゆづきは自分の試みが無駄にされそうになり、あおめる。

 しかし、同時にまたまゆづきに気付きが生まれた。
 何故わざわざはなとおどうを挑発したのだろうか。
 はなもまた、内面に何か闇を抱えているように思えた。

はなさん、貴女あなたには貴女あなたの言い分があるのですか?」

 まゆづきの質問に、はなは吐き捨てる様に鼻で笑った。

「この際だから教えてやるよ。わたしが何故、そうせんたいおおかみきばに参加したのかを……」

 はなもまた、自分の抱えている思いを語り始める。
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