日本と皇國の幻争正統記

坐久靈二

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第一章『脱出篇』

第二十話『運命の雙子』 破

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 わたる達は地下室から北館南館の連絡通路へ抜け、しんの居る北館へと足を踏み入れた。

「何だ……? こっちの棟はなんだかいんうつな空気が漂っているな……」

 わたるは部屋の扉を横切る度に嫌な感じがした。
 何となく部屋へ足を踏み入れてはならないような、そんな気がしていた。

さきもり君、、何だか嫌だよ……」

 ふたも同じようなことを感じているらしい。
 それだけ、この棟からは尋常ではないうっくつたる圧迫感があった。

「こっちの建物には此処の人達が集めてきた死体が沢山保管されているです」

 その答えを、が教えてくれた。
 どうやら、わたるふたの嫌な感覚は正しかったらしい。
 しんによって第六感が強化され研ぎ澄まされて、察しが良くなっているのだろう。

「この研究所は相当ろくでもない場所らしいな」
「うん。ぼく達以外にも、怖い実験をいっぱいしてたの」

 たかわたるの手を握り締める。
 前を行く妹のと違い、兄のたかは臆病な性格のようだ。

あぶ、大丈夫なんだろうな……」
「心配は要りません。一応は無事みたいなのです」

 の言い方は気になるが、どういうことかは合流すればわかるだろう。
 わたる達は案内されるがままに廊下を進み、階段を昇った。

    ⦿

 所長室へ辿たどいたわたる達を待っていたのは、ぼうぜんしつとした表情で床に腰掛けるまみれのしんだった。
 かたわらには、散々殴られて気絶した白衣の男が倒れている。

あぶ……」

 抜け殻の様な姿でさめざめと涙を流すしんの表情に、わたるは見覚えがあった。
 中学の卒業を控えた頃、父親を亡くしたことが通夜で見せた表情だ。

さきもりか。ずみちゃんは見付かったのか。無事で良かったなあ……」

 わたる達に気付いたしんが、呼び掛けに言葉を返した。
 いつもの明るさ、やかましさがじんも感じられない、かすれた声だった。
 痛々しい姿から、わたるは否が応にも彼の身に降りかかった事を悟った。

 苦労を掛けた分、穏やかな余生を送ってほしかった両親。
 誰よりもわいく、幸せを願ってまなかった妹。
 そんな家族との久々の旅行は、掛け替えのない楽しい思い出の一つとなるはずだった。
 だがそれは、しんが拉致されてしまいが付いた。

 それだけならばまだ良い。
 それだけならば、日本に帰り着きさえすれば、また新たな思い出を作り直せる筈だった。
 だが、その願いは二度とかなわない。
 しんの家族は、あの旅行を最後に皆殺しの憂き目に遭ってしまったのだ。

 その事実は、今のしんが血を流しているどんな傷よりも深く心をえぐっている。
 立ち直るには、あまりにもダメージが大き過ぎる。

 わたるは掛ける言葉が見付からなかった。
 うざったいくらいに妹の話を聞かされたわたるには、しんがどれほどの存在をうしなったのかわかる。
 いつも明るく、わたる達が辛い時もムードメーカーとなっていたしんが打ちのめされた姿は、只管ひたすらに傷ましかった。

 そんなしんもとに、先程出会った幼い兄妹が近寄っていく。
 二人が付いて来た経緯いきさつを知らないしんだが、それを尋ねる気力すら残されていないらしい。
 ただうつろな目で漫然と少年と少女の顔を眺めている。

ちゃん」
「そうですね、にいさま。もう御兄様は一度貸してしまいましたので、今度はが貸してあげるです」

 の体が光を放った。
 その温かな光は辺り一面を包み込み、あたかも別の世界へ誘われたかの様に、わたるふた、そしてしんの見える景色を変えてしまった。

    ⦿

 再三述べているが、しんが上昇することにって強化されるのは、生命力や身体能力だけではない。
 視力や聴力といった五感から、空気を察する直感力など、様々な認識能力もまた向上するのだ。

 これにって、たかは目に見えない魂を認識したのだという。
 その力が今、しんに貸し与えられたのだ。

 しんに、白いもやの塊が三つ映っている。
 それは段々と、人の形を取っていく。
 仲間達の他に、見知った人間の姿がしんには見えていた。
 よく知っている、会いたくて仕方が無かった者達の姿だ。

おや……お袋……ぐさ……」

 しょうすいし切ったしんを、彼の家族が穏やかな表情で見下ろしている。
 父・あぶあつ、母・あぶりん、そして、妹・あぶぐさが、家族でただ一人残された青年と最後に語らうべくあらわれたのだ。
 しんが見ているのは、死んだ家族の霊魂である。

「ごめん……」

 しんの目から更に涙があふた。

「ごめん。おれ、暴れることしか能が無くて、散々家族や色々な人に迷惑を掛けたのに……。肝心な時に役に立たなかった。誰一人守れず、一番どうしようもないおれが生き残っちまった……」

 涙ながらの謝罪に、ずは彼の父が首を振った。

『何を言っているんだ。それは父親であるおれの役目だぞ。妻と娘を死なせ、息子のお前にもひどい目に遭わせてしまったことをびなければならないのはおれの方だ。お前が気に病むことじゃない』

 父親の手がしんの頭にそっと置かれる。
 いつの間にか小さくなっていたてのひらだが、不思議なぬくもりがある。

「でもおれ、何も親孝行出来なかった……!」
まっとうに生きてくれればそれで良い。お前の将来を悲観せず、楽しみにすることが出来るようになっただけで充分だ。それを考える何気ない時間が、おれにとってどれほど幸せだったことか……。むしろ、感謝しているよ』

 生前はめっに聞けなかった父の優しい言葉に、しんの視界がにじむ。
 涙はどこまでも、まぶたの裏からあふれて止まらなかった。

「だけどおれ、家族みんなを殺したって言われた時、頭に血が上っちまったんだ。家族みんなが止めてくれなきゃ、おれは確実にあいつを殺してた。今度こそ取り返しの付かないことをしちまうとこだったんだ……!」
『それは違うわ』

 今度は母親がしんほほにそっと手で触れた。

わたし達は何もしていない。もしわたし達の姿を見たのなら、それは貴方あなたが自分でわたし達の事を思い出して、自分でとどまったのよ。貴方あなたはちゃんとしているわ。だから、きっもう大丈夫』

 両親のほほみが、しんの渇き切った心を少しずつ潤していく。

「ありがてえなあ……。もう一度話が出来てうれしいよ……。ただ……」

 しんは両親の後ろに控える妹へと目を遣った。

「ただ、ぐさおれだって、お前の将来は楽しみにしていたんだよ。それがこんな形で終わっちまって、それだけはどうしてもれられねえよ……。お前はおれにとって、全てだったからなあ……」

 妹・ぐさしんの手をそっと握った。

『ごめんね、先に逝っちゃって。辛い思いをさせちゃったね』
「違う! 責めたんじゃない! なんでお前が謝るんだ! ただ、どうして良いか分からないんだよ……」
『忘れないでくれれば良い。だから生きて。真面目に生きて、幸せになって』

 顔を上げたしんの目の前で、ぐさは朗らかに笑っている。
 だが、しんはまだ前に進めないでいた。

「無理だよ。忘れられないのに幸せになんてなれない。なあ、独りにしないでくれよ。やっぱり、まだまだ家族に傍に居てほしいよ。急にこんなことになっちまって、二度と会えないなんて寂し過ぎるじゃねえか!」
『お兄ちゃんは独りじゃないよ。仲間が居るし、きっ素敵な相手だって現れる。寂しいなら、また夢で会いに来てあげても良い。でも、いつかはわたし達が居なくても歩けるようになってほしい』

 ぐさは胸の前でしんの手をそっと包み込む。

『忘れないっていうのは、るってことじゃないの。ただ幸せになって。気心の知れた人達と何気ないことで愉快に笑い合って。大切な人達と美しい感動を分かち合って。そんな日々の中で時々、れいな思い出、光り輝く人生の一ページとしてわたし達を懐かしんでくれればそれでいいから……』
ぐさ……」

 しんは妹の顔をじっと見詰める。
 気付かない内に、随分と大人びた。
 彼女は彼女の人生を終わらせ、旅に出る決心をしたのだとに落ちていく。
 成長とは、将来とは、しゃの手から離れていくことなのだ。

『だから前を向いて歩いて。真面目に生きて、幸せになって。それがわたし達の生きたあかしになるから』

 家族三人がしんを取り囲んでいる。
 ようやく、彼の顔に光が戻ってきた。
 しんぐさの手にもう一つの掌を重ねた。

「解ったよ。おれ、頑張って歩く。おれおれの家族の生きた証になるってなら、何とか前に進める気がするよ。ありがとう、会いに来てくれて」

 しんのその言葉を聞き、三人は安心したように小さく笑った。
 三人の姿が次第に薄れ始める。

『じゃあ、おれ達はそろそろ行くからな。ちゃんと生きるんだぞ』
『愛してるわ、しんちゃん』
『またね、大好きなお兄ちゃん』

 辺り一面が光り溢れ、家族三人の霊魂が包み込まれていく。
 しんは家族との別れの時が来たことを悟り、最後に笑って見せた。

「じゃあな……」

 しんがそうつぶやくと同時に、その場を取り巻いていた幻想は影も形も無く消え去った。
 わたるふた、そして見知らぬ少年と少女が彼を心配そうに見詰めている。
 景色は元の荒れ果てた所長室に戻っただけの筈だが、こころしか明るくなったような気がした。
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