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第二章『神皇篇』
第三十四話『天竺牡丹』 序
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薄闇の空間の中、根尾弓矢は背中に地べたの冷たさを感じながら、見えもしない天を仰いでいる。
「六摂家当主・丹桐士糸、恐ろしい相手だった。こんな状態で他の敵が顕れたら間違い無く殺されるな……」
辛うじて丹桐士糸を倒した根尾だったが、全ての力を出し尽くし、神為を使い果たし、最早戦う力など残されていない。
公殿句子の口振りでは、他の者達も六摂家当主に襲われているだろう。
仮に一人でもやられてしまうと、始末を終えた敵は間違い無く根尾の許にも顕れる。
「逆に、それで良いのかも知れないな。俺はみんなを危険に曝したのだ。それで誰かを死なせてしまったのなら、責任を取らねばならん」
今はただ、この一箇月で逞しく成長した四人に賭けるしかない――そう覚悟を決め、咀嚼して呑み込む様に、根尾は深く深く息を吸っては吐いた。
⦿⦿⦿
何処までも広がる薄暗い闇の中、久住双葉は心細さに震えていた。
立体駐車場の屋上から昇降機に乗ろうとしたところ、突然視界が暗転してこの様な場所に閉じ込められたのだ。
「な、何……? どうなったの……? 一体、此処は何処……?」
一応、完全な闇という訳ではなく、それなりの広さを何となく見渡せる程度の、薄らとした明かりに照らされてはいる。
しかし、果ての見えない無の空間に独りで閉じ込められていると、精神が弱ってしまう。
今のところ誰にも襲われていないが、逆にそれが双葉の心を追い詰めていた。
「誰か……助けて……。麗真さん……岬守君……。繭月さん……。陽子さ……」
寂しさを紛らわす為に、知った名前を呟いていた双葉の言葉が途切れた。
高校時代の友人に、公転館で苦楽を共にした仲間、思い浮かぶ顔はそんなところだったが、ふと悲しい切ない思い出も蘇ってしまった。
武装戦隊・狼ノ牙の内通者だった椿陽子は、一箇月の間双葉と相部屋であり、心を通じ合わせていた。
まだ少し、双葉は現実を受け止めきれていない。
「あらあらぁ、こらまた随分と可愛らしいお嬢さんやねぇ」
突然、双葉の前に青いドレスを纏った糸目の女が現れた。
不自然な程に柔和な表情から却って黒い腹の内が垣間見える、不気味な女だった。
見た目は若作りの美女だが、その印象がどこまで当てになるか分かったものではない。
「だ、誰……?」
「初めましてぇ、此身は公殿句子と申しますぅ。皇國に於いて最高位の貴族たる六摂家の一角、公殿公爵家の当主を務めさせて頂いとる者ですよぉ」
「六摂家!?」
双葉は警戒して身構えた。
一昨日から新たな脅威として挙げられ、出発の直前に実際襲ってきた敵の仲間の一人だ。
公殿の柔和な表情が一層、顔色一つ変えずに人を殺すような危険人物のそれに見えてくる。
しかし、そんな双葉に公殿は相変わらず笑みを貼り付けたまま語り掛ける。
「まぁまぁ、そんなに怖がらんでもええですやろ。そや、貴女のお名前も教えてくださいませんか。無害だと判れば、此処から出したげられるかも知れまへんよぉ?」
「……久住双葉」
「うーん、知らん名前やねぇ……」
小さく呟いた双葉の名前を聞いて、公殿は首を傾げた。
その反応が一々わざとらしい。
「実はこの空間を作ったのは此身でなくて十桐卿でぇ、此身を含めた他の六摂家当主は賊を討つ為に同席させてもろたんです、此身が狙うとるんは貴女ではなく別の人なんですよねぇ……」
「じ、じゃあ出してくれます……か?」
双葉は駄目元で、しかし極々僅かな期待を込めて公殿に尋ねた。
しかし、答えは予想の範囲を出ない。
「いやいやぁ、やっぱりそれはあきまへんわぁ。明治日本の逃亡者を始末するのもまた、此身らの目的ですさかいにぃ。ま、別に一人でも殺してしもうたら充分なんですが、せやったら貴女をその一人にしてしまうのも手やしねぇ」
公殿の放つ圧が不気味に高まる。
双葉は思わず後退った。
拉致被害者の中で、双葉は誰よりも戦いが嫌いである。
しかし、必要に迫られて一切抵抗しない程に諦めが良くはない。
やられるに任せていては状況は悪化する、加害者は際限無く加害してくると、双葉は経験から能く知っていた。
だが問題は、双葉が公殿の脅威を本当の意味では知らないことだ。
「まぁあまり怖がらすのも可哀想やしぃ、一瞬で終わらしたげましょうねぇ……」
公殿の姿が揺らめいた。
双葉の直感が命の危機を報せ、喧しく警告音を鳴らす。
(攻撃しないとやられる!!)
双葉は咄嗟に両腕を突き出し、公殿の周囲から木の蔓を生やした。
蔓はあっという間に公殿を覆い尽くし、巨大な繭の様に公殿を密封して閉じ込めた。
「あらまぁ、閉じ込められてしまいましたわぁ」
「助けてほしかったら私を此処から出して! 十数える前に出さないと攻撃する!」
「それは嫌やねぇ。一寸相談してみましょうかぁ。十桐卿、如何なさいますぅ?」
言葉とは裏腹に、全く危機感のない間延びした喋り方だ。
双葉は数を一つずつ数え上げていく。
しかし、予告した十に近付いても全く反応がない。
双葉がこの状態から仕掛けようとしている攻撃は、非常に殺傷力の高いものだ。
だが出来ることならば、双葉はそれを執行したくない。
彼女はまだ殺しに躊躇いを覚えていた。
「九……あの、本当に出してくださいませんか? 貴女、死んでしまいます……よ?」
「そないなことを言うてもねぇ。先程も言うた様に、この空間は此身やなくて十桐卿の能力に因るものやさかい。此身にはどないも出来ませんわぁ」
「では、これを見てください!」
双葉は少しムッとして蔓の繭に手を翳した。
すると繭を構成する木の蔓から無数の棘が生え、ゆっくりと伸び始めた。
「なんと、これで串刺しにしよいうんですかぁ? えらい物騒やねぇ」
「十数えたら一気に伸ばします! 嫌ならお仲間にもっと必死に訴えてください! でないと、本当にやります……よ?」
蔓の繭からは必死の懇願どころか、双葉への嘲笑が漏れ聞こえてきた。
「くすくす、一層此身を殺してまうのも手かも知れまへんよぉ。そないすれば、能力の持ち主である十桐卿が乗り込んで来はるかも知れません。そうなったら、直接交渉の目も出るんと違いますかぁ」
挑発され、双葉は逆に追い詰められた。
今からやらなければならないこと、自分で宣言してしまったことへの躊躇いから、差し伸べた手が震えている。
ここまで、拉致被害者で殺人を犯したのは既に人殺しだった折野菱ただ一人。
その一線を最初に越えるのが自分になってしまうと思うと、恐怖で足が竦む。
(私、人を殺さなきゃいけないの? い、嫌だよ……)
双葉の両目に涙が滲む。
と、その時、彼女は背後に別の気配を感じた。
それは少しずつ、ゆっくりと近付いて来る。
「双葉、殺らなきゃ殺られるよ。覚悟を決めな」
背後から肩に手を置いて双葉に囁きかけたのは、聞き覚えのある声だった。
いや、「能く知った声」と言った方が正しいか。
「十数えて殺っちまいな。でないと、私が貴女を殺す、と言ったらどうする?」
「よ、陽子さん?」
信じられなかった。
しかし、一箇月も同じ部屋で過ごした双葉が間違う筈も無い。
椿陽子の声を、体格を、仕草を、その全てを双葉が他人と取り違う筈も無い。
「私、本気だからね。他の誰か、それもあんな奴に殺されるくらいなら、一層私が貴女を殺してあげる。それが嫌なら、覚悟を決めるんだ」
双葉は細めた目から涙を零し、口角を上げた頬に伝う雫の感触に勇気付けられた。
無論、陽子の言葉は建前だろう。
しかし、双葉にとってはその建前が感涙ものだった。
更に、建前の裏に隠された本音も双葉の手の震えを止める。
脅迫に依る、罪悪感の除去。
殺さなければ自分が殺されるのだから仕方が無い、という免責。
それは覚悟と呼べるものではないが、双葉に重大な決心をさせた。
「十!!」
木の蔓から勢い良く棘が伸びた。
中では公殿が串刺し、穴だらけになっているだろう。
「あぁーれぇーっ」
あまりにも間の抜けた、断末魔の悲鳴に似つかわしくない声がした。
公殿に逃げ場は無いし、絶命は免れ得ない筈だが、何かがおかしい。
「双葉、警戒を怠るな!」
椿は背後から手で双葉の鼻と口を覆った。
双葉が息が出来なく鳴ったと同時に、蔓の繭の内部から凄まじい爆発が起こり、木の蔓が粉々になって弾け飛んだ。
「まだ息をしちゃ駄目だ! こいつの、公殿句子の能力はヤバいんだ!」
蔓の中から爆煙が上がっている。
しかし能く見ると、その煙には人の顔の様な影が浮かび上がっている。
影は少しずつ、公殿の顔の形を取り始めた。
『その口振り、此身の術識神為を知ったはる様子やねぇ。つまり、貴女が此身の本命やいうことですかぁ。ねぇ、首領Дの娘・椿陽子はん?』
煙の影の口が動き、公殿の声で陽子に語り掛ける。
ゆっくりと煙が集まり、煙は公殿の姿を取り戻していく。
完全に元の姿に戻ったのを確認し、陽子は双葉の呼吸を解放した。
「双葉、あいつがさっきみたいな拡散状態になったら息を吸っちゃ駄目なんだ。その瞬間に煙が体の中へ取り込まれ、血流に乗って全身に回る。そして内部から爆発を起こされ、即死させられる」
「じ、じゃあ陽子さんは私を助ける為に呼吸を?」
「ああ。初手であいつを密閉して閉じ込めたのは大正解だったよ。ああしないと間違い無く瞬殺されてた。そして、私が此処へ一緒に閉じ込められていたのも良かった。貴女じゃあいつに攻撃を通せないからね」
双葉は背筋に凍り付く様な寒気を感じた。
攻撃面では初見殺し・呼吸封じの即死能力を持ち、防御面では相手の攻撃を煙の様に無効化する絶対防御を持つ、公殿句子の恐るべき術識神為に戦慄を禁じ得なかった。
だがそれにしても、どういう風の吹き回しなのか。
脱走した双葉と、正体を明かした陽子は、今や敵同士の筈である。
「でも陽子さん、どうして?」
「あいつら皇國貴族にとっては、寧ろ私達が本来の敵なのさ。勿論、こっちも貴女達を狙って此処まで来た訳だけど、まんまと奴らに目を付けられてしまったらしい。しかしそういうことなら、敵の敵は味方ということで私と貴女で一時的に協力し合っても良い筈だ」
陽子の言うことは理に適っている。
といっても、他の者達ならばこの申し出を素直に受けない可能性が高い。
だが、双葉と陽子に限っては違う。
一箇月の間に、双葉は確かに陽子との絆を強く感じていたのだ。
「解った! 一緒にやろう!」
苟且の友情、復活である。
「六摂家当主・丹桐士糸、恐ろしい相手だった。こんな状態で他の敵が顕れたら間違い無く殺されるな……」
辛うじて丹桐士糸を倒した根尾だったが、全ての力を出し尽くし、神為を使い果たし、最早戦う力など残されていない。
公殿句子の口振りでは、他の者達も六摂家当主に襲われているだろう。
仮に一人でもやられてしまうと、始末を終えた敵は間違い無く根尾の許にも顕れる。
「逆に、それで良いのかも知れないな。俺はみんなを危険に曝したのだ。それで誰かを死なせてしまったのなら、責任を取らねばならん」
今はただ、この一箇月で逞しく成長した四人に賭けるしかない――そう覚悟を決め、咀嚼して呑み込む様に、根尾は深く深く息を吸っては吐いた。
⦿⦿⦿
何処までも広がる薄暗い闇の中、久住双葉は心細さに震えていた。
立体駐車場の屋上から昇降機に乗ろうとしたところ、突然視界が暗転してこの様な場所に閉じ込められたのだ。
「な、何……? どうなったの……? 一体、此処は何処……?」
一応、完全な闇という訳ではなく、それなりの広さを何となく見渡せる程度の、薄らとした明かりに照らされてはいる。
しかし、果ての見えない無の空間に独りで閉じ込められていると、精神が弱ってしまう。
今のところ誰にも襲われていないが、逆にそれが双葉の心を追い詰めていた。
「誰か……助けて……。麗真さん……岬守君……。繭月さん……。陽子さ……」
寂しさを紛らわす為に、知った名前を呟いていた双葉の言葉が途切れた。
高校時代の友人に、公転館で苦楽を共にした仲間、思い浮かぶ顔はそんなところだったが、ふと悲しい切ない思い出も蘇ってしまった。
武装戦隊・狼ノ牙の内通者だった椿陽子は、一箇月の間双葉と相部屋であり、心を通じ合わせていた。
まだ少し、双葉は現実を受け止めきれていない。
「あらあらぁ、こらまた随分と可愛らしいお嬢さんやねぇ」
突然、双葉の前に青いドレスを纏った糸目の女が現れた。
不自然な程に柔和な表情から却って黒い腹の内が垣間見える、不気味な女だった。
見た目は若作りの美女だが、その印象がどこまで当てになるか分かったものではない。
「だ、誰……?」
「初めましてぇ、此身は公殿句子と申しますぅ。皇國に於いて最高位の貴族たる六摂家の一角、公殿公爵家の当主を務めさせて頂いとる者ですよぉ」
「六摂家!?」
双葉は警戒して身構えた。
一昨日から新たな脅威として挙げられ、出発の直前に実際襲ってきた敵の仲間の一人だ。
公殿の柔和な表情が一層、顔色一つ変えずに人を殺すような危険人物のそれに見えてくる。
しかし、そんな双葉に公殿は相変わらず笑みを貼り付けたまま語り掛ける。
「まぁまぁ、そんなに怖がらんでもええですやろ。そや、貴女のお名前も教えてくださいませんか。無害だと判れば、此処から出したげられるかも知れまへんよぉ?」
「……久住双葉」
「うーん、知らん名前やねぇ……」
小さく呟いた双葉の名前を聞いて、公殿は首を傾げた。
その反応が一々わざとらしい。
「実はこの空間を作ったのは此身でなくて十桐卿でぇ、此身を含めた他の六摂家当主は賊を討つ為に同席させてもろたんです、此身が狙うとるんは貴女ではなく別の人なんですよねぇ……」
「じ、じゃあ出してくれます……か?」
双葉は駄目元で、しかし極々僅かな期待を込めて公殿に尋ねた。
しかし、答えは予想の範囲を出ない。
「いやいやぁ、やっぱりそれはあきまへんわぁ。明治日本の逃亡者を始末するのもまた、此身らの目的ですさかいにぃ。ま、別に一人でも殺してしもうたら充分なんですが、せやったら貴女をその一人にしてしまうのも手やしねぇ」
公殿の放つ圧が不気味に高まる。
双葉は思わず後退った。
拉致被害者の中で、双葉は誰よりも戦いが嫌いである。
しかし、必要に迫られて一切抵抗しない程に諦めが良くはない。
やられるに任せていては状況は悪化する、加害者は際限無く加害してくると、双葉は経験から能く知っていた。
だが問題は、双葉が公殿の脅威を本当の意味では知らないことだ。
「まぁあまり怖がらすのも可哀想やしぃ、一瞬で終わらしたげましょうねぇ……」
公殿の姿が揺らめいた。
双葉の直感が命の危機を報せ、喧しく警告音を鳴らす。
(攻撃しないとやられる!!)
双葉は咄嗟に両腕を突き出し、公殿の周囲から木の蔓を生やした。
蔓はあっという間に公殿を覆い尽くし、巨大な繭の様に公殿を密封して閉じ込めた。
「あらまぁ、閉じ込められてしまいましたわぁ」
「助けてほしかったら私を此処から出して! 十数える前に出さないと攻撃する!」
「それは嫌やねぇ。一寸相談してみましょうかぁ。十桐卿、如何なさいますぅ?」
言葉とは裏腹に、全く危機感のない間延びした喋り方だ。
双葉は数を一つずつ数え上げていく。
しかし、予告した十に近付いても全く反応がない。
双葉がこの状態から仕掛けようとしている攻撃は、非常に殺傷力の高いものだ。
だが出来ることならば、双葉はそれを執行したくない。
彼女はまだ殺しに躊躇いを覚えていた。
「九……あの、本当に出してくださいませんか? 貴女、死んでしまいます……よ?」
「そないなことを言うてもねぇ。先程も言うた様に、この空間は此身やなくて十桐卿の能力に因るものやさかい。此身にはどないも出来ませんわぁ」
「では、これを見てください!」
双葉は少しムッとして蔓の繭に手を翳した。
すると繭を構成する木の蔓から無数の棘が生え、ゆっくりと伸び始めた。
「なんと、これで串刺しにしよいうんですかぁ? えらい物騒やねぇ」
「十数えたら一気に伸ばします! 嫌ならお仲間にもっと必死に訴えてください! でないと、本当にやります……よ?」
蔓の繭からは必死の懇願どころか、双葉への嘲笑が漏れ聞こえてきた。
「くすくす、一層此身を殺してまうのも手かも知れまへんよぉ。そないすれば、能力の持ち主である十桐卿が乗り込んで来はるかも知れません。そうなったら、直接交渉の目も出るんと違いますかぁ」
挑発され、双葉は逆に追い詰められた。
今からやらなければならないこと、自分で宣言してしまったことへの躊躇いから、差し伸べた手が震えている。
ここまで、拉致被害者で殺人を犯したのは既に人殺しだった折野菱ただ一人。
その一線を最初に越えるのが自分になってしまうと思うと、恐怖で足が竦む。
(私、人を殺さなきゃいけないの? い、嫌だよ……)
双葉の両目に涙が滲む。
と、その時、彼女は背後に別の気配を感じた。
それは少しずつ、ゆっくりと近付いて来る。
「双葉、殺らなきゃ殺られるよ。覚悟を決めな」
背後から肩に手を置いて双葉に囁きかけたのは、聞き覚えのある声だった。
いや、「能く知った声」と言った方が正しいか。
「十数えて殺っちまいな。でないと、私が貴女を殺す、と言ったらどうする?」
「よ、陽子さん?」
信じられなかった。
しかし、一箇月も同じ部屋で過ごした双葉が間違う筈も無い。
椿陽子の声を、体格を、仕草を、その全てを双葉が他人と取り違う筈も無い。
「私、本気だからね。他の誰か、それもあんな奴に殺されるくらいなら、一層私が貴女を殺してあげる。それが嫌なら、覚悟を決めるんだ」
双葉は細めた目から涙を零し、口角を上げた頬に伝う雫の感触に勇気付けられた。
無論、陽子の言葉は建前だろう。
しかし、双葉にとってはその建前が感涙ものだった。
更に、建前の裏に隠された本音も双葉の手の震えを止める。
脅迫に依る、罪悪感の除去。
殺さなければ自分が殺されるのだから仕方が無い、という免責。
それは覚悟と呼べるものではないが、双葉に重大な決心をさせた。
「十!!」
木の蔓から勢い良く棘が伸びた。
中では公殿が串刺し、穴だらけになっているだろう。
「あぁーれぇーっ」
あまりにも間の抜けた、断末魔の悲鳴に似つかわしくない声がした。
公殿に逃げ場は無いし、絶命は免れ得ない筈だが、何かがおかしい。
「双葉、警戒を怠るな!」
椿は背後から手で双葉の鼻と口を覆った。
双葉が息が出来なく鳴ったと同時に、蔓の繭の内部から凄まじい爆発が起こり、木の蔓が粉々になって弾け飛んだ。
「まだ息をしちゃ駄目だ! こいつの、公殿句子の能力はヤバいんだ!」
蔓の中から爆煙が上がっている。
しかし能く見ると、その煙には人の顔の様な影が浮かび上がっている。
影は少しずつ、公殿の顔の形を取り始めた。
『その口振り、此身の術識神為を知ったはる様子やねぇ。つまり、貴女が此身の本命やいうことですかぁ。ねぇ、首領Дの娘・椿陽子はん?』
煙の影の口が動き、公殿の声で陽子に語り掛ける。
ゆっくりと煙が集まり、煙は公殿の姿を取り戻していく。
完全に元の姿に戻ったのを確認し、陽子は双葉の呼吸を解放した。
「双葉、あいつがさっきみたいな拡散状態になったら息を吸っちゃ駄目なんだ。その瞬間に煙が体の中へ取り込まれ、血流に乗って全身に回る。そして内部から爆発を起こされ、即死させられる」
「じ、じゃあ陽子さんは私を助ける為に呼吸を?」
「ああ。初手であいつを密閉して閉じ込めたのは大正解だったよ。ああしないと間違い無く瞬殺されてた。そして、私が此処へ一緒に閉じ込められていたのも良かった。貴女じゃあいつに攻撃を通せないからね」
双葉は背筋に凍り付く様な寒気を感じた。
攻撃面では初見殺し・呼吸封じの即死能力を持ち、防御面では相手の攻撃を煙の様に無効化する絶対防御を持つ、公殿句子の恐るべき術識神為に戦慄を禁じ得なかった。
だがそれにしても、どういう風の吹き回しなのか。
脱走した双葉と、正体を明かした陽子は、今や敵同士の筈である。
「でも陽子さん、どうして?」
「あいつら皇國貴族にとっては、寧ろ私達が本来の敵なのさ。勿論、こっちも貴女達を狙って此処まで来た訳だけど、まんまと奴らに目を付けられてしまったらしい。しかしそういうことなら、敵の敵は味方ということで私と貴女で一時的に協力し合っても良い筈だ」
陽子の言うことは理に適っている。
といっても、他の者達ならばこの申し出を素直に受けない可能性が高い。
だが、双葉と陽子に限っては違う。
一箇月の間に、双葉は確かに陽子との絆を強く感じていたのだ。
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